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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 3/1 136–157ページ

どれほど大規模な証言が行なわれているか

「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」― マタイ 24:14。

1 イエス・キリストが神の国の真に偉大な宣明者であられたことはどんな事実に示されていますか。

神の国の偉大な宣明者イエス・キリストはほとんど3年半の間この音信を宣べ伝えており,今やカルバリの刑柱上で死なれる3日前でした。4人の弟子ペテロ,アンデレ,ヤコブ,ヨハネがイエスとともにオリブ山にいました。かつて漁師であった,これら4人の弟子は今では人をすなどる者とされたのです。彼らはイエスの死が3日後に迫っているとは知りませんでした。イエスは伝道し教えるわざにおいて短期間に成功を収められました。イエスに忠実に従う者が大ぜいいたからです。イエスの復活から50日たって聖霊の下った五旬節の日,エルサレムに120人の弟子がいて訓令を待っていたことは,それを証明しています。そしてその同じ日,使徒ペテロがユダヤ人の群衆に語った時,さらに3000人の人がキリスト・イエスを信じて聖霊により生み出され,水のバプテスマを受けました。イエスの宣教は神の国に対する大きなあかしとなりました。

2 オリブ山上でイエスとともにいた4人の弟子は,どんな疑問をいだきましたか。

2 イエスの国がいつ治めるかに大きな関心をいだいたこれら4人の特定の弟子は,その一生の間に良い証言をするでしょうか。エルサレムの宮に関するかぎり,一つの石も他の石の上に残されないであろうとのイエスのことばを,彼らは聞いたばかりでした。彼らはこう尋ねました。「いつ,そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や,世の終りには,どんな前兆がありますか」― マタイ 24:3。

3 弟子たちの問いに対するイエスの答えは聖書の中でどの3つの場所に出ていますか。イエスの言われた事柄はいつ成就しはじめましたか。

3 4人の弟子に告げられたイエスのことばは,マタイの福音書 24,25章,マルコの福音書 13章,ルカの福音書 21章に記録されています。これらの章をお読みになってください。きっと考えさせられるでしょう。1935年前にイエスが弟子たちに告げられたことばは,私たちが生を享けた時代に成就したことを理解されるに違いありません。その完全な成就は西暦70年には見られなかったのです。1914年を回顧するか,あるいは第一次世界大戦の勃発したその年の歴史を読むならば,イエスの預言は現代に成就したことがわかります。イエスはこう言われました。「民は民に,国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに,ききんが起り,また地震があるであろう。しかしすべてこれらは,〔新しい時代の〕産みの苦しみの初めである」。(マタイ 24:7,8,新英訳)1914年以来,事態は変わったことに気がつかれるでしょう。歴史家はそのことを認めています。

4 この時代には恐ろしいことのほかにどんな出来事が起きますか。

4 私たちの生きている今の時代に起こる他の恐ろしい出来事を描写してのち,イエスはきわめて重要な事柄を強調されました。「そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14)「〔新しい時代の〕産みの苦しみ」が始まってのちに,御国の福音がすべての民に対するあかしとして全世界に宣べ伝えられると言われていることは,注目に値します。しかし新時代が始まる前のこのあかしはどれほど大規模なものですか。

5 天国の良い音信は,すべての国の人にどれだけの間,宣べ伝えられてきていますか。

5 イエスご自身に関する限り,御国の福音の宣明はパレスチナに限られていました。しかしイエスの死の3年半後,オリブ山にいた4人の弟子のひとりペテロがカイザリヤのコルネリオのもとにつかわされました。それ以来,異邦人,ユダヤ人を問わず,すべての国の人々が永遠の生命の唯一の希望として天の国を受け入れるようにすすめられてきました。

6,7 キリスト教国はどのように神の国の音信を失いましたか。

6 コルネリオの改宗以来,多くの人がキリスト・イエスを信じ,あがない主として受け入れ,その足跡に従ってきました。初期クリスチャンの行なった事柄は,使徒行伝から読むことができます。それは今日のいわゆるクリスチャンの行ないと雲泥の差です。今日のキリスト教国は神の国の音信を失いました。大多数の人は聖書のことばを信じていません。「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」と祈ることは子供でも教えられますが,その意味は完全には理解されていません。そしておとなになると進化論を信じ,神は死んでいるという説に同意します。ではなぜ教会の礼拝に参加するのですか。彼らは聖書のことを人に話そうとはせず,また聖書の話を聞こうとはしません。そして神の国の福音を信じていないことはまったく確かです。

7 それで神の国すなわち天におけると同様に地を治めるために建てられる神の政府を信ずるのは,たいていの人にとって無理なことのように思われています。それでも19世紀以上前にイエスはオリブ山上で4人の弟子にこう言われました。「この御国の福音は……宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。

8 考えさせられるどんな質問が出されていますか。

8 あなたは,牧師あるいは隣人が神の国のことを語るのを聞いたことがありますか。神の国のこの福音に真実の関心を持つ人と,あなたがこのまえ聖書の話をしたのはいつでしたか。クリスチャンであると言われるならば,神の国のことを語り,すべての国の人に対するあかしとして神の国を宣明することにあずかっていますか。それとも次のような疑問を持っていられるかもしれません。「この御国とは何か。それはどんなことを成し遂げるだろうか」。今このことについて少ししらべてみましょう。

9 神の国はなぜ現在の事物の制度の政府ではあり得ませんか。

9 神の国は現存する事物の制度に属するどの政府でもありません。事実イエスはポンテオ・ピラトにむかって次のように言われました。「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば,わたしに従っている者たちは,わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実,わたしの国はこの世のものではない」。(ヨハネ 18:36)ゆえに御国は地上のものではあり得ません。イエスが地上に来られる何年も前に預言者ダニエルはこの神の国について次のように書いています。「それらの王たちの世に,天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく,その主権は他の民にわたされず,かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです」。(ダニエル 2:44)「天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがな(い)」。これは福音です。イエスが語ったのは,天の神の建てるこの国のことです。「その主権は他の民にわたされず」,地に住む者はその支配を受けて祝福されます。使徒ペテロはこのことを認識し,理解していました。なぜなら次のように書いているからです。「わたしたちは,神の約束に従って,義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」― ペテロ第二 3:13。

10 神の国は人類にどんな祝福をもたらしますか。

10 私たちの住む今の時代は,イエスが戦争,ききん,地震について言われ,「すべてこれらは,〔新しい時代の〕産みの苦しみの初めである」と言われた事柄を経験していませんか。黙示録 21章1節から4節には事物の制度の新しい秩序の下に実現することが述べられています。「わたしはまた,新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り……また,御座から大きな声が叫ぶのを聞いた,『見よ,神の幕屋が人と共にあり,神が人と共に住み,人は神の民となり,神自ら人と共にいまして,人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去ったからである」。人類のためにこのことをする御国は,全世界に宣べ伝えられる価値があります。しかし御国はそれ以上のことをします。王イエス・キリストが墓の中の者たちに語りかける時,「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き……それぞれ出てくる時が来るであろう」と聖書は述べています。(ヨハネ 5:28,29)神の国は神を愛するすべての人に永遠の生命をもたらします。次のことを心にとめてください。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである」。(ヨハネ 3:16)問題は,あなたは信じますかということです。賢人が書いた箴言 12章28節のことばを心にとめてください。「正義の道には命がある,しかし誤りの道は死に至る」。

事実をしらべる

11,12 「ものみの塔」誌は早くも1888年に御国の福音伝道の必要について述べていますが,1892年1月1日号の同誌は,「御国の福音」の伝道に関してどんな見解を述べていますか。

11 神の国について世界中の人に証言するわざがどれほど大規模に行なわれてきたか,まただれがそれを行なっているかを知るため,歴史を少しふりかえってみましょう。早くも1888年の12月に「ものみの塔」誌(英文)は次のことを述べていました。「キリストの名を負う者の大多数は宗派心のために盲目にされており,来たるべき神の国と神の国のもたらす祝福を告げる真の福音を悟らない。しかし神のはからいによって福音は,来たるべき時代に備え,あかしとして宣べ伝え(宣明され)つつある」。1888年当時においてさえ,ものみの塔協会は神の国の福音を宣明する必要を認めていました。その初代会長C・T・ラッセルは新教各派の外国伝道団を視察してのち,福音伝道の課題を全面的に再考せざるを得なかったと述べています。マタイの福音書 24章14節を論じて彼は次のように述べました。

12 「ここで福音という語はギリシャ語において強調されている。御国という語も同様である。これはどんな福音でもよいのではない。この時代の終わる前にまず宣べ伝えられるべきものは特別な福音 ― この御国の福音である。これはすでに宣べ伝えられたであろうか。答えは否である。福音の名の下にふつう伝道されているものは真の福音からは遠く,千年期に人類を祝福するため,福音時代の終わりに建てられると主が約束された御国のことには全くふれていない。カトリック信徒も新教徒も「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」という主の祈りをとなえてはいるが,この御国を期待してはおらず,したがって全世界はおろかどこの国においてもそれを伝道していない……ゆえにこのわざはこれから行なわれるべきものであり,それを行なうのは御国のこの福音について知る者たちにほかならぬ」― 1892年1月1日号「ものみの塔」(英文),8頁。

13 1891年11月の「ものみの塔」誌には,御国の福音伝道に関して何が述べられていますか。どんなわざが奨励されましたか。

13 ラッセルは御国のこの福音を伝道する必要を認めました。それは伝道されていなかったからです。しかしこの御国に関して,どれほど大きな証言が全世界においてなされるべきですか。御国の福音の伝道を成し遂げるため,ラッセルは聖書文書販売人の活動を奨励しました。1891年11月の「ものみの塔」誌(英文)はこれを強調し,御国の福音を宣べ伝えるため全時間の奉仕に携わることをクリスチャンにすすめています。「戸別訪問による御国の伝道は主の恵みを得て成果を収めつつある。これは初臨の時の収穫に際してつかわされた者たちが行なったわざに酷似している。ただ現在において開かれるのは実際の目ではなくて理解の目である……聖書文書販売人の供給物,適当な区域その他については,ペンシルバニア州アルジェニー・タワー・トラクト・ソサエティ,バイブル・ハウスに連絡されたし」― 1891年11月号「ものみの塔」(英文),裏表紙。

14 現代におけるどんなわざが,御国の福音宣明に大きく貢献しましたか。

14 今日,開拓奉仕と呼ばれるこの聖書文書販売人のわざはなお行なわれており,世界各地で御国の福音の伝道に全時間をささげているこれらクリスチャン,エホバの証人は5万人に上ります。御国の福音を宣明するため,世界各地に宣教者が派遣されています。パスター・ラッセルとその同労者が始めたころとくらべて,この「終りの時」に証言のわざは大きく拡大されました。しかしラッセルは御国のこの福音をまずすべての国の民に宣べ伝えることの緊急さを痛感していたのです。宣べ伝えられてから終わりが来ます。―マルコ 13:10。マタイ 24:14。

15 神の国のことを公に語るのに加えて,パスター・ラッセルと協会は他のどんな伝道方法を採用しましたか。

15 公開講演を増強する世界的な運動は協会の初期の時代に始められ,それに伴う宣伝活動は御国のこの福音とそれが宣べ伝えられねばならないことに人々の注意を向けました。1912年,映画が普及しはじめると,大衆に伝達する手段として映画のすぐれていることが注目され,パスター・ラッセルはスライドとフィルムを用いた創造の写真-劇の製作を始めました。これは多くの言語で世界各地において上映されています。パスター・ラッセルは当時としては,新しい試みをしました。それは無声映画ではなくレコードに吹き込まれた物語りが映画とスライドに合わせて進められる仕掛けになっている一種のトーキーでした。何百万人の人が創造の写真-劇を見,それは人類の唯一の希望である神の国に人々の注意を向けさせました。

監督がかわる

16,17 (イ)監督の交代により,御国の福音宣明の必要さに関して,考え方が変化しましたか。(ロ)御国の福音の伝道にきわめて精力的であったため,協会の役員の身に何が及びましたか。その事件はどんな結末になりましたか。

16 1916年10月31日,パスター・ラッセルは歿し,1917年1月6日に,J・F・ラザフォードがものみの塔協会の会長に選ばれました。ラザフォードをはじめ協会の事業に関係していたすべての人の念頭にあったのは,御国のこの福音の伝道でした。1917年までにエホバの証人は,マタイの福音書 24章7,8節が成就しつつあることを明白に悟っていました。国は国にさからって立ち,世界中の国が戦争にまき込まれていました。これらの事は確かに「新しい時代」の産みの苦しみの初めです。神の国の福音を宣明する協会の精力的な努力を見た偽りの宗教の指導者がアメリカにおいて共謀し,政府に反対していると言って協会の役員を訴えたため,1918年6月21日,ラザフォードをはじめものみの塔協会の7人は扇動の罪で80年の刑を宣告されました。管理委員会が作られて,この困難な時期にも「ものみの塔」誌の発行をつづけました。「ものみの塔」誌が休刊したことはありません。

17 ラザフォードその他は上訴して,その裁判が1919年4月14日に開かれ,5月14日には前年夏の不当な判決が取り消されました。再審のために事件を差しもどした意見書の中でウォード判事は次のように述べています。「本件の被告はその当然の権利である中庸を得た公正な裁判を受けていない。この理由で判決は取り消される」。(「神の目的とエホバの証人」86頁2欄)。この事件の再審は行なわれませんでした。

18 組織的な伝道のわざは1918年に一時,停滞しましたが,イエスの預言によれば,なおどんなわざが残されていましたか。

18 しかし1918年の夏までには,かつてあれほど力強くエホバと御国を宣べた証人もほとんど沈黙してしまい,組織された世界的なわざは比喩的に言って殺され,かつて活発だったこれらのクリスチャンは死のような無活動に陥りました。(「神の目的とエホバの証人」61,80,83頁)現在入手できる報告によって見ると,1918年には戸別訪問し,本を用いて御国の福音を伝えた人は14か国にわずか3868人でした。しかし事態はまもなく変化しはじめました。現存する事物の制度が終わる前に「福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」ことを預言したイエスのことばの成就する時となったからです。―マルコ 13:10,新世訳。

19 (イ)1919年,オハイオ州シーダーポイントで開かれた大会において,苦悩せる人類の真の希望は何であることが示されましたか。(ロ)1920年7月の「ものみの塔」誌上で,御国の福音はどのように強調されましたか。どんな結論が述べられていましたか。

19 わざをふたたび軌道に乗せるため,1919年9月1日から8日までオハイオ州シーダーポイントにおいてエホバの証人の大規模な大会が開かれました。「ものみの塔」誌に報ぜられているように神のしもべの叫びは,「我々はさらに何をなすべきか」ということでした。「黄金時代」と題する新しい雑誌の発刊されることが,この大会で発表されました。この雑誌は時事問題をとりあげて聖書的な説明を加えるものです。世界はかつてなかった困惑と苦悩の中にあることがエホバの民に指摘されました。人間のこの苦悩をいやす道を示すものは,御国の音信以外にはありません。主の大使たちはこの慰めの音信を伝える機会と特権に恵まれていることが示され,出席者のすべてに次のことが指摘されました。「皆さんは王の王,主の主の大使であって,来たるべき黄金時代すなわち真のクリスチャンが何世紀ものあいだ希望し祈り求めてきた主の栄光の御国を,威厳をもって宣明する者です」。(1919年9月15日号「ものみの塔」(英文)281頁)ついで1920年7月1日号「ものみの塔」(英文)200頁に「御国の福音」と題してのせられた記事はこの点を強調しています。「福音とは良い音信のことである。ここに言う福音は事物の古い秩序の終わりとメシヤの国の建設に関するものである……それはサタンの帝国が崩壊しつつあり,やがて消滅することを意味する……一現代訳はこの句の意味を明らかにしている。『そして御国の良いたよりは異邦人の前にあかしをたてるため全世界に宣べ伝えられるであろう。それから終わりがくる』。この句が明らかに示すように今や教会は地の諸国民に対するあかしとしてこの福音を宣べ伝えねばならない」。

20 1921年,御国伝道のわざはどのように促進されましたか。

20 これらエホバの証人の熱意はさめることなく,彼らは前途のわざを見てそれを行なうことに心を傾け,力をつくしました。1921年,「神の立琴」と題する良い本が出され,わずか,二,三年の間に22か国語で581万9037冊も配布されました。

21,22 1922年,ふたたびオハイオ州シーダーポイントにおいて,エホバの証人は御国を宣明する決意を表明したどんな決議を採決しましたか。

21 1922年9月5日から13日までオハイオ州シーダーポイントで第2回目の大会には,毎日平均1万人が出席しました。9月10日,日曜日には決議が採決され,それは1922年11月1日号の「ものみの塔」(英文)325頁にのせられています。この決議の一部は次のように述べていました。

22 「しかし我々は次のように考え,かつ宣言する。メシヤの国は人類のあらゆる苦悩を完全に解決し,万人の願うごとく地に平和,人に善意をもたらす。また今や開始されたメシヤの正義の支配にすすんで従う人々は祝福され,永遠の平和,生命,自由,無限の幸福を享受するであろう。ゆえに我々は神の音信すなわち真理のことば聖書にのせられた良い知らせを世界の人々に宣べ伝える……サタンの支配する古い世は終わり,今や急速に崩壊しつつある。そして建てられつつある正義の永遠の国にとって代わられようとしている。いま地上に生きる何百万の人々はこの正義の国の律法に従うならばいつまでも生き,死ぬことがないであろう」。

23 協会の会長ラザフォード兄弟が「御国」と題する話をしたのにつづいて,聴衆に何が強調されましたか。どのように?

23 永遠の国に道をゆずるべきことを諸国家に告げたこの決議が採決される二,三日前に,ラザフォードは「御国」と題する話をしました。しかしそれより前にオハイオ州シーダーポイントの大会会場には“ADV”という三つの大きな文字が各所にかかげられており,大会出席者はそれがいったい何を意味するのかをいぶかっていました。「御国」と題する講演が行なわれた時,それは明らかになりました。ラザフォード判事が話を最高潮に盛りあげ,「王と御国を宣べ伝えよ,宣べ伝えよ,宣べ伝えよ」ということばで結んだ時,「王と御国を宣べ伝えよ」と大書した幕が演壇の上部にひろげられたのです。“ADV”は“Advertise”(宣べ伝えよ)を意味することをすべての人が悟ったのは言うまでもありません。しかし大切なのは彼らが宣べ伝えるべきもの,すなわち御国でした。これこそ大会の基調をなすものであり,献身した人のすべては音信の力強さを感じました。各人にとって最も大切なのは御国のこの福音を宣べ伝えることでした。献身したクリスチャンはすべて王と御国を公に宣べる器でなければなりません。聴衆は熱意に燃えました! この御国の福音をひろめるわざにふるいたった神の民の上に神の霊の働きが認められました。

24 この大会のあと,エホバの証人はどのように感じましたか。彼らはこの時代がどんな時代かをどのように認めましたか。

24 この大会の精神は甚大な影響を及ぼしました。どこにいてもエホバの証人は,事物の制度の終わる前にまず御国の福音を緊急に宣べ伝えるべきことを感じました。第一次世界大戦とそれにつづくききん,疫病,地震,真のクリスチャンの迫害,キリスト教国に見られる信仰の欠如とともに「新しい時代」の産みの苦しみが始まったことは確かです。いわゆるクリスチャンは神のことばをもはや真理とは考えていません。互いに対する人々の愛がひえてきたことは明らかでした。1914年から1968年に至る間に人々の愛がどれほどひえたかを見てごらんなさい。しかしエホバの証人のわざがそれに影響されてはなりません。彼らの知るように,最後まで耐え忍ぶ者が救われるからです。―マタイ 24:13。

25 1924年,御国伝道のどんな新しい方法が採用されましたか。それはどの程度広く行なわれるようになりましたか。

25 エホバの証人のなすべきわざは王と御国を宣べ伝えることであり,そのためにはあらゆる手段が用いられます。その一つはラジオでした。協会は放送局を建設し,ニューヨーク市スタテン島にあったものみの塔協会所有の放送局WBBRが放送を開始したのは1924年2月24日でした。この地域において1000万人が御国の音信を聞くことが可能となりました。その後の年月の間にアメリカ各地に放送局が建設され,あるいは買い取られて大きな放送網が設置され,神の国の福音を宣明するために用いられました。

26 1918年には約3868人が伝道活動を協会に報告していました。10年後の1928年にその人数は何人でしたか。

26 さまざまの方法を用いて神の国を宣べ伝えた結果,1928年までには多くの人が聞き,偽りの宗教の世界帝国大いなるバビロンからのがれていました。そして戸別訪問して伝道に携わるクリスチャン,エホバの証人は世界の32か国に月平均2万3988人を数えるまでになりました。

伝道のわざは反対を受ける

27 伝道が反対を受けたことを示す例をあげなさい。

27 わざが1918年に停滞し,1919年に復興して以来,エホバの証人の宣教は強い反対にあってきました。迫害は第一次世界大戦後もつづき,1929年になってもドイツではエホバの証人の訴えられた事件が1660件もありました。ハンガリーにおいては公私を問わずエホバの証人の集会が禁止され,独裁支配の下にあったローマ・カトリックの国イタリーでは伝道がほとんど不可能であり,したがって伝道の報告もありませんでした。福音を伝達するためスペインの山岳地方にはいり込んだ少数のエホバの証人は,スペインの僧職者から大きな圧迫を受けました。1929年度年鑑によれば,スペインの一司教は「『ものみの塔』誌が配布されていること,また政府当局がなんらかの処置を講じない限り,その配布はやまないということを嘆いて」います。これらの国また他の国々における多くの困難にもかかわらず,クリスチャン,エホバの証人は御国を宣べ伝える活動を決してやめませんでした。

28 1931年にどんな出版物が発表されましたか。エホバの証人はそれを広く配布しましたか。

28 1831年7月24日から30日までオハイオ州コロンバスで開かれた大会において,エホバの証人はエホバ神と御国に対する全き忠誠と献身をふたたび公に宣言しました。同じ年の7月28日,「世界の希望,御国」と題する冊子が発行され,10月にはエホバの証人の住む区域においてすべての牧師,政治家,実業家を訪問して無料のこの冊子を手渡すことが試みられました。1931年に発表されてから数年以内にこの冊子は38か国語で1020万3752冊も配布されました。

29 ラジオに加えて1934年にはどんな伝道方法が採用されましたか。

29 その後,何年間にもわたり神の国の音信をラジオで放送する大規模なプログラムが実施され,1934年には合計2万3783の講演が放送されました。その年,協会はエホバの証人が戸別訪問する際に携帯用蓄音機を使うことをとりきめました。エホバの証人は御国の音信を4分半の長さに収めたこのレコードを人々の家でかけたのです。拡声器を使い,町や村で大ぜいの人々に講演の録音を聞かせることも行なわれました。王と御国を宣べ伝えるこの精力的な活動にともなって,多くの国で反対が強まりました。

30 1934年度年鑑に示されているように世の諸政府はエホバの証人の伝道活動に対してどんな態度をとりましたか。

30 エホバの証人の1934年度年鑑に報告されているように,ドイツ,マグデブルグにあった協会の資産は警察に差し押えられ,1933年6月にはドイツにあった協会の大きな工場が政府の命令で閉鎖されました。ドイツ政府はエホバの証人の集会を禁止し,その文書を没収しました。こうして御国の音信のひろまるのを阻止しようとしたのです。この弾圧が契機となってクリスチャン,エホバの証人はふたたび悩みに渡され,殺され,すべての国の人に憎まれますか。(マタイ 24:9)世界中でエホバの証人に対する反対がどのようにふたたび強まったか,以下をごらんください。

31,32 (イ)政府当局者の多くは伝道活動をどのように見ましたか。(ロ)エホバの証人を迫害したヒトラーの政府にどんな抗議が行なわれましたか。どんな結果になりましたか。(ハ)ヒトラーはエホバの証人に対する脅迫を実行することに努めましたか。

31 御国の福音の伝道者は無免許販売,治安の妨害,無許可の行商,安息日に関する法律の違反等のかどで訴えられ,世界各地の法廷に立たされました。彼らは福音の伝道者としてよりも行商人として扱われたのです。しかし王と御国を宣べ伝えるエホバの証人の熱意はおとろえず,決意はにぶりませんでした。第二次世界大戦の戦雲が濃くなるにつれてドイツのエホバの証人に対する迫害も激しくなったので,50か国のエホバの証人はドイツの同労者に対する迫害に抗議する電報をヒトラーとその政府に送りました。それはヒトラーの政府に衝撃を与えました。この抗議に対し,1934年10月7日,ヒトラーの面前で起きた事柄についての宣誓供述書を「神の目的とエホバの証人」の142頁(1961年11月15日号「ものみの塔」701頁)から引用します。カール・ウィッティッグは次のように述べました。

32 「1934年10月7日,私は前もって召喚されていたので,当時ドイツ帝国とプロシャの内務大臣であったウィルヘルム・フリック博士を訪問した。その場所はベルリン,ケーニングスプラッツのドイツ帝国内務省であった。そのとき,私はルーデンドルフ将軍の全権大使だったのである。私は通信物を受けとることになっていた。その内容は,ルーデンドルフ将軍を説得して,ナチ政権に対する反対中止をはかるものであった。フリック博士と話している最中,ヒトラーがとつぜん現われて,会話に加わり始めた。私たちが,いまにいたるまでのドイツの万国聖書研究会(エホバの証人)に対する処置について話し合ったとき,フリック博士はヒトラーに多数の電報を示した。それらは聖書研究生を迫害する第三ドイツ帝国に対する抗議の電文であって,フリック博士はこう言った,『もし聖書研究生がすぐに服従しないなら,われわれはもっと強い手段を用いて彼らに対処する』。すると,ヒトラーは起立して,こぶしをにぎりしめてヒステリックな声でこう叫んだ,『この奴らをドイツから根絶してやる!』。この会話から4年後に,ヒトラーの激怒は単なるおどしではないということを私は十分に確認した。私自身が7年間,サクセンハウセン,フロセンベルグ,そしてマウトハウセンにあった地獄とも言えるナチ収容所の保護刑務所に入れられて,そのことを目のあたりに見たからである。私は連合軍によって救われるまで刑務所の中にいた。前述の収容所内にいた囚人の群れで聖書研究生ほど残酷な仕方で秘密警察から迫害されたものはひとつもない。肉体的な拷問がたえず加えられ,残虐そのものであった。この世の言葉では,それをとうてい言い表わすことができぬ」― 1947年11月13日付カール・ウィッテイッグの宣誓供述書より。

33 ヒトラーがエホバの証人に激怒したのはなぜですか。

33 ヒトラーがエホバの証人に対してこのように激怒したのはなぜですか。エホバの証人が妥協せずに神の国の福音を伝道したからであり,また彼らがヒトラーに敬礼せず,ドイツを人類の救い主とは見なかったからです。ヒトラーはカトリック教徒でした。しかし,彼がもくろんだように,神聖帝国を再建して1000年のあいだ治めることはできません。エホバの証人は神のことばからそのことを知っていました。また現存する事物の制度がまもなく終わり,御子キリスト・イエスによるエホバの国が千年のあいだ治めることを確信していました。すべての国の民に対するあかしとしてエホバの証人はそのことを伝道しつづけたのです。

34 御国の福音を伝道したために,エホバの証人はほかにもどこで困難にあいましたか。

34 アメリカにおいてさえ1934年には,340人に上るエホバの御国の忠実な宣明者が,家から家に伝道したために逮捕されました。言論,報道,信教の自由を奪うなんらかの法律に違反したかどで多くの者が投獄されています。1939年までにドイツの秘密警察の刑務所およびドイツの強制収容所に入れられたエホバの証人の人数は6000人に達しました。戦時の熱狂的な気分が世界にひろがるにつれて,カナダは1940年にエホバの証人を禁令下におき,御国の伝道をやめさせようとしました。エホバの証人の1941年度年鑑160頁に次のことが出ています。「新任の総督が英国からカナダに赴任すると,法務大臣はさっそく総督令を施行してエホバの証人の団体を非合法化した」。これは1940年7月4日のことでした。

35-37 (イ)1940年およびそれ以後,アメリカにおいてエホバの証人はどのように圧迫されましたか。(ロ)彼らが迫害された理由はなんですか。

35 1940年6月3日,アメリカ最高裁判所の判決により,公立学校では生徒に国旗敬礼を要求し,従わなければ退学させることができるようになりました。これが発端となってアメリカでは証人に対する新たな迫害が起こり,ローマ・カトリック教会とアメリカ世界大戦従軍軍人会は暴徒をあやつり,法律を無視して言語に絶する暴行をほしいままにしました。

36 1941年度年鑑97頁にはこれらのグループがアメリカにおいてひき起こした迫害の模様がしるされています。

37 「エホバの証人は悪霊につかれたような群衆によって襲われ,打たれ,誘拐され,町,郡,州を追われ,タールをかけられて羽根をつけられ,ひまし油を飲ませられ,動物のようにつながれて町の中をひきたてられ,去勢され,不具にされ,ののしられ,侮辱された。何百人が告訴なしに投獄され,連絡を絶たれ,親族,友人,弁護士の助けを求める権利を奪われた。ほかにも何百人が投獄されていわゆる保護拘留下におかれた。夜間に射殺された者もあり,絞首刑のおどしを受けたり,意識を失うまで打たれた者もある。あらゆる種類の暴動が起きている。多くの者は衣服をはぎとられ,聖書や文書を没収されて燃やされ,彼らの自動車,トレイラー,住居,大会の会場は焼き打ちにあった。その損害はばく大な額に上る」。アメリカのいわゆるクリスチャンがエホバの証人に対してこのような非人道的な仕打ちをしたのはなぜですか。それは彼らが世界の他の場所にいるエホバの証人と同じく,すべての国の民に対するあかしとして神の国の福音を宣べ伝えたからです。それは次のように言われたイエスのことばの真実さをさらに証明するものとなりました。「そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」― マタイ 24:9。

38,39 1939年から1944年に至る間スイス,エストニア,フィンランドその他において,エホバの証人に対する態度はどのようなものでしたか。

38 中立国のスイスにおいてさえ,独裁支配者を四方に控えて恐れをいだいた政府はベルンのベテルの家を襲って文書を押収し,ベテルの家族の大部分を追放しました。―エホバの証人の1941年度年鑑168頁。

39 小国エストニアはソ連に加えられ,そこにおいて御国の伝道をすすめることは困難になりました。フィンランドにおいても,ものみの塔協会は圧迫され,伝道のわざを阻止しようとする動きが盛んでした。1939年から1944年までの期間をふり返ってみると,ヨーロッパ,北アメリカ,アフリカ,海洋の諸島,南アメリカ,アジアにおいてエホバの証人に大きな圧迫の加えられたことがわかります。エホバの証人は第二次世界大戦のあいだ,キリスト・イエスの名のゆえに「すべての民に憎まれ」ました。しかしこれら忠実なクリスチャン,エホバの証人は,「すべての民に対してあかしをするため」,できるところなら世界のどこにおいても御国の福音の宣明を続けました。―マタイ 24:14。

40 1940年,エホバの証人に関するどんな論評がミシガン・クリスチャン・アドヴォケイト紙にのせられましたか。すべての人に対して今どんな質問が提起されていますか。

40 1940年当時,一部の人々はエホバの証人の伝道活動に対して正しい見方をしていました。1940年8月8日号のミシガン・クリスチャン・アドヴォケイトは次のように述べています。「西暦1940年の今日,キリストのまがうことなき証人となることを恥じないグループがある。彼らはイエスに信仰をもち,それを公にしている。宗教が一種の妥協の上に立って賢明ぶっている今日,また教会員になること自体がキリストの証人になることよりも目的そのものになり,我々の多くが当惑を恐れて証言することをちゅうちょしているこの時に,エホバの証人は我々の異教的な便宜主義に対する挑戦となっている」。(1941年度年鑑43頁)これは私たちのことばではありませんが,その述べていることは真実です。エホバの証人はキリストの証人となることを恥じたことなく,また恥じていません。あなたも同様ですか。

41 カナダの一姉妹は支配者としてまず神に従うことをどのように示しましたか。

41 クリスチャンであるエホバの証人の精神を示すものとして,法廷に出たカナダのある婦人のことを考えてください。「ひとりの年配の姉妹は最初の公判の時,病気で出廷できなかったが,遂に裁判を受けて有罪とされた。判事は情のあるふりをしてこう述べた,『あなたを有罪と認める。今後エホバの証人の集会に出席せず,扇動的な文書を配布しないことを条件に,執行猶予を申し渡そう』。彼女の答えはカナダ中の新聞に報道された。『私はエホバをいなむことをしません。またエホバのみこころを行なわないように言われても,それに同意できません。ですから刑を宣告してくださっても良いのです』。彼女は1か月の刑を宣告された」。「人間に従うよりは,神に従うべきである」と語った初期クリスチャンやこの婦人のように,あなたも行動されますか。―使行 5:29。

42 多くの国で公の伝道は行なわれませんでしたが,何を確信できますか。

42 この全期間を通してエホバの証人は激しい迫害にもかかわらず,沈黙しませんでした。ベルギー,ブルガリア,フランス,ドイツ,ハンガリー,イタリー,オランダ,ルーマニア,ユーゴスラビアおよび広大な大英帝国において公のわざは事実上やみましたが,真のクリスチャン各人について言えば,彼らが神の国をなお宣明していたことは確かです。いかに大きな証言が行なわれたか,また今なお行なわれつつあるかは年月を経るにつれて明らかになります。

御国をあかしするわざは拡大をつづける

43-45 (イ)エホバの証人の活動に対してある人はどんなまちがった見方をしていましたか。その人々は何を悟っていませんでしたか。(ロ)エホバの証人は伝道に対してひきつづきどんな見方をしましたか。(ハ)反対にもかかわらず御国の福音がひきつづき伝道されることは,「平和 ― それはつづくか」と題する話の中でどのように示されましたか。それはいつまで続けられますか。

43 エホバの証人に対する世界的な迫害と第二次世界大戦がたけなわの1942年1月8日,ものみの塔聖書冊子協会のラザフォード会長が死亡すると,多くの人は協会の事業もこれで立ち消えになるものと考えました。しかしそのように考えた人は,天の御国がすでに建てられていることを悟っていなかったのです。キリスト・イエスは天で即位されており,サタン悪魔をすでに天から追い落としていました。地上の諸国家間の出来事は黙示録 12章10節から12節の預言どおり,悪魔に由来するものです。「その時わたしは,大きな声が天でこう言うのを聞いた,『今や,われらの神の救と力と国と,神のキリストの権威とは,現れた。われらの兄弟らを訴える者,夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は,投げ落された……地と海よ,おまえたちはわざわいである。悪魔が,自分の時が短いのを知り,激しい怒りをもって,おまえたちのところに下ってきたからである」。人間にはかかわりなく神のわざはすすめられ,イエスも御国の福音は終わりの来る前に,まず,宣べ伝えられると言われました。エホバの証人は,そのとおりになることを知っています。なおなすべきわざがありました。エホバの証人は,ためらわずにそれに着手しました。

44 主の組織がいかに感じたかは1942年2月15日号「ものみの塔」(英文)61頁に示されています。「主のわざは決して停滞しない。それは常に前進する。そして予定どおりに進められる。地上の見える組織の要員は主によってしばしば代えられるが,キリスト・イエスによる神権政治をあかしするわざは堂々と進む」。戦時中の1942年にもオハイオ州クリーブランドで大規模な大会が開かれ,「平和 ― それは続くか」と題する講演の中で協会の新しい会長N・H・ノアは次のように述べました。

45 「キリストの治めるエホバの御国を宣明し,平和の獣に乗って宗教とともに行くことを拒絶する,エホバの証人とその仲間に反対して,彼ら[諸国家と偽りの宗教家]はひきつづき行動するであろう。神の国がたゆみなく宣明され,その結果,宗教的,“新世界秩序”の偽善かつ偽りの立場が暴露されたことに怒りを発した獣は,女バビロンにそそのかされ,頭と角をふりたてて,御国の宣明を踏みつけ阻止しようと必死の努力をするであろう。それは力によって伝道を阻止することに成功するであろう。しかし,キリスト・イエスが警告されたとおり,この証言のわざが終了する時,そして,全能の神の許しによって“女”と獣がそれを阻止する時は,彼らに滅びの臨む時である」― マタイ 24:14。

46 1942年には神の民を助けるどんな活動が確立されましたか。

46 エホバの証人の戸別伝道を助けるため,特別な監督が各会衆を訪問することがこの大会で発表されました。これは現在,世界中で行なわれている巡回および地域のしもべの活動の初めです。このわざは最も効果的な方法で御国の関心事を押し進めるようにエホバの証人を助けます。

47 世界的な宣明を助けるため,1943年にはさらに何が設けられましたか。

47 1943年,神権宣教学校がベテルの家で始められ,ついで世界中の会衆においても実施されました。神のことばを伝道し教えるため世界各地に派遣される男女の宣教者を養成するものみの塔ギレアデ聖書学校が創立されたのは1943年2月1日です。宣教者は,神のことばの正確な知識を得るように人々を助けます。第1期生を前にして行なわれた開校のことばの中で,協会の会長は次のように述べました。「御国に関する証言が広範囲に行なわれていない場所はまだたくさんあります……皆さんのおもなわざは,イエスや使徒にならって家から家へ御国の福音を伝えることです」― 「神の目的とエホバの証人」(英文)203,204頁。

48 1943年から1963年までの間にギレアデ学校はどんな成功を収めましたか。

48 この記念すべき年となった1943年以来,何千人の任命された奉仕者がこの学校を卒業して世界各地に行き,「すべての民に対してあかしをするために」「御国の福音」を宣べ伝え,すばらしい成果を収めました。これらの国々で聞く耳を持つ人が見いだされると,ふたたび訪問することをとりきめ,聖書研究を始め,そして遂には会衆を組織します。これらの宣教者は成功を収めましたか。1943年には全世界54の国々に6310の会衆がありました。20年後の1963年には多くの国で宣教者とともに大ぜいの活発な会衆の伝道者がおり,会衆は世界194の土地に2万2761を数えるまでになりました。これを見ても1963年までにはすべての国で大きな証言の行なわれていたことがわかります。

49,50 第二次世界大戦後,エホバの証人は何をしましたか。

49 伝道のわざに手をゆるめないでいるうちに,第二次世界大戦はまもなく終わり,エホバの証人に対する禁令は,1943年6月にオーストラリア,1944年6月にカナダにおいて,それぞれ解除されました。1945年までには,中央アメリカと南アメリカにおいて大規模な宣教者のわざが始められ,証言のわざはヨーロッパにおいても再開されました。1945年,ドイツの強制収容所から何千人のエホバの証人が釈放されたことは,大きな喜びでした。彼らは,ドイツで戸別訪問による証言をふたたび始め,神の国の福音を宣べ伝えました。これこそ,信仰またエホバに対する愛を如実に物語っています。

50 エホバの証人を禁止していた大英帝国の諸国家も次第に禁令を解除し,伝道のわざは再開されました。何年かにわたったこれらの困難のあとで,一つの事が明らかになりました。それはエホバの証人の1946年度年鑑の13頁に適確に述べられています。「神の民の一致した目的と行動を砕こうとした悪しき迫害にもかかわらず,諸国家はエホバの地上の組織の内部的秩序と平和を乱すことができなかった。また主の恵みにより今後もそのようなことはないであろう。神の民の目的とわざは「『天国は近づいた』ということを宣べ伝えるにある」。

どれほど大規模な証言が行なわれたか

51,52 1918年から1948年までの伝道活動を回顧するとき,何が明らかですか。

51 キリスト教国の僧職者が国際聖書研究生の息の根をとめたと考えた1918年以後,第二次世界大戦を経てその後に至るまでのエホバの証人の活動を回顧すると,これら雄々しい証人によって神の国に関する大きなあかしのたてられたことがわかります。多難の時期であった1918年から1919年にエホバの証人は大いなるバビロンすなわち偽りの宗教の世界帝国に事実上とらわれていましたが,そのとき大いなるバビロンはそのうえに臨んだ神のさばきによって倒れました。その結果,とらわれのクリスチャンは解放され,今なお大ぜいの人が大いなるバビロンからのがれつつあります。人々は今なお次の呼びかけを耳にしています。「わたしの民よ。彼女から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないようにせよ」。(黙示 18:4)人々がキリスト教国やすべての偽りの宗教から離れているのはなぜですか。全世界において伝道するエホバの証人が「すべての国民を弟子」としているからです。

52 それはどんな成果を生み出していますか。1918年から始めて10年おきに,すなわち1928年,1938年,1948年の活動を検討するならば,エホバの証人は熱心な伝道者すなわち宣明者であり,「福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」ことを信じている事がわかります。(マルコ 13:10,新世訳)あなたも神のことばを学び,伝道に参加することを望まれますか。

10年おきに見た御国伝道活動

年 伝道者 伝道時間 配布された本と冊子 配布された雑誌 国

1918 3,868 19,116 359,384 13,140 14

1928 23,988 2,866,164 20,412,192 1,381,107 32

1938 47,143 10,572,086 26,772,882 6,933,307 52

1948 230,532 49,832,205 17,031,901 11,380,767 96

53 今なお全世界で何が呼びかけられていますか。どんな問いが出されていますか。

53 エホバの証人は激しく迫害され圧迫された第二次世界大戦の時期を雄々しく切り抜け,伝道のわざに励むことを決意していました。ここでそのことにふれたいと思います。戦争の終わった1945年には68か国に12万7478人の伝道者がおり,1948年には23万532人の奉仕者が96の国々や島々で御国の福音を伝道していました。上部に掲げた数字は偽りの宗教帝国大いなるバビロンから解放されて以来のエホバの証人が収めた成果を示しています。それは1919年のことでした。大いなるバビロンから離れよとの叫びに応じて何人の人がバビロンから離れたかをごらんください。今日なおそれは大きく明瞭に叫ばれています。離れ去って神の国の側に立つことを言明する勇気がありますか。現存する事物の制度の終わりが近いことを信じていますか。そのことについて知りたいと思われますか。お近くにエホバの証人の会衆があります。それらのクリスチャンのひとりに訪問してもらうか,あなたの国のものみの塔協会に訪問を依頼してください。神の真理のことばと神の国の祝福についてお話しするための訪問がとりきめられます。

54 (イ)エホバの証人は1945年以来,忙しく働いてきましたか。(ロ)彼らは熱意をいだいてどんな聖書教育のわざを行なってきましたか。

54 どれほど大規模な証言が成功裡に行なわれたかについて,1945年までの分を今までにとりあげました。その後も,確かにエホバの証人は忙しく働いてきました。彼らは世界でもっとも早く,成長する宗教組織とも言われています。それは真実ではないかもしれません。しかし「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」との信仰をいだき,心も思いも魂も力もつくして献身している民はだれかと言えば,エホバの証人以外にはありません。(マタイ 24:14)その誠実さは彼らが地のはてにまで行って聖書研究を奨励し,御国の福音の伝道に参加するように人々を励ましてきたことからもわかります。その援助によって大ぜいのクリスチャンは巧みに教える者となり,こんどはその人々がすべての国の民を弟子にしました。(マタイ 28:19)これら教える者と学ぶ人々が,パウロの次のことばを心にとめておくのは良いことです。「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを,いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て,その信仰にならいなさい」。(ヘブル 13:7)1948年当時エホバの証人が毎週司会していた家庭聖書研究は平均13万281にすぎませんでしたが,以来この教えるわざは飛躍的に拡大され,今では全世界80万以上の家庭で毎週,聖書研究が司会されています。聖書研究は時間がかかります。しかしこのようにして隣人愛を示すのはクリスチャンの大きな喜びです。

55 エホバの組織は世界各地で印刷工場をどのように拡張してきましたか。

55 1948年以来,多くの重要な出来事が起きました。ブルックリンのものみの塔聖書冊子協会はスイス,英国,カナダ,スウェーデン,フィンランド,南アフリカその他に印刷工場を建設し,また過去20年間に世界の主要な国々の大多数に支部を建てました。今日,全世界に96の支部があり,エホバの証人は全世界197の土地と島々で神の国の福音を伝道しています。その聖書文書は165以上の言語で印刷されています。

56,57 (イ)聖書研究の手引きは御国を宣明するエホバの証人にどのように役だってきましたか。(ロ)大規模の御国の宣明が行なわれてきたことを示す数字をあげなさい。

56 印刷された聖書の手引きは,今日,御国の音信を理解するように人々を助ける主要な手段の一つとなっています。たとえば「神を真とすべし」は20年間に54か国語で1924万6710冊も配布されました。1965年に出た416頁の本「神が偽ることのできない事柄」は22か国語ですでに830万部印刷され,あと21か国語へのほん訳がすすめられています。1968年中にそのすべてが完成し,印刷される予定です。この本は発行後4年間に1000万冊以上配布されるに違いありません。

57 事実,神の国に関する聖書文書の需要は過去20年間に全世界で増加しており,ものみの塔協会は1億冊以上の本と3億2500万冊の冊子を印刷しました。そのうえ,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の配布は過去20年間にぼう大な数に達しています。エホバの証人は戸別訪問による配布および予約をとおして13億冊以上の「ものみの塔」誌と11億冊以上の「目ざめよ!」誌を配布しました。「ものみの塔」誌は74か国語,「目めざよ!」誌は26か国語で発行されています。講演を宣伝するビラ,聖書に関する無料のパンフレットも多くの言語で印刷され,少なくとも50億部以上配布されました。エホバの証人は神の国のことを語り,それに関して何か読むものを人々に渡すことを自分たちの務めと心得てきました。また事実,人々が聖書や聖書の文書を読むことができるように世界の多くの場所で,読み書きを教えてきました。

58-60 ものみの塔協会は1950年,1953年および1958年にどんなすぐれた業績をあげましたか。

58 ものみの塔聖書冊子協会のすぐれた業績の一つは,「新世界訳聖書」の出版です。原語からの英訳を協会に提供した新世界訳聖書翻訳委員会は,1950年までにギリシャ語聖書のすぐれた訳業を完成していました。そして1950年7月30日から8月6日まで開かれたエホバの証人の神権の増加大会において,8月2日,水曜日,「クリスチャン・ギリシャ語聖書新世界訳」12万5000冊が8万2075人の聴衆に発表されたのです。8月6日,日曜日にはヤンキースタジアムを埋めた12万3707人が,「あなたは地上で幸福に永遠に生きられますか」と題する講演を聞きました。

59 1953年7月19日から26日までヤンキースタジアムで別の大きな大会すなわちエホバの証人の新世社会大会が開かれました。この時までにヘブル語聖書新世界訳第1巻が完成し,13万2829人の聴衆に発表されています。日曜日に協会のN・H・ノア会長は16万5829人の聴衆を前に「ハルマゲドンののち ― 神の新しい世」と題する講演をしました。もちろんこの聴衆の全部がヤンキースタジアムに収容されたのではなく,4万9027人はヤンキースタジアムから64キロ離れたニュージャーシー州のトレイラーの村で,期待していたこの講演を有線放送により聞くことができました。

60 この時までにエホバの証人は大規模な大会を開くことで定評がありましたが,最大の大会はその後に開かれました。1958年7月27日から8月3日まで,ものみの塔協会はニューヨーク市のポログランドとヤンキースタジアムを使用することができ,123の国々と島々からの代表者がニューヨーク市に集まりました。ヘブル語聖書新世界訳第4巻が他の新しい出版物とともにこの大会で発表されています。そのすべては読者の注意を神の国に向けるものです。この大会では神のみこころを行ない,神の国の福音を宣明するために献身したことの象徴として水のバプテスマを受けた人が7136人に上りました。組織は急速に成長しつつありました。

61 (イ)1958年には何人の人が御国の福音を伝道していましたか。(ロ)そのとき何人の人が講演を聞きましたか。その題は何でしたか。(ハ)講演者は,神の国が人類の唯一の希望であることをどのように説明しましたか。

61 御国を宣べ伝えるエホバの証人の数は,1948年以来この時までに50万人近く増加しており,1958年には71万7088人の伝道者が定期的に福音を伝道していました。あらゆる国の人がこの事実に気づいています。ニューヨーク市のポログランドとヤンキースタジアムで同時に開かれたエホバの証人の神の御心国際大会において目だった出来事は1958年8月3日,日曜日に開かれた公開集会であり,グランドをも含めて両方の競技場を埋めた聴衆は25万3922人でした。周辺の駐車場に設けられた天幕の中にも拡声器がとりつけられ,大ぜいの人が,「神の国は支配する ― 世の終わりは近いか」と題する講演を聞きました。「宇宙で最良の政府だけがこの地にふさわしい政府です。それは地球の創造者のお考えです」。このことばで話しはじめた講演者は人類にとって最良の政府が何であるかを証明し,次のように結びました。「ゆえにすべての善意者は地を治める政府を神に求めるべきです。いま治めている神の国をすべての人がたたえるように。神の国が,神の定めの時にまもなく古い世を終わらせ,永遠の新しい世を実現させて,人類に永遠の救いを,そしてイエス・キリストによって神に不朽の栄光をもたらすように」。

62 エホバの証人の音信は年月の経過につれて変化しましたか。

62 それでエホバの証人は神の国に関する音信を初めから今に至るまで変えていません。またこれからもエホバの御国に全き信仰をいだいて同じ音信を全世界に宣べ伝えます。彼らはその後の年月において手をゆるめませんでした。

63 1963年に開かれたエホバの証人の「永遠の福音」大会は,御国の伝道にどんな役割をはたしましたか。

63 1963年には,世界をめぐってエホバの証人の「永遠の福音」大会が開かれました。それはどのような大会でしたか。一連の大会は6月30日から7月7日までウィスコンシン州ミルウォーキーで開かれた大会を皮切りにニューヨーク,ついでストックホルム,ミュンヘン,ミラノ,アテネ,ベイルート,エルサレム,ニューデリー,ラングーン,バンコック,香港,シンガポール,マニラ,バンドン,メルボルン,スバ,京都,オークランド,京城,ホノルルそして最後に,9月1日から8日までカルフォルニア州パサデナで開かれました。2か月あまりの間に45万人以上のエホバの証人がこの大会に出席し,公開集会に出席した人は合計58万509人に上りました。世界をめぐるこの大会に161か国の人々が出席しています。エホバの証人はこの悪の制度に終わりが来ないうちにできるかぎり遠く広く御国の音信を伝えることを決意しています。時があるうちにあなたもエホバの証人とともにこの大きなわざに加わることをされますか。

64 エホバの証人はどれほど活発に聖書の真理を語り,また聖書を世界にひろめてきましたか。

64 新世界訳聖書は1961年までに完成し,1冊にまとめて出版されました。1冊わずか1ドルのこの聖書は驚くべき配布数を見せています。1950年以来,エホバの証人はギリシャ語聖書新世界訳を配布し,ヘブル語聖書は各分冊が完成されるにつれてそれを配布してきました。しかしそのずっと前からエホバの証人は欽定訳,アメリカ標準訳その他どの訳を問わず聖書を読むことをすすめていました。どの聖書にも神の真理のことばが収められているからです。ものみの塔聖書冊子協会は聖書を印刷し,また特に全世界であらゆる言語の聖書を配布してきました。過去20年間に協会が印刷した聖書は新世界訳をも含めて1499万3000冊に上ります。新世界訳はいま英語をはじめスペイン語,ポルトガル語,イタリア語,フランス語,オランダ語,およびドイツ語の7か国語で入手できます。これらのほん訳はエホバの証人である学者によって行なわれました。

65 1948年から1967年までの間に神の民の宣明のわざがどのように進歩したかを大要しなさい。

65 過去4年間すなわち1964年,1965年,1966年,1967年にエホバの証人は忙しく働き,また将来を計画してきました。ものみの塔協会はすでに大きな印刷施設に加えて10階建て20万平方フィート(約1万9000平方メートル)の工場を完成しました。伝道の要員を拡充するため,宣教者が世界各地になお派遣されています。過去20年間におけるエホバの証人の伝道活動を要約する最善の方法は,1958年および1967年の活動を1948年のそれと比較して示すことです。

御国伝道の進歩の比較

年 伝道者 伝道時間 配布された本と冊子 配布された雑誌 国

1948 230,532 49,832,205 17,031,901 11,380,767 96

1958 717,088 110,390,944 16,038,445 86,498,251 175

1967 1,094,280 183,995,180 16,967,770 143,557,479 197

66 終わりはまだ臨んでいないゆえに,エホバの証人は何をすることを決意していますか。

66 「どれほど大規模な証言が行なわれているか」という問いは,これで答えらました。しかしまだ終わりではありません。エホバの証人は聖書を人々の家に携え,多くの場合に人々と聖書研究を始められることを喜んでいます。また建てられた神の国の福音を理解するように人々を助けるための出版物もあります。特に1919年以来そして1967年にまで至るエホバの証人の歴史は,キリスト・イエスの預言されたわざ,すなわち,この悪の事物の制度がハルマゲドンで滅びる前に,神の国の建てられたことを,まず告げる福音伝道の歴史です。サタンは,この世の神として悪しき支配をつづけることのできる時が,もうわずかしか残されていないのを知っています。しかし,エホバの証人は悪魔のしわざを恐れません。彼らにはなすべきわざがあり,エホバの証人の1967奉仕年度の報告が示すように,彼らはそれを行なっています。

世界における御国伝道活動の1967年度報告

67 (イ)1967年のあいだ伝道に費やされた時間数は,1966年と比較して何を示していますか。(ロ)エホバの証人は,神の国のことを知りたいと思っている人々に対してどのように関心を示しましたか。

67 エホバの証人は神の国の福音を宣明するという点において最良の年をすごしました。戸別に,また公に伝道するためにエホバの証人が費やした1億8399万5180時間を,前年の合計1億7066万4897時間とくらべるなら,それは明らかです。このぼう大な時間のうちには多くの事が行なわれました。エホバの証人は関心を持つ人々の家で86万7009の聖書研究を司会しました。その年のあいだ毎週少なくともこれだけの人数の人が1時間かそれ以上の間エホバの証人と聖書を研究したのです。家族そろってこのような聖書研究をしている場合も少なくありません。快適な自分の家からあらゆる天候の時に出かけ,興味を持つ人の都合の良い時間に無報酬でその人に聖書を教えるクリスチャンが今日いることを想像できますか。この幸福な人々はあらゆる国,また言語の人の中におり,神のことばを知りたいと思う人に聖書の真理を教える機会があることを喜んでいます。

68 聖書についてさらに学ぶため,どうすればエホバの証人と連絡できますか。

68 あなたは聖書の教えを知りたいと思われますか。クリスチャンであるエホバの証人は住所を知らせていただけば喜んでお宅にお伺いします。当協会の事務所にあてお知らせ下されば,最寄りの会衆に連絡し,あなたと聖書のことを話し合い,また聖書の質問にお答えするための訪問がとりきめられます。ぜひお尋ねください。このような訪問は全く無料です。あるいは近くにあるエホバの証人の御国会館をご存じかもしれません。そこをたずねてエホバの証人の語っている事柄を聞いてください。エホバの証人が宣教を行なっている世界各地に2万5206のエホバの証人の会衆があります。監督の奉仕者に近づいて聖書研究を望むことを告げてください。それはすぐにとりきめられます。このことで遠慮なさるにはおよびません。エホバの証人はお役にたつことを望んでいます。永遠の生命を得る道はただ一つ,すなわちエホバ神と御子イエス・キリストを知ることです。(ヨハネ 17:3)どうぞ問い合わせてください。

69 すぐる年の間,バプテスマを受けた人は何人でしたか。そのことは何を示していますか。

69 イエスがさとされたように,クリスチャンは人をすなどる者でなければなりません。エホバの証人は人をすなどる者となってきました。1967年のあいだ全世界で7万4981人がエホバに奉仕するために献身して水のバプテスマを受けたからです。これはエホバの証人が1年間にバプテスマを施した人の数としては二番目に大きなものでした。1959年には8万6345人が水のバプテスマによってエホバ神への献身を表わしており,過去7年間には毎年平均およそ6万5000人がバプテスマを受けています。人々は真理に耳を傾けており,決定を下しているのです。あなたはそうされましたか。神のことばにまだあまり耳を傾けたことがなければ,耳に真理を聞き,心にそれを考える機会をとらえてください。

70 1967年3月25日,土曜日に行なわれた主の夕食の行事のおもな点をあげなさい。

70 過ぐる年の特筆すべきもう一つのことは記念式です。1967年3月25日,土曜日の晩,全世界のエホバの証人の御国会館あるいは他の集会所に,219万5612人が集まり,主イエスの死を記念しました。そのうち表象物にあずかった人は,1万981人にすぎません。こうして,その人々はキリストのからだの成員として神から油そそがれており,天の栄光のうちにキリスト・イエスの共同相続者となるのを待ち望んでいることを示しました。それ以外の人は,すべて地上の永遠の生命を求め,小羊の血で衣を洗っていまエホバの御座の前にある大きな群衆のひとりでありたいという願いを表わしました。これら誠実な人々の多くが,神に仕えることをやがて決心し,キリスト・イエスの忠実な追随者となることでしょう。彼らもエホバのみこころを行なうために献身したならば,バプテスマを受けます。またエホバの証人が行なってきた御国の福音の伝道に加わるのを望むことでしょう。あなたもそうするようにキリスト・イエスからすすめられています。

71,72 御国の福音の宣明者は1967年の間どのように増加しましたか。印刷物を用いて聖書の真理をひろめるという点で,彼らは何を成し遂げましたか。

71 1967年には毎月平均109万4280人のクリスチャン,エホバの証人が御国の福音を宣明していました。これは前年にくらべて3万5605人の増加にあたります。しかし1967年中,116万604人が伝道に参加した時もありました。これらの人々は何をしましたか。彼らは御国の音信を語り,聖書研究を司会し,エホバの目的を説明した522万3560冊の本と1174万4210冊の冊子を配布しました。また「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を1億4355万7479冊も配布しました。(154頁から157頁の表をごらんください)

72 このぼう大な印刷物の配布に加えてエホバの証人は「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の新しい予約を得,その数は180万9065に上りました。このためものみの塔協会が世界各地で印刷した雑誌は合計2億5140万5632冊に達しています。関心を持つ人に文書を配布するのは非常に良いことです。

73 (イ)どれほど大規模な証言が行なわれているかという問いに対し,1967年については何が言えますか。(ロ)エホバの証人はいま手をゆるめますか。なぜ?

73 このすべての活動にエホバの証人は非常に喜んでいます。彼らはキリスト・イエスのご命令に従ってこのわざに加わっていることを知っています。また「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来る」ということを全く信じています。(マタイ 24:14)どれほど大規模な証言が行なわれているかという問いに対して,彼らは次のように答えることができます。1967年も,すでになされた証言に加えて大きな証言の行なわれた年でした。しかしエホバの証人はすでに大きな証言がなされたのを見て手をゆるめますか。そのようなことはありません。「福音はまずすべての国の民に宣べ伝えられねばならない」からです。(マルコ 13:10,新世訳)それから終わりが来ます。このつぎ戸口で神の国の音信が述べられた時,あなたは耳を傾けますか。エホバの証人と神のことばを学びますか。これは終わりの臨まないうちに,あなたの決める事柄です。「事の帰する所は,すべて言われた。すなわち,神を恐れ,その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ,ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである」― 伝道の書 12:13,14。

[149ページの図版]

地球を14周!

過去20年間にエホバの証人が配布した「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌をつなげると,地球を14周します。

165か国語を用いて!

雑誌に加えて1947年以降エホバの証人が配布した,神の国を知らせる本,冊子,ビラ,パンフレットは165か国語で54億2500万部に上ります。

[154-157ページの図表]

全世界にわたるエホバの証人の1967奉仕年度の報告

(製本した雑誌を参照)

[137ページの図版]

オリブ山上にすわってイエスは弟子たちに告げて言われた。「この御国の福音は……全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。

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