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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 12/1 731–732ページ

マリアは本当に「神の母」ですか

イエスの誕生の幾世紀も前から,ヘブライ人の預言者たちはこの無類の出来事に注意を向けていました。それは処女からの誕生であり,その種の誕生としては唯一のものになるはずでした。(イザヤ 7:14。マタイ 1:20-23)イエスはその後,み父の目的を成し遂げる点で驚くべき役割を果たすことになっていたため,完全な人間として生まれることが必要でした。

イエスがユダヤ人の処女マリアから生まれる七世紀以上も前に,イザヤの預言はイエスが占めることになっていた重要な地位に注意を引いていました。こう述べています。「私たちのために,ひとりのみどり子が生まれた,ひとりの子が,与えられた,その肩には王のしるしがある。その名は,巧妙な顧問,力ある神,永遠の父,平和の君と,となえられる」― イザヤ 9:5,バルバロ訳(バ)。

イエスが預言的に「力ある神」という称号を与えられていることにより,マリアが事実上「神の母」となりますか。その問いに答えるには,「神の母」という表現が,実際に何を意味しているかを知らねばなりません。そうして初めて,それが聖書的な称号かどうかを決定できます。

新カトリック百科事典はこう述べています。「もしマリアが本当に神の母でないなら,キリストも真の人間でないばかりか,真の神でもない……マリアが確かにイエスの母であり,イエスが確かに神であるという二つの条件が満たされるなら,マリアは本当に神の母である」。(第10巻21ページ)従って,人がマリアを「神の母」と呼ぶのは,イエスは実際に神であるとの信仰に基づいているのです。その点について,新カトリック百科事典にはさらに次のように示されています。「化肉したことばがみ父の創造によらないみ子であり,み父と同等であることを否定するアリウス派の人は,キリストの神性を認めず,結果としてマリアが神の母であることも否定している」。(第10巻21ページ)ですから,イエス・キリストが「まことの神」であり,「み父と同等」であることが,確証されて初めて,マリアを正しく「神の母」と呼ぶことができます。しかし,イエス・キリストは確かに「まことの神」であり,「み父と同等」ですか。

聖書にはイエス・キリストに関して,「まことの神」という表現は用いられていません。イエスご自身は,この称号をご自分の父にのみ限定しています。祈りの中でみ父に語りかけていたイエスは,こう言われました。「永遠の命とは,唯一のまことの神であるあなたと,あなたがおつかわしになったイエズス・キリストを知ることであります」。(ヨハネ 17:3,バ)イエスはご自分がみ父と同等である,などと言われたことは一度もありません。それどころか,み父をご自分の神として認め,復活ののちマリア・マグダレネに次のように言われました。「私の父,またあなたたちの父,私の神,またあなたたちの神のもとに私はのぼる」。(ヨハネ 20:17,バ)昇天された後でさえ,イエスは引き続き同じ節の中で四回も,み父を「私の神」と呼ばれました。―黙示 3:12,バ。

イエスがみ父と同等ではあり得ないことは,キリストの千年支配の終わりに起きると予告されている事柄によっても示されています。使徒パウロはその点についてこう書きました。「すべてのものがかれの下に置かれるとき,子みずからも,すべてのものをご自分の下に置いたお方に服従するであろう。それは,神がすべてにおいてすべてとなるためである」。(コリント第一 15:28,バ)明らかに,イエスが「み父と同等」でありながらしかもみ父を神と認めて服従する,ということはあり得ません。

マリア自身の態度も注目に価します。ふさわしい謙虚な態度で,マリアは自分を「主のはしため」と呼んでいます。(ルカ 1:38,バ)神のみ子を宿すという祝福を得たために,マリアは親族のエリサベツにこう語りました。「私の魂は主をあがめ,私の精神は,救い主である神によって喜びおどっています,主が,いやしいはしためにおん目をとめてくださったからです」。(ルカ 1:46-48,バ)ですから,マリアは自分を「神の母」ではなく,神の「いやしいはしため」とみなしていました。

同様にイエス・キリストも,マリアとの肉身上の関係を何ら重要視されませんでした。あるとき一人の女が声を上げてこう言いました。「しあわせなこと,あなたを宿した母,あなたが吸った乳房は!」。その叫びに答えてイエスはこう言われました。「むしろしあわせなのは,神のみことばを聞いてそれを守る人だ」。(ルカ 11:27,28,バ)神のみ子を宿すことは大きな特権でしたが,マリアが最大の幸福を見いだすことは神の謙遜なしもべとして,「神のみことばをきいてそれを守る」ことにかかっていました。また,母と兄弟たちが自分に会いたがっていると告げられたときに,イエスが弟子たちのほうに手を差し伸べて言われたことにも注目してください。「これが私の母,私の兄弟である。天においでになる私のおん父のみ旨をはたす人はみな,私の兄弟,私の姉妹,私の母である」。(マタイ 12:47-50,バ)ここでも,そうした言葉により霊的な関係が肉的な関係より大切なものとして重視されています。

もちろん,「神のみ子」として,イエス・キリストは,預言的に,「力ある神」と呼ばれています。そうした表現(原語のヘブライ語で)は,「強く,力ある者」を意味しています。「王の王,主の主」としての資格において,イエス・キリストは確かに力ある者,もしくは「神」です。(黙示 19:16,バ)しかし,み子として,イエスは「唯一のまことの神」であるみ父にいつも服従しておられます。

聖書の中でイエス・キリストは一度も「子なる神」とは呼ばれておらず,むしろ「神のみ子」と呼ばれています。イエスはまさに,み使いガブリエルがマリアに告げた通りの方になられました。「あなたはみごもって子を生むでしょう。その子をイエズスと名づけなさい。それは偉大な方で,いと高きものの子と言われます……聖霊があなたにくだり,いと高きものの力のかげがあなたをおおうのです。ですから,生まれるみ子は聖なるお方で,神の子といわれます」― ルカ 1:31,32,35,バ。

このように聖書的な証拠からみれば,マリアに「神の母」という称号を与えることは,まことの神とそのみ子およびマリアに関する事実を曲げるものであることが明らかです。「神の母」という称号は,み子が「み父と同等」であるという非聖書的な教えに基づいています。このように事実を曲げることを軽く見てはなりません。神に受け入れられる崇拝は真理と一致していなければならないからです。イエス・キリストはサマリアの女にこう言われました。「まことの礼拝者が,霊と真理とをもっておん父を拝む時がくる,いやもう来ている。おん父は,そういう礼拝者をのぞんでおられる。神は霊であるから,礼拝者も,霊と真理とをもって礼拝しなければならない」― ヨハネ 4:23,24,バ。

「霊と真理とをもって」神を崇拝することを望まれるなら,あなたの信じておられる事柄が実際に聖書的な根拠に基づいていることを確かめてください。

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