ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔78 8/1 6–8ページ
  • 驚くべき新しい証拠が明るみに出る

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 驚くべき新しい証拠が明るみに出る
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 神の言葉のギリシャ語訳
  • ユダヤからの手がかり
  • エジプトからの手がかり
  • 神のみ名
    聖書に対する洞察,第1巻
  • 神の名前はなぜ聖書全巻に現われるべきですか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
  • セプトゥアギンタ訳 ― 昔も今も有用
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2002
  • 1ハ 古代ギリシャ語訳における神のみ名
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 8/1 6–8ページ

驚くべき新しい証拠が明るみに出る

恐怖の洞窟として知られるようになった所へ向かって断崖絶壁を下りてゆく一行の命は,文字通り,各自の手に懸かっていました。一行は,あなたの聖書にかかわる重要な手がかりががい骨のただ中で見いだされるなど思ってもみませんでした。

その場の情景を把握するため,9ページに示されている不毛の荒野,死海西側の山地に自分がいると想像してみてください。

1961年の初頭,専門家の一団は,人を寄せつけないような,ナハル・ヘベルにある洞窟を探険するために出かけてゆきました。彼らは地雷探知機,防塵マスク,ロープ,およびパラシュートの背負い革などを装備していました。恐怖の洞窟と命名された,八番洞くつの入口まで80㍍下りるのは危険なことでした。一歩踏み外せば,何百㍍も下にある岩場へたたきつけられてしまうでしょう。

恐怖の洞窟という身の毛もよだつような名は,調査員たちがその中で発見したもの,すなわち40体余りの男女子供のがい骨に由来します。白骨化したこの人々は,西暦132年にローマに対する戦いの指導者となったユダヤ人の闘士,バル・コフバの追随者でした。これらの人たちは,がけの上に陣取ったローマ軍のために洞窟の中に閉じ込められ,飢えと渇きのために死んだものと考えられています。

しかしこのすべては,イエスとその使徒たちが神の固有の名を使ったかどうか,そしてひいては,そのみ名が聖書の中に現われるべきかどうか,またそのみ名を口に出して唱えるべきかどうか,という事とどんな関係があるのかいぶかしく思われるでしょう。そのつながりは,恐怖の洞窟で発掘され,ギリシャ文字の書かれた,九つの小さな羊皮紙の断片にあります。

学者たちが注意深くこれらの断片を調べたところ,それらは12預言書(ホセア書からマラキ書まで)の古い皮の巻き物の一部であることが分かりました。それは,西暦前50年から西暦50年ごろのものと思われる,ギリシャ語版の聖書でした。さて,その巻き物が見つかった場所は分かっていました。それはユダの荒野にある恐怖の洞窟です。初めはこの事の重要性がお分かりにならないかもしれませんが,これは神のみ名があなたの聖書の中に現われるべきかどうかを定める主要な手がかりなのです。

この手がかりがあなたにとって本当に意味のあるものとなるためには,西暦一世紀当時,イエスとその使徒たちがどんな巻き物を入手できたかを調べてみなければなりません。

神の言葉のギリシャ語訳

創世記からマラキ書までの聖書の各書は,ごく一部アラミヤ語で書かれた部分を除けば,元々ヘブライ語で書かれました。しかし,ユダヤ人が古代世界に散らされると,彼らは国際語であるギリシャ語を使うようになりました。そのため,西暦前280年ごろ,ヘブライ語聖書がギリシャ語に翻訳され始め,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳(LXX)として知られる聖書が完成しました。

イエスがその宣教を開始された当時,ギリシャ語を話すユダヤ人の間でこの訳の聖書が広く用いられていました。使徒たちの書き残した書物の言葉遣いから,彼らがセプトゥアギンタ訳に通じていたことが分かります。そして,イエスもその訳に通じていたに違いありません。

しかし,そのギリシャ語訳には神のみ名が出ていたでしょうか。西暦四世紀のものと思われる,現存するセプトゥアギンタ訳の最も完全な形の写本は,驚くべき事態を明らかにしています。ヘブライ語聖書の中でテトラグラマトンの現われる箇所すべてに,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳は「神」(セオス)または「主」(キリオス)という語を入れているのです。ですから,イエスとその使徒たちは神のみ名を使わなかったというのが学界の見解となってきました。ヘブライ語で聖書を読んだり,そこから引用したりする際には,イエスや使徒たちも習慣に従って,神のみ名の代わりに「主」または「神」に相当する語を口に出したと言われていました。そして,イエスや使徒たちの用いたセプトゥアギンタ訳の写本には,神のみ名さえ出ていなかったとされています。

大抵の神学者たちは,この見解に確信を抱いてつき従ってきました。しかし,恐怖の洞窟から得られた手がかりについてはどんなことが言えるでしょうか。

ユダヤからの手がかり

ユダの荒野にある恐怖の洞窟の中で,イエスが生まれたころに書かれた巻き物の一部であった12預言者の断片が見いだされたことを思い起こしましょう。それはセプトゥアギンタ訳の形式を取っており,ギリシャ語で書かれていました。しかし,神のみ名はどうなっていましたか。ここに掲げた写真をご覧ください。

ユダの荒野で発見されたこれらの断片には,ヘブライ語の古い表記法で神のみ名が書かれていたのです。本文はギリシャ語で書かれてはいるものの,ヘブライ文字で書かれた神のみ名は残されていました。後代のセプトゥアギンタ訳の写本とは異なり,ギリシャ語の称号キリオスがテトラグラマトンに取って代わるというようなことはありませんでした。

その後,さらに近年になって,別の重要な手がかりが脚光を浴びました。これも,あなたの聖書に神のみ名が出ているべきかどうか,またそれゆえあなたもその名を用いるべきかどうか,ということと重大な関係があります。

エジプトからの手がかり

この手がかりは,博物館目録でフォウアド・パピリ266番と呼ばれる,申命記の古代パピルスの巻き物の断片から成っています。これらの断片は,1940年代に発見されましたが,学界の人々が研究のために使用することはできませんでした。

1950年に,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」が,これらの珍しい断片の写真の数々を初めて公にしました。それでもなお,1950年代,および1960年代を通じて,ほとんどの専門家たちはその断片を利用することができず,学術的な出版物でその写真を転載したり,その断片すべての分析を行なったりした書物はほかにありませんでした。そしてついに,「パピルス学の研究」の1971年の巻がその分析を行なったのです。

フォウアド266番パピリは西暦前二世紀ないし一世紀に作成されました。それらはヘブライ語ではなく,ギリシャ語で書かれていました。下に転載したフォウアド266番に見られる文字をご覧になってください。本文はギリシャ語で書かれていますが,テトラグラマトンは角ばったヘブライ語文字で書かれているのがお分かりになりますか。

ですから,このパピルスの巻き物を写した写字生も,テトラグラマトンの代わりに「主」(キリオス)あるいは「神」に相当するギリシャ語を入れることをしていません。むしろ,30回以上にわたって,この写字生はギリシャ語の文のただ中に,ヘブライ語でテトラグラマトンの文字を入れたのです。

オックスフォードのパウル・E・カール博士は,これらの断片の中に,「現存する申命記のセプトゥアギンタ本文としては最も完全と言って良いもの」が残されている,と説明しています。また,「教父著作の研究」と題する本の中で,同博士は次のように付け加えています。「ここにあるパピルスの巻き物の中に,バチカン写本よりも信頼できる形のセプトゥアギンタの本文を代表し,バチカン写本よりも400年余り昔に書かれた,ギリシャ語本文が収められている」。そしてこの断片には,ユダの荒野で見いだされた12預言書のギリシャ語断片の場合と同様,神の固有の名が残されていました。両者はこの点で一致しています。

聖書文献ジャーナル誌(第79巻111-118ページ)の中で,カール博士は,ユダヤ人の間で神のみ名が使われていたことを示す,積み重なる証拠を調べた後,次のような結論に達しました。

「クリスチャン時代以前のユダヤ人のために,ユダヤ人によって訳されたギリシャ語訳の聖書すべては,神の名として,ヘブライ語文字のテトラグラマトンを用いていたに違いない。そして,[セプトゥアギンタ訳の]クリスチャンによる写本に見られるように,[キリオス]およびその略号が使われるようなことはなかった」。

神のみ名を選び出し,細心の注意を払って保存してきた事実は,一世紀前後のヘブライ語本文にさえ表われています。死海沿岸の洞窟から発見されたヘブライ語の巻き物の中には,テトラグラマトンが赤インクで書かれていたり,識別しやすい古い書体のヘブライ語で書かれていたりするものがあります。この点に関して,J・P・シーゲルは次のように評しています。

「20年以上も前にクムラン写本が発見された当初,その一層驚くべき特徴の一つは,幾つかの本文群の中に,古ヘブライ文字で書かれたテトラグラマトンが現われたことであった。……この習慣が神の名に対する深い敬意の念を象徴しているということは,ほぼ自明の理であると言える」― ヘブライ・ユニオン大学年報,1971年版。

それに加えて,一世紀当時エルサレムには,テトラグラマトンを金文字で記した,モーセの五書のヘブライ語で書かれた巻き物があったと伝えられています。―イスラエル探検ジャーナル,第22巻,1972年版,39-43ページ。

この新しい証拠は,イエスが聖書をギリシャ語あるいはヘブライ語のどちらで読んだとしても,彼が神のみ名をよく知っており,それを用いたということを強力に示すものではないでしょうか。

[7ページの写真]

テトラグラマトンがヘブライ語で現われる,ギリシャ語の死海断片(ハバクク 2:15-20; 3:9-14)

[8ページの写真]

エジプトで発見されたセプトゥアギンタ訳の断片に見られるテトラグラマトン(フォウアド・パピリ 266番)

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする