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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 10/1 584–589ページ

感謝の表示をもってエホバのみ前に来なさい

『エホバに感謝するは善かな』― 詩 92:1。

1 (イ)エホバがだれであるかを知っている人は大ぜいいますか。(ロ)エホバは人類がご自分を知るのを助けるために,どんな備えを設けられましたか。

エホバ神を知るようになって幸福を自分のものとしてきたのは,ほんの少数の人たちだけです。大多数の人にとって,エホバ神は知られざる存在です。使徒パウロは約1,900年前,アテネを訪問したときこの事実に注目しました。そこにあったある祭壇には神は知られざる存在であることを公に認めることばがしるされていたのです。今日,地上のほとんどいかなる場所を訪問しても,エホバに関する知識が一般の人々の間で同様に欠如していることに気づかされます。真の神について考える人は非常に少数です。しかし,これはエホバ神がご自分とご自分の道に関する知識を人々に与えさせないようにしておられるからではありません。しるされたみことばである聖書をエホバは備えてくださり,それは現在,世界じゅうの大多数の人々が自国語で入手できるようになっています。さらに,エホバはパウロのような証人を遣わして,ご自分が神であることに人々の注意を向けさせてこられました。注意を払わないとすれば,それはそうした人自身の責任です。―使行 17:23。ロマ 1:19-21。

2 (イ)エホバを知ることからどんな結果が生じますか。(ロ)詩篇 95篇1-3節にはどんな招待が述べられていますか。その聖句はエホバがどんなかたかをどのように明らかにしていますか。

2 ある人の真価を実際に認められるようになるには,まずその人とその人の良い特質のいくつかを知ることが必要です。エホバを知り,エホバが人類のためにしてくださった事柄すべてを認識している人たちは,尊崇と感謝の念を表わすことが特権であり義務であると悟っています。エホバ神は昔ご自分の国民としてイスラエルの子孫を選び,彼らにご自身を啓示し,預言者・審判者・祭司たちを通して彼らに話されました。そして,その選ばれた国民のために多くの良い事柄を行なわれました。エホバの偉大さと尊厳さに動かされたその崇拝者たちは,ともに集まり,こぞって感謝の表示をするよう熱意をこめて互いに励ましました。詩篇 95篇1-3節〔新〕はその一例です。「率われらエホバにむかひてうたひすくひの磐にむかひてよろこばしき声をあげんわれら〔感謝の表示〕をもてその前にゆき,エホバにむかひ歌をもて歓ばしきこえをあげん そはエホバは大なる神なりもろもろの神にまされる大なる王なり」。エホバがどんなかたであるかが,ここではどのように明らかにされていますか。まず第一に,その名前,エホバによってです。彼は偉大な神であり,すべての上にある王です。この詩篇は次いで,エホバが創造者であること,つまり,あらゆるものが彼に属すことを明らかにしています。エホバの偉大さは地上のその崇拝者たちの取るに足らない状態と対照的です。それゆえ,エホバを真に認める慎重な人には,感謝の表示をし,喜びに満たされ,神の賛美者たちとともに賛美の歌をうたう十分の理由があります。なぜですか。なぜなら,彼らは偉大なエホバを知るに至ったからです。

3 (イ)人々を集合させることにエホバが関心を持っておられることを示すどんな例がありますか。(ロ)古代において,集まることはどのように益をもたらしましたか。だれが益を受けましたか。

3 エホバは人間家族に関心をいだいておられます。エホバは人々と交渉を持つたびに,人々がともに集まって一致した崇拝をささげ,かつ感謝の表示をするよう教え,またそうさせてこられました。それは人々の益と祝福のためです。申命記 31章12,13節に記録されているように,古代の選ばれた国民が自分たちに約束されていた土地にはいる前,神はご自分の預言者モーセによって次の命令を与えました。「即ち男女子等および汝の門の内なる他国の人など一切の民を集め彼らをしてこれを聴かつ学ばしむべし然すれば彼等汝らの神エホバを畏れてこの律法の言を守り行はん また彼らの子等のこれを知ざる者も之を聞て汝らの神エホバを畏るることを学ばん汝らそのヨルダンを済りゆきて獲ところの地に存ふる日の間つねに斯すべし」。ここで関係している人たちはだれですか。この包括的な命令はその土地にいるすべての人,つまり全家族および彼らと交わりを持つ他国の人をその対象としています。したがって,崇拝の時には家族はみな集まるべきであり,子どもが除外されることはありませんでした。みんながともに集まったのです。なぜですか。何をするためにですか。それは話を聞く時であり,学ぶ場を提供するものとなったのです。彼らがこの命令を忠実に行なうなら神の律法を忘れるようなことはないはずですし,いっしょに来た子どもたちは自分とエホバとの関係について学ぶはずでした。

4 ヨシュアの時代の場合,集まることによって成し遂げられた良い事柄を幾つかあげなさい。

4 一国民としての古代イスラエルが忠実であったときには,感謝の表示と崇拝のためにエホバのみ前に来ることを忘れませんでした。その一例は,彼らが自分たちに約束されていた土地にはいった少し後の時代,つまりヨシュアの時代に見られます。「かくてイスラエルの一切の人およびその長老 官吏 裁判人など他国の者も本国の者も打まじりてエホバの契約の櫃をかける祭司たちレビ人の前にあたりて櫃の此旁と彼旁に分れ半はゲリジム山の前に半はエバル山の前に立り是エホバの僕モーセの命ぜし所にしたがひて最初に先イスラエルの民を祝せんとてなり 然る後ヨシュア律法の書に凡てしるされたる所に循ひて祝福と呪詛とにかかはる律法の言をことごとく誦り モーセの命じたる一切の言の中にヨシュアがイスラエルの全会衆および婦人子等ならびにイスラエルの中にをる他国の人の前にて誦ざるは無りき」。(ヨシュア 8:33-35)ですから,この取り決めは,彼らから崇拝を受けていたエホバの益のためだけではありませんでした。イスラエル人でない者をも含めてすべての人が,ヨシュアの行なった律法の朗読から益を受けました。神の律法に常に通じていることによって,人々は神のご要求にそって生活できました。そして彼らにはどんな結果が臨みましたか。ヨシュアの時代にエホバはその民を繁栄させ,彼らが約束の土地に定着する間に数多くの勝利を得させました。ご自分の民がそのご要求を守るなら,エホバ神はやはり今日でも同じことをしてくださると考えられませんか。

ソロモンの時代

5 (イ)ソロモンは清い崇拝に関して,どのようにエホバから用いられましたか。(ロ)ソロモンの祈りを聞いて,民はどんなことを学びましたか。

5 数世紀が過ぎましたが,エホバはご自分の民を一国民として保ちつづけられました。やがてソロモンが地的な王となり,重大な責任,つまりエルサレムにエホバの神殿を建設する作業を監督する務めを託されました。そのようなエホバの神殿はそれまでに一度も存在しなかったのですから,完成したその建造物はすべての人の目に特別なものとして映り一致してエホバに感謝の表示をするいわれとなったに違いありません。崇拝の取り決めは次のように組織されました。「ソロモン,エホバの契約の匱をダビデの邑シオンよりかきのぼらんとてイスラエルの長老者と諸の支派の長等イスラエルの子孫の宗家の長をエルサレムに召集め(たり)」。(歴代下 5:2)多数の動物が犠牲としてささげられました。エホバへの賛美の歌がうたわれ,そして最後は教えの時となり,ソロモンが立ち上がって大ぜいの人々の前で声高く祈りました。歴代志略下 6章に記録されているこの祈りは,その神殿がどのように益をもたらすものとなるか,またどのようにエホバの偉大さ,人間に対する配慮,またそのあわれみをたたえるものとなるかを人々に悟らせる助けとなりました。建造されたその家がいかに壮大ではあっても,そこに住むにはエホバはあまりにも偉大なかたでした。その家は崇拝と祈りの中心地として用いられることになっており,同時に感謝をささげるための場所でもありました。民は自分の道を正すことができ,悔い改め,かつその神殿に関連したエホバの崇拝に立ち返ることにより,エホバの恵みを再び得ることができました。外国人もまたエホバを崇拝できたのです。この神殿があるがゆえに設けられる,国家と国民のための種々の備えについて聞いたあと,すべての人の心は当然感謝を表わしたいとの気持ちで満たされたはずです。

6 (イ)エホバはソロモンの祈りにどのように答えられましたか。(ロ)ソロモンの統治のどんな顕著な点がエホバの祝福があったことを明らかにしていますか。

6 ソロモンが自分の祈りを終えたとき,エホバはささげ物と犠牲を焼きつくす火を天から送ることにより,ご自分がその祈りと一致しており,かつ神殿を受け入れたことを示す証拠を民に与えられました。そして,エホバの栄光がその家に満ちました。エルサレムに建造されたこの家に向かって祈るとき,感謝の表示をもってエホバのみ前に来て,その崇拝において一致するための備えが,全国民のために設けられたのです。(歴代下 7:1,2)ソロモンの治世の間,その国民は物質の面で著しい繁栄を享受しました。それはエホバが約束されたとおりの平和の統治であり,エホバ神の清い崇拝が行なわれるときには必ず祝福が伴うことを十分に証明するものとなりました。

他の王たち

7 歴代志略下 29章と30章に記録されている,ヒゼキヤの治世中の顕著なできごとにはどんなものがありますか。

7 多くの年月がたった後,ヒゼキヤがエルサレムの王となりました。この王の治世中,顕著な集まりが幾度もエホバのみ前で催されました。歴代志略下 29章および30章は,民を崇拝のために集めるうえでどんな努力が払われたかを告げています。王は走者を遣わし,ユダ全土の人々さらには十部族から成るイスラエル王国のもとに住んでいる人々にも招待の通知を携えさせました。その招待に答え応じた人たちは益を受けました。「かくてエルサレムに大なる喜悦ありきイスラエルの王ダビデの子ソロモンの時より以来かくのごとき事エルサレムに在ざりしなり」。(歴代下 30:26)ソロモンの時からヒゼキヤの時にいたる年月の間,感謝の表示をもってエホバのみ前に来ることを民が常に忠実に行なったわけではなかったのです。これはいかにも残念なことでした。なんという喜びを得そこなっていたのでしょう。ヒゼキヤの時代に民の集まりに出席した人たちには,感謝をささげる十二分の理由がありました。なぜなら,エホバがご自分とご自分の道に帰ろうとしている人たちの努力を祝福しておられたからです。

8 (イ)ヨシア王は若い時に,エホバ神への尊敬をどのように示しましたか。(ロ)これは今日の若い人たちにとってどのように模範となっていますか。

8 ヒゼキヤの死後,清い崇拝は衰微し,いろいろな問題が民に起こりました。しばらくの年月がたってから,ヨシアという善良な王が即位し,わずか8歳で統治を始めました。しかし彼は心を神に傾け,神を尋ね求めたのです。これはあらゆる世代の若者にとっても聖書のすぐれた模範となっています。ほんとうに,神を尋ね求めはじめるのに早すぎるということはありません。ヨシアは19歳になるまでには真の崇拝と偽りの崇拝について多くの事柄を学んでおり,その結果,すべての偽りの崇拝を取り除いては国土を清める運動に着手しました。「即ち尚若かりしかどもその治世の八年にその父ダビデの神を求むる事を始めその十二年には崇邱アシラ像刻たる像鋳たる像などを除きてユダとエルサレムを清むることを始め諸のバアルの壇を己の前にて毀たしめ其上に立る日の像を斫たふしアシラ像および雕像鋳像を打砕きて粉々にし是等に犠牲を献げし者等の墓の上に其を撒ちらし(たり)」。(歴代下 34:3,4)清い崇拝と感謝の表示のための中心が整えられねばならず,ヨシアはエホバの家の修復を組織しました。

9 (イ)ヨシアは神の律法に認識を示しましたか。(ロ)歴代志略下 35章によると,ヨシアによって組織された大会はどんな点で顕著なものでしたか。

9 ヨシアが25歳のころ,神の律法の書が発見され,王はたいへん喜びました。その律法を熟考した王は,民が正しい崇拝からどれほど遠のいてしまったかを知らされ,さらに自分たちが何をすべきかを理解しました。最初の月の14日に毎年過ぎ越しを祝っているべきだったのです。そこでヨシアは,治世の18年目に過ぎ越しを祝うことに取りかかります。これがどのようにりっぱに行なわれたかは,歴代志略下 35章17,18節の記録に要約されています。「即ち其処に来れるイスラエルの子孫その時逾越節を行ひ七日の間酵いれぬパンの節を行へり預言者サムエルの日より以来イスラエルにて是のごとくに逾越節を行ひし事なし又イスラエルの諸王の中にはヨシアが祭司レビ人ならびに来りあつまれるユダとイスラエルの諸人およびエルサレムの民とともに行ひし如き逾越節を行ひし者一人もあらず」。サムエルの日というと,その時から400年以上も前,ソロモンの時代よりもさらに前にさかのぼります。そうであれば,その時の民には感謝の表示をするいわれがなかったとだれが言いうるでしょうか。

10 神の契約の民にどんな苦しい事態が臨みましたか。その理由は。

10 ご自分の民が崇拝のため,また感謝をささげるために周期的に集まるよう取り計らわれたのはエホバ神でした。神の契約の民は自分たちが合意の条件を守るならば,常に益を受け,非常に豊かな祝福を得ました。しかし,イスラエルとユダの地で統治した王たちは大多数がエホバとその取り決めから離れました。その結果,民は常にさまざまの不幸や災難を経験させられました。ついには首都エルサレムさえ破壊され,神殿はこわされ,民の多くは殺されたり遠い土地へ流刑者として連れ去られたりして,非常な苦難が生じました。―歴代下 36:11-20。

11 (イ)エホバの愛ある親切は流刑を生き残った人たちにどのように示されましたか。(ロ)その当時,感謝の表示をもってエホバのみ前に来るべきどんな顕著な理由がありましたか。

11 エホバは預言者エレミヤを通して,エルサレムが70年の期間荒廃の状態に置かれること,そしてその期間が過ぎると,エホバはご自分の契約の民にあわれみと愛ある親切を示し,彼らのうちの残れる者が流刑を解かれてエルサレムのあった場所に帰るようにされることを予告しておられました。その目的は都市と崇拝のための神殿を再建することであり,そうすればやがて,神のしもべたちはその場所で感謝の表示をすべく神のみ前に来ることができるからです。(歴代下 36:21-23)再建の仕事に携わった人たちの信仰は反対者によってためされました。その建設作業を挫折させようとする試みに対抗するため,神のしもべたちはきびしい戦いを続けねばなりませんでした。敵の陰謀のために,建設の仕事はしばらくの間全く停止させられてしまいました。(エズラ 4章。ネヘミヤ 4:15-18)帝国内の最高権威に訴えることにより,神のしもべたちは王ダリヨスから建設の仕事を進めてもよいとの指令を入手することに成功し,ダリヨスの治世の6年目にエルサレムにおいて神殿は完成を見ました。エホバはご自分のしもべたちを祝福して,わざを成功させたのです。そこで彼らは神殿の完成に臨んで感謝の表示をするために大会を催し,人々の喜びは絶頂に達しました。「是においてイスラエルの子孫祭司レビ人およびその餘の俘虜人よろこびて神のこの室の落成礼を行なへり」。(エズラ 6:16)古代におけるそれらエホバの忠実なしもべたちには,感謝の表示をする多くの理由がありました。しかしわたしたちの時代についてはどうですか。クリスチャンは彼ら以上に感謝の表示をすべきではありませんか。

クリスチャンの時代

12 イエス・キリストはどのように他の人々と集まり合いましたか。

12 イエス・キリストはエホバを崇拝するため,人々の群れといっしょになることを慣例とされました。そして,過ぎ越しの祝いのような年ごとの祝祭に関する神の律法を守られたのです。彼は機会を捕えてはエホバ神を賛美し,人々の群れ,もしくは群衆の前で人々の注意を神の目的に向けさせました。ナザレでは,安息日ごとに会堂に行くのがイエス・キリストの習慣であり,彼はそこで神のことばを朗読されました。また諸会堂でも神殿でも教えられました。こうした事柄すべてのゆえに,人々は当然神に感謝を表わすべきでした。―ルカ 4:16,新。ヨハネ 7:14; 18:19,20。

13 山上でキリスト・イエスと集まることがどのように益となったかを示す例をあげなさい。

13 イエスは会堂や神殿以外の場所でも人々を集め,教えたり指導したりされました。ご自分の宣教の初期,群衆が自分のあとについてきた際,イエスは山に上りました。彼が弟子たちに語ったことは,マタイ伝 5章から7章に書かれています。わたしたちは今日,イエスがご自分の訓話の初めに述べられた数々の幸福について読み,喜びを味わえます。イエスは,どのようにして他の人々,また敵とさえ折り合えるかを説明し,神が愛を示されるとおり,人は自分の敵を愛すべきだと言われました。集まった人々は,どのように祈るか,また,人を許すとは実際にはどういうことかをイエスが話すのを聞きました。さらに,物質上の事柄に対する正しい見方も考慮され,まず天の王国を求めて宝を天に積むことの重要性が強調されました。その訓話の中できわだったものには,木とその実および父の意志を行なう者たちがどのように王国にはいるかに関するたとえもありました。この山上の垂訓を実際に聞けるとは,なんとすばらしい経験だったことでしょう。

14 マタイ伝 10章に述べられている奉仕の集まりでイエス・キリストが指摘された顕著な点にはどんなものがありますか。

14 イエスは王国について伝道させるため十二使徒を送り出されるとき,彼らと簡単な奉仕の集まりを開きました。イエスは彼らが直面する事柄,家から家に行くさいの経験,どのように人々が彼らを世話するか,また反対するかを詳しく話して聞かせました。しかし十二使徒は,からだを殺すことはできても魂を滅ぼすことのできない者たちを恐れるべきではありませんでした。イエスはまた,家族のある者が神を崇拝することを願っているのに,他の者がそれに同意しないため,どのように家族に分裂が生ずるかを告げられました。―マタイ伝 10章。

15 (イ)ルカの記述に示されているように,イエスとともに最後の過ぎ越しの祝いに集まった使徒たちは,その時どんな事柄を学びましたか。(ロ)その同じ集まりに関連して,ヨハネはどんな顕著な教えを記録していますか

15 別の場合には,ルカ伝 22章19-30節に記録されているように,イエスは過ぎ越しの祝いが完了した後,パンとぶどう酒とをもって主の晩さんを始められました。イエスは彼らと王国に関する契約を結ばれました。また,だれが最も偉大であるかについての激論を冷静な態度で親切に処理されました。それは彼らのならうべき模範でした。ヨハネ伝 13章から17章には,その時に集まっていたご自分の追随者にイエスが語られた良い事柄の多くがしるされています。互いに愛し合いなさいという新しい戒めはその時に与えられました。そこにいたイエスの追随者たちは,実を結んでエホバ神に栄光を帰することの重要性を銘記させられました。イエスは彼らが愛を表わし,神の栄光となる実を結ぶに際し,ご自分と同様に彼らも憎まれ,迫害を受けることを示されました。15章でイエスはクリスチャンの中立の立場を説明し,17章にしるされている祈りの中で再びそのことを強調されました。その集まりに出席していた人たちのすべてには確かに,エホバ神に感謝を表わす多くの理由があったに違いありません。

16 イエスはエホバに対する感謝の念をわたしたちにいだかせずにはおかないどんな霊的な建築のわざを行なわれましたか。

16 教え導くために人々を集めることによってイエスが成し遂げようとしておられたのは,クリスチャン会衆の設立でした。それは一種の建築のわざだったのです。イエスご自身が偉大な隅の首石であり,忠実な使徒たちもその基の一部を成しています。「汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして,キリスト・イエス自らその隅の首石たり」。(エペソ 2:20)キリスト・イエスは同時に,この会衆あるいは集まりの頭として任命されています。「彼はその体なる〔会衆〕の首なり,彼は始にして死人の中より最先に生れ給ひし者なり。これ凡ての事に就きて長とならん為なり」。(コロサイ 1:18〔新〕)クリスチャン会衆がすばらしい組織であること,またイエスがその建物を構成する生ける石を集めることによって行なわれた偉大な建築のわざを考えただけで,どんな人でも神とその目的とに関心を持ち,かつ感謝の表示をしたいとの気持ちに動かされるはずです。その感謝は天の父に対してささげられるものです。しかし,「その『生ける石』の建物は今日どこにあるのか」と尋ねるかたがおられるかもしれません。それはすぐわかっていただけることなのですが,まず次の記事をお読みになって,キリストの死後からわたしたちの時代に至るまで何が起こったかを学んでください。

[586ページの図版]

神殿の完成はエホバにこぞって感謝の表示をするいわれとなりました。クリスチャンはなおのこといっそうの感謝の表示をすべきではありませんか

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