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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1976
塔76 8/1 456–458ページ

困っている人々に惜しみなく与える

わたしたちの神エホバは,寛大さという面で秀でておられます。しかも,これは単に神がすべての物の所有者として寛大になるための資力を持っておられるという理由だけによるのではありません。むしろ神が愛とあらゆる寛大な精神のまさに具現であられるからです。イスラエルの詩人もこう述べました。「あなた[エホバ]はみ手を開いて,すべての生けるものの願いを飽かせられます」。(詩 145:16,口)エホバは,受けるに値しないような人々の上にも雨を降らせ,太陽の光を注いでおられます。(マタイ 5:45)この小さな惑星上の微少な被造物であるわたしたちすべてに対して,神は何と情深く,思いやりがあるのでしょう。

神は崇拝をささげるためにご自身に近付く者に,他の人を扱う点で神に見倣うよう努力することを教えておられます。現在のいわゆる賢人からは“原始時代”とみなされている遠い昔に,この寛大な神はご自分の崇拝者に次のように教えました。「あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と,貧しい者とに,手を開かなければならない」。(申命 15:11,口)このような教えを心に植え付けるなら,大掛かりな慈善運動の必要もなければ,基金集めを専門に行なう人々に多額の給料を払う必要もないでしょう。人々は,「すべての者に寛大に,またとがめることなく与えてくださる」方の教えと模範に応じるでしょう。―ヤコブ 1:5。

現代のエホバの崇拝者も,寛大さに関するこの教えを学びました。彼らは,自分たちの主であり主人であるイエス・キリストの語られた,「受けるより与えるほうが幸福である」という言葉に深い感銘を覚えています。(使徒 20:35)また彼らは,その言葉が真実であることを体験しています。近隣の困っている人々に注意を払い,そうした人々に物品を目立たないように分け与えているからです。さらに,他の国々にいる仲間の崇拝者が災害に遭ったことを聞くと,特別な救援活動を即座に申し出ます。彼らは困っている人々に対して寛大にその手を開いているのです。

より貴重な贈り物を分け与える

しかしエホバの民は,もっと大きな必要について学びました。それは,地球上の大勢の人々が必要としているもので,キリスト・イエスはこの地上におけるご自分の特別な宣教期間中にそれに注意を促しました。ある時大勢の貧困な者たちから成る群衆に語られた際,イエスはこう助言しました。「滅びる食物のためではなく,永遠の命へとながく続く食物のために働きなさい。それは人の子があなたがたに与えるものです」。(ヨハネ 6:27)また,イエスはこのように述べました。「『人はパンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」― マタイ 4:4。

それで,パンや水など生命を支える物質よりもはるかに価値のあるものがあるのです。イエスの使徒たちは,このことをよく知っていました。例えば,ある足なえのこじきに呼び掛けられた時,ペテロはその男にこう語りました。「銀や金はわたしにないが,わたしにあるもの,それをあなたに与えます。ナザレ人イエス・キリストの名において,歩きなさい!」 使徒たちがその男に授けたのは何でしたか。いやしは確かに驚くべきものでしたが,それだけではありませんでした。彼らは明らかに,その名においていやしが行なわれたナザレ人イエスと,イエスを世に遣わされたエホバ神への深い感謝の念をその男の中に呼び起させたのです。その男が神殿に入って行くとき,「歩いたり,躍ったり,神を賛美したりし」たことを記録はさらに述べています。―使徒 3:6-8。

今日,エホバの証人は,人々の肉体上の疾患をいやすそうした奇跡的な力を持っていませんが,自分たちが持っているものを喜んで,また熱心に他の人々と分かち合いたいと考えています。では,それは何ですか。エホバ神への感謝の思いと,聖書に記されている,人類とこの地に対する神の目的に関する知識です。この知識を他の人々に知らせるために,エホバの証人は街頭や田舎に出掛けて行き,彼らが差し伸べねばならない情報に耳を傾ける人々を捜します。それは命を与える情報と言えます。なぜなら,イエスは天の父への祈りの中で,こう述べておられるからです。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 17:3。

クリスチャン証人たちは,神から受けた良いものを惜しみなく他の人々と分かち合うことができるようこうした奉仕に多くの時間を費やし,自費でそのことを行なっています。たとえ,彼らが訪問する人々の多くが,そうした奉仕を行なう動機を理解しなくても,あるいはその動機の純粋さを疑うようなことがあっても,エホバの証人は,聖書の音信に感謝するようになるふさわしい人々を捜し出す業を行ない続けます。

さらに,注目に値する事柄があります。それは,困っている人々を物質的にまた霊的に助けるため何を与えるべきかをイエス・キリストの真の追随者にだれも告げる必要がないということです。そうです,申命記 16章17節(口,[新])に示されている聖書の原則が当てはまるからです。「あなたの神,[エホバ]が賜わる祝福にしたがい,おのおの力に応じて,ささげ物をしなければならない」。また,各人が神からいただいている祝福の度合いを知っているのはだれですか。それは,神とキリスト・イエスと個々の崇拝者だけです。それで,寛大な神が自分に注いでおられるすべての祝福について思い巡らすなら,クリスチャンは,人に言われて他の人々に分かち与えることはありません。感謝の気持ちに動かされてそうするのです。

与えるために組織される

世界中の大勢の人々が命を与える神の王国の音信を緊急に聞く必要のあることを考慮し,その必要を満たすためにクリスチャン証人たちは業を組織してきました。彼らはこの目的のために,米国にあるペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会などの法人団体を,様々な国で作っています。そのような法人団体は,これらの国々における法律上の要求にしたがって,多くの言語に訳された聖書および聖書研究の手引き書の印刷や発送などの特殊な事柄を処理したり,エホバの証人や彼らに好意を持つ人々からの寄付金を管理したり,旅行する代表者たちの奉仕に必要な物を支給したり,またその他関連のある様々な活動を世話したりするために用いられています。

こうした法人団体の役員や理事の中には,給料を受けている者は一人もいません。すべての人は,「王国の……良いたより」を全地で宣べ伝える業の発展のために,喜んで自分の時間と精力をささげています。(マタイ 24:14)そのほか,聖書文書の印刷,製本,また世界各地への発送といった必要な活動にあずかるため,将来性のある有利な地位を得る機会を見送った男女もいます。その人たちは,90余りの支部と印刷工場で奉仕しています。が,それらの支部はそれ以上多くの国々にいるエホバの証人によって維持されています。それらの人々は人生の最良の時期を最も利他的な奉仕のために喜んでささげており,その代わりに食物と住居を与えられ,雑費を賄うための少額の手当を受けています。

これらの法人団体,支部事務所,印刷工場,そしてその職員すべては,エホバの証人の統治体,つまり地上にいる油注がれたエホバ神の崇拝者全員を代表して活動する機関の監督の下で奉仕しています。こうして,エホバの民すべては,この古い事物の体制の終わりが到来する前になされねばならないと神が述べられた業を効果的に成し遂げるために一致協力して献身的な努力を払っているのです。(マルコ 13:10)このように200万人余りのエホバの証人は,全世界的に宣べ伝え,教える奉仕のため組織されているのです。彼らは皆,それぞれの土地で証しの業にあずかれることを喜んでいます。エホバの証人は他の地域あるいは外国にいる人々に,個人的に接することができなくても一致した方法で,つまり世界的な組織の奉仕を通して接します。エホバの証人は,王国の業の促進のために,自分の国にある支部事務所へ少額の寄付を送ります。日本の場合には,東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔協会あてに寄付を送ることができます。

それで,神のみ子が山上の垂訓の中で語られた言葉は,この時代に非常によく当てはまります。「義に飢え渇いている人たちは幸いです。その人たちは満たされるからです」。(マタイ 5:6)寛大な神からの聖霊によって動かされる地上の神の崇拝者は,神の導きに従い,大勢の貧しい人々に霊的援助の手を差し伸べ,同時にふさわしい人々の物質的な必要を見逃さないようにします。また,あらゆる完全な贈り物の与え主であられる神のこれら忠実な崇拝者たちは,法人団体があることに心から感謝しています。そのような法人団体によって,彼らは遠方の飢え渇く人々に一致協力して援助の手を差し伸べ,寄付や贈り物を送ることができるのです。

このような神を崇拝するわたしたちには,確かにすばらしい特権があるのです。神の寛大さに倣い,わたしたちがその息子や娘であることを実際に示すことができます。寛大な人に関する次のような霊感の記述がわたしたちにも当てはまるなら,それは大きな喜びです。「恵みを施し,貸すことをな(す)……人はさいわいである……彼は惜しげなく施し,貧しい者に与えた。その義はとこしえに,うせることはない」― 詩 112:5,9,口。

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