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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
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読者からの質問

■ わたしたちは依然として泣くことがあるのに,啓示 7章17節が今日のクリスチャンに当てはまるとどうして言えるのでしょうか。

啓示 7章17節は,地上での永遠の命の希望を持つ「大群衆」について次のように述べています。「み座の真ん中におられる子羊が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれる(の)である。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。

使徒ヨハネは大群衆が「大患難から出て来る」と告げられました。(啓示 7:9-14)ですから,啓示 7章14-17節は神の側に現在立場を取り,キリストの血を受け入れ,現在の事物の体制が「大患難」をもって終わる時に生き残る人々に当てはまる,とわたしたちは理解しています。

『彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くし,彼らはもはや飢えることも渇くこともなく,太陽が彼らの上に照りつけることもない』と啓示は述べており,さらに「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」と述べています。この言葉を文字通りの,身体的な意味に理解すべきではありません。なぜでしょうか。彼らは文字通りの意味で自分たちの衣服をキリストの血で洗ったのではありません。また,完全な人間イエスの場合と同様,彼らは時として身体的な飢えや渇きを感じます。(ルカ 4:2。ヨハネ 4:7,8; 19:28,29)ですから,啓示 7章14-17節の主な適用は象徴的なもの,つまり霊的なものであるに違いありません。

「『その時,神の秘義は終了する』」という本の228-230ページはこれらの節を説明しています。それによると,大群衆は神の言葉で養われ,神への奉仕にあずかっているので,現在霊的に飢えることも渇くこともありません。イエスの場合と同様,彼らにとっても神の言葉や神への奉仕が食べ物や飲み物ともなるのです。(ヨハネ 4:32-34)彼らは現在,神の不興という熱を感じることはなく,大患難の際にもそれを感じることはありません。また,神について無知であったり,神との関係が悪いものであったりするために,(かつては泣いていたかもしれませんが)もはや泣くことはありません。この意味で,神は既に『彼らの目からすべての涙をぬぐい去って』おられるのです。

しかし後に啓示 21章3,4節で,大患難が終わって義の新体制が設立されてから,忠実な人間たちが身体面の祝福を経験し,その祝福の中には嘆きや叫びや苦痛がないことも含まれる,と保証されています。その時には,痛みや失望や悲嘆の涙は文字通りもはやなくなるでしょう。

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