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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
塔81 9/15 6–12ページ

信仰には実際的な価値があります!

強制収容所からの証言

強制収容所という言葉を聞くと,どのようなことを思い浮かべますか。

貨車から追い立てられ,死への道を進む,おびえた人々の写真を思い起こしますか。あるいは,苛酷な労働と飢えに苦しみ,病気に冒され,自らの排せつ物にまみれた生活を余儀なくされている人々の姿でしょうか。非人道的な医学実験や無数の人を焼き尽くした焼却炉のことでしょうか。

それらは恐るべき収容所の実体の一面を描写したものです。

しかし,考慮すべき事柄はほかにもあります。ナチの収容所は確かに身の毛もよだつような所でしたが,そのような中でも幾十万もの男女が生きようとしていたのです。病気,殴打,極度の疲労,無作為の処刑といったものに悩まされながらも,生き続けるために日々必死に闘っていました。なんとか飢えや寒さをしのぎ,病気にかからないようにしようと努めていました。働き,眠り,周囲の人々と付き合ってゆくことも必要でした。

このように,ナチの強制収容所で人々は戦りつを覚えるような体験をしましたが ― そして恐らく,人々がそうした体験をしていたからこそ ― 信仰に真の実際的価値がある証拠をここに見いだせるのです。わたしたちが個人的にこうした収容所の生活を経験することは恐らくないかもしれません。しかしそこでの経験から教訓を学び取ることができます。

多くの人が信仰を失う

収容所が人々に与えた際立った影響の一つは信仰の喪失でした。著述家フィリップ・ヤンシーはこう語っています。「生き残った人たちの中には神に対する信仰を失った人もいた。こうした傾向は,とりわけユダヤ人の間に強かった。ユダヤ人は,自分たちが選民であると幼いころから信じさせられてきたが,あるユダヤ人がしみじみと語ったように,『約束を守るのはヒトラーだけである』ことを不意に思い知らされた」。

少年が絞首刑にされるのを目撃したエリー・ビーゼルは,その時どのような感情に襲われたかを語っています。親衛隊員が収容者たちを絞首台の前に集めました。縛り首にされ息も絶え絶えの少年を見て,収容者の一人は,「神はどこにいるんだ」と叫びました。ビーゼルはこう語っています。「私は自分の体の中で叫ぶ次のような声を聞いた。『神はどこにいるって? ここにいるんだ,この絞首台の上で縛り首になっているんだよ……』」。

クリスチャンであると唱える人の中にも信仰を失った人が少なくありませんでした。ハリー・J・カーガスは,クリスチャン・センチュリー誌の中で,かつて教会に通っていた多くの人が抱いた感情を次のように言い表わしました。「私の考えでは,この大殺りく<ホロコースト>はクリスチャンにとって磔刑に次ぐ最大の悲劇である。前者の場合,イエスが死んだ。そして後者の場合は,キリスト教が死んだと言ってよかろう。……自らをクリスチャンと称する者たちの手で計画・建設・運営の大半が行なわれた死の収容所があったというのに,今日クリスチャンであり得ようか……」。

しかし,信仰を砕かれなかった一群の人たちがいました。聖書を学んでいるエホバの証人は,収容所内の悪も,幾世紀にもわたって人類を悩ましてきた苦しみも神によるのではないことを理解していました。それどころか,そうしたものは神を憂えさせ,かつ人間には神から独立してその歩みを導く能力のないことを証明するものに過ぎません。(エレミヤ 10:23。伝道 8:9)神はみ言葉である聖書の中で,定めの時に地から悪を一掃することを約束しておられます。神はまた,信仰を持つ人々が味わった損失を相殺し,彼らを命によみがえらせることさえおできになります。―啓示 21:4。「幸福 ― それを見いだす方法」という本aの「悪 ― 神が許しておられるのはなぜか」と題する章もご覧ください。

女性の間の信仰

例として,強制収容所が女性に与えた影響について調べてみることにしましょう。

ルドルフ・ヘスは,自伝「アウシュビッツの長官」の中で次のように語っています。「初めからすし詰めの状態にあった女性だけの収容所に入れられると,女性収容者の大多数は精神的に参ってしまう。その結果,早晩体もだめになってしまうのであった。どの観点からも,またどの時期においても,女性だけの収容所には最悪の状態が見られた」。

もちろん,状況は,収容所によっても,また戦争中の時期によっても幾分異なっていました。しかしヘスは次のように語っています。「女性は,最悪の状態に至ると,全く自制心を失ってしまう。幽霊のようにふらつき回り……やがて訪れる静かに死ぬ日を待つだけである」。権威を与えられていた一部の収容者の行動もこうした状態を作り出すのに一役買っていました。ヘスによると,「彼女たちは,厳しさ,卑劣さ,執念深さ,その堕落ぶりにおいて,同じ立場にいる男たちをはるかにしのいで」いました。

しかし,ヘスは次のようにも言葉を加えています。「これと正に好対照をなしていたのは,“聖書のハチ”もしくは“聖書の虫”と呼ばれていた女性のエホバの証人たちであった。残念ながら,彼女たちはごく少数にすぎなかった」。

戦りつを覚えるナチの強制収容所のただ中で,これら女性のエホバの証人たちはどのようにしてもちこたえることができたのでしょうか。その信仰はどのような影響を受けましたか。マルガレーテ・ブーバー著,「二人の独裁者の下で」(1949年)の中に,目撃者の語った情報が収められています。

ブーバー夫妻は1930年初期に,ドイツ共産党の有力な党員でした。モスクワに出頭を命じられた後,夫妻は「政治路線を逸脱した」との理由で逮捕されました。共産主義の理論を依然信じてはいたものの,マルガレーテ・ブーバーはシベリアの収容所に送られました。そして後に,ナチの手に渡され,悪名高い女性だけのラベンスブリュック強制収容所で5年を過ごしました。

一時期彼女は,ブロックと呼ばれる幾つかの宿舎の収容者を監督するブロック最上級者の仕事をしました。そのブロックの収容者の大半はエホバの証人(聖書研究者)でした。マルガレーテ・ブーバーの著書には,エホバの証人ではない一政治犯の目撃した実際の記録が収められています。またその内容は,4年以上にわたってラベンスブリュックに収容されていたエホバの証人であるゲルトルーデ・ポエツィンガーによって真実であることが確認されています。彼女は現在,ニューヨークのブルックリンにあるエホバの証人の世界本部で夫と共に奉仕しています。次の記事は,その本の一部をマルガレーテ・ブーバー自身の言葉で,同女史の承諾の下に要約したものです。

二人の独裁者の下で

新しく強制収容所に入れられた者たちはみな恐ろしい時期を切り抜けなければならない。その間に囚人は,いかに身体が強健であっても,いかに冷静であっても,骨の髄までゆさぶられるのである。しかもラベンスブリュックでは,新しい入所者の苦しみは年ごとにひどくなり,そのため囚人の死亡率は最も高いほうであった。囚人たちが自分の運命とあきらめて,収容所内での生活に適応するようになるまでには,性格によって何週間,何か月,あるいは何年もかかる。囚人の性格が変わってしまうのはこの時期である。外の世界や他の囚人に対する関心が次第に薄れていくのである。

私は苦しみほど,それも強制収容所内の男女に加えられるような侮辱を伴う過度の苦しみほど,人間を堕落させるものはないと思う。親衛隊員にぶたれてもぶち返すことはできない。親衛隊員が威張りちらし,侮辱を加える時でも,口を堅く閉ざし,言葉を返してはならないのである。囚人はすべての人権 ― 一つの例外もなく,まさしくすべての人権を失ったのである。周囲にいる他の不幸な人々と区別するための番号が付けられた単なる生き物に過ぎなかった。

私が言うのは,収容所内で何らかの地位を持ち,自分に任された者たちを虐待することができた囚人のことではなく,普通の女囚たちのことである。もしだれかがほんの少し多くの食物,ほんの少し厚めの切れのパン,ほんの少し多くのマーガリンやソーセージを取ったように思えでもしたなら,そのことを怒り憤慨する不愉快な光景がたちまちのうちに出現する。

ころがるように2段ベッドを出てから,外に整列し点呼を受けるまでの時間は45分しかなかった。その間に顔を洗い,服装を整え,ロッカーを整とんし,“朝食”をとるのである。最も良い状況の下にあっても,これだけの時間にこれだけのことをするのは容易ではない。それを,一つのバラックの中で100人の女がしようとして走り回るのであるから,その有様は想像に難くないと思う。それも口汚くののしり合いながらするのである。

[以上はこの本の著者がラベンスブリュックで経験した生活の描写の一部です。しかしその後,著者は聖書研究者たちが収容されていた第3ブロックの最上級者に任命されました。]

その日の午後,私は第3ブロックでの任務に就いた。そこの雰囲気は他のブロックとは大変違っていた。とても静かで,洗たく粉,消毒液,キャベツのスープのにおいがしていた。270人の女囚がそれぞれの食事に着いていた。私が部屋に入っていくと,背の高い金髪の女がすぐに立ち上がって私を席に案内し,キャベツのスープの入った鉢を持ってきてくれた。私はどうしていいか分からなかった。

どのテーブルに目をやっても,そこには同じようにつつましやかな微笑を浮かべた顔があった。全員が髪を後ろに引き詰めて結わえていた。そしてきちんとテーブルに着き,まるで1本のひもで操られるかのように食事をした。ほとんどが農家の出のようであった。肉の落ちた顔は太陽や風にさらされて茶色になり,しわが寄っていた。女たちの多くはもう何年も刑務所や強制収容所の生活を送っていた。

囚人の数は275名 ― 全員が聖書研究者である。全員が模範囚で,全員が収容所の規則や決まりを熟知していて忠実にそれを実行した。どのロッカーも全く同じように整とんされ,全部のロッカーが清潔,整とんの模範であった。タオルはすべてロッカーのとびらに,決められた通りきちんと掛けられていたし,鉢や皿,カップなどもみなよくみがかれていて清潔であった。腰掛けもブラシできれいに洗われて染み一つなく,使わない時にはきちんと積み重ねられていた。ほこりの払い方も徹底していて,バラックの屋根の下の梁材のほこりまでふき取った。私たちのバラックには天井がなかったからである。目を上げると屋根の裏がそのまま見えた。監督である親衛隊員の中には,白い手袋をはめた手で棚やロッカーの上をなでたり,テーブルの上に乗って梁の上をなでたりして,ほこりが払われているかどうかを調べる者がいるのだということであった。

トイレや洗面所も同じように掃除が行き届いていた。しかしこの清潔,整とんが最高に行き届いていたのは宿舎であった。各宿舎にはベッドが140台あった。このベッドの家は実に驚くべきものだった。わらぶとんと枕は箱のように見えた。毛布はみな全く同じように,そして同じ大きさにきれいにたたまれ,全く同じようにベッドの上に並べられた。すべてのベッドに,そこで寝る囚人の氏名と番号が書き込まれたカードが付けられており,とびらにはその宿舎のベッドの正確な配置図があって,そこでだれが寝るかが正確に示されていたので,検閲に来る者たちはだれがどこにいるかすぐに分かった。

“反社会分子グループ”b のバラックの最上級者であった時には一日中何かの仕事に追い回されるか,何かの新しい恐怖にさいなまれていた。しかし聖書研究者たちとの生活は極めて円滑にいった。すべてが時計のように進行した。朝になると,点呼までの仕事を終わらせることにみな一生懸命で,大声をたてる者など一人もいなかった。ほかのブロックでは,ブロックやバラックの最上級者たちが声をからして叫ばなければ,監督下にいる者たちを外へ出して整列させることはできなかったが,ここでは私が一語も口にしなくても,すべてが静かに行なわれた。食物の分配,消燈その他,囚人の一日の活動すべてが同じように進行した。

聖書研究者たちに対する私の主な仕事は,彼女たちの生活をできるだけ耐えやすいものにすること,ブロック・リーダーである親衛隊員のずるいやり方を巧みにかわすことであった。

第3ブロックでは物が盗まれることなど全くなかった。うそをついたり,作り話をしたりする者もいなかった。一人一人が非常に良心的であったばかりでなく,グループ全体の福祉に対する責任も自覚していた。私が味方であることを彼女たちが気付くまでにそれほど長くはかからなかった。

いったんこの関係が確立し,彼女らの中に私を裏切る者が一人もいないことを確信してからは,私が彼女らのためにしてやれることはたくさんあった。例えば,あらゆる口実をもうけ,細工をして,体力のない年寄りの囚人たちが点呼のために何時間も立たなくてもよいようにした。“反社会分子グループ”に対してはそのようなことはできなかった。激しい仕事に比較的よく耐えられる者たちが,えこひいきをしていると考えて憤慨し,親衛隊員に私を密告するからである。

聖書研究者たちのブロックは,ラベンスブリュックの囚人たちの中でも,同一グループの者でなる唯一のブロックであった。初めて第3ブロックに行った時,私は彼らの宗教的信念や,ヒトラーが彼らをきらっている理由をほとんど知らなかった。きらっていたという言い方は,彼らに対するヒトラーの態度を説明するには穏やかすぎる。ヒトラーは彼らを国家の敵と呼んで非難し,容赦なく迫害を加えた。

私が改宗する見込みのない者であることを彼女らはすぐに気付いたが,それでも引き続き私に同情を示し,私がいつの日か「光を見る」ようになることを希望してやまなかった。私が理解し得た限りでは,彼女らは次のようなことを信じていた。エホバの証人を除く人間全部が,間もなく訪れる世の終わりに,永遠の暗やみに投げ込まれる。最後に善は悪に対して勝利を収める。国が国に対して剣を上げることはなくなり,ひょうと子やぎは共に伏し,子牛や若いライオンや肥えた動物が共におり,エホバの聖なる山では傷付け破壊する者は一人もいない。また死ぬことももはやなくなり,すべての者 ― 生存者 ― がそれ以後幸福に生き,そしてその幸せは終わることがない。

この簡明で心を満足させる信仰は彼女らに力を与えた。そのために長い年月にわたる強制収容所生活とそれに伴うあらゆる侮辱と屈辱に耐え,しかも人間としての威厳を保ったのである。彼女らには死を恐れないことを証明すべき理由があった。そしてそれを証明したのである。自分の信仰のためなら死を前にしてもひるむことがなかった。

聖書研究者たちは十戒の第6の戒めを真剣に受け取っていたので,あらゆる戦争,あらゆる軍役に断固反対した。この点で首尾一貫した態度を取ったために,男子の証人たちは多数命を失った。同派に属する女たちも,戦争への協力になると自分たちが判断した仕事は一切行なおうとしなかった。

彼らの責任感と義務感は揺るがないものであった。彼らは勤勉で,正直で,従順であった。エホバの証人たちはいわば“自発的な囚人”であった。というのは,もし釈放を願うなら,「私はここに次のことを宣言します。私は今日限り自分を聖書研究者とは考えません。そして国際聖書研究者協会のためにはこれ以上何事も行ないません」と書かれた聖書研究者用の特別の書類に署名するだけでよかったからである。

私がブロック最上級者になる前,証人たちは大変苦しい目に遭っていた。ケーテ・クノール[前の悪名高いブロック最上級者]は,証人たちが宗教的な事柄について話し合うのを極力妨害したからである。宗教の話やノートを比べ合うこと ― 早く言えば“聖書研究”― をさせないようにすることは一種の中国式拷問であった。ケーテ・クノールはその方法を用いることに悪意のある熱意を傾けた。

証人たちのブロック最上級者になってからかなりたって私は,“聖書の虫たち”― 収容所では彼女たちはその名で知られていた ― が,聖書や,聖書研究者の発行した文書を持っているのを発見した。仕事からもどる時にバケツやぞうきんなどの中に忍ばせてそれらを持ち込むようになったのである。そうしたものを発見すると,私はブロックの中のどこかに隠しておく方が危険が少ないということを提案した。この提案は熱意をもって受け入れられた。それからというものは,夜や日曜日に,ブロック内で聖書研究がかなりおおっぴらに行なわれるようになった。夜寝る時には証人たちは,親衛隊の女が犬を連れて回って来る前に,ベッドの中でひそやかに彼女たちの賛美歌を歌った。私の仕事は,危険を十分前もって警告し,禁じられている文書を隠す機会を与えることだった。

私は少なからぬ危険を犯していた。私には,ブロック最上級者としてそこで行なわれることすべてに責任があった。その時は,私の強制収容所生活における,いわばハルマゲドン後の“黄金時代”であったが,どうしてあの残虐なケーゲルの相続ぐ検閲をうまくかわし,穴倉と呼ばれていた懲罰ブロックにも入れられずにすんだのか,いまだに分からない。

しかし私はもっと危ない綱を渡った。囚人は病気になると私を通して医療所に報告しなければならないことになっていた。決め手は体温計であった。その目盛りのいかんによって病気の女囚は病室に送られて,“屋内の仕事”をすることを許されるか,あるいは情け容赦なく普通の労働に追いやられるのである。“証人たち”の中には年を取った女がかなりいた。熱こそなかったが,非常に弱くて仕事にはとても耐えられなかった。彼女らの仕事を少し楽にし,時々一日の休みを与える唯一の方法は,私が集団の人数を偽って報告する以外になかった。そして私はそれを行なった。もしそのことが発見されていたならどうなっただろうか,考えるだけでも恐ろしいことである。私たちの所は検閲ブロックだったのでなおのことむずかしかった。[検閲ブロック:視察に来るナチの将校たちが案内されるブロック。著者は予告なしのふいの視察について次のように述べています。]

私は適当にへりくだった声で報告をするようにしていた。

「ブロック最上級者,マルガレーテ・ブーバー,4208番。第3ブロックについて報告いたします。収容人員,聖書研究者275名,政治犯3名。うち260名は作業中。バラックの当番8名,屋内の仕事を許されている者7名」。

するとケーゲルはとろんとした青い目で私を凝視し,ひげをきれいにそったあごをぐいと引いてうなるような声で何か文句を言うのが常だった。それが終わると私は次々にドアを開け,また最初の三つのロッカーを開けることをして,お定まりの検閲を行なった。バラック内にいることを認められている囚人たちに近付く時には,“アハトゥング!”と号令を掛けた。するとみなびっくり箱が開いた時のようにいっせいに飛び上がって不動の姿勢を取った。男であれ女であれ,ナチス突撃隊員であれヒトラー親衛隊員であれ,訪問者は例外なく,ブリキやアルミの器が光っているのには感心した。囚人に質問するのは大抵ケーゲルだけであった。「なぜ逮捕されたのか」という問いに対する答えはきまって,「私がエホバの証人だからです」というものであった。ケーゲルはそれ以上尋ねようとはしなかった。これら不屈の聖書研究者たちは,[自分たちが証人であることを]実証する機会を決して逃さないことを,経験から知っていたからである。そのあと訪問者たちは宿舎を調べるのであるが,非の打ち所のない整とんぶりに必ず感嘆の声を放つのであった。

親衛隊の主任監督フラウ・ランゲフェルトは,“証人たち”に好意的で彼らを保護したが,指導的な立場にあった監督の一人,ツィンマーという名の女は,証人たちを自分が飼っている“下等な動物”程度に考えていた。フラウ・ツィンマーは何事にも満足するということがなかった。極めて模範的に整えられたベッドでも,決していいとは言わなかった。そして証人たちを侮辱し,痛め付ける機会も逃しはしなかった。

[収容所当局は証人たちの平和とクリスチャンの一致を乱すために,100人ほどの“反社会分子グループ”をそのブロックに送り込みました。]

それはあたかも羊の囲いの中にオオカミが入り込んだかのようであった。非難や盗みや口論は日常茶飯事となった。彼女らは“証人たち”が聖書研究をし,宗教の話をするのを早速非難し始めた。彼女らはまた手当たり次第に物を盗んだ。当局の代表とでも思ったのか,一般にひどく攻撃的で相手を挑発するような態度を取った。私にとってそれは本当に悲しいことだった。しかし,私が困難な事態に直面すると,“証人たち”は感心にもみな私の側に回り,あらゆる手を尽くして私を支持してくれた。彼女たちのおかげで,私たちは苦難の6か月間をなんとか重大な問題もなく切り抜けることができた。

私は迷惑をかける者たちを引き離しておくことに努めた。食事中に自分たちの事柄を話し合っても非難される危険がないように,“証人たち”を別のテーブルに座らせるようにした。そして夜には,“反社会分子グループ”の者たちを2段ベッドの上の段に,“証人たち”を下の段に眠らせた。しかしその結果からして,当局者たち ― 首謀者は言わずと知れたフラウ・ツィンマーであった ― は,収容所内の夜尿症で悪名高い女たちをみな選び出して私たちのブロックに送り込んでいたに違いなかった。だから毎晩のようにその尿が,下の段に寝ていた者たちの上に滴り落ちた。

ある日のこと私たちの宿敵,フラウ・ツィンマーが自分の仕組んだ悪事がどうなったかを見にやって来た。彼女は私が羊とやぎを分けたことをすぐに見抜いて私にくってかかった。

「私を盲だと思ったら大間違いだよ」と,彼女は言った。「お前がここの聖書のおしゃべりどもをかばっていることぐらいちゃんと分かっているんだからね。聖書の虫と“反社会分子グループ”とを別にしたら承知しないよ,分かっただろうな」。

そういう訳で,私はまた彼女らを一緒にし,なんとかなるだろうと考えるほかはなかった。エホバが介入したのはその時点であった。聖書研究者たちがそのグループの者たちを,長い間行方不明になっていた姉妹でもあるかのように受け入れたのである。おなかがすいたと言えば同情し,パンがもっと欲しいと言えば自分のパンを分けてやった。万事がそういう調子であった。私はこのクリスチャンの慈善行為を複雑な気持ちで見守っていたが,それは確かに効を奏した。親切で親しみやすい態度に同グループの者たちの心は和らいでいった。それから光を示す運動が始まった。短期間にかなりの数の“反社会分子グループ”の者 ― ジプシー,ポーランド人,ユダヤ人,政治犯 ― が親衛隊の事務所に出頭して,今から私をエホバの証人と考えて欲しいと言い,薄紫の三角の印をそでに付けることを要求した。それがあまり激しくなると,親衛隊員は改宗者たちをただどなりつけて追い出した。しまいには親衛隊員もうんざりして,“反社会分子グループ”を私たちのブロックから移動させたので,再び平和が戻ってきた。私はほっとしてため息をついた。そして“証人たち”は集まりを開いてエホバに感謝の祈りをささげた。

あなたにとって実際的な価値のある信仰

どんな理由があってもナチ強制収容所の身の毛もよだつような経験をしなければならないとしたら,それはどんな人にとっても悲劇です。しかし,それは現に起きました。では,そのことから,わたしたちは何を学べるでしょうか。

「二人の独裁者の下で」と題する本の中の記録は,そこに登場するクリスチャン婦人たちが抱いていた信仰を立証するものです。それは確かに便宜上の信仰などではありませんでした。それどころか,神へのそうした強固な信仰を支えにして生きることが彼女たちにもたらした実際的な益に注目しないわけにはいきません。これらの婦人たちは神が地上から悪を一掃される時を待ち望んでいました。

信仰は婦人たちによりどころを得させ,精神的にも道徳的にも平衡を保つよう助けました。心配のために健康が損なわれたり,失意のために力がなくなったりすることもありませんでした。こうして,信仰は,日々生き続ける助けとなりました。

強制収容所の中でエホバの証人をじかに観察した心理学者のブルーノ・ベテルハイムは,エホバの証人についてこう書いています。「人間の威厳をまれなほど高く保ち,道徳的に優れた行動を取っただけではない。私の友人である精神分析学者や私自身が心身共に均衡の取れた人物とみなしていた人々の人格を簡単に破壊したような強制収容所の経験をしても,彼らは保護されているかのように思えた」―「教化された心」(下線は本誌)。

さらに,「地下牢の民主主義」と題する本はこう述べています。「彼らは一部の者の嘲笑の的になっていたが,それを相手にせず,人間の威厳を保持した。その時ほかの者たちは,生き残るための死に物狂いの闘いで優位を得るためあさましくも人間の威厳を売り渡していたのである」。

たとえ自分はそれほどの苦しい目に遭うことなどなくても,そのような信仰が自分にとって役に立つことは理解できるのではないでしょうか。現代人ならだれでも経験するように,あなたも日々様々な問題を抱え,圧迫を受けておられるはずです。しかし,神に対する信仰があれば,ずっと不安の少ない生活を送ることができます。

神と神のみ言葉に対する信仰には,対人関係の面でも実際的な価値があります。例えば,深い信仰に調和して生活するなら,他の人々は普通わりあいその人を公正に扱い,敬意をもって接するものです。今日の激烈な競争の世の中で,そのようなことはあり得ないように思えますか。ではベテルハイムが収容所内のエホバの証人について語った次の言葉を考えてください。「エホバの証人は収容者の中で他の収容者をののしったり虐待したりなど決してしない(むしろ,収容者仲間にいつも大変親切な)唯一のグループだったので,親衛隊の将校たちは,証人たちの仕事の習慣や技能,謙遜な態度のゆえに身の回りの世話をさせるのに彼らを用いることを好んだ」。

今日でも同様のことが言えます。信仰と神の霊があるので,エホバの証人はやはり,親しみ深く柔和で正直,かつ勤勉であるよう努めています。(ガラテア 5:23。ローマ 12:16-18,21。ヤコブ 3:13。エフェソス 4:28)ですから,エホバの証人が従業員として大切にされることは珍しくありません。仕事が比較的容易に見付かったり,他の人たちが一時解雇される時に解雇されずにすんだり,責任ある地位へすぐに昇進したりすることも少なくありません。

他の多くの面においても,信仰には実際的な価値のあることが明らかになります。信仰は,若者が人生を一層目的のあるものにし,もっと幸福になるよう助けます。家族生活や性にかかわる問題でも,信仰には実際的な価値があります。信仰があると健康が増進し長生きすることもあります。

しかし,多くの人が信仰には確かに実際的な価値があると一番感じるのは,ヘブライ 11章6節の中で明らかにされている次のような場合ではないでしょうか。使徒パウロは次のように記しています。「信仰がなければ,神をじゅうぶんに喜ばせることはできません。神に近づく者は,神がおられること,また,ご自分をせつに求める者に報いてくださることを信じなければならないからです」。

何百万人を超えるエホバの証人は,信仰によって,神が報いとして約束しておられる,地上での平和で義に満ちた幸福な生活を待ち望んでいます。(ペテロ第二 3:13)その報いについて,また,信仰が現在はむろん永遠にわたってあなたの生活を益することについて,さらに詳しい説明をエホバの証人からお聞きになるよう心からお勧めいたします。

[脚注]

a ニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会発行(1981年)。

b 売春婦,浮浪者,すり,アルコール中毒者その他の“怠惰な者たち”から成るグループ。

[8ページの図版]

1944年当時のゲルトルーデ・ポエツィンガー。ラベンスブリュック強制収容所に入れられた275名のエホバの証人の一人

[9ページの図版]

最近のゲルトルーデ・ポエツィンガー。エホバの証人の世界本部で奉仕している

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