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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
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読者からの質問

● 風鈴のようなものを自宅に取り付けるのはクリスチャンにとってふさわしくないことでしょうか。

家庭に快い音色で趣を添えるために風鈴のようなものを用いる人は少なくありません。風が吹くと,ガラスや金属,木などの断片が互いにぶつかり合って音を出します。しかし,ある国では魔よけになるという考えに基づいて風鈴のようなものをつるす習慣があります。クリスチャンがそうした目的で風鈴などを用いることがないのは明らかです。ですから,もしも自分の住む国や地方にそのような迷信があるのなら,自宅に風鈴などを置くのは賢明なことではないでしょう。そのために人をつまずかせたり,エホバの証人が何らかの非聖書的な目的で風鈴のようなものを用いているという印象を与えたりしないためです。―コリント第一 10:31-33。

しかし,風鈴などを下げる動機が偽りの宗教や迷信や悪霊崇拝と関係がなく,家庭でそれを用いることに関して他の人々が間違った印象を受ける可能性がほとんどないのであれば,これは単に個人的な決定の問題です。

● 近年,“試験管”ベビーの誕生に関する報道を読むことがあります。その際の手順に対する聖書の見解はどのようなものですか。

まず,起きたと伝えられる事柄を簡単に振り返ってみましょう。それは,英国で行なわれたその最初の事例によく示されています。

その女性は,卵細胞が子宮に達するのに通らなければならない卵管に異常があったため,正常な妊娠は望めませんでした。そこで科学者たちは簡単な手術でこの女性の成熟卵を一つ取り出し,それを生かしておくための栄養物とともに実験室の皿の上に置きました。その女性の夫の精子が加えられ,受精が起きました。数日後,成長を続ける増殖した細胞(胞胚)は細心の注意を払ってその女性の子宮内に入れられ,そこで正常な発育を遂げて,赤ちゃんが生まれました。

この場合,精子と卵子は配偶者同士のものでした。聖書の見地からするとこれは注目に値します。なぜなら神は古代イスラエル人に次のような律法を与えておられたからです。「あなたの射精をあなたの仲間の妻に与え,それによって汚れた者となってはならない」。(レビ 18:20,29,新)この律法は現代の人工受精や“試験管”ベビーを生み出す技術が考え出されていなかった時代に与えられたものですが,そこには神の考えが示されています。

聖書からすれば,夫婦同士の精子と卵子によって妊娠が起きるのでない限り,それは姦淫あるいは淫行になると結論しなければなりません。聖書はそのような行為に対する神の見解について疑問の余地を残していません。「神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれる(の)です」。(ヘブライ 13:4。マタイ 19:9)では,ほかの方法では子供を産めないような既婚の夫婦に,最初に述べたような方法を用いる機会が提供されたとしたらどうでしょうか。考慮すべき幾つかの面をここに挙げることにしましょう。

受精が実験室の皿の上で起きるなど,関係している機械的手段すべては,この行為を極めて不自然もしくは恐ろしいものに思わせ,倫理的に異存のあるものとするでしょうか。

皿の中の卵子は,(受精の前も後も)人為的に加えられた栄養分によって生きています。すでに行なわれた少なくとも幾つかの事例では,血清が栄養分として用いられました。そうなると血に関する神の律法が関係してきます。―使徒 15:28,29。レビ 17:13,14。

報道によると,受精ののちにその受精卵が正常に成長しないとかそれに遺伝的な欠陥があるとかいう理由で,科学者たちが受精卵を破壊することがあります。そうなると,その行為は堕胎に当たるのではありませんか。a また,新たに始まった生命をそのようにして終わらすことに対し,“両親”はどれほどの発言力または責任を持っているでしょうか。

さらに,科学者の中には,子宮内での成長過程においてあるいはその後になって,遺伝的な異常が現われることを懸念する人もいます。

最終的には各個人が決定を下すべきであることを認めるとはいえ,クリスチャンがこうした側面を考慮したいと思うのはふさわしいことです。

[脚注]

a 「ものみの塔」誌,1977年12月1日号,734-736ページをご覧ください。

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