20世紀の忠誠を保つ人々,大会を開く!
人類史のごく初期に,その戦陣は敷かれました。人間の領域だけでなく霊の領域でも反逆が起こり,創造者の主権の正当性が挑戦を受けたのです。このことによって一つの倫理的な論争が生じました。そしてその論争には,今なおエホバに忠節な者たちは,その忠誠を保つことによって神の支配権を支持するだろうか,という疑問が関係していました。―創世記 3:1-24。出エジプト記 9:16。ルカ 22:31。
悪魔サタンは,エホバの崇拝者たちがエホバに仕えているのは,エホバを愛しているからではなく,ただ自分に都合がよいからだと,根拠のない主張をしてきました。(ヨブ 1:1-2:10)しかし,エホバの崇拝者たちは,サタンとその反対する世が彼らの忠誠をくじこうと躍起になっているにもかかわらず,依然として神に忠節です。(ヘブライ 11:4-38。啓示 12:10-17)ものみの塔協会は,20世紀のエホバの僕たちが引き続き忠実であるよう鼓舞するため,エホバの証人の一連の「忠誠を保つ人々」大会の開催を取り決め,1985年の夏から多くの国々で開催されました。大会中はそれぞれの日に,適切な聖書的主題があってそれが強調されました。
「忠誠のうちに歩む」
大会初日のこの主題は霊的な食欲をそそりました。「『聞け,わたしの民よ』,エホバの言葉を」という題の話は,よく注意を払うべきことをすべての人に思い起こさせて,準備を整えました。『忠誠がわたしたちを保護するものとなりますように』という題の司会者による話は,その勧めが賢明なものであることを示していました。忠誠はどのように保護となるのでしょうか。忠誠は,心や動機や愛情を純粋なものに保ち,神への専心を全うすることを求めます。司会者は,『これがわたしたちの決意であるなら,わたしたちの忠誠はわたしたちを保護するものとなります』と明言しました。―詩編 25:5; 31:23。
次に,「試された忠誠を保つ人々の模範から励みを得る」という題の話がありました。話し手は励みになる過去の模範について述べた後,現代において模範的な忠誠を保つ人々をインタビューしました。忠誠を守るのは「良いたよりを恥じない」人々です。この話は,マルコ 8章38節に基づいたもので,わたしたちが宣教活動においても世俗の仕事場でも,あるいは他のどこにおいても,自分が何者かを恥じることなく明らかにすることは保護となる,ということをはっきりさせました。『イエスが,天のみ使いたちやみ父の前で,わたしたちが忠誠のうちに歩んだイエスの弟子であると宣言してくださったらどんなにすばらしいことでしょう!』
「啓示された事柄は,わたしたちとわたしたちの子らとに属する」,これは特に,愛のある父親のようにエホバは,「秘められている事柄」をご自分の民に啓示することを喜びとされる,ということを示す話でした。(申命記 29:29。アモス 3:7)これら啓示された事柄を勤勉に研究することによって,わたしたちは強められ,忠誠を固く守ることができます。次に,「エホバの言葉に喜びを見いだす」という題の話は,エホバの証人が聖書の研究生でなければならないという点を強調していました。(詩編 1:1,2)確かに,『研究は,忠誠のうちに歩むすべてのクリスチャンの生活の一部です』。
「聖書から論じる」という方法は,忠誠を保つ人々が,伝道で会う様々なタイプの人々と話す際に用いる方法です。例えば,テサロニケの会堂で使徒パウロは,『聖書から論じ,キリストが苦しみを受けることが必要であったことを説明したり,関連した事柄を挙げて証明したりしました』。パウロは成功したでしょうか。成功しました。聴いていた者たちのうち幾人かが信者になったからです。(使徒 17:1-4)大会出席者たちは,宣教中に出くわす質問に答える助けを得て感謝したでしょうか。話し手が,「聖書から論じる」という野外宣教のための新しい手引き書を発表した時,それは大きな喜びをもって受け入れられました。
「真理の言葉を正しく扱う」
二日目には,非常に大勢の ― 幾つかの大会では幾千人もの ― 開拓者が,話し手の言葉に応じて起立し,全時間奉仕を行なっているのが大勢の群衆であるという証拠を示すのを見ることができ,胸の躍る思いがしました。「全時間奉仕に入って精力的に励みなさい」というこの話の中では,開拓奉仕は,それにあずかるための苦闘を求められるとしても,その努力をするだけの価値があるということが強調されました。―ルカ 13:24。
「忠誠を保つことにより,エホバの心を喜ばせなさい」という題の基調をなす話は,箴言 27章11節に基づいたもので,神の言葉という宝の蔵を掘り下げ,次のような宝石を取り出しました。『真の意味での忠誠は,一人の方,つまりエホバ神に対する破れることのない専心を意味しています』。「サタンは忠誠を破らせる者の首謀者」であり,その者の反逆によって『エホバの主権の正当性に関する論争』が生じました。「エホバの主権は創造物が忠誠を保つことに依存しているわけではありませんが,悪魔の反逆的な行為により,……人間の忠誠という問題が宇宙主権の論争の重要な部分となりました」。話し手は,「わたしたちが忠誠を保つ者として勝利を得ることができるとどうして言えるのでしょうか」と問いかけ,「それは,わたしたちが神の言葉に従うからです」と答えました。―ローマ 14:8。
「エホバの祝福,それが人を富ませる」という話を迫力あるものとしたのは,霊的な関心事を生活の中で第一にするという点でした。おかげでわたしたちは,金銭は役立つとはいえ,金銭への愛は重大な危険を招きかねない,ということを一層十分に認識するようになりました。(伝道の書 7:12。テモテ第一 6:10)エホバの祝福すなわち真の富をもたらすのは,忠実さです。―箴言 10:22。
「あなたの将来 ― 一つの挑戦」と題する劇は,ナジル人の忠誠を保つ歩み方と,物質主義的な目標を追い求めるよりも開拓者となって全時間奉仕にとどまることを願うエホバの証人の若者たちの直面する挑戦とを比較するものでした。その劇は,挑戦を受け入れ,神に十分に仕えるよう若者たちに勧めました。それはまた,親や他の人たちがどのように助けになれるかを示すものでもありました。
「惜しみなくまき,豊かに刈り取りなさい」という話では,『まいたものを刈り取る』という原則は賢明で,正しく,愛のあるものであるということが説明されました。わたしたちは,神とキリストと『忠実な奴隷』に見倣い,集会への出席,祈り,証言すること,また家族関係において惜しみなくまきます。(マタイ 24:45-47)そのようにまくなら,エホバの祝福を刈り取ることは確実です。―ヘブライ 6:10。
「一人一人にどのように答えるべきですか」という話の間,聴衆は,「聖書から論じる」という新しい本の使い方に関する提案や実演に注意を集中しました。ふさわしい紹介の言葉によって無関心を克服する必要や,否定的ではあっても誠実な反応がある場合に上品な受け答えをする必要,また聖書がわたしたちの答えの源であることを示す必要のあることが強調されました。―コロサイ 4:6。
二日目の最後に行なわれた,「エホバのくすしい業を告げ知らせる」という話のあと,大会出席者たちは野外宣教に携わり,まさにその話の通りのことを行ないました。その日の午後,カナダのバンクーバーで戸別訪問を行なっていた一人の証人は,「神が愛の神であるのなら,なぜ悪を許しているのですか」という反論に出くわしました。質問した人は,新しい『論じる』の本に出ている答えに納得し,その場で聖書研究が取り決められました。
「ねじけた世代のただ中にあるとがめのない者」
これは三日目の,考えさせられる主題でした。その日の朝,「わたしたちの貴重なものをもってエホバを敬う」という話の中で,わたしたちの献身した生活,エホバとの緊密な関係,およびわたしたちの身体的,精神的,霊的,物質的資産はすべて貴重なものであり,それをもってわたしたちは天の父を敬うべきである,ということが強調されました。―箴言 3:9,10。
「再び力を得,疲れ果てることがない」という話からは,疑い,信仰の欠如,物質主義,誘惑,いろいろな形の失意落胆によってわたしたちの忠誠を打ち砕こうとするサタンの試みに抵抗するよう,わたしたちを助けるための時宜にかなった教訓が与えられました。勉強し,黙想し,祈り,集会に出席し,王国を宣べ伝える業に定期的に参加することは,疲れ果てることのないエネルギーの源であるエホバから力をいただく確実な方法です。―イザヤ 40:28-31。
「今日そして永遠に神のご意志に関して生きる」という講話の要点は,わたしたちがキリストの精神の意向を持っているなら,「もはや人間の欲望のためにではなく,神のご意志に関して」生きるということでした。(ペテロ第一 4:1,2)イエスは,どんなものであれ人間の欲望によってその道からそらされてしまうようなことを決してされませんでした。バプテスマ希望者は特に,次の「エホバの忠誠を保つ人々につらなる」という主題の話に注意深く耳を傾けました。彼らは,バプテスマの段階が忠誠を保つ競走の始まりにすぎないということを告げられました。よく走るには,祈り,神の言葉,クリスチャンの出版物,会衆との積極的な交わりといった備えを活用する必要があります。浸礼希望者は,踏もうとしている重要な段階の意味を理解しているかどうかを示す二つの質問に答えるため起立しました。それに続いて水のバプテスマが行なわれましたが,大会出席者たちによく見える所で行なわれたところもありました。
午後に行なわれた,「わたしたちの上にはエホバへの怖れがありますか」という話では,宇宙主権者なる方に対する敬意が強調されました。(箴言 8:13)神を恐れるユダのエホシャファト王と,今や王位に就いたより大いなるエホシャファト,すなわちイエス・キリストとの間には次のような類似点があります。崇拝を清く保ったこと(列王第一 22:16。マラキ 3:1-18),崇拝の自由を擁護したこと(歴代第二 17:1,2,12-19。フィリピ 1:6,7),真の崇拝者たちの教育を組織したこと(歴代第二 17:7-9。マタイ 28:19,20),そして,公正を図るために神権的な法廷を設けたことです。―歴代第二 19:6,7。コリント第一 6:5,6。
プログラムの,「聖書は物事を正すのに有益です」という部分では,秩序正しい生活を送り,組織や任命された監督たちや年長の人たちに敬意を示すのに,聖書がどのように役立つかが指摘されました。続いて,「わたしたちは全き心をもってエホバに仕えます!」という部分からは,健康な比喩的な心臓,つまりエホバへの奉仕のために一つに結ばれた状態にある ― 全き ― 心を持つ必要性を銘記できました。―歴代第一 28:9。
しかし,目についてはどうですか。次の話し手は,「家族の一員として,あなたの目は『純一』ですか」という質問に答えました。サタンは,わたしたちの霊的な目をそらさせるためにいろいろな事柄を用いますから,クリスチャンの父親,母親,子供たちは平衡の取れた見方を保ち,いつも王国の関心事を第一にすることが肝要です。(マタイ 6:33)任命された長老たちや会衆に敬意を示すことによって偉大な組織者を認める必要性については,「王の命令に注意深く従う」と題する次の話の中で強調されました。―箴言 8:32-36。
その日の最高潮となったのは,「神を認めない世界で真理に対する忠誠を守る」という主題の講話でした。何よりもクリスチャンは,創造に関する聖書の教えを擁護することにより,また神を認めない理論の誤りを証明することにより,真理に対する忠誠を保たなければなりません。聴衆は,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という題名によって提起されている質問に完璧な答えを与えている256ページの本が発表されて,胸を躍らせました。この出版物はどれほどの感銘を人に与えるでしょうか。スウェーデンに住む,以前は進化論者でしたが今はエホバの証人となっているある人は,その晩にその本を全部読み,「昨日まで進化論者であったとしても,わたしはきっと一晩で考えを変えてしまったことでしょう」と言いました。
「諸国民の中にあってりっぱな行状を保つ」
これは大会最終日の主題でした。その朝行なわれた話の一つは,「神の愛からあなたを引き離せるものがありますか」という質問に答えるものでした。神とキリストの愛からわたしたちを引き離せるのは,わたしたちだけです。しかしわたしたちが信仰を保つ限り,どんな圧力や状況また反対者も神からわたしたちに対する愛を失わさせることはできません。―ローマ 8:35-39。
「すぐに動揺して理性を失ってはなりません」という講話では,霊的なパラダイスにおける自分の立場を守る必要性が強調されました。どのようにして守るのでしょうか。その一つの方法は,不平の精神を避け,背教に抵抗し,どんなものであれ疑いを持たせて信仰を覆そうともくろむ口頭や書面による音信によって『すぐに動揺して理性を失ったりすることのないように』というパウロの助言に聞き従うことです。―テサロニケ第二 2:1,2。
「神を恐れ,悪から遠ざかりなさい」。これは心を奪う2番目の劇でした。この劇は,忠誠を保った人ヨブに関するもので,神に仕えるために迫害や苦しみに遭うのは今に始まったことではないということを示しました。わき道にそらせようとする努力がなされていても,わたしたちはヨブのように神を恐れ,悪から遠ざかって,忠誠をしっかりと守る決意をすべきです。
「神の定めた時と時節 ― それは何を指し示していますか」という公開講演は,エホバがご自分の不変の目的に合わせて「王を廃し,王を立て」てこられたことを思い起こさせました。ですから神は,ご自分の時が到来するとき,必ず悪を終わらせ,義を回復されます。―ダニエル 2:21,44。
最後の二つの話は本当にふさわしいものでした。「忠誠な人への慰め」という題の話を通して,エホバがみ言葉により,ご自分の霊により,またわたしたちの祈りに答えてくださることにより,試みの時に間違いなくわたしたちを支えてくださる,という保証を得て励まされました。また,最後の講話の中で明らかにされたように,エホバの証人は敵対するこの世で生活しているからといって引き下がってはいません。むしろ彼らは「前進を続ける,忠誠を保つ組織」なのです。この組織はエホバの主権を支持する点で,また勝利と救いを確実に得る点で特異な存在です。
忠誠を保つ者として前進する
大会出席者は,2冊の新しいりっぱな本を初めとする霊的食物を豊かに得た喜びに加えて,「楽園をもたらす政府」という色彩に富むさし絵の入った32ページのブロシュアーの発表に胸を躍らせました。また,わたしたちが楽しめる美しい音楽のカセットテープ,「王国の調べ」第6巻を受け取ったことも本当にうれしいことでした。
大いに元気づけられ,祝福された出席者たちは,この極めて実り多い霊的な宴に心から感謝しながら帰途につきました。神の主権を支持する者たちを6,000年間支えてこられた方は,ご自分の証人たちがすべて,最高潮を成すこの「終わりの日」を通過して無事に新秩序に入り,すべてのことが神の正しさの永遠の立証となるのを勝利のうちにご覧になる,というわたしたちの確信は新たにされました。―テモテ第二 3:1。啓示 7:9-12; 21:1-5。
わたしたちは,わたしたちの神エホバに対するこの確信と信仰を抱いてこれから何をしようとしているでしょうか。わたしたちは20世紀においてエホバに忠誠を保つ人々の組織として,固い決意と勇気をもって前進し続ける決意をします。
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外部の人々の言葉
英国,リーズの警察署長: 「大会の計画と運営は非常に能率的なものでした。皆さんとその職員の方々,また……出席されたすべての皆さんに賛辞を述べたいと思います。その物事の仕方は皆さん方すべてに誉れとなるものでした。私は土曜日の午後と日曜日の午前にスタジアムへ行ってみて,そこの雰囲気や物事の運び方は大変気持ちのよいものであることが分かりました。同僚も何人か同じことを言っていましたよ」。
カナダ,モントリオールの一新聞の論説委員長は,「エホバの民にほほえみ返そう」という見出しで次のように述べました。「一昨日,彼らは2時間足らずのうちに,この地域の80万軒の家のドアをノックした。集団霊的改宗の一つの方法で,多少うるさく感じるかもしれないが,それほど迷惑なことでもない。……家に客を迎える時には,客のために場所を設けて自分に少しの不都合が及んでも気にしないものだ。……そうであれば,エホバの証人と信仰が同じでないからといって別に問題はない。数日の間,彼らと平穏さを少しばかり共にすれば,かえって気分は良くなるだろう。この穏やかな人々は,モントリオールで集まることに決めたのだ。もっともっと,何万人でも来てもらいたいところだ」。
ドイツ連邦共和国,ドルトムントの一警察官: 『ここでスポーツ競技が行なわれる時には,最低200人の警官が任務に就きますが,皆さんの集まりの時に必要なのはたった二人で,交通整理をするのにほかに二人が必要なだけです』。
英国,ノリッジのフットボール競技場管理者: 「四日間にわたる穏やかな雰囲気……には心を打つものがありました。周りの張り詰めた商売の世界や日常生活のどの四日間とも全く対照的な安らかさを皆さんは体験しておられます。証人たちには実際,どこか違った,説明しにくい何かがあります」。
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モントリオール大会 ― 特別の大会
カナダ,ケベック州モントリオールの有名なオリンピック競技場で開催された「忠誠を保つ人々」地域大会も,プログラムの内容はほかの所で開かれたこの一連の大会と同じものでした。しかし,特別の面も幾らかありました。とりわけ規模や他の面において特別と言える大会の中でも第1のものでした。
規模: カナダ東部と米国北部から合計7万8,804人が集いました。そのような忠誠を保つ人々の大群衆の一部となって,共に話に耳を傾け,共に歌い,共に祈ることは信仰を強めるものでした。それは特別のものでした。
バプテスマ: 1,004人の新しく献身した人々がバプテスマを受けるために起立するのを見たのも特別の喜びでした。わたしたちの間で今生じている増加の,目に見える証拠がそこにありました。
言語: 11の言語 ― アラビア語,中国語,英語,フランス語,ギリシャ語,ハンガリー語,イタリア語,韓国語,ポルトガル語,スペイン語,およびウクライナ語 ― で行なわれたプログラムもありました。円形の競技場には特別の音響システムが設けられていたので,フランス語の区画にいる人々は自分たちの言語で聞くことができ,英語を話す出席者は彼らの区画で英語で聞くことができました。
トレーラー・シティー: これも大会の一つの特色でした。ハウストレーラーやキャンピングカーを駐車したり,テントを張ったりするための場所を必要とする出席者を迎えるため,競技場から通りを隔てたすぐ向かいのメゾナーブ公園の使用許可を得る努力が,1984年12月に始まりました。その公園を借りることについて最初に話を持ちかけた時,役所の人たちは笑って取り合ってくれませんでした。なにしろ,市の公園全体を貸すなどということはかつてなかったことなのです。しかし,ついに許可が下りました。エホバの証人たちの良い評判が助けになったのです。
最終的には4,300区分の建物が建てられ,大会出席者のほぼ2万人が,木陰をつくるたくさんの木の間の生い茂る草の上に収容されました。では,それほど多くの人々が約1週間そこを使用した後,その公園はどうなりましたか。役所の人たちは,どこにも大きな害が見当たらないので驚きました。そのため,何百万円という損害保証金は全額返してもらえました。
統治体の成員の出席: このことによってもモントリオール大会は特別なものになりました。ある兄弟は感謝を込めて,「愛する統治体の成員の兄弟7人が出席されたことは特に励ましになりました。それらの兄弟たちの中には,これまでお会いしたことのない兄弟や,話をされるのをお聞きしたことのない兄弟もおられました」と言いましたが,エホバの民はあらゆる被造物崇拝をすべて避けるとはいえ,この言葉に共鳴した人は少なくなかったでしょう。そのような交わりは確かに,霊的な面で『相互の励まし合い』になります。―ローマ 1:11,12。
歓迎: 役所の人々と一般の人々が,エホバの証人を公平に扱ったことは称賛に値します。それほど昔のことではありませんが,以前にケベック州知事であったモーリス・デュプレッシーが公然と,エホバの証人がいなくなるまで『情け容赦なく彼らと闘う』と宣言したことを思うと,今回のことは特別でした。それである新聞記者が,「昨日[金曜日],競技場にはなんと7万4,846人のエホバの証人が出席していた。彼らの活動を禁じたことのあるモーリス・デュプレッシーは,墓の中で寝返りを打ったに違いない」と評したのも十分の理由がありました。
エホバが忠誠を保つ人々をこのように豊かに祝福されたのはこれが初めてではありません。しかし,いろいろな意味でモントリオール大会は特別な大会でした。
[28ページの図表]
「忠誠を保つ人々」大会の幾つか
国 大会の数 出席者 バプテスマ
オーストリア 3 23,123 237
ブラジル 25 389,387 4,825
イギリス諸島 10 142,859 925
カナダ 14 146,897 1,585
エクアドル 4 22,918 394
フランス 11 119,940 2,002
ドイツ連邦共和国 17 148,853 904
ギリシャ 3 37,367 368
イタリア 25 184,078 4,153
日本 25 202,221 3,512
オランダ 1 40,694 151
ポルトガル 10 52,581 990
スペイン 13 90,808 1,628
スウェーデン 8 27,194 315
スイス 3 20,601 213
アメリカ合衆国 112 1,189,173 9,851
ベネズエラ 4 69,843 1,063
[31ページの図版]
モントリオール大会において,統治体の一員であるW・L・バリーは,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という題の,非常に興味深い,新しい本を発表した
忠誠を保つヨブの歩みは,ギリシャのアテネで開かれた大会において上演された聖書劇の中で際立たせられた