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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 1/1 21–27ページ

信仰を強めた「地に平和」ヨーロッパ大会

今日キリスト教世界の多くの人々の,神に対する信仰は衰退の一途をたどっています。今では牧師さえ神と聖書を批判しています。しかしこれは聖書の預言がこの時代に関して予告していたことにほかなりません。―マタイ 24:12。テモテ後 3:1-5; 4:3,4。

しかし聖書の預言は,偽りの宗教の倒壊を予告するとともに,この事物の体制が終わる前に真の崇拝が急速に拡張されることをもあらかじめ告げていました。(イザヤ 2:2-4。マタイ 24:14)さる7月の末から8月にかけてヨーロッパの幾つかの場所で開かれたエホバの証人の「地に平和」国際大会は確かに真の信仰を強めるものでした。

新聞報道は,幾万もの人々が集まって神とそのみことば聖書に対する自分たちの信仰を強めるさまを見たヨーロッパ人の驚きを表わしました。ヨーロッパの五つの都市で開かれた大会には合計34万8,262名が出席し,「近づく一千年の平和」と題する公開講演を聞きました。これら大規模な大会は,さる7月,北アメリカで行なわれた八つの大会と同じ取り決めに従って開かれたものです。

ロンドンの大規模な大会

ヨーロッパの最初の大会は,7月29日から8月3日にかけて英国,ロンドンのウエンブリー競技場で行なわれました。この大会には63か国からの人々が出席し,日曜日の午後,8万2,416人が大会の主要な講演を聞きました。このため出席者は球場にあふれ,競走用トラックに用意された補助席もみなふさがり,第2会場となった隣の国立プールの座席も満員になり,他の人々は球場の外に設けられた幾つかのテントの下で,スピーカーに耳を傾けました。

ウエンブリー大会のプログラムもすべて,これまでの他の大会と同様,神とそのみことば聖書に対する信仰を強めることを主眼として行なわれました。この大会では新しい奉仕者2,215名がバプテスマを受けました。このことに深い感銘を受けた一記者は出席者の信仰の深さを認めてこう述べました。「『ハレルヤ,主にほまれあれ』などと叫ぶ者はなく,どこかをぽかんとながめたり,地面に寝そべったりする者もいない。出席者はみな実にしっかりした人々であり,分別をもって行動している」。

神のことばは,「信仰もし行為なくば,死にたるものなり」と述べています。(ヤコブ 2:17)ですから,神に対する真の信仰は正しい行動を伴います。このことに関し,ウエンブリー・ニューズ紙はこう報じました。「一般市民は証人たちのことをどう感じたであろうか。ある人々は証人たちのりっぱなふるまいに感銘を受け,なかには,『これら幾万人もの証人たちのりっぱな行為が信仰によるものであれば,われわれは彼らの信仰にもっと注意を払ってしかるべきではなかろうか。また,彼らの活動に無関係な人も,今後は,もっと親切な態度で証人たちを迎えるべきであろう』と語った者もいる」。

デンマークの人々に深い感銘を与えたコペンハーゲン大会

8月5日から10日までコペンハーゲンのエステルブロ地区の施設で開かれた大会はデンマークの人々に深い感銘を与えました。この大会には4万2,073人が出席し,1,407人がバプテスマを受けました。デンマークの一新聞,エブロブラデット紙は,「旅行者の空前の大集団,世界平和を求めてエステルブロに参集」と題する記事を掲げました。

また,この国の主要な新聞の一つ,ベルリングスク・チデンデ紙は一部次のように報じました。「大規模な大会を開くのはわが国ではまれなことである。……特に宗教関係のそうした大会はめったにない。したがって,コペンハーゲンで催されたエホバの証人の国際大会が相当の注目を集めたのも当然である。注目すべきことの一つはこの大会の驚くべき出席者数である。その数は四,五万と推定されており,しかもこれら出席者のうち1万ないし2万人は当市内の各所に宿泊しているのである。……多数の市民はこの大会に目を見張っている。……エホバの証人の熱意の半分をもってしてもよいから,キリスト教の意味するところを広める努力を払ってほしいと,人は教会に望むであろう」。

この大会には近隣の国々,すなわちフィンランド,ノルウェー,スウェーデン,その他合計30か国から大ぜいの人々が出席しました。プログラムは会場の四つの部分で,デンマーク語,フィンランド語,ノルウェー語そしてスウェーデン語の4か国語で同時に進められ,アメリカからの講演者の英語の話は4か国語に即時通訳されました。またプログラムの一部は英語およびアイスランド語でも行なわれました。

聖書預言またクリスチャンの行為に関する感動的な数々の話や,四つの演壇で繰り広げられた印象的な聖書劇を見聞きした出席者はみな,忘れ得ぬ深い感銘を受けました。そのすべては神と神のお目的とに対する彼らの信仰を強めるものとなりました。特に出席者は,デンマーク語,フィンランド語,ノルウェー語およびスウェーデン語に訳された,「聖書はほんとうに神のことばですか」と題する192ページの新しい本の発表を大きな喜びをもって迎えました。この本は北アメリカおよび英国の大会で英語とスペイン語版がすでに発表されました。大会出席者のすべては,その本が神とそのみことばに対する確固とした信仰を築くものであることを知り,深く感謝しました。

神に対する信仰は,正直その他の原則を含め神の律法を守ることとなって表わされます。コペンハーゲン大会の一つの経験は,正直であることの大切さを示すとともに,今の世では真の正直がいかにまれなことかを証明しています。あるエホバの証人の母親が幼い娘のために近くの店で買い物をしたときのことです。おつりを10クラウン余計にもらったことに気づいた彼女は,店に引き返してそのことを店主に知らせました。すると,その正直な行ないに敬服した店主は,その証人の2歳の娘にブラウス2着を贈りました。10クラウンを返したお礼にと,17クラウン相当の品物をもらったのです!

神の律法を守れば,たとえ大ぜいのクリスチャンが集まって仕事をする場合でも,真の平和と一致がもたらされ,秩序も保たれます。コペンハーゲンの一タクシー運転手はこう言いました。「私はこれまでに宮廷のレセプションを含め,数多くの大きな集まりを見てきましたが,組織の点でこの大会に匹敵できる集まりは見たことがありません」。別の人は述べました。「私は,人間が互いに一致して平和に暮らせる場所がまだ地上にあることを知りました。これはほんとうに心の暖まる心強い経験になりました。今はどこを見ても,ことに宗教界はそうですが,不一致がつきものです。しかしこの大会にはそれがありません」。

前例のないほど広く報道されたパリ大会

コペンハーゲン大会と時を同じくして,もう一つの大会がパリで開かれました。この大会には78の土地の人々が集まり,公開講演には4万7,480名が出席したため,コロンブ競技場の2万5,000の座席はまたたくまに埋めつくされ,他の幾千人もの出席者は野外席に坐し,また特別の許可がおりたので,オリンピック用の新しい競走用トラックの補助席にもすわりました。そのほか場外や,近くのキャンプ場に設けられた拡声器のまわりで大ぜいの人々が講演を聞きました。

この大会がパリ市民にどれほど大きな影響を及ぼしたかは,新聞,ラジオ,テレビで前例のないほど報道されたことからもわかります。フランスの主要新聞の幾つかはこの大会のことを第1面に掲げました。こうした報道は球場の周囲で販売された特集新聞に限られたものではなく,フランス全土で読まれている幾つかの大新聞もこの大会を報道しました。

パリの一般市民に人気のある日曜新聞ル・ジュルナール・ド・ディマーンシュはこの大会に注目した人々についてこう述べました,「なかには肩をすくめて冷淡な態度を示す人もいるが,かなり多くの人々がいろいろ考えさせられるであろう。フランス人は,この国にエホバの証人が3万人もおり,全世界では100万人[132万2,001人]に達し,かつ,過去20年間におよそ700%ものたいへんな増加を遂げたことを知って驚かされたが……この驚嘆すべき発展のほどはまさしく注目に値するものである」。

大会のプログラムはフランス語のほか,他の外国語でも行なわれました。ポルトガル語の集まりの公開講演には2,731人が出席しましたが,これは1968年,ツールーズでの集まりの出席者数の3倍以上でした。ポーランド語の集まりには600人が出席しました。英語を話す出席者のための特別の集会も設けられました。

パリ大会でバプテスマを受けた人は驚くことに3,619名に達しました。競技場の3区分の座席の人々が起立し,バプテスマ希望者に提出された二つの質問に“はい!”と答え,その声が場内に響き渡った時,出席者全員は心からの拍手を送りました。多くの人が感激の涙を浮かべたこの時の光景は忘れられないものでした。

カトリック系の朝刊オーロール紙はこの大会で行なわれたバプテスマについて次のように報じました。「今回のようなバプテスマはたとえ暑い真夏であろうと,パリ市内のいかなるプールでもかつて行なわれたことのない事柄である。……当日,午前10時,人々[3,619名]はオリンピック・プールの場内にはいるため,暑い日ざしの下で待っていたが……その辛抱強さからすれば,彼らは単に水にはいりたいという願い以上の強力な動機をいだいていたに違いない。……とは言っても,だれでもこのような仕方でバプテスマを受けられるのだと考えてはならない。……バプテスマ希望者はバプテスマを受ける前に80の質問による試験を受けなければならないからである。生まれたばかりの赤子がこうした要求に答えることができないのは明らかである」。

大会の出席者は「聖書はほんとうに神のことばですか」と題する,フランス語およびポルトガル語の新しい本の発表を歓呼をもって迎えました。これはヨーロッパの人々にとって大いに必要な本です。というのは,フランス人の8割はカトリック信者ですが,その多くは名ばかりの信者だからです。その大半は信仰を捨てた人々です。カトリック教会は神のことばである聖書を研究することの大切さを信者に教え込まなかったため,信者は信仰生活を実践していません。したがってフランス人にとって大いに必要なのは,聖書がほんとうに人類のための神の導きを霊感の下にしるした本であるという証拠を知ることです。

ニュルンベルクに建設された新しい「都市」

それはわずか8日間,少なくとも12万人を収容するために建てられた都市で使用後は取りこわされることになっていたのです! これはさる8月10日から17日まで西ドイツ,ニュルンベルクで開催された大規模な大会のためにエホバの証人が建設した巨大な都市のことです。この大会では78か国からの出席者合計15万645人が講演「近づく一千年の平和」を聞きました。

この新しい都市の居住者が到着したときには,すまい,食事,衛生施設など,すでに万端整っていたのです。そしてこの都市の居住予定者の大半はわずか14時間のうちにそれぞれの場所に落ち着きました! この都市がその門戸をあけた当日,その「かこい」の中で11万9,713人もの居住者が生活を始めました!

これほどの都市を建てるには,どんな条件を満たさねばなりませんか。まず第一に広大な敷地が必要です。それに乗用車2万台,バス250台を駐車させるための空地もいります。また近くには,21分ごとに1,200人の乗客を輸送できる特別列車を1日に合計40本処理できる駅が必要でした。

こうした条件のすべてを満たしたのがニュルンベルク市のはずれにある広大な練兵場でした。その広々とした敷地はトレーラー(移動家屋)・キャンプ,テントを張る場所,簡易食堂その他各部門を設置するのに格好の土地でした。また使われなくなっていたヘリコプター発着用の広場は大規模な駐車場となり,駐車場の問題もみごとに解決しました。そして壮大な練兵場を見下ろす演壇のはるか後方には1日に40本の特別列車を処理できる駅がありました。

これはほんとうに打ってつけの場所でした。これはヒトラーがナチ軍隊の練兵場として建設したものです。かつてエホバの証人はナチスの手できびしい迫害を受け,幾千人もが強制収容所に入れられ,大ぜいの証人が殺されました。しかし今や,ヒトラー当時の何倍にもふえたエホバの証人の大群がこの練兵場を使っているのです。

この「都市の中に建てられた都市」はまたたくまに出現しました。この「都市」を管理する26の部門のためテントが張られました。宿営場には1,200個所に手洗い施設が用意されました。いたみやすい食品を貯蔵するために用いられたのは大型冷凍車7台で,ちょっとした列車のようでした。テントを張った簡易食堂では1時間に6万5,000人に食事が供給されました。電気関係の施設だけで合計1万3,000メートルもの配線を要しました。また,出席者が大会のプログラムを楽しめるよう,練兵場には14万8,000人分の座席が用意されました。

ニュルンベルク・ナッハリヒテン紙は大会の前日,「ニュルンベルク市のはずれに出現した新たな都市」という見出しを掲げてこう報じました。「その住民はみなおのおのすみかを持ち,小事にいたるまですべて正しく処理されてゆくのである。同[ものみの塔]協会の自発奉仕者は実によく働いた」。また,フラエンキッシエ・ターケスポスト紙はこの大会を,「組織の運営の点で嘲笑者や部外者をまさに驚嘆させた第一級の大会」と評しました。

大会のプログラムはドイツ語のほかに,クロアチア語,オランダ語,ギリシア語,スロベニア語,トルコ語などでも行なわれました。それらのことばを話す外国からの出席者のあいだにはたいへんな熱意が見られました。というのは,彼らはこうした大会を自国で自由に開くことができないからです。トルコからの一出席者は大声でこう述べました。「これは夢ではないかと思えてなりません。この大会はわたしの生涯の最大のできごとです。このすばらしい日々がいつまでも続いてくれたならと思わずにはいられません!」 ドイツ語以外のそれら他の国語の特別の集会における出席者最高数は次のとおりです。クロアチア語の集会1,791人,オランダ語,2万545人,ギリシア語,5,093人,スロベニア語,1,026人,そしてトルコ語,361人。

ものみの塔協会が「とこしえの命に導く真理」の本をギリシア語およびトルコ語で出版したと聞くや,これらの国々の出席者はたいへんな喜びを表明しました。この大会で発表された数々の新しい出版物の中には,「聖書はほんとうに神のことばですか」のオランダ語およびドイツ語版も含まれています。

報道関係者は新しい奉仕者5,095人の一団がバプテスマを受ける光景に驚嘆しました。浸礼場となったプールの責任者は,「万事整然と行なわれ,何の争いもなく,みな仲よくやってゆくさまは驚くべきものです」と述べ,一般の人々300人を扱うよりも,エホバの証人5,000人を扱うほうがやりよいとさえ語りました。

エホバの証人がニュルンベルク市民にいかに良い印象を与えているかは次の経験からもわかります。エホバの証人のバッジを着けたある若者が市電の中でタバコをすっていました。これを見た一警官は若者に尋ねました。「エホバの証人はいつからタバコをのむようになったのかね」。若者が不意を突かれて答えに窮しているのを見た警官は身分証明書の提示を要求し,その若者を警察に連行しました。そして警察で調べたところ,若者の鞄には盗んだハンドバッグや財布がはいっていました。タバコをすっていたばっかりに,エホバの証人でないことがあばかれてしまったのです!

すばらしいローマ大会

ニュルンベルクの楽しい大会と時を同じくして,ローマでもすばらしい大会が行なわれていました。大会会場となったのはパラッゾ・デロ・スポルトとパテッゾ・デイ・コングレッスィです。近距離にあるこれら二つの大きな建物を用いてイタリア語およびスペイン語でプログラムが進められました。

この大会の模様はイタリアでもかつてないほど大々的に新聞紙上で取り扱われました。大会のことがこれほど詳しく報道されたのはこの国ではこれが初めてです。テレビやラジオでもかなり放送され,また新聞には数多くの好意的な記事が掲載されました。イタリア最大の新聞社は大会の公共関係部門に再三再四連絡を取って取材しました。

ミラノのイル・ギオルノ紙は聖書に基づくエホバの証人の信仰に注目し,こう述べました。「彼らは良心的参戦拒否者であるが,『カイザルの物はカイザルに,神の物は神に納めよ』という聖書の原則を実践して税金を払う,実に模範的な市民である。……彼らは簡潔で厳格,かつ宗教的な道徳規準を持ち,きわめて堅く結び合わされた集団を形成している」。

カトリック系の新聞社の一代表は,「現実的な見地からすれば,あなたがたはキリスト教を私たちカトリック信者よりもよく実践していると言わざるを得ません」と語りました。またフランス・ソワール紙の一編集者の秘書は述べました。「もし世の中の人がみな,あなたがたと同じように暮らすことができれば,この世はすでに楽園になっていたことでしょう」。

一出席者のことばを借りれば,大会の初日,パラッゾ・デロ・スポルトはまるで「警官でいっぱい」でした。警察の本部および支部それに特高警察からの多数の警官が警備にあたっていたのです。しかし翌日,警官の姿はほとんど見られなくなりました。一警官はこう述べました。「昨日,私は大会で幾つかの話を聞きましたが,話の内容に感服しました。特に感心させられたのは,『あなたは権威をどのように見ますか』と題する話でした。その後,私は一出席者に会いましたが,彼は私が聖書の中でどうしても理解できなかった幾つかの点をたいへん明確に教えてくれました」。この警官も他の同僚とともに出席者たちの整然とした行動に驚嘆しました。

大会最終日,イタリア語の集まりには1万9,438人,スペイン語の集まりには6,210人が出席し,合計2万5,648名がこの大会に出席しました。また合計2,212名もの人々がバプテスマを受けました。そして,イタリア語またスペイン語を話すこれら出席者たちは,それぞれの国語に訳された新しい本,「聖書はほんとうに神のことばですか」の発表を大いに喜びました。

ニュルンベルクとローマの大会が幕を閉ずるとともに,ヨーロッパにおける一連の「地に平和」国際大会は終わりを告げました。北アメリカおよびヨーロッパの13の都市におけるこれまでの大会の出席者数は合計84万572名で,バプテスマを受けたのは合計2万7,442人でした。

こののち10月から12月にかけて世界の他の場所でさらに12の国際大会が開かれ,その報告も追って発表されます。それらの大会に出席した人々も,前述の大会に出席した人々と同様,神と神のなさった数々のすばらしい約束とに対する信仰を強められるに違いありません。

[21ページの写真]

英国,ロンドンのウエンブリー競技場に出席した82,416人中のアフリカ人の出席者を迎える幼女

[22ページの写真]

コペンハーゲン大会ではデンマーク,フィンランド,ノルウェーおよびスウェーデンからの出席者のため,プログラムはそれら4か国語で同時に行なわれた

[23ページの写真]

聖書劇は大切な点を生き生きと描き出し,出席者の信仰を強めた

[24ページの写真]

パリ大会で「聖書はほんとうに神のことばですか」のフランス語版が発表され,その本を手にして喜ぶヨーロッパおよびアフリカからの出席者たち

[25ページの写真]

「地に平和」大会に来た78か国からの出席者150,645人に宿舎,食事,座席などを備えるため,ニュルンベルク近郊にエホバの証人が建設した新しい「都市」の一部

[26ページの写真]

ニュルンベルク大会の食事を整えるために使用された蒸気がまの幾らかが見える巨大な炊事場の一部

[27ページの写真]

ローマのパラッゾ・デロ・スポルトの大会でプログラムを楽しむイタリア人出席者。新聞はこの大会のことをかつてないほど大々的に報道した

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