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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
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神を忘れた人

親が子どもといっしょに読む特別な記事

あなたは,自分がほしいと思っているものを持っている人をだれか知っていますか。きっと知っているでしょう。ほかの人のものをほしがるのは,よくあることです。

でも,ほかの人のものを取ろうとする人がいます。そういうことをするおとこの子や,おんなの子を知っていますか。そのような人は,良いともだちでしょうか。それとも,ほかの子どもたちと遊ぶほうがよい,とおもいますか。

ほかの人のものをうばおうとした,あるおとこの人について,おはなししましょう。ある日,その人はイエスとはなしをするために,やってきました。イエスの助けをかりて,自分のおとうとの持ちもののいくらかを手にいれたいとおもっていました。自分にはそれをもらうけんりがあると考えていたのです。

でも,あなたはどうおもいますか。その人が,弟の持ちものを手にいれようとするのは,愛のあることですか。弟がいるということだけでも喜ぶべきだったのではありませんか。なかには,兄弟がひとりもいない人さえいるのです。

もし,あなたがイエスだったら,そのおとこの人になんといったでしょうか。イエスは,ようじんしなさいと,その人にいいました。イエスは,その人の考えが少しまちがっていることを知っておられました。どこがまちがっていたかわかりますか。

考えてみましょう。生活のなかでいちばんたいせつなのはなんですか。すてきなおもちゃや,新しい服ですか。いいえ,そうではありません。もっともっとたいせつなものがあります。イエスが教えたいとおもわれたのはそのことなのです。

それでイエスは,ひとつのおはなしをなさいました。神を忘れた人についての,そのおはなしを聞きたいとおもいますか。

そのおとこの人はたいへん金持ちで,土地や,くらを持っていました。自分のそだてた作物がたいへんよく成長したため,こくもつをぜんぶくらにいれられなくなりました。その人は,なにをすることにしましたか。

その金持ちのおとこは,ひとりごとをいいました。『わたしのくらをこわして,もっと大きなくらをたてよう。そして,こく物と,わたしのたいせつなものすべてを,その新しいくらに,たくわえることにしよう』。

それはかしこいことだ,とその金持ちは考えました。また,多くのものをたくわえる自分は,たいへんりこうだと考え,つぎのようなひとりごとをいいました。『わたしは,たくさんの良いものをたくわえた。それは,わたしにとって,なん年ももつだろう。これで,わたしはゆっくりできるぞ。食べて,飲んで,楽しくすごすことにしよう』。

しかし,その金持ちのおとこの人の考えには,まちがったところがありました。どこがまちがっていましたか。自分のことと,自分の楽しみしか考えていなかったのです。神を忘れていました。

そこで,神は,その金持ちにこうはなされました。『おろかものよ。あなたは,こんばん死ぬであろう。そうなれば,あなたがたくわえたものは,だれのものになるであろうか』。

その金持ちは,死んでから,それらのものを使えましたか。いいえ,だれかほかの人が,それをえたことでしょう。イエスはこういわれました。「それで,自分のためにざい産をたくわえ,神に対して富んでいない人はこのようになります」― ルカ 12:13-21,新。

あなたは,その金持ちのようでありたいとはおもわないでしょう。その人がまちがっていたのは,物質てきなものを人生のおもな目的にしていたことです。いつも,さらに多くのものをほしがっていましたが,「神に対して富んで」はいませんでした。

「神に対して富んで」いるとは,どういう意味ですか。「神に対して富んでいる人」は,神のことをだいいちに考える人です。そのような人は,神の意志をおこなうことを生活のなかで,だいいちにします。ところが,神を忘れた,その人は,そうしませんでした。それで,その人はどうなりましたか。すべてのものを失ったのです。

では,ちょっと立ちどまって,考えましょう。あなたは生活のなかで,なにをだいいちにしていますか。聖書についていっしょに話し合う時間には,なににもまして,そうしたいと,ほんとうにおもいますか。それとも,そうするかわりに,おもちゃで遊ぶことがありますか。「神に対して富んで」いるためには,神をだいいちにしなければなりません。

自分がなにをだいいちにしているかを知る助けになることは,ほかにもあります。たとえば,お父さんが家に帰ってくるとき,あなたは,まずだいいちになにを考えますか。まずだいいち,お父さんに会えて,ほんとうによかったとおもいますか。それとも,物質てきなもののことを考えて,『どんなおみやげを持ってきてくれたのだろうか』とおもいますか。

お父さんになにかを買ってもらうことばかり考えている子どもがいます。しかし,お父さんがいることを感謝するほうが,もっとよいのではありませんか。いっしょにくらすお父さんやお母さんがいない子どもさえいるのです。

あなたのともだちは,自動車や,おにんぎょう,そのほか,すてきなおもちゃを持っているかもしれません。そのようなともだちのおもちゃをほしいと考えるのは,正しいことですか。イエスは,ほかの人のものを,むさぼる,つまり,えたいとおもうことがないように気をつけなさい,とおっしゃいました。

むさぼる人は,ほかの人のものをぜひ手にいれたい,と考えます。それらのものをえたい,と一心に,時間のだいぶぶんをかけて,そのことを考えます。ほかの人から,それをうばう方法を考えだそうとさえするかもしれません。しかし,そのような人は,神のことを覚えていますか。あなたはどうおもいますか。たしかに,そのような人は神を忘れているのです。なぜなら,神は,わたしたちがむさぼることを望んでおられないからです。わたしたちは,となり人を愛すべきであって,となり人のものを取ってはならない,と神はおっしゃっています。

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