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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
塔87 3/15 15–20ページ

神の平和をより十分に経験する方法

「ああ,あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば! そうすれば,あなたの平安は川のように,あなたの義は海の波のようになるであろうに」― イザヤ 48:18。

1 可能な限り十分に平和を経験したいなら,何が必要ですか。

本誌を手引きとして用いる,会衆の聖書研究に定期的に参加する人々は,神が与えてくださる平和の価値を認識しています。また,それらの人たちはその平和を望んでもいます。そのような人たちの大多数は平和を享受しているはずですが,そのすべてがその平和を可能な限り十分に経験しているわけではありません。それはなぜでしょうか。神の平和を得る人々について,エホバはこのように言っておられます。「わたし,エホバは,あなたの神,あなたに自分を益することを教える者,あなたにその歩むべき道を踏み行かせる者である。ああ,あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば! そうすれば,あなたの平安は川のように,あなたの義は海の波のようになるであろうに」― イザヤ 48:17,18。

2 (イ)『注意を払う』という表現にはどんな意味がありますか。(ロ)わたしたちは神のおきてのうちの幾つに注意を払わなければなりませんか。(ヨハネ第一 5:3)

2 言うまでもなく,聖書について討議する集会に出席すれば,だれでも益を得られます。しかし,エホバのおきてに注意を払い,そのおきてを個人的に当てはめ,それに従う人だけが本当の意味で神の平和を享受します。あなたには,より十分にそうする必要のある分野がありますか。(ペテロ第二 1:2)神が求めておられる事柄を幾つか気に留めてはいても,自分にとっては不都合に,あるいは多少とも難しく思えるご要求を避けるようであっては,十分ではありません。悪魔がイエス・キリストを唆して利己的な考え方をさせようとした時,イエスは確固とした態度で,「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」と答えられました。―マタイ 4:4。

3 本当に豊かな平和を得たいなら,生活のどんな面をエホバの方法に調和させなければなりませんか。

3 神のおきては生活のあらゆる面に影響を及ぼします。まず第一に,わたしたちとエホバとの関係を律するおきてがあります。さらにそのおきては,目に見える,神の組織とクリスチャン宣教に対する,また家族や世の人々との接し方に対するわたしたちの見方に影響を与えます。これらすべての事柄におけるエホバのおきてに真剣に注意を払う人々は,豊かな平和をもって祝福されます。その平和を個人的に経験するための助けとなる事柄を幾つか考えてみましょう。

この中に,あなたが注意を向ける必要のあるものがありますか

4 (イ)家庭聖書研究を行なったり,王国会館に行ったりするだけでは,神との平和が保証されないのはなぜですか。(ロ)イエス・キリストに信仰を働かせることには何が含まれていますか。(ヨハネ 3:36)

4 あなたは最近エホバの証人と聖書を研究し始めた方ですか。あるいは,もしかすると地元の会衆と交わり始めてから,すでに何か月か,もしくは数年が経過していますか。もしそうなら,あなたは神の目的に関する知識が自分の眼前で明らかになってゆくことに喜びを感じておられるに違いありません。しかし,家庭聖書研究を楽しく行なっているとか,王国会館に行くのが楽しいとかいうことが,神との平和な関係にあることを証明するわけではありません。わたしたちはみな罪のうちに生まれているので,神との平和は,ただイエス・キリストを通してのみ可能となります。(イザヤ 53:5。使徒 10:36)受け身の姿勢でイエスを信じるだけでは,その平和はもたらされません。贖いの必要性を個人的に認識し,イエスの犠牲の価値に信仰を働かせ,次いでその信仰に関する証拠を,イエスの語られたおきてに従うことによって提出する必要があります。(ヤコブ 2:26)イエスが地上におられたときに与えた一つの命令は,イエスの弟子になる人たちは水のバプテスマを受けなければならないということでした。(マタイ 28:19,20)あなたは,イエス・キリストを通してエホバに献身したことの象徴として,浸礼を受けましたか。

5 神との平和な関係を保つために献身とバプテスマが重要なのはなぜですか。

5 あなたの生活には,バプテスマの資格がないと判断されるような要素がありますか。そうした要素のあることが分かっているなら,また研究中に自分には資格のないことが分かったなら,事態を正すのを遅らせてはなりません。バプテスマの資格がないと判断されるどんな態度もどんな行為も,神との平和な関係を妨げる障害になることを知らなければなりません。まだ機会があるうちに,緊急に行動してください。ペテロ第一 3章21節で指摘されているように,エホバ神から正しい良心を与えられるのは,まずキリストの犠牲に対する信仰に基づいてエホバに献身し,その献身の象徴としてバプテスマを受け,神のご意志を行なう人々です。そうするとき,神のみ前における是認された立場を得られるので,正しい良心に付随する平和が自分のものとなります。ほかの方法ではその平和は得られません。むろん,これは単なる始まりにすぎません。

6 会衆の集会に対するわたしたちの態度が,平和を享受することと関連しているのはなぜですか。

6 次に,会衆の集会に定期的に出席することと,できるだけ集会に参加することについて考えてください。それらの集会はあなたの生活の中で,世や他の個人的な活動によって妨げられないほどに重要な場を占めていますか。あなたは集会の準備をし,集会に参加することを特権とみなしていますか。こうした事柄も,平和を享受することと明確な関連があります。なぜでしょうか。神の霊は,集合した神の民と共にあり,平和はその霊の実だからです。(ガラテア 5:22)エホバのご要求を理解するための助けが与えられるのはこれらの集会においてであり,神の目に喜ばれる事柄を行なうためにはそうした理解が必要です。さらに集会では,会衆内,家庭,学校,世俗の仕事における仲間との人間関係で平和を促進する方法を学びます。集会は,わたしたちがエホバに教えられるための主要な方法の一つであり,聖書が指摘しているように,豊かな平和を楽しむのはエホバに教えられる人々なのです。―イザヤ 54:13。

7 集会で討議される事柄をその後どのように実行する必要がありますか。

7 それと密接な関連のある,注意を払うに値する点は,学ぶ事柄を自分の個人的な生活に漸進的に当てはめることです。『何度も何度も聞くが,理解しない』とエホバが言われたあのイスラエル人のようにはなりたくありません。(イザヤ 6:9)さらにわたしたちは,エホバがエゼキエルに説明された人々,つまり自らの汚れた物質主義的な欲望を遂げるほうを選んだために,エホバの預言者の言うことを聞きはしても,エホバの言われた事柄を行なわない人々のようになりたいと思うでしょうか。(エゼキエル 33:31,32)それとは対照的に,現代においてエホバの家に集まり,エホバの是認を得る人々は,「エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」と語る人々として描かれています。(ミカ 4:2)集会で与えられる教えを本当に心に取り入れ,各々の集会で,個人的に必要な少なくとも一つの点だけを選び出し,その点について努力を傾けるなら,平和な実を刈り取るようになるでしょう。ルカ 11章28節でイエスが述べておられるように,「神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!」

8 状況が許す限り最大限野外宣教にあずかるなら,どのように個人的な益にあずかれますか。

8 集会で強調される一つの点は,神の王国をふれ告げ,弟子となるよう他の人たちを助ける業に十分あずかることの重要性です。(マタイ 24:14; 28:19)これらの活動はあなたの生活の中でどれほどの重きをなしていますか。エホバがみ言葉とご自分の組織を通してわたしたちに告げておられる事柄に真剣に注意を払ってきた人なら,この業が今日地上で行なわれている最も重要な業であることを知っています。(啓示 14:6,7)それに,全時間奉仕に携わっている人々や,開拓者になれないとしても本当の意味で宣教に熱心な人々が,わたしたちのうちで際立って幸福な人々であることは,よく知られた事実です。それらの人々が楽しんでいる平和は,単なる一滴の水のようなものではなく,エホバの言葉にある通り,「川のように」なるのです。(イザヤ 48:18)あなたはそれを経験しておられますか。だれでもそうした経験ができるのです。

9 耐え難い困難な状況を経験するときでも,神から与えられる平和を保ち続けるのに,何が助けになりますか。

9 とはいえ,これらの諭しすべてに注意を払ったとしても,現在の事物の体制における生活上の圧力から解放されるわけではありません。しかし,状況がどれほど難しいとしても,わたしたちが神に頼るなら,神はご自分の愛ある助けを与える,とわたしたちに保証しておられます。(ペテロ第一 5:6,7)あなたは行なうすべての事柄においてエホバの助けと指示を求め,祈りのうちにはばかることなく神に頼り,困難な状況についてできることを行なった後はエホバに重荷をゆだね,確信をもって重荷を神に預けることを学んできましたか。(箴言 3:5,6。詩編 55:22)フィリピ 4章6節と7節には,心温まる次のような励みとなる言葉があります。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」。何とすばらしい備えなのでしょう。あなたは,このような方法で得られる神の平和から十分に益を得ることを学んでこられましたか。

絶えず平和を追い求めなさい

10 平和を求めたあと,わたしたちの側としては何をする必要がありますか。

10 ひとたびそうした平和を得たなら,その平和について注意を怠ることはできません。平和な状態を保ち続けるには勤勉な努力が求められます。そのようなわけで,ペテロ第一 3章10節と11節は,「命を愛して良い日を見たいと思う者は,……平和を求めてそれを追い求めよ」と述べています。ある目標を追い求めてそれを達成したあと,その目標を軽く扱うのは愚かなことです。平和を求めてそれを得たあとは,それを破壊しかねない事柄に警戒する必要があるのです。それに加え,平和に役立つそのようなものを積極的に追い求めるべきです。

11 (イ)どんな態度があると,わたしたちとエホバとの関係が危険にさらされるかもしれませんか。(ロ)わたしたちはいつ,誘惑に関して神の助けを本当に願い求めるべきですか。(マタイ 6:13)

11 神が備えてくださった手段を通して神との平和を得たなら,再び罪を習わしにしてその関係を破壊しないよう注意する必要があります。もちろんわたしたちは一人残らず不完全であり,罪を犯します。それでも,神が非としておられる態度や行動を自分の中で正当化するのは危険なことです。ただ肩をすくめ,「自分はこういう人間なんだ」と言うだけではすまされないのです。(ローマ 6:16,17)悪行は正当化せずに悔い改め,それからイエスの犠牲に対する信仰に基づいて許していただけるよう神に願い出なければなりません。努めて一人だけで闘い,結局はそれに負け,それから許しを願い出るよりも,悪を行なう前に助けを求めて神に頼ることも学ばなければなりません。神の助けがあれば,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格」を首尾よく身に着けることができます。―エフェソス 4:20-24。

12 (イ)平和を享受するには,ほかのどんな関係に注意を払う必要がありますか。(ロ)この点に関して,わたしたちには何が求められますか。

12 平和を享受するには,もちろん他の人々との関係も考慮しなければなりません。真のクリスチャンは一つの組織の一部として神に仕えます。彼らは『兄弟仲間』なのです。(ペテロ第一 2:17)イエスがご自分の追随者に当てはまることとして語られた言葉通り,彼らは互いへの愛において際立っています。(ヨハネ 13:35)しかし,そのうちのだれ一人として完全ではありません。自分自身や他の人々の不完全さゆえに,特定の状況について真剣に祈り,問題を解決するために一生懸命に努力する必要があるかもしれません。ヘブライ 12章14節は「すべての人に対して平和を追い求めなさい」と勧めています。また,クリスチャンの兄弟姉妹との関係においてたゆまず平和を追い求めるのは,特別な責務と言えます。テサロニケ第一 5章13節は適切にも,「互いに対して平和な態度を保ちなさい」と述べています。これは,単に復しゅうをしないというだけではなく,積極的に平和を促進する者となり,平和を回復するためにこちらから措置を講じ,平和のために進んで譲歩するという意味です。―エフェソス 4:1-3。

13 (イ)不信者との平和を促進するために何が行なえるかもしれませんか。しかし,神との平和が優先されることをどのように実証できますか。(ロ)身の周りに不安を生じさせるものがある場合,どのように平和を保てますか。

13 しかし,会衆外では,すべての人が快く平和を求めるわけではありません。ですから,ローマ 12章18節は実際的な観点に立って,「できるなら,あなた方に関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい」という諭しを与えています。とはいえ,平和を促進する努力には,エホバの義にかなったご要求に関して妥協することは含まれません。わたしたちは次のことを理解しています。つまり,何かを行なう時を調整できるとしても,配偶者や親族との平和を保つために会衆の集会に出席するのをやめたり,野外宣教に参加するのを思いとどまったりするのは賢明な方法ではありませんし,エホバは,わたしたちが同僚や学校の友達からよく言われるようにするため,そのような人たちと一緒に不敬虔な習わしに携わることを是認されません。わたしたちは,真の平和が,まず何よりも神との平和を享受する人々,つまりエホバの律法を愛し,エホバの道を歩む人々のものであることを認識しています。わたしたちがほかの何よりも高く評価しているのはこの平和です。(詩編 119:165)確かに,身の周りには不安を生じさせるものがあるかもしれません。不信者たちは互いに口論し,闘い合い,わたしたちの信仰ゆえにさんざん罵りの言葉を浴びせることさえするかもしれません。しかしわたしたちは,振る舞い方について神の言葉が教えている事柄を知っています。エホバの義の道に調和した歩みを追い求め続けるなら,最も価値のある平和がわたしたちから奪い取られることはありません。―詩編 46:1,2と比較してください。

14 個人的に患難を経験するとしても,内面的な穏やかさと,明るい展望を保ち続けられるのはなぜですか。

14 イエスは死ぬ前の最後の夜に,ご自分の忠実な使徒たちにこう言われました。「あなた方がわたしによって平安を得るために,わたしはこれらのことを言いました。世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。(ヨハネ 16:33)そうです,わたしたちは確かに患難を経験します。クリスチャンとしてさまざまな種類の迫害を受けます。不正を経験するかもしれず,ひどい病気に苦しむ人々も少なくありません。しかし,それらすべての中にあって,神の平和はわたしたちを支えます。わたしたちはエホバに教えられているので,クリスチャンが迫害される理由を理解しています。不正が見られる理由,病気で苦しむ理由について不確かなところはありません。将来がどうなるかということもわたしたちは知っています。イエスの忠実な生涯の歩みとイエスが犠牲の死を遂げられた結果,解放が確実になったこともわきまえています。さらに,今わたしたちが直面している問題がどんなものであろうと,神が愛のうちにわたしたちを顧みてくださり,その霊を通してわたしたちを支えてくださるとの確信のもとに,祈りのうちに神に頼れることも理解しています。―ローマ 8:38,39。

15 世の提供する事柄が,キリストによって可能になった平和には及ばないとなぜ言えますか。

15 イエスは適切にもヨハネ 14章27節でこう述べられました。「わたしはあなた方に平安を残し,わたしの平安を与えます。わたしはそれを,世が与えるような仕方であなた方に与えるのではありません。あなた方の心を騒がせてはならず,恐れのためにひるませてもなりません」。この言葉は確かに真実です。世は,神がイエス・キリストを通して与えてくださる平和に及ぶものを全く持っていません。この平和があるからこそ,ほかの人なら一切の希望を断たれてしまうような状況に直面しても,わたしたちは強くあることができるのです。

16 (イ)今,神が与えてくださる平和を本当に尊ぶ人々の前途には,どんな見込みがありますか。(ロ)その平和を高く評価していることを,どのように実証できますか。

16 神から来る平和をいま受け入れ,自らの生活の中でその平和を重視する人々すべてには,何とすばらしい将来があるのでしょう! その平和は,そのように重視するだけの価値があるのです。神との敵対関係にある世は間もなく過ぎ去ってしまいます。すべての創造物はほどなく宇宙の主権者の義にかなったご要求により,平和のうちに十分に結び合わされることになるでしょう。この壮大な見込みに対する感謝に動かされて,今その平和に十分調和して働くことができますように。わたしたちすべてが,エホバの教えに注意深く聞き従い,真に神の道を愛するよう神のおきてを自分の心の中にしっかりと植え付け,神が求めておられることを行なえますように。箴言 3章1節と2節が述べている通りです。「我が子よ,わたしの律法を忘れてはならない。あなたの心がわたしのおきてを守り行なうように。そうすれば,長い日々と命の年と平和があなたに加えられるからである」。

復習の質問

□ イザヤ 48章18節によれば,豊かな平和を得たいなら何が必要ですか

□ どんなことを行なえば,より十分に神の平和を経験できますか

□ わたしたちの兄弟姉妹との平和を保つことに関して,わたしたちには何が求められていますか

□ 不信者に囲まれているときでも,どのように平和を保てますか

[16ページの図版]

バプテスマ

[17ページの図版]

定期的に集会に出席する

学んだ事柄を当てはめる

[18ページの図版]

野外宣教に十分にあずかる

エホバに重荷をゆだねる

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