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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 10/15 616–622ページ

聖書は霊的な必要物を供給する

「ますらおの歩みはエホバによる」― 箴言 20:24,新世訳。

1 エホバは食物の偉大な供給者としてどのようにたたえられていますか。

衣食,住この三つは人間の生活に欠くことができません。人間の創造者エホバ神はこのことをよく知っておられ,それらの必要物を実際に供給しておられます。神は最初の人間男女,アダムとエバに,植物と果物を食物として与えました。(創世 1:29)後日,世界的な大洪水ののち,ノアの時代に,神は動物の肉を人間の食物に加えられました。しかし血を食べることは禁じられました。(創世 9:3,4)そしてエホバは今日に至るまで,「その日を悪しき者のうへにも,善き者のうへにも昇らせ,雨を正しき者にも,正しからぬ者にも降らせ」ておられます。(マタイ 5:45)こうして地上の自然界の諸循環は続き,動植物は豊かに繁殖し,エホバは食物の偉大な供給者としてたたえられています。

2 大気は地上の人間の生命を維持する上でどんな役割を果たしていますか。また,地上の生活に欠くことのできない住み家のためにどんな備えが設けられていますか。

2 神は地球を人間の住み家として創造されました。広大な宇宙の中で地球はおおいの施された格好な住み家です。地球はさまざまな特色を持つゆえに,これまでに知られている惑星の中で,人間の生活を営み得る唯一の惑星です。それらの特色の中のただ一つの要因についてでさえ次のように指摘されています。「大気は,ほかにもさまざまな作用を営んでいるが,なかでも気温を生命の維持に安全な限界内に保たせ,地上をうるおすのにきわめて大切な新鮮な水蒸気を大洋から内陸に送り込んでいる。この水蒸気がなければ,陸地は生物の住めない砂漠と化するであろう」。a 「天地をつくりたまへる」神がこの惑星を「人の子にあたへ」られたのはなんと幸いなことでしょう。(詩 115:15,16)しかしエホバはまた理知を人間に付与されました。ゆえに,人間は理知を働かせ,地が豊かに備える資材を用いて適当な住まいを造り,生活に必要な住み家を設けることができます。

3 エホバは衣服の必要にこたえて何を備えられましたか。

3 人間の生活には適当な衣服も必要です。アダムとエバは罪を犯したのち,差恥心をいだくようになり,自分の身をおおうことに努めました。エホバ神はあわれみを示し,「アダムとその妻のために皮衣を作って彼らにきせ」られました。(創世 3:6,7,21)そのうえ,地は神の定めに従って,必要な物資を備えており,人間は創造者から授けられた理知に基づいて必要な衣服を作れるのです。

4 衣食住およびすべての良い賜物の源について何を認めねばなりませんか。

4 ゆえにエホバは衣食住の偉大な供給者です。確かに「すべての善き賜物とすべての全き賜物とは,上より,もろもろの光の父より降る」のです。(ヤコブ 1:17)年老いたダビデ王と仲間のイスラエル人は,ソロモンの建てる宮のために寄付をしましたが,ダビデはこう認めざるを得ませんでした。「我らの神エホバよ汝の聖名のために汝に家を建んとて我らが備へたるこの衆多の物はすべて汝の手よりいづ またなんぢのものなり」。(歴代上 29:16)「山のうへの千々のけだもの」および「世界とそのなかに充るもの」とを所有なさるエホバは,人間の生活の必要物を豊かに供給しておられます。私たちは本当に感謝しなければなりません!―詩 50:10-12。

エホバはさらに大きな必要を満たされる

5 人間には,その創造の際,宗教にかんしてどんな衝動が付与されましたか。その欲求を満たすことができますか。

5 しかし人間は,満たされねばならないさらに大きな必要を感じています。人間は創造されたとき,神を崇拝したいという衝動を付与されたのです。イバー・リスナーは,自著「人間,神そして魔術」の中で次のように述べています。「人間がその全歴史を通じて自分自身以外のものに到達しようと執ように努めてきたことには,だれしも驚かざるを得ない。人間の力は決してそのすべてが生活上の必要を満たすためのみに向けられたのではない。人間はいつも道を捜し求め,達し得ぬものを追い求めてきた。人間個有のこの不思議な衝動は人間の霊性にある。人間はその衝動に導かれて,絶えず目標に向かって前進するが,到達することは決してない。その目標とは神である」。(11,12頁)確かに大勢の人々は神を求めました。そしてその多くは神を見いだしています。かつて使徒パウロは古代アテネのマルスの丘で聴衆に次のように語りました。「世界とその中のあらゆる物とを造り給ひし神は……すべての人に生命と息とよろづの物とを与え給へ(り)……一人よりしてもろもろの国人を造りいだし,これを地の全面に住ましめ,時期のかぎりと住居の界とを定め給へり。これ人をして神を尋ねしめ,あるいは探りてみいだすことあらしめんためなり。されど神はわれらおのおのを離れ給ふこと遠からず」。(使行 17:24-27)全能の神は,あらゆるものにまさって,比べ得るもののないかたですが,「おのれをひくくして天と地とをかへりみ」ておられるのです。また,「すべてエホバをよぶもの誠をもてこれをよぶものにエホバは近くましますなり」と述べられています。(詩 113:5,6; 145:18)しかし,誠実に神を求める人は,どのようにして神を見いだせるのでしょうか。

6 人間の益のために物質上の備えを設けられたほかに,エホバはご自分が偉大な供給者であられることを他のどんな方法で明示されましたか。

6 エホバは人間の益のために単に物質上の備えのみを設けられたのではありません。エホバは,ご自身がそのみことば聖書の著者そして保存者であられることをも明らかに示されました。人間はこのすばらしい霊的な備えを必要としています。ですから,イエス・キリストはモーセの言葉を次のように引用されたのです。「人の生くるはパンのみによるにあらず,〔エホバ〕の口より出づるすべてのことばによる」。(マタイ 4:4,〔新世訳〕。申命 8:3。テモテ後 3:16,17)人間は不完全ですから,単なる人間の知恵によってみずからの歩みを首尾よく導くことはできません。箴言 20章24節(新世訳)にしるされている次のことばは確かに真実です。「ますらおの歩みはエホバによる。地上の人間はどうして自分の道を見分けることができようか」。神の恵みは,神に依存していることを認める人の上にとどまり,神は霊的な必要物を備えて,そのような人を導かれます。詩篇の筆者ダビデも述べたとおりです。「人のあゆみはエホバによりて定めらる そのゆく途をエホバよろこびたまへり」― 詩 37:23。

7 さまざまな分野の人々が聖書に対して敬意を表わした実例をあげなさい。

7 聖書は様々な分野の人々の深い尊敬の念を集めました。聖書に対するその見解に注目してください。「聖書は人間に対する神からの通信,神の手紙である」。(M・グラント・スミス,数学者で天文学者)「神からの特別の啓示は存在する。それが聖書である」。(O・レオ・ブラウァー,物理学者で化学者)「聖書は神がかつて人間に与えられた最善の贈り物だと私は信じている」。(アメリカの大統領,アブラハム・リンカン)「聖書はその特別な起源のゆえに他のいかなるものの追随を許さぬ最もすぐれた本である」。(W・E・グラッドストン,英国の政治家)b これらは物事を深く考える数多くの人々の典型的な証言です。

8,9 初期クリスチャンは聖書に対してどんな態度をとりましたか。答えの証拠をあげなさい。

8 エホバのしもべたちは聖書を重んじてきました。ゆえに,たとえば初期クリスチャンは,聖書を最も有用な形態にして使いたいと願いました。C・C・マッコーンは「クリスチャンの用いた最古の本」と題する本の中で次のように述べています。「初期クリスチャンの写本の使用にかんする最近の発見によれば,初期キリスト教の特色は学問的な色彩のない簡単で実際的な教えにあったことが証明されている。クリスチャンの教典,つまり旧約および,聖典に含められる途上にあった当時の新しい著作類のいずれも,上流階級の暇つぶしの読み物ではなかった。それらの本をできるだけ多く入手して,1冊の本にまとめたいと望んだのは,勤勉に働く人々であった。これらの人々や当時のクリスチャンの熱心な宣教者は,何メートルにも及ぶパピルスの巻き物を開かずに,証拠となる聖句をあれこれ手早く指摘できることを願った。それらの本は学問ぶったきざなところが少しもなかった。その形態は,内容と同様,当時の道徳的かつ宗教的な生き生きとした精神の所産であり,その精神がおよそ2世紀後にローマ帝国を征服したのである」― 「聖書の考古学読本」,261頁。

9 今日のエホバの証人と同様,初期クリスチャンは神のみことばに感謝しました。テサロニケのクリスチャンが感謝の心を表わしたゆえに,使徒パウロは次のようにそれらの人にあてて書き得たのです。「我ら神に感謝してやまざるは,汝らが神のことばを我らより聞きし時,これを人のことばとせず,神のことばとして受けしことなり。これはまことに神のことばにして,汝ら信ずる者のうちに働くなり」― テサロニケ前 2:13。

崇拝における天与の導き

10,11 (イ)聖書は神の御名にかんする大切な霊的必要物をどのように備えていますか。(ロ)エホバの御名は何によって清められますか。また,その結果,人間のどんな必要が十分に満たされますか。

10 物質界の創造はそれ自体,神の存在の無言のあかしです。たとえば,天は神の栄光を表わしています。(詩 19:1)しかしそれら無生の事物は宇宙の至上者の御名を啓示したり,御目的を知らせたりすることができません。一方,神のみことば聖書は,ともしびのごとくまわりを照らし,闇を消散させます。(詩 119:105,130)聖書は,あらゆる名前のうちの最も偉大な名前を啓示し,「エホバという名前を持たれる」かたが至上者であられることを明らかにしています。(詩 83:18,新世訳)聖書はまた,神がご自身の輝かしい御名を必ず清められることを明示しており,エホバは聖書の中でこう宣言しておられます。「我国々の民のうちに汚されたるわが大なる名すなはち汝ら[イスラエル人]がかれらのうちにありて汚したるところの者を聖くせん 国々の民はわが汝らによりて我の聖きことをその目の前にあらはさんとき我がエホバなるを知ん」。(エゼキエル 36:22,23)イエス・キリストは,次のように祈ることを追随者に教えました。「父よ,願くは御名のあがめられんことを」。(ルカ 11:2)神の是認と命を得たいと望む人は,神の御名を知り,御名の清められることを願わねばならず,「すべて〔エホバ〕の御名を呼び求むる者は救はるべし」とあるように,御名を呼び求めなければなりません。(ロマ 10:13,〔新世訳〕。ヨエル 2:32)ゆえに,聖書は神の御名に関する知識を備えて,きわめて肝要な霊的必要を満たしています。

11 聖書はまた,イエス・キリストの手にある,神の国によって,エホバの御名が清められることを示しています。(詩 45:1-7; 110:1,2。イザヤ 9:6,7。ダニエル 2:44; 7:13,14。黙示 11:15-17; 12:5,10; 19:11-16)その統治の下で人類の霊的そして物質的な必要は完全に満たされるでしょう。(イザヤ 11:9; 65:20-25。詩 67:6; 72:16)その時,人間は戦争の惨害をこうむることがありません。剣や槍は,建設的な目的のための平和に資する道具に打ち替えられるからです。(ミカ 4:3,4)詩篇 46篇9節は,間近い将来の平和をもたらすエホバのわざをこう宣べています。「エホバは地のはてまでも戦闘をやめしめ弓ををり戈をたち戦車を火にてやきたまふ」。それによって,確かに安全と平和に対する人間本来の願いと必要は十分に満たされるでしょう。聖書はこのような祝福された状態の中で永遠の生命を受けるに必要な教えを,わたしたちに備えているのですから,聖書が与えられたことに対してエホバに感謝するのは,まさに当然と言わねばなりません。―ヨハネ 17:3。

12 聖書は,人類に対する神の愛にかんして,真実の希望の基礎となるどんな事柄を啓示していますか。

12 聖書はまた,エホバが愛の神であり,「我らの救主なる神の仁慈と人を愛したまふ愛」とがイエス・キリストを通じて明らかにされたことを啓示しています。クリスチャンは,神がイエス・キリストを「我らの罪のためになだめの供物」としてつかわされたことを聖書を通じて学びました。(テトス 3:4-7。ヨハネ第一 4:8-10)聖書はたしかに,キリストの贖いの犠牲に関連するエホバの御目的の大要を明らかにしており,こうして真実の希望の基礎を設けています。―ヨハネ 3:16,36。テモテ前 2:5,6。

13,14 (イ)イスラエルを取り囲む異教の諸国民の宗教上の行為を示す実例をあげなさい。(ロ)偽りの崇拝を回避できるようにする導きを,エホバはどのように与えられましたか。

13 ここでイスラエル人のことを考えてみましょう。イスラエル人は,多数の偽りの神々に崇拝をささげる異教の諸国民にとりまかれていました。たとえば,イスラエルの近隣のフェニキヤ人およびカナン人は女神アシタロテを崇拝しました。この女神については次のように述べられています。「バビロニアでは,アシタロテと同類のイシュタルがビーナスに相当した。これは性愛,多産,豊じょうの女神であった。さまざまな名前を付されたこの女神の崇拝にかんしては,宗教儀式として売春の行なわれていたことが広く認められている」。(ウエストミンスター聖書辞典,46頁)アンモン人はモロクを崇拝し,その儀式に際しては,子供を犠牲としてささげました。―列王上 11:7。列王下 23:10。

14 しかしエホバは,イスラエルがそれら宗教上の偽りの行為を退けるのに必要な霊的備えを設けておられたのです。エホバは彼らにご自身のみことばを与えられ,その中で,宗教的に有害な,異教徒との婚姻関係を退けるようにと命じられました。(申命 7:3,4)また,「汝わが面の前に我のほか何物をも神とすべからず」とも命じられました。(出エジプト 20:3)さらに十戒の中で,イスラエルは,不道徳を退けるのはもちろんのこと,専心の献身をエホバにささげるようにとも命じられたのです。その不道徳には「宗教儀式として(の)売春」も確かに含まれていました。(出エジプト 20:4-6,14)また,子供を火に焼いて,モロクなどの偽りの神に犠牲としてささげる儀式の伴ういまわしい崇拝を,エホバは預言者エレミヤを通して禁じられました。エホバはそのようなことを命じられず,また考えることさえなさいませんでした。(エレミヤ 32:35)もちろんイスラエル人が神のご要求にいつもつき従ったのではありませんが,国民の中にはエホバの忠節な崇拝者もおり,それらの人々は汚れた宗教に陥らないように神のみことばで守られました。聖書は正しい心を持つ人々に対して,今日,同様な働きをしており,そのような人々は「霊と真」とをもってエホバ神を崇拝できるのです。―ヨハネ 4:23,24。

正しい生き方にかんする導き

15 聖書が,生活にかんする正しい導きを人間に与えて,霊的な必要物を備えている仕方を述べなさい。

15 聖書はまた,生活上の正しい指示を人間に与えて,霊的な必要物を供給します。たとえば,聖書は肉のわざが何かを明らかにし,それに対する警告を与えています。そのために,肉のわざと霊の実を対照させ,「キリスト・イエスに属する者は肉とともにその情と慾とを〔刑柱〕につけた」と述べているのです。(ガラテヤ 5:19-24,〔新世訳〕)聖書に従う人は,憤りやねたみなどの有害な感情に屈しないでしょう。次のようにしるされているからです。「怒をやめ いきどほりをすてよ 心をなやむるなかれ これ悪をおこなふ方にうつらん」。「心のおだやかなるは身のいのちなりねたみは骨のくさりなり」。(詩 37:8。箴言 14:30)神のみことばをあてはめて,絶えず警戒することにより,個人個人,不道徳を退けられます。(詩 119:9-16)エホバを喜ばせ,永遠の生命を得ようと願う人は不道徳な行為に携われないことを悟ります。(コリント前 6:9,10)箴言 7章からは,売春婦の巧妙な誘惑に警戒すべきことを学べます。その章は次のような勧めのことばで終わっています。「こどもらよ いま,我にきけ 我が口のことばに耳を傾けよ なんぢの心を淫婦の道にかたむくることなかれ またこれがみちに迷ふことなかれそは彼は多の人を傷つけてたふせり彼に殺されたる者ぞ多かるその家は陰府の途にして死の室に下りゆく」― 箴言 7:24-27。

16 エホバのしもべはどんなおもな理由に基づいて聖書のことばを心にとめますか。

16 幾世紀もの昔,イスラエルはこう勧められました。「汝ら善を求めよ 悪を求めざれ さらば汝ら生くべし また汝らが言ごとく万軍の神エホバ汝らとともにいまさん 汝ら悪をにくみ善を愛し門にて公義を立てよ万軍の神エホバあるひはヨセフの遺れる者を憐れみたまはん」。(アモス 5:14,15)エホバのしもべが聖書のことばを心にとめるおもな理由は,単に問題や悩みを回避することだけにあるのではありません。実際のところ,『善を愛し悪をにくむ』ようになったのです。また,エホバを喜ばせたい,つまり神の心を喜ばせたいと願っています。―箴言 27:11。

確かな預言の必要を満たす

17,18 聖書は,将来のことを知りたいという人間の願いをどのように満足させていますか。その例をあげなさい。

17 今日,多くの人々は将来に対して深刻な恐れと憂慮の念をいだいています。そのために,ある人々はサウル王と同様,霊媒に相談して,将来のことを知ろうとします。しかし霊媒に聞くのは神の禁じておられる行為です。(サムエル前 28章。申命 18:10-12)それにしても,将来どうなるかがわかれば安心できます。この大切な事柄にかんしても聖書は必要を満たしています。聖書には確かな預言があるのです。この事実は何度でも論証できますが,簡単な例でさえ信仰を強めるのに役だちます。

18 エホバは預言者ホセアに霊感を与えて次のように書かせました。「サマリヤはその神にそむきたければ刑せられ剣に斃れんその嬰児はなげくだかれそのはらみたる婦は剖れん」。(ホセア 13:16)サマリヤは,難攻不落を思わせる堂々たる城壁をめぐらしていたにもかかわらず,紀元前740年,アッシリアの手に落ちて,この預言は成就しました。

19,20 (イ)ダニエルは雄羊と雄山羊にかんするどんな幻を見ましたか。(ロ)ガブリエルは幻の意味をどう説明しましたか。その説明は正確でしたか。

19 預言者ダニエルは幻の中で,2本の角のある雄羊を見,次に,目の間に著しい1本の角を持つ雄山羊を見ました。すると雄山羊はその角で雄羊を襲って倒し,その2本の角を砕きました。のちに,雄山羊のその大きな角が折れて,その代わりに4本の角が生えました。(ダニエル 8:1-8)このすべてはいったい何を意味しますか。天使ガブリエルはこう説明しました。「汝が見たるかの二の角ある牡羊はメデアとペルシヤの王なりまたかの牡山羊はギリシヤの王その目の間の 大なる角はその第一の王なり またその角をれてそのかはりに四の角生じたればその民よりして四の国おこらん されど第一の者の権勢にはおよばざるなり」― ダニエル 8:20-22。

20 ガブリエルのことばは真実でしたか。歴史が証明しているとおり,確かに真実でした。『二つの角のある』雄羊,メディア-ペルシア帝国は滅びました。どのように滅びましたか。1本の著しい角を持つ象徴的な雄山羊,「ギリシャの王」アレクサンダー大王が世界強国メディア-ペルシアを征服したのです。そのうえ預言どおり,アレクサンダー大王の死後,その4人の将軍つまり「四の角」はそれぞれ権力を得て,1本の「大なる角」であったアレクサンダーにとって代わりました。c

21 クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちがヘブル語聖書のメシヤに関する預言をイエス・キリストにあてはめた例をあげなさい。

21 聖書はまた,メシヤがだれかを明らかにするきわめて大きな必要を満たしています。そして注目すべきことに,偽りのメシヤが数多く現われたのです。マクリントクとストロングの百科事典はそれらのメシヤについてこう述べています。「それぞれ異なった場所および時代に現われたそのような氏名詐称者は少なくとも24人を数えたが,これで全部とは言えない」。(第6巻,141頁)イエス・キリストに関連して成就した預言としては,ヘブル語聖書にしるされているメシヤにかんする数多くの預言を列挙できます。しかし,神からの霊感の下に,クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者は自ら,そのあるものを直接イエスにあてはめています。そのような例を幾つか考慮しましょう。エホバ神から霊感を受けたマタイは次の諸点をしるしています。イエスはイザヤ書 7章14節の預言どおり処女から生まれました。(マタイ 1:18-23)イエスの誕生後,多くの幼児が殺されて,エレミヤ記 31章15節が成就しました。(マタイ 2:16-18)イエスは,ホセア書 11章1節のことばどおりエジプトから呼び出されました。(マタイ 2:14,15)イザヤ書 40章3節と一致して,イエスは先駆者を持ちました。(マタイ 3:1-3)またイエスはイザヤ書 53章4節の預言どおり,わたしたちの病を負われました。(マタイ 8:16,17)使徒ヨハネは,神の霊感の下に次の事柄を指摘しました。つまり,イエスがロバの子に乗ってエルサレムに入城したとき,ゼカリヤ書 9章9節のことばが成就しました。(ヨハネ 12:12-15)詩篇 22篇18節の預言は,イエスが刑柱につけられたのち,兵士たちがイエスの衣を自分たちのあいだで分け,さいを投げてその古衣を取ったときに,その成就を見ました。(ヨハネ 19:23,24)イエスの骨が折られなかったこと,イエスが突き刺されたことも預言の成就でした。(詩篇 34篇20節およびゼカリヤ書 12章10節をヨハネ伝 19章33節-37節と比べてください)これらの聖句は,霊感を受けた,聖書の多くの筆者自らが,ヘブル語聖書中のメシヤに関する預言をイエスにあてはめた幾つかの例にすぎません。しかし聖書全巻を神のみことばとして受け入れる人にとっては,イエス・キリストがメシヤであることを理解するのに以上の預言だけでも十分です。聖書がこのような資料を備えていることにかんして,エホバに感謝しなければなりません。

22 聖書は預言の分野でも欠けるところのない本であるとなぜ言えますか。

22 ホセア,ダニエルその他,神の預言者たちが記録したのは確かに真実の預言です。ゆえに,神の御子イエス・キリストご自身の述べられた預言は確かに信頼できます。キリストは,現代および,この事物の制度の下で生きる最後の世代を示して,戦争,食料不足,地震の増大その他の事態を預言されました。そのような事態は,現在明らかに見えており,キリストの再臨在がすでに始まり,キリストが御国の支配権を行使しておられることを証明しています。(マタイ伝 24章)使徒パウロの予告した,「終りの時」を確認する状態も今,現実に生じています。(テモテ第二 3:1-5,口語訳)現代の歴史の諸事実によって確証されているこれらの預言は,過去の時代に成就した多くの預言と同様,確かに信頼できます。ゆえに聖書は何かに欠ける本ではなく,将来に関する確実な知識の必要という今日の社会の重大問題にも答えています。聖書は,現代にかかわる神の御目的を明示し,エホバが人類のために愛をもってもくろまれた,将来のすばらしい事柄と祝福に関する見通しを与えています。

23 (イ)それで聖書はどんな点で霊的な必要物を供給していますか。(ロ)神のみことばを信ずる人は,現在のみじめな世界で,どんな祝福を享受できますか。

23 確かに聖書は,霊的な必要物を供給しています。聖書は崇拝にかんする天与の指導書であり,正しい生き方についての導きを与え,確かな預言の必要をも満たしています。ゆえにエホバは,衣食住など物質上の必要を満たす偉大な供給者であられることを証明されたごとく,欠くことのできない貴重な霊的必要物の供給者としてのご自身の偉容を示しておられます。神は聖書を備えて,かぎりないいつくしみを人類に示されました。神を愛する人々はすべて,このいつくしみを心から感謝しなければなりません。あなたがもし神のみことばを信じておられるなら,エホバの御目的について他の人々に伝える祝福をも享受できるでしょう。そうすれば,幸いを得られます。悩みと悲しみに満ちた世にあって,「幸福なる神の栄光の福音を宣明できるからです。(テモテ前 1:11)しかしこのわざを喜びのうちに行なうには,生活上の個人的な問題に対処することも必要でしょう。聖書から導きと慰めを得ることによって,首尾よく対処できるでしょう。

[脚注]

a 「拡大する宇宙に見られる,神の存在の証拠」の21頁に,「世界の起源 ― 偶然かそれとも計画に基づくか」と題して,生物物理学者フランク・アレンの述べたことば。

b ジョン・クロバー・モンスマ著,「拡大する宇宙に見られる,神の存在の証拠」,1958年版,150,84頁。ヘンリー・H・ハレー著,「ハレーの聖書便覧」,22頁(1964年,第23版,第4刷)

c ものみの塔聖書冊子協会発行,「御心が地に成るように」,第9章を参照してください。

[620ページの図版]

雄山羊は雄羊を襲って,その2本の角を砕いた

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