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ミケランジェロと十字架
● イタリア政府の美術専門家たちは,レバノンの一修道院で最近発見された彫刻がイタリアの著名な芸術家,ミケランジェロの作品であることは「90%確実だ」と語りました。この小さな木製の彫刻は,もし本当にミケランジェロの作品であれば250万㌦(約6億円)の値打ちがあると言われています。AP通信の報道はこう述べています。「この彫像は,通常十字架にかけられている場合のように両手が横にではなく,その頭上に伸びているキリストを表わしている点で一風変わっている」。
この木製の彫刻が16世紀の芸術家,ミケランジェロの作であるかどうかはさておき,今日のキリスト教世界の指導者たちが人々に信じさせようとしてきたような,キリストが十字に交差した杭につけられたという話は,いつの場合も彼らの主張するほど確実視されていたわけではなかったことをそれは例証しています。例えば,16世紀のローマ・カトリックの学者,ユステュース・リプシウスは,その著書,「デ・クルーチェ・リベール・プリムス」の中で,まっすぐな杭に付けられている人物の姿をさし絵に描いています。これは,キリストが杭につけられた様を描写するのに聖書の用いているギリシャ語の言葉の意味するところと合致します。その語は,「スタウロス」で,「主にまっすぐな棒杭や杭を指して」います。―W・E・バイン著,「新約聖書用語の解説辞典」。
法律による世界平和?
● 第九回世界法律会議で演説をしたスペインのファン・カルロス王は,「法律こそ平和を保証すべき手だてである」と語りました。昨年の9月にマドリードで開かれたこの会議に85か国から代表が出席しました。
この会議の席上,“法律による世界平和推進センター”の議長,チャールズ・ラインは,「戦争を回避し,平和を長続きさせるに足る十分の力を持つものとして世界的に受け入れられる法体系を築くため,世界中のすべての人に協力する」よう要請しました。数日後,法王ヨハネ・パウロ二世はバチカンでこの会議の代表数人に謁見を許し,その方向に沿って「人間により空前の努力が払われるよう」求めた。
ところが,会議の終わる前から,その会議の議長を務めたスペインの検察官,ファン・マニュエル・ファンフル・センダーニョはこう語りました。「法律と公正な裁きを施行することにより平和を実現するのは極めて困難である」。なぜでしょうか。同議長はこう答えています。「国家主義という間違った,また狭量な考えのゆえに,他者の益のために自らの権利を否認したり謙そんさなどの有益な素振りを見せようとしたりする国は存在しない。だれも進んで譲ろうという気持ちを持ち合わせていない」。この言葉はまさに真実です。
幾世紀にもわたる人間の失敗の記録は,聖書の詩篇 146篇3節に示されている次の真理を如実に物語っています。「人間の指導者にあなたの信頼を置いてはいけない。いかなる人間もあなたを救うことはできない」。(「福音聖書」)聖書は,神が独自の方法で平和をもたらすことを示しています。それは,「平和の君」であられるイエス・キリストの下にある天の王国によってもたらされます。(イザヤ 9:6,新)神の法律が愛のうちに当てはめられるそのとき,「温和な者たちは地を所有し,平和の豊かさに無上の喜びを見いだす」ことになります。―詩 37:11,新。
「軍靴の響き」
● 昨年,米国のイリノイ州議会は,1980年1月1日を期して,一日の初めに国旗敬礼の儀式に参加することを学童に義務付ける法案を可決した。イリノイ州のジェームズ・トンプソン知事はその法案に署名してその法律を発効させた際,「現行憲法による法律の下にあっては,この法律の制定は明らかに違憲である」ことを認める言葉を書きました。議会での審議の最中にリチャード・ムガリアン議員はこう述べました。「これは今会期中,最低最悪の法案である。よく耳を澄ませば,[独裁者の]軍靴の響きが聞こえてこよう」。
自国に対する感謝の念を植え付ける方法としてそのようなオウム返しの手法に力のないことを指摘し,グレン・シュナイダー議員はこう語りました。「15秒ばかりの“忠誠の誓い”が,この国は一体どんな国かを理解するのに役立つとは思えない」。
イリノイ州ジョーリエットの「ヘラルド・ニューズ」紙は,この法律の影響を受ける一団体の地元スポークスマンの次のような談話を掲載しました。「エホバの証人はこの国だけでなく世界中どこにおいても,政府に対して常に中立の立場を保つ。それは私たちがこの国に対して敬意を抱いていないということではない。ただ,エホバの証人はどんな国に対しても忠誠の誓いをしないというだけのことである」。―ヨハネ 17:16。