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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 6/1 10–15ページ

神への恐れのうちに神聖さを完成する

「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐れのうちに神聖さを完成しようではありませんか」― コリント第二 7:1。

1 エホバが聖であられることを,高い位にあるみ使いたちが認めていることは,どうして分かりますか。

エホバは聖なる神であられます。天で高い位にあるみ使いたちは,その神が聖であられることについて,明確な言葉で,「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,万軍のエホバ。全地に満ちるものはその栄光である」とふれ告げています。西暦前8世紀に預言者イザヤは,幻の中でセラフたちがそのような感動的な呼びかけを行なうのを目にしました。西暦1世紀の終わりに使徒ヨハネは,今わたしたちがいる「主の日」に起きる事柄の幻を見ました。ヨハネは,エホバのみ座の周りにいる四つの生き物を見,それらの生き物が絶え間なく,「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,全能者なるエホバ神,かつておられ,今おられ,これから来られる方」とふれ告げるのを聞きました。エホバの天の霊的被造物がこのように三度同じ言葉をふれ告げているのは,創造者がこの上なく聖であることを強調するためです。―イザヤ 6:2,3。啓示 1:10; 4:6-8。

聖なることと,分けられていること

2 (イ)聖であることには,どんな二つの面がありますか。その二つの面において,エホバはどのように聖であられますか。(ロ)モーセはエホバが聖であられることを,どのように強調しましたか。

2 聖であるとは,宗教上の清さだけではなく,分けられた状態,あるいは神聖にされていることを意味します。エホバは最高度に清い方であり,諸国民のあらゆる汚れた神々から完全に分けられています。エホバが聖なる方であり,神聖にされているというこの面は,モーセの次の歌の中で強調されました。「エホバよ,神々の中にだれかあなたに並ぶ者がいるでしょう。神聖さにおいて強大なことを示されるあなたに並ぶ者がいるでしょうか」― 出エジプト記 15:11。

3 イスラエル人すべては,どんな点で聖であるよう求められていましたか。また,エホバはこの点に関して,彼らをどのように援助されましたか。

3 聖なる神エホバは,地上のご自分の民であった古代イスラエル人も聖なる者でなければならない,と要求されました。祭司やレビ人だけでなく,国民全体にそれが求められました。エホバはモーセに言われました。「イスラエルの子らの全集会に話しなさい。彼らにこう言わねばならない。『あなた方は聖なる者となるべきである。あなた方の神であるわたしエホバは聖なる者だからである』」。(レビ記 19:2)その目的でエホバは,イスラエル国民が霊的,道徳的,精神的,身体的な清さと儀式上の清さを保つのに役立つ数々の律法を彼らにお与えになりました。最後の儀式上の清さは,幕屋および後代の神殿における彼らの崇拝と関連していました。

取り分けられた民

4,5 (イ)肉のイスラエルは,どのような意味で神聖にされた国民でしたか。(ロ)霊的イスラエル人には何が求められていますか。使徒ペテロはこの点をどのように確証していますか。

4 イスラエル人は神の律法に従う度合いに応じて,周囲の堕落した諸国民とはかけ離れた際立った存在となりました。彼らは聖なる神エホバの奉仕のために取り分けられた,もしくは神聖にされた民として区別されたのです。モーセはその民に,「あなたの神エホバにとって,あなたは聖なる民……である。あなたの神エホバは,地の表にいるすべての民の中からあなたを選んでご自分の民とし,特別な所有物とされたのである」と語りました。―申命記 7:6。

5 このような清さ,また分けられた状態は,霊的イスラエルにも求められています。使徒ペテロは,霊的イスラエル人となる選ばれた者たちにこう書きました。「あなた方は従順な子供として,以前無知であったために抱いた欲望にそって形作られるのをやめ,あなた方を召された聖なる方にしたがい,あなた方自身もすべての行状において聖なる者となりなさい。なぜなら,『あなた方は聖なる者でなければならない。わたしは聖なる者だからである』と書かれているからです」― ペテロ第一 1:1,14-16。

6,7 (イ)啓示 7章の中で,「大群衆」の成員はどのように描かれていますか。また,論理的に言って,彼らには何が求められていますか。(ロ)このあとの節では,どんな事柄を考慮しますか。

6 啓示 7章には,「大群衆」の成員が「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くし」,『白くて長い衣を着て,[エホバの]み座の前と子羊の前に立っている』様子が描かれています。(啓示 7:9,14)彼らの白くて長い衣は,エホバのみ前における彼らの清い義なる立場の象徴です。エホバは,人間を請け戻すためのキリストの血に対する彼らの信仰のゆえに,その立場をお与えになるのです。ですから,明らかに,油そそがれたクリスチャンだけではなく,「ほかの羊」も,受け入れられる崇拝をエホバにささげるには,霊的な清さと道徳的な清さを保たなければなりません。―ヨハネ 10:16。

7 ではこれから,昔のエホバの民がどのように清く聖なる者となることを求められたか,また同様の原則がなぜ今日の神の民に当てはまるかを考慮しましょう。

霊的な清さ

8 イスラエル人がカナンの宗教から離れていなければならなかったのは,どんな理由のためですか。

8 肉のイスラエル人は,他の諸国民の宗教上の汚れた習わしから注意深く離れていなければなりませんでした。エホバはモーセを通してイスラエルにこう言われました。「あなたの行く地に住む民と契約を結ぶことのないように注意しなさい。それがあなた方の中にあってわなとなることのないためである。むしろ,あなた方は彼らの祭壇を取り壊し,聖柱[嫌悪すべき性崇拝に関連して用いられた]をみじんに砕き,聖木を切り倒すように。あなたはほかの神に平伏してはならないからである。エホバは,その名をねたむといい,ねたむ神[あるいは,「全き専心を要求する神」,参照資料付き 新世界訳聖書 脚注]だからである。あなたはその地に住む民と契約を結んではいけないのである。彼らはきまってその神々と不倫な交わりを持ち,その神々に犠牲をささげ……るであろう」― 出エジプト記 34:12-15。

9 西暦前537年にバビロンを出た忠実な残りの者に,どんな明確な教えが与えられましたか。

9 その数世紀後,エホバはイザヤに霊感を与え,バビロンからユダに戻ることになっていた忠実な残りの者に対して次のような預言的な言葉を語らせました。「立ち去れ。立ち去れ。そこから出よ。汚れたものには何にも触れるな。[エルサレムの神殿における清い崇拝の回復に用いられる,]エホバの器具を運んでいる者たちよ,彼女の中から出て,身を清く保て」― イザヤ 52:11。

10,11 (イ)西暦1世紀の霊的イスラエル人には,同様のどんな教えが与えられましたか。(ロ)特に1919年,そして1935年以来,人々はその教えにどのように従ってきましたか。また,油そそがれた者とその仲間たちは,他のどんな点で霊的な清さを保っていますか。

10 同様に,霊的イスラエル人とその仲間たちは,この世の偶像礼拝的な宗教によって汚されないようにしなければなりません。使徒パウロはコリント会衆の油そそがれたクリスチャンに宛てて手紙を書き,こう述べました。「神の神殿と偶像にどんな一致があるでしょうか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神が言われたとおりです。『わたしは彼らの中に住み,彼らの中を歩くであろう。そしてわたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる』。『「それゆえ,彼らの中から出て,離れよ」と,エホバは言われる。「そして汚れた物に触れるのをやめよ」』。『「そうすればわたしはあなた方を迎えよう」』」― コリント第二 6:16,17。

11 1919年以来,清められて精錬された油そそがれた残りの者の成員は,大いなるバビロンの汚れた偶像礼拝的な宗教から自由にされています。(マラキ 3:1-3)彼らは,「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄を共に受けることを望まないなら,彼女から出なさい」という天からの呼びかけに注意を払ってきました。(啓示 18:4)1935年以来,増大する「ほかの羊」の大群衆もこの呼びかけに同様の注意を払い,汚れたバビロン的な宗教を捨て去ってきました。油そそがれた者とその仲間たちは,背教者たちの有害な考えとの接触を一切避けることによっても,霊的な清さを保ちます。―ヨハネ 10:16。ヨハネ第二 9-11。

道徳的な清さ

12 (イ)どんな律法によって,エホバはイスラエル人の道徳的な立場を周囲の諸国民の道徳的な立場よりもはるかに高いものとされましたか。(ロ)祭司職に関して特に厳しい,どんな規定がありましたか。

12 律法契約によってエホバは,イスラエル人の道徳的な立場を周囲の諸国民の堕落した状態よりもはるかに高いものとされました。イスラエルでは,結婚という制度も,家族生活という制度も保護されました。十戒の7番目のおきては姦淫を禁じており,姦淫と淫行はどちらも厳重に処罰されました。(申命記 22:22-24)処女は律法のもとでは保護されました。(申命記 22:28,29)結婚に関する規定は祭司職の場合,特に厳しく,大祭司は貞潔な処女を妻に選ぶことが求められました。―レビ記 21:6,7,10,13。

13 キリストの「花嫁」の成員はどんな人に例えられていますか。それはなぜですか。

13 同様に,大いなる大祭司イエス・キリストには,14万4,000人の油そそがれたクリスチャンから成る「花嫁」がおり,彼らは『処女』に例えられています。(啓示 14:1-5; 21:9)彼らはサタンの世によって自らを汚さず,教理的にも道徳的にも清い状態を保ちます。使徒パウロはコリントの油そそがれたクリスチャンたちに,「わたしは敬虔なしっとをもってあなた方をしっとしているのです。あなた方を貞潔な処女としてキリストに差し出すため,わたし自身があなた方をただ一人の夫に婚約させたからです」と書きました。(コリント第二 11:2)パウロは次のようにも書きました。『キリストは会衆を愛し,そのためにご自分を引き渡されました。それは,会衆を神聖なものとし,み言葉による水の洗いをもってそれを清めるため,そして,輝かしいばかりの会衆をご自身のもとに立たせ,こうしてそれが,汚点やしわ,またそうしたものの何もない,神聖できずのないものとなるためでした』― エフェソス 5:25-27。

14,15 (イ)花嫁級の霊的な清さには,何が伴っていなければなりませんか。どんな聖句がそのことを示していますか。(ロ)道徳的な清さに関する同様な要求が,明らかにほかの羊にも当てはまるのはなぜですか。

14 キリストの「花嫁」のこの霊的な清さには,その成員となる人々の道徳的な清さが伴っていなければなりません。使徒パウロは,『惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者は神の王国を受け継がないのです。とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです』と述べました。―コリント第一 6:9-11。

15 道徳的な清さに関するこのような要求がほかの羊にも当てはまることは,エホバがご自分の約束された新しい天と新しい地から締め出される人々のことを考えると明らかになります。こう記されています。「しかし……不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者……については,その分は火と硫黄で燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表わしている」。―啓示 21:1,8。

誉れある結婚

16,17 (イ)道徳的な清さを保つ上で,独身が要求されていないことを,どんな聖句が示していますか。(ロ)クリスチャンは,配偶者を選ぶ際に,神への正しい恐れをどのように示せますか。また,使徒の述べた制限を無視するのが賢明でないのはなぜですか。

16 花嫁級の油そそがれた成員に対してもほかの羊に対しても,道徳的な清さを保つために独身でいることが求められているわけではありません。独身を強制することは聖書的ではありません。(テモテ第一 4:1-3)結婚の絆の中で性関係を結ぶことは汚れた行為ではありません。神の言葉はこう述べています。「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」― ヘブライ 13:4。

17 しかし,『神への恐れのうちに神聖さを完成すること』を願うクリスチャンは,自分の好きなどんな人とも自由に結婚できると考えるべきではありません。使徒パウロは,『肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐れのうちに神聖さを完成する』ことを仲間のクリスチャンに諭しましたが,そのすぐ前のところで,こう書いています。「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何の交友があるでしょうか。……また,忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか」。(コリント第二 6:14,15; 7:1)エホバの,分けられた清い民の一員として,結婚を願うクリスチャンの男女は,「主にある者とだけ」結婚する,つまり献身してバプテスマを受けた,エホバの忠実な僕である人を選んで結婚することによって,使徒の述べた制限を受け入れるでしょう。(コリント第一 7:39)過去の時代と同じように現代でも,神の民の中の献身した人々がこの聖書の諭しを無視するのは,明らかに賢明ではありません。(申命記 7:3,4; ネヘミヤ 13:23-27と比較してください。)そのように無視することは,わたしたちの大主人であられるエホバに対する健全な恐れを示すことではありません。―マラキ 1:6。

18 クリスチャンは他のどんな面で,結婚を誉れあるものとすることができますか。

18 さらに,イスラエルの場合は律法によって,結婚の絆の範囲内の性活動さえ制限されました。夫は,月経期間中の妻との関係を差し控えることになっていました。(レビ記 15:24; 18:19; 20:18)このため,イスラエル人の男性には,愛ある配慮と自制が求められました。クリスチャンは自分の妻に対してそれほどの配慮を払わなくてもよいでしょうか。使徒ペテロは,クリスチャンの夫は「知識」,すなわち「弱い器である女性」としての妻の造りに関する知識に「したがって」,自分の妻と共に住むべきであると述べています。―ペテロ第一 3:7。

「神聖の道」を歩む

19,20 (イ)人類の大多数が従っている広い道について説明してください。(ロ)エホバの民がサタンの世と異なっているべきなのはどうしてですか。(ハ)神の民はどんな街道に従っていますか。その街道はいつ開かれましたか。その街道を歩むことを許されているのはだれだけですか。

19 これまで述べた事柄は,エホバの民をサタンの世から分けている隔たりが広がる一方であることを強調しています。現在の世の事物の体制は,何でも許容する放縦な特色をますます強めています。イエスは言われました。「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです」。(マタイ 7:13)人類の大多数はその広い道を歩んでいます。使徒ペテロの言葉を引用するなら,それは「みだらな行ない,欲情,過度の飲酒,浮かれ騒ぎ,飲みくらべ,無法な偶像礼拝」の道,つまり『放とうの下劣なよどみ』に至る道です。(ペテロ第一 4:3,4)その終わりは滅びです。

20 一方,神の民は,それとは異なった道,つまり清い民の従う清い道を歩いています。終わりの時にこの道が開けることは,預言者イザヤによって予告されていました。イザヤはこう書きました。「そして,そこには必ず街道が,道が生じ,それは“神聖の道”と呼ばれるであろう。清くない者がそこを通って行くことはない」。(イザヤ 35:8)「『平和の君』のもとで得られる世界的な安全」と題する書籍は,この預言について注解し,こう述べています。「1919年に,比喩的な街道が,喜びに満ちあふれた神の僕たちのために開かれました。その『街道』,つまり『神聖の道』を歩んだのは,エホバの目から見て聖なる者でありたいと願った人たちでした。……この『事物の体制の終結』の時期が相当経過した今日,神により備えられたその『街道』は,なお開かれています。感謝の念を抱く大勢の人々は……霊的なパラダイスへの経路である『神聖の道』に入っています」。a

21 エホバの僕たちはどのように,悪魔に組する群衆から自分を区別すべきですか。また,そのように区別しなければならないのはなぜですか。次の記事ではどんな事柄を考慮しますか。

21 そうです,霊的イスラエル人の油そそがれた残りの者とその仲間たち,つまりほかの羊は,今日,サタンの世から取り分けられた民として自分たちを区別します。サタンの世にとって,聖であるという考えは全く意味を失ってしまいました。『滅びに至る広くて大きな道』を歩む,悪魔に組する群衆に,神聖さは少しもありません。彼らは霊的に,道徳的に汚れているだけでなく,多くの場合,身体的にも汚れており,控え目に言ってもその外見はだらしがありません。しかし,使徒パウロは,「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐れのうちに神聖さを完成しようではありませんか」と述べています。(コリント第二 7:1)神の民はどんな面で思いと体を清く保つよう注意すべきでしょうか。その点は次の記事で考慮されます。

[脚注]

a 16章,134,135ページ。

復習の要点

□ 聖であることには,どんな二つの面がありますか。エホバは最高度に聖なる方であると言えるのはなぜですか

□ イスラエル人はどんな二つの面で,自分たちが聖なる国民であることを証明することになっていましたか

□ 霊的イスラエル人には何が求められていますか。その仲間であるほかの羊には何が求められていますか

□ 神への恐れは,配偶者の選択にどのような影響を与えるはずですか

□ 今日,どんな二つの道に従うことができますか。明確な選択をすべきなのはなぜですか

[13ページの図版]

神の言葉は,『結婚は誉れあるものとされるべきです』と述べている

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