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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 7/1 414–415ページ

読者からの質問

● ヘロデの誕生日に舞をまい,バプテスマのヨハネの首を求めた少女の名前はサロメでしたか。―アメリカの一読者より。

聖書は少女の名前をあげていませんが,それが彼女の名前だったようです。マタイ伝 14章6-8節にはつぎのようにしるされています。「ヘロデの誕生日にあたり,ヘロデヤの娘その席上に舞をまひてヘロデ[アンテパス]を喜ばせたれば,ヘロデこれに何にても求むるままに与へんと誓へり。娘その母にそそのかされて言ふ『バプテマスのヨハネの首を盆に載せてここに賜はれ』」。

第1世紀のユダヤの歴史家フラビウス・ヨセハスによると,ヘロデヤは彼女のおじピリポ(ルカ伝 3章1節に出てくる分封の国守とは別)と結婚しました。この結婚からサロメという娘が生まれました。その後,ヘロデ・アンテパスが義兄弟を訪れ,ヘロデヤに熱をあげます。そして妻を離縁し,めいのヘロデヤと結婚します。―「古代ユダヤ人の風習」第18巻,5章,4節。

バプテマスのヨハネはこの不義の結婚をあからさまに非難し,その大胆さのゆえに投獄されました。(マタイ 14:3,4。ルカ 3:19,20)しかしヘロデヤにとってはそれでも足りませんでした。「ヨハネを恨み,彼を殺そうと思っていた」からです。ヘロデの誕生日に彼女はその機会を得ました。サロメという名前だったとヨセハスが言っている彼女の娘が舞をまって,ヨハネの首を求めました。―マルコ 6:19。

この殺人共犯者のサロメと,イエスに従ったサロメとを混同しないようにしましょう。(マルコ 15:40; 16:1)聖書に名前のしるされているサロメは,ゼベダイの妻であり,使徒ヤコブとヨハネの母でした。―マタイ 27:56。

● エホバの証人はたばこの使用に対してどんな態度をとりますか。―アメリカの一読者より。

神のしもべはたばこの使用に注意しなければならないという見方にかんして,聖書は直接には何も述べていません。ある百科事典によると,聖書の土地でたばこが用いられるようになったのは,聖書が完成してから15世紀以上ものちのことですから,それは理解できます。しかし神のことばの内容からすると,たばこの使用は,吸うにしても,かむにしても,かぐにしても,聖書の原則にもとる不潔な習慣です。そのためにエホバの証人はたばこを使用しないように強く勧めます。そしてクリスチャンの中にいつまでもたばこをやめない人がいれば,その人がだれであろうと,霊的に未熟な人とみなします。

巻きたばこであろうと,葉巻きやきざみたばこであろうと,たばこのいちばんふつうの使用法は喫煙です。この喫煙が,がん,心臓病その他,多くの致命的な病気の一因となることは,ここで証拠をあげるまでもありません。これを証明する多くの証拠があることは周知の事実です。事実,喫煙が健康に非常に危険なことから,いくつかの大国は,巻きたばこの宣伝に制限を加えたほどです。たばこをかんだり,かぎたばこを鼻から吸ったりすることにかんしては,それほど多くの資料はありません。しかし,この習慣のない人たちよりも,この習慣のある人たちの中にがん患者が多く,またこの習慣が神経と嗅覚に影響を与えることは,研究によって明らかになっています。

健康と生命に大きな脅威となるものを避けることは,いうまでもなく道理にかなった行ないです。そしてこれはクリスチャンにとって特に重要なことです。なぜなら神の崇拝が関係しているからです。どのように? ロマ書 12章1節によると,クリスチャンは自分のからだを「神の悦びたまふ潔き活ける供物」としてささげなければなりません。もし有害な喫煙の習慣を捨てないならば,健康をそこない,命を縮めることによって,神にささげたものの一部を取り去ることになります。神はそれを喜ばれるでしょうか。

そのうえに円熟したクリスチャンは,「肉と霊との汚穢より全く己を潔め,神を畏れてその清潔を成就すべし」という助言を実行することに努めます。(コリント後 7:1)たばこの使用は明らかに,この霊感による助言に逆行します。たばこを吸ったり,かんだりする人たちの多くが,手や口にやけどのあとやしみがついていることを考えてごらんなさい。喫煙や,たばこをかぐことからくる鼻孔や肺の中の『肉の汚れ』はどうですか。またたばこから生ずる不潔は,灰,しみ,焼け焦しなどをも含めてその人の環境にまでおよびます。あなたはイエスが,喫煙のような不潔な習慣にそまって清さを無視されることなど考えられますか。クリスチャンはイエスの模範に従わねばならないことを忘れてはなりません。―ペテロ前 2:21。

喫煙はまた,「おのれのごとく汝の隣を愛すべし」という原則に反します。(ヤコブ 2:8)なぜですか。クリスチャンを導くこの原則を説明して,使徒パウロは,「愛は隣を害はず,このゆえに愛は律法の完全なり」と書いています。(ロマ 13:9,10)喫煙家が人と話しながら同時に自分と相手の両方を有害な煙で包むとか,自動車やバスや汽車の中でたばこを吸って,自分がはき出す刺激物を,吸いたくもないのに吸わされる周囲の人々の迷惑など一向に無とんちゃくなのを見たことがありますか。これは隣人愛ですか,そうではありません。クリスチャンは反対に,「おのおのおのが益を求むることなく,人の益を求めよ」とすすめられています。―コリント前 10:24。

いったいなぜ人はたばこを吸うのでしょうか。何年かまえにはおそらく「勇気をふるって」,あるいは,いっぱしのおとなになって「みんなの仲間入りをしたんだ」と思われようとして,たばこを吸いはじめたのでしょうが,止めないで続けているというのは,たばこがおいしいからでしょうか。おそらくそうではないでしょう。なるほどたばこは気持ちを静め,満足感を与えるかもしれません。しかしたばこがきれると,いらいらした不愉快な気持ちになるという事実は,喫煙の習慣のとりこになっている証拠にほかなりません。そのような人は,聖書のすすめる自制が足りないのです。―コリント前 9:25-27。

たてつづけにたばこを吸う人であってもなくても,喫煙の習慣を捨てきるのがむずかしいということは,自制心に問題があることを物語っています。このことは,喫煙家の多くが,灰を捨てるところがなくても,たばこを買う余裕がなくても,あるいは人からも借りなければらなくても,たばこを吸わずにはいられない,ということからもわかります。そういう人々は疑いもなく,「汝らの信仰に徳を加へ,徳に知識を,知識に節制を……加へよ」という戒めを実行する必要があります。―ペテロ後 1:5,6。

喫煙の習慣がクリスチャンに与えられている多くの戒めに反する以上,まだこの習慣を克服していない人は,クリスチャン会衆内の任命されたしもべがもつべき,非のうちどころのないよい評判をもっていないことになります。監督および補佐のしもべの特権にあずかる人は,円熟したクリスチャンの模範でなければなりません。(テモテ前 3:2,10)したがって,以上の理由に加えてクリスチャンは,しもべや全時間開拓奉仕者に任命されるという,会衆内での特別の特権にあずかるためにも,不潔な習慣を克服しなければなりません。

人がバプテスマを受けるときは,生涯のうちで非常に意義深い時です。ですからそれまで喫煙の習慣をつづけてきた人は,それを捨てきる絶好の機会です。しかしその段階をすでに通過していてなお喫煙している人はどうですか。それは絶望的な状態ではありません。多くの人はやめました。ですからあなたもやめられます。もっと強い自制心が必要なだけです。この資質は神の御霊の実のひとつですから,より強い自制心を求める人は,神の聖霊をより多く必要とします。そしてそれは,エホバに求め,それを得るために努力さえすれば得られるものです。(ルカ 11:13)御霊がそそがれる集会で,クリスチャンとの交わりを求めることも大切です。霊感によって書かれた神のことばを常に読むことも必要です。そしてたばこへの渇をいやすことばかり考えないで,エホバや,エホバの約束された清い新しい秩序について語るようにします。

喫煙の習慣を捨てるいちばんよい方法は,一度にきっぱりとやめてしまうことでしょう。そしてひそかに試みるのではなく,友だちや家族に告げるのです。そうすれば彼らはあなたをささえ,励ましてくれます。習慣的にいちばんたばこが吸いたくなるときには,円熟したクリスチャンと一緒にいるようにします。決心がにぶりそうな時には,ためらわずにクリスチャンの友だちに電話をかけるとか,訪問するとかします。そして,とりわけエホバの力と聖霊を祈り求め,「我を強くし給ふ者によりて,すべての事をなし得るなり」と言ったパウロと同じ気持ちをいだきます。―ピリピ 4:13。

したがって,まだ喫煙の習慣を捨てていない献身したクリスチャンに対して,神のことばが意味するところは,この不潔な習慣にこれ以上とらわれないように,そしてより強い自制心をもってそれを克服するように,ということです。周囲の人たちのことを考えてごらんなさい。またエホバへの献身について考えてごらんなさい。それにはあなたの永遠の命がかかっているのです。非常に多くの人がたばこへのどれい状態から自由になりました。それはあなたにもできることです。さっそく実行なさることをおすすめします。

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