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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
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夫は家族のかしら

「夫は妻のかしらである」とは聖書のことばです。(エペソ 5:23)しかし,社会学者の報告や多くの主婦のことばによれば,現代の夫の多くは,家族のかしらとしての正しい立場を捨てていることがわかります。ニューヨークの著名な結婚問題専門家は次のように述べています。「相談に来る婦人の多くは,夫が意志薄弱で,優柔不断であると訴える」。

今日の結婚問題の多くの原因は,明らかに多くの男性が家族のかしらの権を正しく用いていないことにあります。では,家族のかしらの権を正しく用いることには,どんな事柄が含まれていますか。夫は家庭でどんな役割を果たすべきですか。妻をどのように待遇すべきですか。

家族のかしらとは,妻に対して独裁者になることだと考える人もいます。事実,ある国では長年の間,夫が妻を奴隷もしくはそれ以下の人間として扱ってきました。しかしこのような取り扱い方は,前述の聖書のことばとは一致しません。その聖句の前半のことばに注目してください。「キリストが教会のかしらであ……られるように,夫は妻のかしらである」。キリストが,ご自分の追随者の会衆を愛のない仕方で取り扱わなかったことは確かです!

家族の真のかしらは,独裁的な,いわゆるボスのような存在ではありません。しかしまた,気が弱く,優柔不断で,自分が正しく行使すべき役割を妻に任せることもしません。ウエブスターの新国際辞典第三版にも定義されているように,正しいかしらとは,「人間の頭が人体各部に対して占めるのと似た立場を他の人々に対して占めている者であり……ある部署あるいは部門の責任を持つ者」です。それで,頭が人間のからだの動作や働きを指示し,また,一部門の責任者が自分の部門の組織全体および部下の働きを監督するように,家族のかしらは自分の家庭の活動を監督し,家族に対する責任を負わねばなりません。

何人かの部下の上に立つ責任者が,自分の部門の仕事についてほとんどあるいは全く知らないなら,どうなりますか。部下のする仕事に関心を少しも払わず,何の指示も命令も与えず,決定を下すことをさし控え,責任を回避し,そして,仕事を完成させる責任を部下に押しつけるなら,部下はその責任者のことをどう考えるでしょうか。実際の責任者ではなく,名目上の責任者にすぎないと見なすに違いありません。このような関係の下では,互いのきずなはたちまち弱くなってしまうでしょう。

家庭についても同じことが言えます。もし夫が指導あるいは決定すべきことをすべて妻に任せるなら,妻は自分のかしらとしての夫に対する尊敬の念をたちまち失ってしまうでしょう。ある事柄をしてよいかどうか子供に尋ねられると,きまって,「おかあさんに聞いてきなさい」と答え,また,家族に関して何かの決定を迫られるといつも,「お前が決めなさい」と言う人は,家族のかしらの権を実際には行使していません。そしてそのような家庭は往々にして不幸な家庭です。

それでは,正しいかしらの権には,どんな事柄が関係していますか。すべての決定を下すという意味ですか。自分の妻や子供のすべての活動や行動を指示するということですか。決してそうではありません。妻や子供を含めて,人間はすべて比較的な自由を楽しむように神により創造されています。人間は,一挙一動を指示され,一秒の余裕もないほど時間の決まった生活をしいられるなら,すぐ不満をいだき,反抗します。

ゆえに,正しいかしらは,すべての決定を自分で下すのではなく,家族の活動や仕事を監督する人です。家族生活を営む上の指針を定めることは夫の責任です。しかし同時に,定められた範囲内では相当の自由が認められているのです。

たとえば,部屋の調度品をどのように配置するか,家族のためにどんな食べ物を買うか,その他これに類する事柄の決定をほとんど妻に任せている人もあるでしょう。この場合でも,その夫はやはり監督しているのであって,必要があれば,物事の扱い方を改善するように指示を与えることでしょう。しかしたいてい,励ましや当を得たほめことばは,家族の協力と支持をもっともよく促します。家族のりっぱなかしらはほめることを躊躇しません。

ある部署の責任者が本当にりっぱなかしらであるかどうかは,部下の福祉を真に考慮しているかどうかによってわかります。そのような責任者に関しては,最善をつくして協力できるという意味で,「あの方のためなら,何でもしてあげたい」と言うことばを時々耳にします。「夫たる者よ……妻を愛しなさい」そして「父たる者よ。子供をおこらせないで,〔エホバ〕の薫陶と訓戒とによって,彼らを育てなさい」という聖書の勧めに聞き従う人についても,同様です。思いやりのある親切で優しいかしらに従うことは大きな喜びです。―エペソ 5:25; 6:4,〔新世訳〕。

このような家族のかしらは謙遜な人です。そして自分が「何でも知っている」とは考えず,妻,時には子供でさえ,ある事柄では自分よりもよく知っているということを認めます。それで決定を下す前に,家族の者たちと物事をしばしば話し合います。その結果,妻や子供は家族の取りきめの中にあって密接に結び合っていることを感じるでしょう。しかしそれとともに,家族のかしらが責任を負っていることを知り,安心して生活できます。

家族のかしらの権を本当に正しく行使する人は,怠惰な人ではありません。日中,一生懸命に働いて帰宅してから,しばしの間くつろぎながら静かに夕刊を読むこともします。しかし,自分の仕事を計画するのと同様に,率先して家族の活動を計画し,また組織します。時には週末に子供たちと一緒にどこかに出かけたり,晩の一時,家族全部で娯楽をして楽しんだりするように取り決めます。また,妻のことも考えて,ある晩には,妻と二人だけで外で食事をともにし,一時を過ごすこともあるでしょう。このような父あるいは夫は,家族のすべてから本当に感謝され,愛されるでしょう。

家族のかしらの権を正しく行使する人が率先して行なうべきもう一つの分野があります。それは,全能の神を愛し,敬うことを自分の家族に教える責任です。そして,家族のかしらは家族とともに祈ります。またクリスチャンの集会に定期的に一家そろって出席し,さらに神と神の御目的について隣人に知らせるわざにも家族みんなで熱心に参加するでしょう。この事を行なうかしらは,家族に愛されるのみならず,エホバ神に喜ばれるでしょう。

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