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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 8/15 510–511ページ

読者からの質問

● 地上の人間であった時のイエス・キリストは,ひげをはやしていましたか。―アメリカの一読者より。

この問題について最も信頼できるのは聖書的な証拠です。聖書に書かれていることを最近,検討したところによれば,イエスはひげをはやしていたと思われます。

ユダヤ人に生まれたイエスは「律法の下に生れ」そして律法を成就しました。(ガラテヤ 4:4。マタイ 5:17)それは律法を廃止し,律法の呪すなわちユダヤ人が律法によってその下におかれた死の定めからユダヤ人を解放する道を備えるためでした。(エペソ 2:15。ガラテヤ 3:13)他のユダヤ人すべてと同じく,イエスには律法全体を守る義務がありました。律法の中に次の戒めがあります。「あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない」。(レビ 19:27)疑いなく,神のこの律法がイスラエルに与えられた理由は,一部の異教徒がその神々の崇拝に関連してひげを特定の形にととのえたからです。(エレミヤ 9:26; 25:23)しかしこれはひげの手入れを怠ってもよいという意味ではありません。近東においては,よく整えられたひげは威厳と品位の象徴であったからです。―サムエル下 19:24。

深い悲しみあるいは恥や屈辱の時に,人はひげの毛をひきむしり,あるいはひげの手入れをせずにおいたかもしれません。(エズラ 9:3)いくつかの預言的なことばの中で,ひげをそり落とすことは災いのゆえの嘆きを示すものとして象徴的に用いられています。(イザヤ 7:20; 15:2。エレミヤ 48:37。エゼキエル 5:1)意義深いことに,イエスの苦難に関する預言は次のように述べていました。「わたしを打つ者に,わたしの背をまかせ,わたしのひげを抜く者に,わたしのほおをまかせ(た)」。(イザヤ 50:6)アンモン人の王ハヌンは,ダビデが丁重につかわした使者をとらえて,ひげの半分を切り落とし,大きな侮辱を加えました。この大きな屈辱のゆえに,彼らはひげが十分にのびるまでエリコに住むことをダビデから命ぜられました。言うまでもなく,ハヌンのこの行ないはダビデを侮辱するためのものであり,戦争をひき起こしました。―サムエル下 10:1-8。歴代上 19:1-7。

また律法契約が結ばれる以前においてさえ,男がひげをはやすことはふつうの習慣でした。ヘブル人は自分たちの姿を描いた記念碑を残していませんが,ひげをたくわえたアッシリア人,バビロニア人,カナン人の姿を描いた記念碑や彫刻が,エジプト,メソポタミヤその他の近東各地から数多く発見されています。その中には紀元前3000年にもさかのぼる,そしていろいろな型のひげを示すものがあります。前述の人々の中で宦官だけは,ひげのない者として描かれています。のちに王のハレムで仕えさせるために,少年を去勢することはめずらしくありませんでした。(マタイ 19:12)しかし人を去勢する風習はイスラエルのものではありません。律法はイスラエルの会衆から宦官を除外していました。(申命 23:1)ひげをはやさないのはイエス時代のローマ人の風習でした。したがってイエスはひげがなかったとすれば,宦官あるいはローマ人として挑戦されたかもしれません。

古代の記念碑に関して検討したことからもわかるように,古代のセム族の男は,モーセの律法の与えられる以前でさえひげをはやしていました。そして,ひげはたいていの男に自然にはえるものですから,彼らの先祖もまたひげをはやしていたと結論するのは妥当なことです。したがって,明らかにノア,エノク,セツ,そしてセツの父アダムは,同様にひげをはやした人々だったと思われます。

しかし,イエスにひげがなかったことを主張する論を考慮することも,当を得ています。この考えは,いわゆる「アンテオケの聖杯」に関して一部の考古学者がたてた説に基づいています。これはぶどうと人の姿をあしらった装飾が外側についた大きな銀杯で,片側にはひとりの少年と,それに向き合った5人の人,反対側にはひげのない若いおとなと,それに向き合った5人の人の装飾がついています。全部の人はすわっているように見えます。これはシリア,アンテオケの住民によって発見されたと言われ,西暦1世紀の後半のもので,したがってキリストを表わしている最古の出土品とされています。

しかしいま事実を分析してみると,杯につけられた人の姿は,それを解釈した人々の想像によってだれを表わすかが決められたと言えます。少年は12歳の時のイエスであるとされ,反対側につけられた中心の人物は,おそらく復活後のイエスであると言われています。あるいはバプテスマのヨハネであるという説もあります。他の10人については,使徒のうちの10人,使徒と伝道者あるいは片側の5人をゼベダイの子ヤコブと4人の伝道者,他方の側の5人をペテロ,サウロ,ヤコブ,ユダ,アンデレと見るなど,さまざまの説があります。

人物がだれであるかについての,これらの説に対して,多くの考古学者は反対しています。これらの説は実際には推測にすぎず,これらの人物がだれを表わすかを知ることは不可能です。この杯を偽造物とみて,その信憑性を疑う人さえいます。おおかたの人はそれが信頼できる出土品であることを認めていますが,ただそれほど古いものではなくて4世紀から6世紀のものと見ています。したがってそれがキリストを表わしたものであるとしても,キリストの肖像として古いものかどうかはきわめて疑わしいのです。―1941年12月号および1942年2月号ビブリカル・アーキオロジスト。

ジャスティン・マーター,オリゲン,アレキサンドリアのクレメントその他初期クリスチャンの著述家が述べている事柄は,この問題と直接の関係があります。それによれば,キリストおよび使徒たちの容姿を伝える満足すべき記録は当時,存在していませんでした。オーガスチンは西暦400年ごろ,キリストの容ぼうについては各人がそれぞれの考えを持ち,無数の考えがあると述べています。(デ・トリニタテ,VIII 4)

この問題に関して,ローマのカタコームに見られる証拠が提出されています。一部の人からは西暦2世紀のものとされ,別の人々からは古くてもせいぜい3世紀のものとされているカタコームの内部に,絵が発見されています。プリシラのカタコームと呼ばれる,めずらしく大きなカタコームの壁画の一つに,ラザロの復活を描いたものとされている絵があります。それはほとんど消えかかっており,判然とはしませんが,中央に描かれた,ひげのない若い人がイエスであると考えられてきました。しかしカタコームの中には経外書や偽りの宗教の考えを示すものが豊富に発見されています。たとえばプリシラのカタコームには,ほぼ同じ年代の作と思われる絵で,経外書にあるスザンナの物語を示す絵があります。やや後代のものとされる天井画には,頭上に星をいただき,子をだいたマドンナが描かれています。ルシナの教会堂地下室にある天井画には,飛び去った魂を表わすものとして異教徒の墓につけられるエロテスあるいはアモレッティ,すなわち翼をつけた人の姿が描かれています。ゆえにカタコームに見られるイエスの肖像の信憑性がきわめて疑わしいものであることは明らかです。

事実,4世紀以後の絵に見られるキリストと使徒たちはひげをはやしており,やつれて悲しげな,弱々しく柔弱で「修道士的」な容ぼうをしており,たいてい異教の後光をいただいています。これらはイエス・キリストや使徒たちを真実に表わすものではありません。ポンテオ・ピラトはイエスをさして「見よ,この人だ」と言い,またイエスは宮で両替する者の台を倒し,家畜を追い出しました。また使徒たちは神のことばを大胆に宣べ伝え,ローマ帝国全土にそれをひろめました。(ヨハネ 19:1,5; 2:14-17)彼らは幸福な神エホバのしもべとして幸福な人々であり,活動的で強い人々でした。(テモテ第一 1:11; 6:14,15。使行 20:35)暗い宗教画は背教の産物です。異教徒のコンスタンチヌス皇帝が背教のキリスト教と異教を融合して国教とした4世紀に背教は盛んになりました。

そうは言っても,すでに見たようにイエスがひげをはやしていたことは明らかです。それで今後ものみの塔の出版物に使われるイエスのさし絵は,そのことを示す聖書的な証拠と一致したものに改められます。

ひげをはやすことに関して,初期クリスチャンが当時の時代また自分たちの住む土地の風習にならったことは疑いありません。ローマ人はひげをはやしませんでした。キリスト教に改宗したローマ人はおそらくローマ人の風習にそのままとどまり,一方ユダヤ人の改宗者はひげをはやすユダヤ人の風習をつづけたことでしょう。

今日クリスチャンの奉仕者は初期クリスチャンと同じくきちんとした身づくろいと清潔に気をくばります。しかし彼らは目だつ服装をしないようにします。それは彼らの携える音信の尊厳と効果が服装によってそこなわれることのないためです。(コリント第二 6:3,4)近年,多くの国において,ひげや男の長い髪はすぐに人目をひき,極端に走る者あるいは反社会的な者のすることとして大多数の人の目には好ましくなく映るようです。神の奉仕者は,宣教から注意をそらせたり,人が真理に耳を傾けるうえに妨げとなるようなことをすべて避けます。人々は批判的な目で真のクリスチャンを見守っており,会衆を代表する奉仕者の外見によってかなりの程度まで会衆全体と福音を判断します。神の奉仕者はそのことを知っているのです。

復興された地上の楽園において,男がエデンのアダムと同じくひげを完全にととのえるのは当を得たことでしょう。

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