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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 11/15 30–31ページ

覚えていますか

あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。もしお読みでしたら,たぶん次の点を思い起こされることでしょう。

● イエス・キリストが死人のうちから本当によみがえらされたことを,どんな歴史的な事実が証明していますか。

クリスチャンである500人以上の弟子たちが,復活した神のみ子を目撃しました。(コリント第一 15:6)イエス・キリストが死人のうちからよみがえらされたことを十分に確信した人々は,それが自分の死を意味する恐れのある場合でも,その事実を恐れることなく宣言しました。単なる幻や想像に基づいてこのような信仰を働かせることはできませんでした。その当時は人を欺こうとするどんな試みであれ,あばかれてしまったことでしょう。クリスチャンに敵対する人々は彼らの信用を失わせ,その活動を阻もうとしていたからです。―7月15日号 13,14ページ。

● なぜエホバ神は預言者バラムを通して語ることを選ばれたのですか。

ご自分の民はどんな武器をもってしても征服されないということを証明するのがエホバの目的であったことは明らかです。モアブ人とミデアン人は軍隊の力だけではイスラエル人に勝利を収める望みのないことを悟りました。バラムがイスラエルに威力のある呪いを下すことができると信じた彼らは,この預言者を最強の武器とみなしました。しかしバラムが自分の望みとは裏腹にイスラエル人を祝福させられた時,イスラエル人との戦いは負け戦になることが明らかになりました。―8月15日号 29,30ページ。

● 神のみ名(YHWH)が普通エホバと訳出され,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に現われるというどんな証拠がありますか。

その主要な証拠の出所は,ヘブライ語聖書の最初のギリシャ語訳であるギリシャ語セプトゥアギンタ訳の写本の断片です。四世紀以後,この訳の完全な写本のほとんどが,神のみ名をギリシャ語の“神”とか“主”とかいう言葉に置き換えています。ところがもっと古い断片になると神のみ名がヘブライ語の文字で現われます。入手できる一世紀のセプトゥアギンタの写本の中に神のみ名が見いだされるため,論理的に言って,クリスチャンの聖書筆記者たちは,み名が現われるヘブライ語聖書中の節を引用する場合,そのみ名を用いたに違いないということになります。やがて神のみ名がセプトゥアギンタの写本から姿を消すにつれ,それは明らかにクリスチャン・ギリシャ語聖書からも除かれることになりました。―8月1日号 7-11ページ。

● 聖書の古い翻訳にはのっているいくつかの節が,現代の翻訳では省かれているのはなぜですか。

19世紀から20世紀にかけて,聖書の多くの古代写本が発見されました。これらの写本によって学者たちは聖書本文の元々の読み方を確かめるための注意深い研究が行なえるようになりました。このような学者による研究は,ある単語や句が入手可能な最古の写本に出ておらず,その後の写字生たちによって書き加えられたことを明らかにしました。このゆえに,最近発見された事実を考慮に入れたマスター・テキストが作られたとき,これらの単語や句はその書物の主要な部分から省かれました。現代の聖書翻訳の多くは,この一層正確で洗練された本文に基づいているため,その中には写字生たちの付け足した部分として知られる節が含まれていないのです。―8月15日号 12-14ページ。

● エッサイの長子エリアブが王としてふさわしくなかったことを示したのはどんな点ですか。

確固とした証拠もないのに,エリアブはダビデが邪な動機を抱いていると決めつけました。彼はペリシテ人ゴリアテの嘲笑に対して何も行なわず,エホバに対する信仰の欠如を示しました。エリアブはエホバのみ名が崇められることより,わずかな数の羊の方に関心があったようです。―9月1日号 31ページ。

● アンティオキアのクリスチャンに「心からの決意を抱いてその後も主のうちにとどまるように」と励ましたバルナバは何を意図していたのですか。―使徒 11:23。

彼は仲間の信者が心からその愛全体をもって主イエス・キリストに結びつき続けることを訓戒したのです。これは彼らの人生の唯一の目的となるべきでした。―9月15日号 6ページ。

● イエス・キリストの弟子たちは,いつまたどのように,イザヤ書 61章3節の成就として,「頭飾り」,「歓喜の油」そして「賛美のマント」を初めて与えられましたか。

これは西暦33年のペンテコステの日のことでした。その時,彼らのこうべは神の是認という冠で飾られました。それはまるで慰めの油が彼らのこうべに注がれ,彼らを元気づけて歓喜にまで至らせるもののようでした。彼らはもはや気落ちした霊は持たず,「賛美のマント」を着せられているかのように,エホバへの賛美が彼らを見分けるしるしとなりました。―10月1日号 20ページ。

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