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  • 不親切な考えをいだくことのないようにしなさい
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1973
塔73 11/1 665–666ページ

不親切な考えをいだくことのないようにしなさい

「そんなことばを信じるのはやめなさい」とか,「彼女はいったい自分をだれだと思っているのだろう」とか,「そんなのちっともよくない。わたしのほうがもっとうまくやれた」というようなことばを耳にしたことがありますか。これはだれもが聞いたことのあることばにちがいありません。しかし,それは言わないほうがどんなにか良かったでしょう。あるいは,そのような不親切な考えをいだくことさえしなかったなら,そのほうがもっと良かったでしょう。

どんな理由から人は他の人に対して不親切な考えをいだくようになるのでしょうか。たとえば,だれかが不当に人びとの注意を集めているとか,人びとから称賛されているとかいう場合があります。あるいは,だれかが他の人の注意や称賛を自分に集めたいと考えていることを思わず態度に表わすこともあるでしょう。それで,そのような事態に対するある人の反応に,時として敵意の含まれることがあるのです。

聖書には,そのような愛の欠けた性質の人間にならないよう警戒を促す,多くのすぐれた戒めがあります。聖書は舌を制するように勧めていますが,同時に考えを守ることの必要性も示しています。不親切な考えは,たとえそれがことばになって表われなくても,害を与えることがあります。そのような考えは他の人との関係をそこないがちです。それだけでなく本人自身にも害になります。というのは,思いに影響を及ぼすものはからだにも影響を及ぼすからです。

相手に対して不当な疑惑を示すような考えも,わたしたちが警戒しなければならない不親切な考えの中にはいります。どうしてそう言えますか。では,ひとつの例を考えてみましょう。聖書は,アンモン人として知られている民族の君たちが不当な疑惑を示したことについて述べています。この民族はイスラエル国民をしばしば攻撃したにもかかわらず,イスラエルの側から襲われたことは一度もありませんでした。というのは,イスラエルはエホバ神から彼らを襲ってはならないと特別に指示されていたからです。(申命 2:19)しかし,エルサレムのダビデ王がアンモンの王の死を悼んで使者を送った時,アンモンの君たちはそれらの使者をスパイであると非難して,大いにはずかしめました。疑惑にかられた彼らは,イスラエルに対する戦いに荷担させるため近隣の国家を買収することさえしました。しかし結局彼らは自分たちの示した不当な疑いに対する代償を支払いました。つまり,彼らは敗北し,イスラエルに服従するものとなりました。わたしたちはアンモン人の経験から教訓を学ぶことができます。―歴代上 19:1から20:3。

友人,親族,親友,そしてとりわけ仲間のクリスチャンと接する際には,それらの人びとを信頼するのは良いことです。たとえ問題が生じても,それを善意に解釈するのです。まるで,すべての人が自分を欺こうとでもしているかのような過度の疑いをいだくよりも,時々欺かれて落胆させられるほうがまだましです。配偶者に対して不当な疑いをいだくために不幸な生活を送っている夫婦は少なくありません。お互いを親切に思いやるよう留意するなら,その結婚生活ははるかに幸福なものとなるでしょう。

特に,他の人びとの動機に対する見方が,不親切にならないよう注意しなければなりません。利己的な動機をいだいて他の人を非難した最初の者が悪魔であったことを忘れないでください。悪魔は正当な理由なくしてそれをしました。神に対して不親切な考えをいだくことにより,悪魔はその邪悪な道を歩み始め,結果として創造者を中傷することになりました。(創世 3:1-5)後に,悪魔は神のしもべすべての動機に疑いを投げかけました。それはどんな結果を招きましたか。今や,悪魔は自分の疑いの正しかったことを証明するために,あらゆる手をつくしています。そしてこのこともまた,過度に疑い深くあってはならない理由のひとつであることに注意しなければなりません。さもなければ自分の疑いを証明しようとして自分を他の人の敵にする危険が常にあります。―黙示 12:10。

また,不親切な考えは他の人に対してあまりに批判的であったり,多くを期待しすぎたりする結果生じることもあります。わたしたちには取るに足りない,さほど重要でないように思えるものが,他の人にとって偉大な勝利もしくは成果であることを表わす場合があるのを知っておくのは良いことです。いわゆる“世代の断絶”のみられる家庭の場合,親が子どもに対して,また子どもが親に対して批判的にすぎることが大きな原因になってはいないでしょうか。家族の各人は,「欠点のない友を求める人はひとりの友も得られない」というトルコの格言から教訓を学び取るとよいでしょう。

特に,外国を旅行する人は不親切で過度に批判的な考えをいだかないように注意する必要があります。不思議な光景や習慣を見て,自分の国の情況とそれとを比較して良くない結論を下しがちです。しかし,そうする代わりに,感情移入の態度を示す,つまり他の人の立場になってみるほうがよいのではないでしょうか。そうするなら,人びとが環境にどの程度犠牲になっているかがわかり,寛大な見方をすることができます。正しい見方をするなら,その土地の人びとが現在の環境のもとで成し遂げている事柄を心からほめることができます。

人の欠点ばかりをむやみに意識するのではなく,良い点に注目して他の人びとの行なう事柄を楽しむようにしてください。講演者がある表現を何回も用いることに気づいて,その表現が何度用いられるかを数えた愚かな人のようであってはなりません。その人がもし,話されている論議に注意を集中し,講演者の誠実な態度に感謝の念をいだいたなら,その話からはるかに多くの益を得ていたでしょう。

ですから,あなた自身のために,また他の人との良い関係を保つために,不親切な考えをいだかないよう警戒してください。そのような考えをいだく代わりに,霊感を受けた次の助言に従ってください。「終わりに,兄弟たち,なんであれ……愛すべきこと,なんであれよく言われること,またなんであれ徳とされることや賞賛すべきことがあれば,そうしたことを考えつづけなさい」― ピリピ 4:8,新。

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