ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔71 7/15 419–422ページ
  • 聖書 ― 人間に対する創造者からの導き

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 聖書 ― 人間に対する創造者からの導き
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 『神の霊感を受けている』
  • 霊感を受けた著作の収集
  • 聖書正典の完成
  • 聖書からしか得ることのできない情報
  • 預言的かつ実際的な導き
  • 聖書 ― わたしたちの主要な教科書
    神権宣教学校案内書
  • 正典
    聖書に対する洞察,第2巻
  • 研究4 ― 聖書とその正典
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
  • 生命を与える知恵の本の真価を認める
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1966
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 7/15 419–422ページ

聖書 ― 人間に対する創造者からの導き

「あなたのことばはわたしの足のともしび,わたしの道の光です」。詩篇作者は神のことばをこう描写しました。それは適切です。なぜなら,聖書はすべての人を神の望まれる道へ導く光としての役割を果たしているからです。全人類に対する創造者からの導きともいうべきこの本が,注意深い研究に値するのは言うまでもありません。神のことばを愛する者はすべて,その内容に精通するばかりでなく,それがどのように書かれたか,なぜ「神の霊感を受けて」いると言いうるのかを知らねばなりません。―詩 119:105。テモテ後 3:16,新。

聖書が書きはじめられたのは西暦前1513年の昔で,同年,モーセは聖書をしるしはじめるよう命ぜられました。使徒ヨハネが自分の著述を終え,聖書が完結したのは西暦1世紀の末,つまり約16世紀を経過したあとのことです。完結するのに聖書ほど長期間を要した本はありません。

聖書は今日,1,400以上の言語でその一部または全部を入手することができます。何百万部も配布される本はきわめて限られていますが,聖書は幾十億部も印刷されてきました。それに匹敵する記録を持つ本は一冊もありません。

もちろん,それが何百年も保存され,幾百万人もの宝典とされていても,単なる宗教書であればそれで神に源を発しているという事実の証明にはなりません。それは神によって霊感を受けて著わされたものであることを証する信任状を持っていなければなりません。聖書を注意深く検討するなら,誠実な人はそれが確かにそうした信任状を持っていることを確信します。

聖書は初めヘブル語,アラム語,ギリシア語で書かれ,わたしたちの知っている形では66冊の本が含まれています。その本の正確な冊数(ある二つの本がいっしょになっているか別冊になっているか)や配列の順序は重要ではありません。それらは,聖書の正典つまり霊感を受けた本の目録が結着を見た後でも,相当の期間別々の巻き物のままであり,古代の目録における本の配列順序は一様ではありません。最も重要なのは,どの本が含まれるかということです。霊感を受けていると確かに主張しうる本は,実際には正典に現在入れられているものだけです。他の著作を編入しようとする試みは昔から抵抗を受けてきました。

聖書は最初,字の行を切らずに続けて書かれました。句読点を使って文に切れ目を設ける方法が考案されたのは,西暦9世紀になってからのことです。現代の句読点の方式に見られる特質は,15世紀に印刷術が採用された結果生まれたものです。聖書を章と節に区分することも(欽定訳聖書には1,189章,3万1,173節ある),最初の記述者たちによってではなく,数世紀後になされました。ユダヤのマソラ学者たちがヘブル語聖書を節に区分し,次いで西暦13世紀になって,章の区分が加えられました。

『神の霊感を受けている』

約40名の別々の人々が,エホバの霊感を受けたことばをしるすため,ひとりの偉大な著者の秘書として奉仕しました。『聖書はすべて神の霊感を受けている』と,クリスチャンの使徒パウロは書きました。そしてそれには,「聖書の残りの部分」とともに,クリスチャン・ギリシア語聖書の著作も含まれます。(テモテ後 3:16,ペテロ後 3:15,16,新)しかし,聖書について霊感ということばを用いる時,それは何を意味しているのですか。

「霊感」ということばは,(一般の芸術家や詩人に関してよく言われるように)偉業を成し遂げる結果となる,単なる知力や感情の高揚ではなく,あたかも神ご自身によって書かれたものと同様な権威を持つ,誤りのない著作を生み出すことを意味しています。創造者はそれをどのように成し遂げられましたか。

神は忠実な人々を用いてご自分の指示のもとに物事をしるさせる際,彼らの上にご自身の霊が働かれるようにされました。その理由で使徒ペテロはこう宣言することができました。「預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたのではなく,人々が聖霊に動かされながら,神から話したのです」。(ペテロ後 1:21,新)しかし,情報が,書かれた形で神ご自身によって提供されたことが少なくとも一度ありました。それは十戒で,神はそれを「神の指によって書きつけられた石の書板」2枚としてモーセに与えられました。―出エジプト 31:18,新。

情報が一語一語伝えられ,口述された場合もあります。(出エジプト 34:27)預言者たちも述べるべき特定の音信をしばしば与えられました。(列王上 22:14。エレミヤ 1:7)しかしながら,証拠が明らかにするところによると,聖書をしるすために神によって用いられた人々が,口述された資料をいつも単にしるしたとはかぎりません。たとえば,神の天使を通して「しるしによって」黙示を受けたヨハネは,『なんぢの見る所のことを書に録せ』と告げられました。(黙示 1:1,新; 2:10,11)ゆえに,神は聖書の記述者が自分たちの見た幻を描写する際,ことばや表現を選ぶのを明らかによしとされました。それとともに,最終的なものが正確でご自分の目的にかなうよう,常に十分の導きを彼らに与えられました。(伝道 12:10)この事実は聖書の各本に見られる文体上の相違を確かに説明するものといえます。

内面的証拠からすればモーセの著作が神の霊感を受けたということには疑問の余地がありません。イスラエル人の指導者になるというのはモーセの考えではありません。彼は最初その勧めにしりごみしました。(出エジプト 3:10,11; 4:10-14)むしろ,神がモーセを立てて,彼に奇跡的な力を与えられたのです。魔術を行なう祭司たちでさえ,モーセのしたことが神に源を発していることを認めざるをえませんでした。(出エジプト 4:1-9; 8:16-19)神の命に従い,かつ神からの聖霊の信任状をもって,モーセはまず話し,次いで聖書の一部を書きしるすよう感動を受けました。

モーセの死後,ヨシュア,サムエル,ガドそしてナタンの著作(ヨシュア記,士師記,ルツ記,サムエル前書・後書)が加えられました。ダビデ王とソロモン王も,聖なる書の正典をふやすのに貢献しました。次いで,ヨナからマラキにいたる預言者たちが出,それぞれ聖書の正典に貢献しました。その各人は,エホバによって略述された真の預言者としての資格にもかなっていました。すなわち,彼らはエホバの名によって語り,その預言は真実となり,人々を神に向けさせたのです。―申命 13:1-3; 18:20-22。

霊感を受けた著作の収集

エホバが,人々に霊感を与えて書かしめたように,それら霊感を受けた著作の収集をも導かれるであろうことは理にかなっています。ユダヤの伝統によると,流刑にされていたユダヤ人がユダに再び定住した後,エズラがこの仕事に関係しました。彼は霊感を受けた聖書記述者のひとりであり,祭司であったうえに「モーセの律法の熟練した写本者」でしたので,この仕事をする十分な資格を備えていました。―エズラ 7:1-11,新。

ヘブル語聖書の正典は,西暦前5世紀末までには十分に定まっており,今日と同じ著作を含んでいました。それらを正典としたのは人間による宗教会議ではなく,各著作は最初から神の是認を得ていたのです。ヘブル語聖書が正典であることの最も決定的な証言は,イエス・キリストやクリスチャン・ギリシア語聖書の記述者による,異議を申し立てる余地のないことばです。彼らは霊感を受けたヘブル語聖書を自由に用いましたが,外典からは一度も引用しませんでした。―ルカ 24:44,45。

聖書正典の完成

クリスチャン・ギリシア語聖書の27冊の著作がしるされて収集された過程は,ヘブル語聖書の場合と同様です。キリストは「人々のうちに賜物を与え」ました。「彼はある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者,また,教える者として与えられたのです」。(エペソ 4:8,11-13,新)神の聖霊を受けた彼らは,クリスチャン会衆のために健全な教義を説きました。イエスは使徒たちに,神の霊が将来の事柄を啓示するばかりか,彼らを助け,教え,導き,そして,彼らがイエスから聞いた事柄を思い出させるであろうとの保証を与えられました。(ヨハネ 14:26; 16:13)これは彼らの福音書の記述が真実で正確であることを保証するものでした。

ある本が正典かどうかを真にためすものとなるのは,それが何回,あるいは使徒以外のどんな著述家によって引用されているかではありません。本それ自体の内容が,それが聖書の所産であることを示す証拠を提供しなければなりません。したがって,その内容は迷信や悪霊崇拝に関係を持っていてはなりませんし,被造物の崇拝を奨励するものであってもなりません。それは聖書の残りの部分と完全に調和していなければならず,おのおの神からの「健全なことばの型」に準拠し,イエスの教えに調和していなければなりません。―テモテ後 1:13,新。

使徒たちは明らかに神からの権威をもって語りました。彼らは聖霊により,『霊感を受けた発言に対して』,それが神からのものであるかないかに関する「識別力」を持っていました。(コリント前 12:4,10,新)最後の使徒であるヨハネの死をもって,神から霊感を受けた信頼できるこれら一連の人々は存在しなくなりました。同様に,黙示録およびヨハネの福音書と手紙とをもって,聖書の正典は完結しました。

現在の聖書中の66冊の本は,その調和によって聖書の統一性を証し,それが確かにエホバの霊感を受けた真理のことばであることをわたしたちに推薦しています。

聖書からしか得ることのできない情報

聖書には,ほかからは得られない情報が含まれています。たとえば創世記の記述は,地の創造に関する情報を提供し,人間の出現する前の事柄に対する知識を与えてくれます。(創世 1:1-31)また,天でかわされた会話に関しても告げています。そうした情報は神が与えてくださらないかぎり,人間の耳では聞くことのできないものです。―ヨブ 1:6-12。列王上 22:19-23。

そればかりか,わたしたちは聖書を通してエホバを親しく知りえます。それは,恵まれたしもべたちの見た,エホバの驚くべき幻を詳細に述べています。(ダニエル 7:9,10)また,神の名前「エホバ」を親しく知らせます。その名前はヘブル語聖書のマソラ本文に6,800回以上出てきます。わたしたちは聖書から,愛,知恵,公正,慈悲,寛容,惜しみなく与えること,知識の完ぺきさ,不変性など,エホバの顕著な属性を学びます。―出エジプト 34:6,7。

聖書はさらに,神のみ子と彼が神の目的の中で占める重要な立場について多くのことを告げています。(コロサイ 1:17-20; 2:3。コリント後 1:20)地上にいた時のイエスは他のだれよりも,エホバとのわたしたちの親しい関係を広げることができました。なぜなら,彼は「我を見し者は父を見しなり」と言いえたからです。(ヨハネ 14:9)しかし,イエスの教えや話されたことが書き留められず,聖書の一部になっていなかったなら,わたしたちは今日こうした正確な情報を持っていなかったでしょう。

預言的かつ実際的な導き

神の目的がどう展開してきたか,聖書の中に詳しく啓示されています。従順な人間のための予告された祝福のすべては,エホバの立てられる約束された救い主を中心にしていました。エデンの園において,彼は神の女の「苗裔」と神により預言的に描かれました。(創世 3:15)時たつうちに,神はそのすえがアブラハムを通して来ると約束し(創世 22:18),また,その約束された救い主が永遠の王に,そして「メルキゼデクの状にひとしく」祭司になることを示されました。(詩 110:4。ヘブル 7:1-28)神は,祭司職と犠牲を伴う律法契約をイスラエルに与えられました。それはすべて「来らんとする善き事の影」でした。―ヘブル 10:1。コロサイ 2:17。

王権は彼の家族に永遠にとどまるとの約束がダビデになされました。(サムエル後 7:11-16)そしてその約束の相続者,ならびに他のすべての預言が救出者としてさし示していたかたは,イエス・キリストであることが明らかにされています。そうです,聖書全体は,エホバがご自分の目的を遂行するために備えられた手段としての,イエス・キリストの治める神の王国 ― 霊感を受けた著作のこの主題に焦点を合わせています。

聖書は預言の本としてきわだっています。それは歴史上のできごとに意味を与え,そうしたできごとの展開した理由を示します。(ルカ 19:41-44)また,現在の世界の諸政府すべての将来,すなわち,それらが神の天の王国によってことごとく粉砕され,その王国は永遠に立つことを明らかにしています。(ダニエル 2:44,新)聖書はわたしたちの時代のできごとを説明し,わたしたちがこの古い体制の予告された「終わりの時」に住んでおり,神が間もなくすべての邪悪な者を除かれることを示しています。

わたしたちは聖書なくして,献身した者の人生の真の目的を知りえません。それは,「神を畏れその誡命を守れ,是は諸の人の本分なり」というものです。(伝道 12:13)聖書は,人間が盲目的な偶然の所産ではなく,人類に対して愛ある目的をもたれる神の創造物であることを明らかにしています。さらに,今のわたしたちに対する神の意志が何か,またどうしたら人生に真の満足を見いだせるかを説明しています。―黙示 4:11。テモテ前 2:3,4。詩 16:11。

人類史は人が神から離れては自分の歩みを成功裏に運びえないことを証明しています。(エレミヤ 10:23)聖書だけが人間に必要な導きを提供します。それは道徳上の導きを与え,何を神が非とし,是とされるかを明らかにします。(ガラテヤ 5:19-23)聖書は,道徳上の抑制を投げ捨てた世のただ中にあって,きわめて実際的な助けであることを実証し,神の見方を得,神に喜ばれる人になるための助けを与えてくれます。

本の中の本ともいうべき聖書が,人類の研究すべき主要な教科書であるべきなのは明白ではありませんか。特にクリスチャンはこの本を調べることに深い関心を示すべきです。それは,神のみ子が「あなたのことばは真理です」と言ったかたによって著わされているのです。(ヨハネ 17:17,新)聖書中の66冊の本を詳しく知れば知るほど,それが確かに全人類に対する創造者からの導きであるという確信を深められます。

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする