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  • クリスチャンには,週毎の安息日を守る義務がありますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 1/15 58–60ページ

クリスチャンには,週毎の安息日を守る義務がありますか

神はクリスチャンに週毎の安息日を守ることを要求しておられると,読者は子供の時分から,教会で教えられてきたかもしれません。しかし,聖書のどこを読んでも,クリスチャンにはそうすべき命令が課されていないことをご存じでしたか。

それを守る理由として十戒の第4番目の命令を指摘される人がいるかもしれません。しかし,安息日を神聖な日とし,その日にどんな仕事もしてはならないというその命令は,クリスチャンに与えられたものではありません。(出エジプト 20:8-11)それは紀元前16世紀のこと,シナイ山のふもとに集まったイスラエル民族に与えられたものです。神は,安息日を守ることは「我と汝らの間の代々の徴」であると彼らに言われました。(出エジプト 31:13)神はこのことを他のいかなる国民にも告げられませんでした。

これらの人々にとって安息日を守ることは何を意味しましたか。安息日にはいかなる種類の仕事であれ,すべて禁じられたのです。荷物を運んだり,木を集めたり,食事を整えたり,火をたいたりすることさえしてはなりませんでした。それは労働を完全に休む日となり,何らかの仕事をしてその律法を破る者は,死刑に処されました。―出エジプト 16:23-25; 31:15; 35:3。民数 15:32-35。

今日この安息日の律法を守る義務のあることを信じて,それに徹するには,あらゆる種類の仕事を同様に差し控えるべきでしょう。しかし安息日と見なす日を,たいていの人はどのように過ごしていますか。週中の仕事はせずに休みますが,たいてい芝生を刈ったり,庭の手入れや,ゴルフあるいは家を掃除したり,特別のごちそうを作ったり,ドライブその他の活動に携わります。もし,安息日にかんする神の律法の下に本当にあるとすれば,こうした活動のいずれに携わっても律法を破ることになります。それで実際のところ人々はこの律法を守っているわけではありません。

しかし,安息日の律法がイスラエル国民にのみ与えられた以上,その国民に決して属さなかった人々が安息日を守ることなどどうして考えられますか。ある国では特定の日に商店を閉じることが法律で要求されている場合,他の国の人々もその法律のゆえに店を閉じねばなりませんか。もちろんそのようなことはありません。それはその一国で通用するにすぎません。安息日の律法についても同じことが言えます。古代イスラエル国民の領土内の人々のみが,神からその律法を守るように命じられました。そして他の国々は,それに従う義務などありませんでした。

それにもかかわらず,ある人々は,クリスチャンは週毎の安息日を守らねばならないと考え,その証拠として創世記 2章2,3節を指摘するかもしれません。聖書のそのことばは,神が第七日を休まれ,「七日を祝してこれをきよめたまへり」と述べています。これは神が行なわれたことに関する歴史的なことばです。宗教的な戒律として1週間の七日目に仕事をやめるようにと人間に命じたことばが,この聖句のどこかに出ていますか。1週間に1日,仕事を休むのは何ら悪いことではありません。しかし,神はすべてのクリスチャンにその日を宗教的な戒律として守るよう要求していると教会が主張するなら,事実をまげて教えることになります。

アダムの時から,シナイ山でイスラエル民族に安息日の律法が与えらるに至る2500年以上の期間,週毎の安息日を守ることを神が命じられた記録は聖書に一つもありません。さらに,この期間中,信仰の人がそのような戒律を守ったという記録もありません。それで,神が「七日」に休まれたからとの理由で,すべての人間に週毎の安息日を守るように要求しておられるという考えを裏づける根拠は見あたりません。

イエス・キリストは安息日を守られた

クリスチャンが週毎の安息日の律法を守らねばならないとの明確な命令はないにしても,イエス・キリストが安息日を守られた以上,クリスチャンも守ることを神が期待しておられると言えませんか。いいえ言えません。イエス・キリストは,安息日の律法を与えられた国民の一人だったので,守らねばならなかったのです。他のイスラエル人と同様イエスは,シナイ山で与えられた律法の要求に従うことにより,神への従順を示すことを要求されました。―ガラテヤ 4:4。

しかしイエスの死後,この民族に与えられた律法は,イエス・キリストのユダヤ人の追随者にはもはや適用されませんでした。というのは,イエスは律法契約の目的を成就することにより,それを終わらせたからです。ロマ書 7章4節にはこう述べられています。「わが兄弟よ,かくのごとく汝らもキリストのからだにより律法につきては死にたり」。6節はこの点をさらに説明して,「されど……我らいま……律法より解かれたれば……なり」としるしています。キリストは律法契約の目的を成就されたので,聖書は,「キリストは……律法の終となり給へり」としるしています。(ロマ 10:4)神はその代わりに新しい契約をたてられました。その新しい契約は,神の是認を得るために週毎の安息日を守れとは命じていません。―ヘブル 12:24。

律法契約の中のすぐれた戒めの多くはクリスチャンにも引き続き適用されており,その新しい契約の一部となりました。たとえば,不道徳や偶像崇拝を禁ずる命令がクリスチャンに当てはまることは,コリント前書 5章11-13節と使徒行伝 15章28,29節に示されています。しかし,週毎の安息日を守ることについては何も述べられていません。それはクリスチャンに与えられませんでした。

イエス・キリストの使徒パウロは,週毎の安息日を守ることをクリスチャンの義務と見なしていませんでした。このことは,彼が祭日を守ることについて書いた手紙に明示されています。律法契約の戒律を守らねばならないと思い込んでいた,あるクリスチャンにあてたその手紙にはこうしるされています。「汝らは日と月と季節と年とを守る。我は汝らのために働きしことのあるひは無益ならんことを恐る」― ガラテヤ 4:10,11。

安息日の戒律がクリスチャンに意味すること

イスラエル国民に守ることを要求された安息日の戒律は,「安息日(の)」主と呼ばれている,イエス・キリストの平和で安らかな統治を預言的にさし示すものでした。(マルコ 2:27,28)キリストの千年統治は週毎の安息日のようになり,その安息はエホバ神の崇拝のためにことごとく用いられ,またそれは,人間に身体的および霊的な真実の回復がもたらされる時となるでしょう。安息日は,「来らんとするものの影」であった律法契約中の,多くの事柄の一つでした。―コロサイ 2:17。

クリスチャンには,イスラエル民族に与えられた週毎の安息日を守る義務があると考える必要はありません。聖書に示されているように,神はクリスチャンにそれを要求しておられないのです。要求されているのは,神を崇拝し,神に従い,神に仕えることです。クリスチャンはこれらのことを1週間のうちの毎日,行なうように求められているのです。また,崇拝を行ない,教えを受けるために集まり合うことも求められています。(ヘブル 10:25)たいていの国では週に一日,仕事を休むのが習慣ですから,その日に前述のことを行なうのは都合のよいことでしょう。神の御目的について近所の人々と話し合うのも,その日を賢明に使う別のすぐれた方法です。―ロマ 10:10。

前述の聖書的な事実を考えれば,全能の神の是認を得るには週毎の安息日を守らなければならないと,教会で教えられているなら,あなたは真理を教えられていないことになります。真理の道に導いているどころか,あなたを誤導して,宗教上の偽りに束縛しているのです。イエスが「汝らに自由を得さす」と言われた真理に従うほうが,賢明ではありませんか。―ヨハネ 8:32。

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