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  • どんな結婚式をしますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1974
塔74 9/1 533–536ページ

どんな結婚式をしますか

各地から寄せられるニュースは,さまざまな形の結婚式が行なわれていることを示しています。たとえば,アクロバットを職業とするドイツ人の男女ふたりは街の広場の上空に掛けた空中ぶらんこの上で結婚式を挙げました。またある一組のスカイダイバーは,パラシュートで降下した場所で,あとから降りてきた司祭に結婚式を挙げてもらいました。

もちろんこうした例はごくまれで,世間の注目を集めようとして行なわれたもののようですが,それでも何か他の方法で自分たちの個性を反映させようと望んでいる新しいカップルはますます多くなっています。そうした,いわゆる“個人主義者”たちは,従来の結婚式が,慣習に束縛され,気が遠くなるほど細かい点にいたるまで定めた儀式とか作法など,友人や親族に印象づけることだけを考えたきわめて形式的で経費のかかる行事となっている点に気づいてきました。このように“見映えをよくする”ことだけに気をとられると,往々にして結婚式の真の意味や喜びが少なからずそこなわれてしまいます。

こうしたものに反抗して,ここ10年ほどの間に,“新しい結婚式”なるものが盛んになってきました。多くの場合,こうした結婚式を挙げる人は,保守的な考えを持つ年長の人々の意見や既成の習慣を無視します。中には,教会や判事室に出かけて行く代わりに,山腹や海岸やどうくつの中で結婚する人もいます。“新しい結婚式”を行なうカップルの中には,型どおりの結婚の誓いを繰り返すのではなく,代わりに(最近のある映画の中の結婚式をまねて)詩の一節を読む人もいます。アメリカ,カリフォルニア州ロサンゼルス近くで挙げられたそうした結婚式のひとつで,あるカップルは次のような一文を読み上げました。

「わたしはわたしのことをし,あなたはあなたのことをします。わたしはあなたの期待に添うためにこの世界にいるのではありません。またあなたはわたしの期待に添うためにこの世界にいるのではありません。あなたはあなた,わたしはわたしです。そして,もし偶然にお互いの気が合うなら,それはすばらしいことです」。

ところでだれもが,このように両極端に走ることは好ましくないと確かに考えることでしょう。そしてもちろん,あらゆる詳細な点にいたるまで規定した「作法規則集」のようなものの卑屈な奴隷になる必要のないことにも同意されるでしょう。しかし同時に,結婚式とは,他の人の感情を無視したり,その場にふさわしいふん囲気や気品を欠いたりするほど,“自分勝手に行なう”べきものではないとも考えておられることでしょう。

それでは,これら両極端の間にあって分別ある行ないとはどのようなものでしょうか。結婚式を挙げることを計画しているエホバのクリスチャン証人は,実際に必要なのは何か,また気品と中庸を保った結婚式とはどのようなものかなどについて事前によく考えます。王国会館で行なわれる結婚式に出席する人が,そこで目にする光景にしばしば深い感銘を受けるのはそのためです。

聖書が重要視される

エホバの証人の王国会館は,本来は聖書の勉強を行なうために会衆の集まる場所ですが,時としてそこで結婚式が行なわれます。a これは聖書にかなった適切なことです。というのは,聖書自体が,結婚という取決めは神によって創始されたものであることを示しているからです。―創世 2:24。

そこでは,王国会館で行なわれる式にふさわしく,結婚の意味と,夫と妻の特権や責任に関する聖書に基づく話が行なわれます。そして,こうした築き上げる話の終わりに,その土地の法律の要求に従って誓いを交わしたり,定められた誓いのことばに賛同の意を表わしたりすることもあります。

エルサルバドルを初めとする幾つかの国では,宗教的な建物の中で結婚することができません。市長事務所などの定められた場所で,文政長官の手によって行なわれなければならないことになっています。しかしそうした国でも,多くの場合エホバの証人は,民事結婚の手続きのとられた後に,王国会館で聖書に基づく話を行なうよう取り決めます。必ずしもそれが必要であると言うわけではありませんが,そうすることは良い取決めです。結婚式の行なわれる日は幸せなときであると同時に,結婚の創始者の賢明な助言を思いめぐらす適切な時でもあるからです。―詩 119:1。

結婚の誓い

すでに述べたように,ある国では,新郎新婦が他の人の前で公の宣言をする,つまり誓いを立てるよう法律によって求められていることがあり,エホバの証人はそうした場合に法律に従います。しかし,法律によって要求されていない国においてさえ,結婚の誓いを復唱したり,その誓いに賛同の意を表わしたりすることが習慣になっている場合が少なくありません。

この記事の初めのほうに挙げた“新しい結婚式”の例が示すように,今では結婚の誓いに関してさえ,“自分勝手に物事を行なう”傾向が表わされるようになっています。結婚する二人が自分たちで誓いを作成することもありますが,そうでない場合には僧職者がそれを作成します。たとえばある教会の牧師は,ふたりの女性同性愛者を“お互いの間に愛のある期間”だけにかぎって“結婚させ”ました。別の牧師は,“裸体主義が好みに合っているかぎり”という条件のもとで,裸のふたりの結婚式を取り行ないました。

結婚に対して神がお与えになった威厳を汚すこうした傾向とはあざやかな対照をなすものとして,ある国のエホバの証人は,1969年7月1日号の「ものみの塔」誌の中で勧められた,次の誓いのことばを用います。

花婿の誓いのことば: 「わたしはあなたを妻としてめとり,この地上でともに生活するかぎり,神の設けられた結婚の取決めに従い,クリスチャンの夫に対して聖書に述べられている神のおきてに従ってあなたを愛し,いつくしみます」。

花嫁の誓いのことば: 「わたしはあなたを夫として迎え,この地上でともに生活するかぎり,神の設けられた結婚の取決めにしたがい,クリスチャンの妻に対して聖書に述べられている神のおきてに従って,あなたを愛し,いつくしみ,そして深く敬います」。

しかしながら,民事結婚の行なわれている国では,こうした誓いを交わす必要はありません。そのような場合には,国家によって登録された時に,ふたりは結婚したことになります。結婚したふたりが望むなら,王国会館で長老に適切な話をしてもらうのはふさわしいことです。しかしそのさいに,誓いを交わす必要はありません。ところで,王国会館で行なわれる結婚式についてさらに関係していることがあるでしょうか。

楽しく,気品に富み,しかも個性のあるものにする

ある新聞記者はこう書きました。「アメリカの結婚式は,愛とお金というわれわれアメリカ人の主要な関心を反映している。こうした関心は,ロマンチックな考えにふけり,名誉や地位をしつように追い求める一般民衆の態度に表われている」。このことは多くの場合,アメリカ以外の国においても真実でしょう。しかしクリスチャンの場合は,どの土地で行なわれるものであっても,結婚式の聖書的かつ霊的な面に特別の注意が向けられます。こうした点に注意を向けることにより,クリスチャンの結婚式は中庸と平衡を保ったものとなり,結果としてその結婚式が『道理をわきまえたものであることがすべての人に知らされ』ます。―フィリピ 4:5。

そのことは,王国会館で行なわれる結婚式がみな同一のものになるという意味でしょうか。あるいは,そうした結婚式が地味で簡素な式になることを意味するのでしょうか。いいえ,決してそうではありません。こうした結婚式は気品を保ったものであると同時に,聖書時代の結婚式がそうであったように,喜びに満ちあふれたものでもあります。(詩 45:13-15。イザヤ 62:5。啓示 19:7,8)多くの場合,特別の衣装を着けたり,花を飾ったり,王国会館で用いられる歌の本からとられた聖書に基づく楽しい音楽を演奏したりして,結婚式の喜びにあふれたふん囲気がかもし出されます。

また個人の好みに応じて,いろいろと変化に富んだものともなります。聖書時代の花嫁は,いろいろな装身具や礼服で身を飾りました。(イザヤ 49:18; 61:10。啓示 21:2)ですから王国会館で行なわれる結婚式のさいにも,さまざまのそうした装飾品や衣服が目に留まることでしょう。たとえば,特別の花嫁衣装を身に着けている花嫁もいれば,将来の同じような式のさいにも着られる衣装を選ぶ花嫁もいるでしょう。

結婚式に参列する人たちについてもさまざまな変化が見られます。レバノンでは普通,新郎新婦がそれぞれひとりの親しい友人を介添人として伴います。(マタイ 25:1。ヨハネ 3:29)一般に,この喜びの時に非常に親しい同伴者としての役を果たすために選ばれるのは,新郎新婦と同様永遠にわたってエホバに仕えたいと願っている霊的な兄弟姉妹です。他にも,結婚式に親が列席する習慣になっているところもあるでしょう。しかしいずれにしても,法律で求められていないかぎり,結婚するふたりは,結婚式のこうした面に自分たちの好みを反映させることができます。

同様に,結婚するふたりは,他の事がらについても自分たちの好みに合わせた計画をすることができます。指輪を交換するかどうか,何か特定な仕方で会館に入るかどうか,式のあと他の場所で簡単な飲み物を出すかどうかなどは,ふたりが決める事がらです。土地の習慣に通じているのはよいことですが,そうした慣習のとりこになってそれに束縛される必要はありません。b 出席したすべての人が霊的に築き上げられ,楽しい思いをいだけるような,喜びと気品に満ちた結婚式にすることのほうがはるかに重要です。

だれが会館を使用できるか

もちろん,エホバの証人が個人の家,あるいは民事結婚の行なわれるどこかの場所で結婚することには何の異論もありません。しかし,王国会館で結婚式を挙げたいと考えているのであれば,ふたりは,こうした問題に責任を持つ三人の奉仕者から成る会衆の委員と連絡を取らなければなりません。

これらの奉仕者は,近く式を挙げようとしているふたりが聖書的に自由に結婚でき,会衆の中でよい立場を得ていることを確かめます。また彼らは,結婚するふたりから話を聞いて,どんな形式の式が行なわれようとしているのかを明確には握します。委員は,人の好みが個人によって異なっていることを知っており,自分たちの好みをだれかに押しつけようとは考えていません。ふたりの話を聞いて,人をつまずかせる原因となったり,会衆の平和と一致をそこねたりする計画が何もないことを確認したいと思っているのです。―コリント第一 1:10; 14:33。

エホバの証人は,『主にある者とだけ結婚するように』という聖書の明らかな助言に一致して,バプテスマを受けてエホバに仕えるようになっていない人とクリスチャンが結婚することを決して勧めません。(コリント第一 7:39)聖書の助言に聞き従わない男女は,他の人々の経験が明らかにしているように,多くの問題に面したり,深い悲しみを味わったりする危険があります。(ネヘミヤ 13:25-27)しかし,そうした人たちが王国会館で結婚したいと思う場合,それは許可されるでしょうか。

それを決定するのは,監督たちから成る委員会です。バプテスマを受けてまだ日の浅いクリスチャンが,神のことば聖書の真理を学ぶ以前に婚約した人と結婚しようとしている場合があるかもしれません。また別の場合には,事情はそれとはかなり異なっているかもしれません。ですからそれぞれの場合について,個々の事情が十分に考量されます。これらの奉仕者は,事実と土地の人々の反応についてよく知っていますから,すべての人の最善の益になるような決定を下すことができます。

ある場合には,エホバの証人とまだ聖書を勉強している段階のふたりが王国会館で結婚式を挙げたこともあります。例えば,結婚を計画していたデンマークのある男女が,新郎の故郷であるスペインに移る前に,新婦の家の近くの王国会館で結婚の話をしてもらうことを希望しました。そして,会衆の世話をしている奉仕者たちはそれを許可しました。それらの奉仕者たちは,クリスチャンになるという目標に向かってふたりが進歩していることを知っており,結婚の話の中で与えられる聖書の助言から結婚するふたりはもとより,ふたりの友人や親族も益を受けるものと考えたのです。

ですから,王国会館で行なわれる結婚式に出席なさるなら,それが喜びと気品に満ち,楽しく,かつ霊的に益をもたらすものであることに気づかれるでしょう。また,その土地の習慣を反映した幾つかの特徴が見られるかもしれません。他の面には,新郎と新婦の好みが反映されているでしょう。そして,神の霊感によって書かれたみことば聖書に基づく,結婚に関する有益で築き上げる話を聞くこともできます。

『誰か賢き女を見出すことを得ん その価は真珠よりも貴とし その夫の心は彼をたのみその産業は乏しくならじ 彼が存命ふる間はその夫に善事をなして悪しき事をなさず……彼は筋力と尊貴とを衣とし且のちの日を笑ふ 彼は口を啓きて知恵をのぶ 仁愛の教えその舌にあり かれはその家の事をかんがみ 怠惰の糧を食はず その衆子は起ちて彼を祝す その夫も彼を讃ていふ 賢く事をなす女子は多けれども 汝はすべての女子にまされり つややかはいつはりなり 美色は呼吸のごとし惟エホバを畏るる女はほめられん その手の操作の果をこれにあたえ その行為によりてこれを邑の門にほめよ』― 箴言 31:10-12,25-31。

[脚注]

a 当然のこととして,結婚式とその準備は,王国会館の通常の使用計画の合間を縫って行なわれます。

b 結婚式の習慣に関するさらに詳細な点については,1969年5月1日号の「ものみの塔」誌の281ページから284ページの中で説明されています。披露宴の招待については,1969年8月15日号の501ページから504ページの中で取り上げられました。

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