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  • クリスチャンはお年寄りをどのように援助できますか
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1993
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クリスチャンはお年寄りをどのように援助できますか

「わたしたちはあきらめません。むしろ,たとえわたしたちの外なる人は衰えてゆこうとも,わたしたちの内なる人は,日々新たにされてゆくのです。……わたしたちは,見えるものではなく,見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが,見えないものは永遠だからです」。これは使徒パウロがコリント人への第二の手紙で述べた言葉です。―コリント第二 4:16-18。

古代において,信仰の厚い男女は見えないものに目を留めました。その中には,彼らの神であるエホバがしかるべき時に行なうと約束なさった事柄すべてが含まれていました。パウロはヘブライ人への手紙の中で,そのようにして死に至るまで信仰を保った人々を大いにほめています。中には非常に長生きした人もいます。パウロはそのような人々を模範として挙げ,「これらの人はみな信仰のうちに死にました。彼らは約束の成就にあずかりませんでしたが,それをはるかに見て迎え入れ(ました)」と述べています。―ヘブライ 11:13。

今日,これらの約束が成就するときは非常に近づいています。しかし,この邪悪な体制の終わりを目撃するときまで自分が生きられるかどうか分からないと感じる病気の人やお年寄りもいます。恐らく,そのような人の中には,自分の今の生涯中に約束がことごとく成就するのを見ずに,信仰を抱きつつ亡くなる人がいるでしょう。そのような人にとって,コリント第二 4章16節から18節の言葉は大きな励みになるでしょう。

エホバは病気の人やお年寄りを含め,ご自分に忠節な人々をすべて覚えておられます。(ヘブライ 6:10)忠実な年配の人について敬意をこめて言及している聖書の記述はいろいろあります。また,モーセの律法は,年老いた人に敬意を示す必要について特に触れています。(レビ記 19:32。詩編 92:12-15。箴言 16:31)初期クリスチャンは,お年寄りの尊厳を損なわないように接していました。(テモテ第一 5:1-3。ペテロ第一 5:5)聖書の一つの本の中には,年老いたしゅうとめを親切に世話し,感動的な自己犠牲を示した若い女性に関するすばらしい話が載っています。適切にも,この本の書名はその若い女性の名前,ルツにちなんで付けられています。

献身的な助け手

年老いたナオミは苦労の多い人生を送りました。飢きんのため,彼女は友人や相続財産をユダに残し,小人数の家族ともどもヨルダン川の東にあるモアブの地で暮らすことを余儀なくされました。その地でナオミは夫に死なれ,二人の息子と共に後に残されます。やがて息子たちは大人になって結婚しますが,その二人も死にます。ナオミは自分の世話をしてくれる跡継ぎのいない身になります。

ナオミは再婚して子供をもうけるには年を取りすぎており,人生に望みはほとんどないと感じます。私心のないナオミは,二人の息子たちのやもめ,ルツとオルパをそれぞれ母親の家に帰すことを望みます。そうすれば,二人は夫を探すことができるからです。ナオミは一人で故郷に戻るつもりでした。今日でも,年配の人が落胆することはあります。大切な人に先立たれた場合は特にそうです。ナオミのように,たとえだれかに世話してもらう必要があっても,お荷物になりたくないと感じます。

しかし,ルツはしゅうとめを見捨てませんでした。ルツはナオミを愛していましたし,この年配の女性が崇拝していた神エホバを愛していました。(ルツ 1:16)それで,二人は共にユダに戻る旅に出かけます。ユダの地にはエホバの律法に基づく親切な取り決めがあり,貧しい人々は落ち穂拾い,つまり収穫を終えた畑に残っているものを自由に拾い集めることができました。年下のルツは『どうか,出させてください』と言って,進んでこの仕事を買って出ます。ルツはナオミと自分のためにたゆみなく働きます。―ルツ 2:2,17,18。

エホバに対するルツの愛と忠実さにナオミは力づけられ,積極的で前向きな考え方をするようになります。ナオミが律法やその国の習慣に通じていたことがここで役立ちます。ナオミは献身的な助け手に賢明な助言を与え,この若い女性がレビレート婚によって一家の相続財産を取り戻し,家系を存続させる息子を持てるようにします。(ルツ 3章)ルツは犠牲を払って病気の人や年配の人の世話をする人たちのすばらしい模範です。(ルツ 2:10-12)今日でも同様に,会衆内で病気の人やお年寄りを援助するためにできる事柄はたくさんあります。どのように援助できるでしょうか。

組織することが大切

初期クリスチャンの会衆には,物質的な援助の必要なやもめの名簿が作られていました。(テモテ第一 5:9,10)同じように今日でも,長老たちは特別に関心を向ける必要のある病気の人やお年寄りの名簿を作ることがあるかもしれません。この点を一人の長老に特別な責務としてゆだねている会衆もあります。ナオミがそうであったように,多くのお年寄りは援助を求めたがらないので,そのような務めを果たす兄弟は状況を見極め,必要な事柄が行なわれているかどうかを巧みに,かつ思慮深い仕方で確かめるという点で熟達している必要があるでしょう。例えば,王国会館に病気の人やお年寄りのための設備がしっかり整っているかどうかを確認できるかもしれません。もし実際的なら,車いすのためのスロープ,使いやすいトイレ,耳の遠い人のためのイヤホン,特殊ないすを置く場所などについて検討することもできるでしょう。またこの兄弟は,王国会館に来られない人すべてが集会の話を録音したテープを借りたり,集会の様子を電話回線で聞いたりできるよう取り計らうこともできるかもしれません。

また,集会や大会への交通手段の都合をつける必要もあるでしょう。あるお年寄りの姉妹は,自分をいつも集会に連れて行ってくれる人の都合が悪くなったときに困ってしまいました。姉妹は何件も電話をかけてやっとのことで車に乗せてくれる人を見つけましたが,そのため自分はお荷物になっているのではないかと感じました。このような事柄をすべて世話する長老が取り決められていれば,姉妹がきまり悪く感じることはなかったでしょう。

この長老は,いろいろな家族が交替でお年寄りを訪問するよう声をかけることもできるかもしれません。こうすれば,子供たちはお年寄りを気遣うことがクリスチャンの生活の一部であるという点を悟るでしょう。この責任を担うことを子供たちが学ぶのはよいことです。(テモテ第一 5:4)ある巡回監督は,「私の経験では,自分から進んでお年寄りや病気の人を訪問する子供や若い人はめったにいません」と述べています。おそらく,それは彼らにとって思いもよらないことなのでしょう。あるいは,何をすればいいか,何を話せばいいか分からないと思っているのかもしれません。ですから,親がそれを教えることができます。

それでも,ほとんどのお年寄りは友人が訪れることが事前に分かれば助かると思っていることを覚えておきましょう。そうすれば,お年寄りは来客を楽しみにするという喜びをも味わうことができます。訪問する時にコーヒーやケーキといった茶菓を持参しても,手早く片づけてから帰るなら,お年寄りに余分の負担をかけずにすみます。相変わらず元気いっぱいのある年配の夫婦は,毎週決まった曜日にピクニック用の小さなバスケットに食べ物を入れて,会衆内のお年寄りを順に訪問します。この夫婦の訪問は大いに感謝されています。

お年寄りの便宜を図って,会衆の書籍研究を日中に開いている会衆も少なくありません。ある所では,幾つかの家族と独身の奉仕者たちに,そのような群れを自発的に支持することができるかと尋ねた結果,お年寄りと若い成員が互いに気遣いを示す書籍研究の群れが出来上がりました。

この分野で長老しか率先しないということがあってはなりません。わたしたちは皆,病気の人やお年寄りの必要に気づいていなければなりません。王国会館であいさつをし,時間を割いて会話することができます。打ち解けた交わりに招くなら喜んでいただけるでしょう。また,ピクニックに誘ったり,休暇を共に過ごすよう誘ったりすることさえできるかもしれません。あるエホバの証人は,商用の訪問で町を離れる際,お年寄りの奉仕者をよく車に乗せて出かけます。お年寄りが仲間意識を常に持てるようにするのは大切です。ナオミにその傾向があったように,お年寄りが自分の殻に閉じこもるままにしておいてはなりません。それは老化や老衰を早めかねません。

障害者や病気を抱えている若い人にも関心を払う必要があります。あるエホバの証人には,不治の病を持つ息子が3人いましたが,そのうち二人は亡くなりました。この人はこう言っています。「長く病気を患っている人に会衆がずっと気遣いを示すのは難しい場合があります。頼りになる若い奉仕者たちを割り当てて,寝たきりの友人と日々の聖句を討議して,毎日聖書を1章読むようにするのはどうでしょうか。開拓者を含め,若い人たちが交替で行なえると思います」。

死が避けられないように思える場合

エホバの僕たちは,病気にかかろうと,迫害を受けようと,いつでも死に勇敢に立ち向かってきました。死期が迫っているのではないかと病気の人が感じる場合,本人が複雑な気持ちになるのも当然です。死後は,親族もその人の死を悲しみ,受け入れ,それに慣れるための期間を経験するでしょう。ですから,病を患っている人が死を率直に話題にするのはよいことです。ヤコブやダビデ,またパウロもそうしました。―創世記 48,49章。列王第一 2:1-10。テモテ第二 4:6-8。

エホバの証人である医師はこう書いています。「この問題については極めて率直でなければなりません。これまで仕事をしてきて,病気で助からないということを患者から隠して,それが幾らかでも本人の益になったためしはありません」。それでも,わたしたちは患者本人が知りたいと思っていることは何か,また本人がいつその点を知りたいと思っているかを理解する必要があります。患者の中には,死期が迫っていることを悟って,考えや気持ちを話し合いたいという明確な姿勢を表わす人がいます。逆に,あくまで望みをかけたいという様子の患者もいます。その場合,友人も一緒に望みをかけるのがよいでしょう。―ローマ 12:12-15と比較してください。

死期が迫っている人は,たいへん疲れ,困惑しているためになかなか祈れない場合があります。そのような患者は,ローマ 8章26節と27節から,神が「ことばとならないうめき」を理解してくださることを知れば慰めを得られるでしょう。そのような圧迫のもとにあると,祈りの言葉がなかなか見つからない場合があるということをエホバはご存じです。

可能なら,患者と共に祈ることは大切です。ある兄弟はこう述べています。「母は死にかけて話す力もなくなったとき,一緒に祈ってほしいと思うと両手を握り合わせてそのことを知らせました。祈りを終えると,私たちは王国の歌を一曲歌いました。母は常々音楽が大好きだったからです。私たちはまずハミングし,それから静かに歌詞を口ずさみました。母は見るからにうれしそうでした。私たちがエホバの証人の生活と結びつけて考える王国の歌は,確かにそれ以外の方法では伝えるのが難しい感情を表現しています」。

死にかけている人と話す際には,愛と巧みさと思いやりが必要です。訪問に際して,建設的で信仰を強める事柄を話せるよう準備できます。他の人や,他の人の問題に関連した否定的な話をしないよう気をつけるべきです。また,訪問時間の長さも,事情に合わせ,また分別を働かせて適宜変える必要があります。患者に意識がないように見えても,会話の内容が聞こえている場合があることを覚えておくのは良いことでしょう。ですから,話す内容に気をつけてください。

皆で分担すべき責任

病気の人やお年寄りの世話は重い責任です。患者に最も身近な人にとって,これは体力を使い,神経をすり減らす務めです。彼らは会衆の他の成員に理解してもらい,助けてもらう必要があり,そうしてもらうに値します。病気持ちの家族や仲間の信者の世話をしている人は,たとえ集会を時折休んだり,野外宣教に携わる機会がしばらく減ったりしたとしても,正しいことを行なっているのです。(テモテ第一 5:8と比較してください。)会衆が理解ある態度を示すなら,彼らは力づけられるでしょう。時には兄弟か姉妹が一時的に代わりを務めるなら,いつも介護に当たっている人は集会に出席したり,数時間伝道してさわやかさを得たりすることができるでしょう。

もちろん,あなた自身が病気を患っていても,できることはあります。病気のことで絶望し,捨て鉢になると,不機嫌になることもあります。しかしそうなると,他の人を遠ざけ,孤立してしまいます。むしろ,感謝を表わし,協力するよう心がけることができます。(テサロニケ第一 5:18)痛みに苦しんでいる他の人のために祈ってください。(コロサイ 4:12)聖書のすばらしい真理を思い巡らし,そうした点を訪ねて来た人と話題にしてください。(詩編 71:17,18)神の民の増加に関する信仰を強める最新の情報に鋭い関心を寄せましょう。(詩編 48:12-14)そのような喜ばしい進展についてエホバに感謝してください。このような点を思い巡らすなら,夕日が投じる光に真昼の太陽が投じる光よりも深みと暖かみがあるのと同じように,人生のたそがれ時も独特の美しさを放ちます。

わたしたち各自は,希望を保つよう格闘しなければなりません。希望はとりわけ試みの時期に思いをかぶとのように守ります。(テサロニケ第一 5:8)復活の希望と,その確かな根拠について思い巡らすのは良いことです。老齢に伴う病気や衰えのなくなる時を,確信と切なる期待を抱いて待ち望むことができます。その時はだれもが健康になります。死者もよみがえります。(ヨハネ 5:28,29)わたしたちはこのような「見えないもの」を信仰と心の目で見ます。それを決して見失ってはなりません。―イザヤ 25:8; 33:24。啓示 21:3,4。

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