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  • あなたは本当に交わっていますか それともただ出席しているだけですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 12/15 761–762ページ

あなたは本当に交わっていますか それともただ出席しているだけですか

あなたは,エホバの証人の集会に出席することと,エホバの証人と交わることとを,ほぼ同様な意味に考えておられたかもしれません。しかし実際には大きな違いがあるのです。証人たちの集会に出席する人すべてが,ほんとうに交わっているわけではありません。

集会に出席していても交わっていないということをさらに理解する助けとして,聖書のヨブ記 1章6節を取り上げましょう。その聖句によると,地上の神のしもべたちだけでなく,神の霊的な子たちも時を定めてエホバ神の御前に集まることがわかります。聖書のその部分は次のとおりです。「ある日神の子たちきたりてエホバの前に立つ,サタンも来りてその中にあり」。サタンはこの集会に出席していました。しかし彼はエホバ神およびそこに集まった神の忠実な霊の子たちとほんとうに交わっていましたか。交わっていませんでした。

出席するとは「その場にいる」という意味です。そのつどいの際のサタンの場合はこれでした。しかし,交わるということにはそれ以上の意味があります。それは,「友,仲間,共同者,もしくは同盟者として加わる」,あるいは,「加わって一致する,仲間としてともにいるもしくはともに行く,また,同じ行動をする,共通の目的に加わる」という意味です。

確かにこれらのことばは,その集会に出席していたサタンにあてはまりませんでした。サタンは少しもエホバ神の側に加わっていませんでした。彼はエホバの友としては行動していませんでした。またサタンは忠実な神の子たちを自分の友また仲間とはみなしていませんでした。事実,彼はそれら忠実な子たちが神に仕える動機に異議を唱えていたのです。

ここで理解できるとおり,わたしたちが他の人とほんとうに交わっているかどうかは,単に集会に出席することだけでなく,そこにともに出席している人々に対する自分の態度と気持ちによって判断できるのです。

ほんとうの兄弟

エホバの証人は互いどうしを「兄弟」また「姉妹」と呼びます。これはエホバ神のしもべすべてのあいだに当然に存在すべき親密な関係を表わします。「兄弟」とは,同じ親から出た子供たちをさしています。しかしわたしたちは,父エホバ神に献身した他のしもべたちに対して,そのような親密な関係をほんとうに感じていますか。それとも,わたしたちが「兄弟」と呼び合うのは,ただそのことばが“採用されている”ため,またそれがエホバの証人の習慣であるからですか。

肉親の兄弟であったカインとアベルがともにエホバの崇拝者と唱えたことは興味に価します。つまりふたりは霊的な意味でも兄弟であったのです。聖書はある時のことをしるしています。「エホバカインにいひたまひけるは汝の〔兄弟〕アベルはいづこにをるや 彼言ふ我しらず我あにわが〔兄弟〕の守りてならんやと」。(創世 4:9,〔新〕)これはカインが自分の兄弟を殺してまもなくのことでした。それでもカインが,なんのためらいもなく「兄弟」ということばを使っている点にお気づきですか。

これは,他の人を「兄弟」また「姉妹」と呼ぶ際に,単にそのように呼ぶ以上の意味が含まれることを示しています。わたしたちは親密な愛をつちかい,クリスチャンの仲間に対して真実の兄弟また姉妹であることを示すべきなのです。「ことばと舌とをもて相愛することなく,行為と真実とをもて」愛すべきであり,クリスチャンは,「神を愛する者はまたその兄弟をも愛すべし」と命じられているのです。―ヨハネ第一 3:18; 4:21。

真実の友

すでに述べたとおり,交わるということばには「友として加わる」という意味があります。エホバの証人は自分のクリスチャン兄弟姉妹に対して「友」ということばをよく使います。しかし,真実の友であるとは,単に同じ集会に出席すること,またその人の名を知っていることではありません。その人々に対して愛をつちかっているという意味です。

真の友となるための土台はなんですか。イエスは,「汝らもし我が命ずる事をおこなはば,我が友なり」と語って,それを示されました。(ヨハネ 15:14)これは,クリスチャンの真の友愛関係が,キリストの命じた事柄を行なおうとする相互の関心の上に築かれることを示しています。イエスの友とはイエスに従う者であり,年齢,国籍,人種の相違などは問題とされません。これは真のクリスチャンのあいだでも同じです。そうです,神に仕えることにおける相互の関心が,家族のきずな以上に強い力となってクリスチャンを互いに引きつけるのです。

イエス・キリストはこれがあるべき姿であることを示されました。ある時,母と肉親の兄弟たちがイエスに会おうとしているということが伝えられました。その時イエスは,「わが母,わが兄弟は,神のことばを聴き,かつ行ふこれらの者なり」と言われました。―ルカ 8:21。

仲間として加わる

交わるということには,『仲間として加わる』という意味も含まれています。仲間とはなんですか。仲間とは,いっしょに行く人,ある事柄にともに加わる人です。エホバの証人の集会に出席する時,あなたは自分がそこにいる人々の仲間であると感じますか。それともまだ何か場違いなものを感じていますか。

もしまだ何かぎごちなく感ずるなら,あるいは“とけ込まない”なら,エホバの民が行なっている事柄にまだ十分に加わらず,またその民とともに歩んでいないためかもしれません。エホバの証人は,『もろもろの国人に証しをなさんため,御国のこの福音を全世界に宣べ伝える』ことに全く献身しています。(マタイ 24:14)それで,エホバの民の仲間となってほんとうに交わるためには,あなたも心をこめてこのわざに加わることが必要です。クリスチャンの原則と完全に一致した生き方を追い求めることが必要なのです。

共同者となること

交わるという動詞の別の定義は『共同者として加わる』ということでした。共同者とは『同じ側で演ずる者』,『ともに分け合う者』という意味です。あなたはほんとうに自分が集会に来ている人々の共同者であると感じますか。あなたはほんとうに自分が同じ側にいると感じますか。聖書の詩篇作者は「われは汝〔エホバ〕をおそるる者またなんぢの訓諭をまもる者の侶なり」と書きました。(詩 119:63)エホバ神とその御国の側に不動の立場を定めようとしておられるなら,あなたは集会でともに集まる人々に対して親密な連帯感を感ずるはずです。

詩篇作者ダビデは,神の民とほんとうに交わっている人々の気持ちを言い表わして語りました。「人われにむかひていざエホバのいへにゆかんといへるとき我よろこべり」。(詩 122:1)そうです,ダビデは神の民と交わる機会を喜んだのです。そして,『いざゆかん』という表現に注意してください。ダビデは自分がその場に行くことに関心をいだいていただけでなく,エホバの崇拝に心を用いる者すべてを非常に身近に感じていたのです。エホバの証人の集会において,あなたもこれと同じ気持ちを持たれますように。

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