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  • 『憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかけなさい』

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  • 『憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかけなさい』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
塔82 7/15 13–15ページ

『憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかけなさい』

「初め沈んだ気分になり,その状態がずっと続きました。どこかへ出掛けたり,何かをしたりする気分になれず,集中することもできませんでした。気がふさいで混乱し,自分の生涯と神への奉仕の良い記録が価値のないものに思えてきました。私はうろたえ,おびえるようになりました」。宣教者として長年生活してきた48歳のあるエホバの証人は自分の感情をこのように描写しました。この女性はさらに,「私はそれまでずっと身体的にも霊的にも健康でした。ところが突然,自分は二度と立ち上がれないだろうと感じたのです」と語っています。

円熟した一兄弟も次のように伝えています。「私は仕事のことですっかり憂うつになりました。勤めから帰っても,気がふさいでいて,食事を取ることもできませんでした。食卓を離れて独りきりになれる部屋へ行き,泣いたものです。涙があふれてどうしようもなかったのです。また,他の人にすぐ腹を立てました。私は,『自分はこれからどうなるのか。どうしてこんなことになったのか』と考え続けました。そんなことが6か月続きました」。

この二人は重症うつ病にかかっていました。神の民の中にはこの「憂いに沈んだ魂」の見られることを示す報告がほかにもあります。(テサロニケ第一 5:14)世界の統計は,うつ病患者が著しく増加していることを示しています。神との関係を得ている人々が,うつ病を引き起こす状況の影響を受けることは普通比較的少ないものの,そうした人々も決してこの疾患に対して免疫になっているわけではありません。では,そのように忠実な僕が抑うつ状態に陥ることがあるのでしょうか。

「わたしは非常に憂うつだ」

エルサレムの忠節な王ダビデは抑うつ状態に陥りました。自分の誤りや愚かな行ないのゆえに,ダビデは,「わたしは非常に憂うつだ。一日中悲嘆にくれている」と書きました。(詩篇 38:6,デウィト訳)次のページのわくの中には,何人かの忠実な僕たちが時々どのように感じることがあったか,また何が原因でそうなったかが示されています。しかし,わくの中に挙げられている人々は皆,それぞれの苦悩を克服しました。聖書の記録によれば,いずれも忠実に神に仕え続けました。

人がうつ病にかかる原因は様々です。その幾つかは,患者がほとんどどうすることもできないものです。最近の医学研究によれば,ある種の重いうつ病は,幾つかの身体的な原因が重なった結果とも考えられる脳の化学的不均衡によって生じることが明らかになっています。a 同時に,考える事柄だけが原因でうつ病になる場合もあります。聖書中の一つの例はこの点で啓発を与えるものです。

捕らわれの身の使徒パウロの世話を熱心に行なったエパフロデトという人は抑うつ状態に陥りました。パウロはこの僕を,ローマから彼が元いたフィリピの会衆へ送り返しました。そして,エパフロデトに託したものと思われますが,1通の手紙を急送しました。そこには,取り分け,「[エパフロデトは]自分が病気になったのをあなたがたが伝え聞いたことで沈んでいる」と書かれていました。確かにエパフロデトは病気になりましたが,すでに回復していました。それでも沈んでいたのです。何が原因で抑うつ状態に陥っていたのでしょうか。エパフロデトは,「自分が病気になったのを」会衆が「伝え聞いた」ことを知りました。どうしてそれが抑うつ状態を引き起こしたのでしょうか。―フィリピ 2:25-30。

その献身的な僕は,他の人の感情に大変敏感な人だったようです。エパフロデトは,自分が病気になったことを伝え聞いて,元いた会衆の愛する兄弟姉妹が心配していることを大変気に病みました。兄弟姉妹たちを安心させたい ― しかし幾百㌔も離れていてその望みはなかった ― という切なる願いが高じて抑うつ状態に陥ったものと思われます。今日,エパフロデトのように,主の業にひたすら励む人々にさえ,同様のことは起こり得ます。他の人の感情を極端に心配したり気に病んだりすると,あるいは他の人を落胆させたと思うとうつ病にかかることがあります。

周囲の人はうつ病にかかった人をどのように援助できるでしょうか。

『なぐさめのことばをかける』

うつ病にかかったあるクリスチャンは涙ながらに,「どうしたらいいのかしら。いつまでもこんなふうにしてはいられないわ」と夫に訴えました。信者でない夫は「我慢することだな」と辛らつに答えました。その女性はすっかり打ちのめされ,翌日自殺を図って死にそうになりました。『憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかけなさい』という聖書の命令に留意するのはすべての人にとって非常に大切なことです。そうしないなら,取り返しのつかない害の及ぶことがあります。しかし,憂いに沈んだ魂を元気付けたいと思っても,何を話したらよいのか分からないことがよくあります。―テサロニケ第一 5:14。

コリント会衆へあてた2度目の手紙の中で,パウロは,『内に恐れ』があったため,『うちひしがれていた』ことを示唆しています。パウロは良い報告によって慰められました。テトスがコリント会衆の霊的状態が改善されたこと,また兄弟たちがパウロに対する「熱心さ」もしくは気遣いを抱いていること,そして彼らがパウロに会うことを「切望」していることなどを伝えたからです。自分に対する兄弟たちの愛を伝え聞いてパウロは元気付けられました。(コリント第二 7:5-7)今日でも同様のことが言えます。体をそこなううつ病にかかっていたあるクリスチャン婦人は次のように語りました。「取り分け,他の人々が自分を一個の人間として気遣っていてくれるということを知る必要があります。『よく分かります。すぐに元気になりますよ。あなたの経験に感謝しています。あなたとお話ししているのが好きです』というような言葉を人から聞くことが必要なのです」。

「感情移入ということを学んだ」

うつ病にかかったことのある,子供を持つ一クリスチャン婦人はこう言いました。「一つの事は忘れられない教訓となっています。感情移入ということを学んだのです。私は以前,やる気を出して仕事に取りかかりさえすればよいという考え方をしていました。ですから病気の人をそれほど思いやることができませんでした。今になって分かりました。友達の中には,『気力で立ち直りなさい』と言う人がいましたが,それこそ私が一番願っていたことでした。でも,その時はどうしようもありませんでした。友達の言葉はひどくこたえました」。うつ病患者は,他の人から「思いやり」を示してもらうことを必要としています。―ペテロ第一 3:8。

家族や友人はどのように助けを差し伸べることができるでしょうか。以前うつ病にかかったことのある40歳の母親は次のように回顧しています。「身体的にも感情的にもつらいだけでなく普段家族のためにしてやれることをしていないという罪の意識があります」。それでこの婦人は,「うつ病にかかっている人が最善を尽くしていることを分かってあげ,そのことを本人に伝えてください。これからも最善を尽くしてゆくように励ましてください」と述べています。

励ましの言葉を述べることは必要ですし感謝されますが,援助したいと願っている人々にできることはほかにもあります。

弱い者を支える

パウロはテサロニケ会衆に,『憂いに沈んだ魂になぐさめのことばをかける』よう勧めただけでなく,「弱い者を支え,すべての人に対して辛抱強くありなさい」とも勧めました。『支えなさい』という言葉には行動が関係しています。なぜなら,原語のギリシャ語bの主な意味は,人が倒れないように,相手とは逆の方向に踏ん張り続けるということです。―テサロニケ第一 5:14。

500人余りの人を対象とした一研究の報告は次のように結んでいました。「うつ病を退けるのに必要とされるのは,勇気,強い意志,陽気な性格以上に,親密で支えとなってくれる友人や家族であろう」。著名な精神医学者,L・キャマー博士は,同様に,「うつ病患者には,お説教を始めることでなく,忍耐強い人が身近にいることが肝要である」と述べました。ですから,電話をかけたり,ちょっと立ち寄ったりするような積極的な援助は深く感謝されることでしょう。

あるクリスチャン婦人は,その人にとってどんな治療が一番役立ったかと尋ねられた時,次のように答えました。「一番大きな助けは霊的な兄弟姉妹に囲まれていたことでした。さもなければ,立ち直れなかったと思います。エホバの証人のこの会衆には愛や気遣いや理解がありました。それは丁度,防壁のようでした」。

当然のことながら,うつ病患者は頭が混乱していることがあるので,援助に際して優しい中にもき然とした態度を示さなければならない場合があります。自分と一緒に散歩に行くこと,その他何かの運動をすること,薬を飲むこと,あるいは霊的活動を続けることなどを優しく勧める必要があります。

身体的な病気で入院すると,一日に二,三回,量の多い食事を与えられるのでなく,少量を何度にも分けて与えられることがしばしばあります。霊的な食物をもってうつ病の人を援助する場合にも同様のことが必要でしょう。長い時間聖書の討議をしようとするより,様々な機会に霊的に“良い事柄”を短時間話し合うのは,配偶者や気遣っている友人にとって非常に忍耐のいることかもしれません。しかし,長時間聖書の討議をすることはうつ病患者にとって大きな負担となることがあるのです。患者が導きに応じない場合でも,示された愛はその人に影響を及ぼします。

疾患が一通りの経過をたどるまで,あるいは医療に好ましい反応を示すまで,他の人々は引き続き忍耐と理解を示す必要があります。時には,どんな医療も効き目がないように思える場合があります。ですから,間もなく到来する新秩序でエホバが精神的および身体的な病気すべてをいやされるまで,それら病んでいる人々を援助するために,自己犠牲的な愛と辛抱強さが必要とされます。―啓示 21:3,4。

会衆の長老たちには特別な責任があります。その点を扱った,「教えを受けた舌は『うみ疲れた者を励ます』」と題する記事が近刊号に掲載されることになっています。

[脚注]

a 姉妹雑誌である「目ざめよ!」誌の1981年12月8日号に掲載されている,「問題はすべて頭の中にあるのですか」と題する記事をご覧ください

b アンテケスセ ―「に対して持ちこたえていなさい」。

[14ページの囲み記事]

どのように感じることがあったか その理由

ヨブ 『神はわたしを見捨てられた』, 病気と自分の身に降り懸かった

『わたしは自分の命に対して嫌悪を 不幸。神から見捨てられた

感じる』― ヨブ 29:2,4,5; 10:1,新。 ように思えた。

ヤコブ 慰めを受け入れようとしなかった。 息子が死んだと思って悲嘆に

「泣きつづけた」。『わたしは墓に 暮れる

入りたい』― 創世記 37:35,新。

ハンナ 『泣いて,食事をしなかった』。『魂が 息子が生まれないことにひどく

苦しんでいたので,ひどく泣いた』 落胆していた

― サムエル前 1:7,10,新。

ヨナ 「わたしは生きているより,死んで うっ積した怒り

しまったほうがましだ」。「つらい状態」

にあった。―ヨナ 4:6,8,新。

ダビデ 『わたしは一日じゅう悲しみを抱いて 重大なとがに対する罪悪感

歩き回りました』。『わたしは感覚を

失いました』。「わたしの力はわたしを

去りました」― 詩篇 38:6,8,10,新。

ネヘミヤ 『数日のあいだ嘆き悲しんだ』。 神の民のある人々の状態を

『心が憂うつになっていた』 知って動揺した

― ネヘミヤ 1:4; 2:2,新。

パウロ 「内には恐れがあり」,「うちひしがれ」 反対および休息が足りない状態

ていた。―コリント第二 7:5,6。

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