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  • 東でも西でも,エホバはご自分の民を強めてくださる
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
塔94 1/1 4–9ページ

東でも西でも,エホバはご自分の民を強めてくださる

宣べ伝える業が禁じられている区域,暴力で破壊されている地域,最近になって禁令が解除された国など,まさに世界中の野外で,エホバは引き続きご自分の証人たちに『普通を超えた力』を与えておられます。―コリント第二 4:7。

禁令下での繁栄

極東のある群島では,宣べ伝える業が禁止されてから17年になります。証人たちは落胆しているでしょうか。少しも落胆してはいません。過ぐる5月,伝道者は1万756人という新最高数に達し,そのうち1,297人が全時間奉仕を行ないました。世界情勢が悪化するにつれ,島の人々は以前にも増して真理に耳を傾けるようになりました。その結果,関心を持つ人の家で行なわれる聖書研究は,1万5,654件報告されています。その前には,イエスの死を記念する集まりがひそかに開かれ,2万5,397人が出席しました。

「神の教え」地域大会が ― これも現地の状況にしたがって慎重に ― 開かれたとき,兄弟たちは,米国で作られたものと同じ発表文書の自国語版を受け取り,大喜びしました。翻訳者や校正者をはじめ多くの人々が,何百ページもある主要な発表文書を予定通り準備できるよう,自発的に残業を行ないました。外部の協力的な印刷業者が印刷と製本を喜んで引き受け,立派に行なってくれました。大会出席者は,1,000以上もの写真が載っているカラフルな出版物を受け取って大変喜びました。エホバの証人に敬意を抱いている政府の役人は少なくありません。反感を示すのはおもにキリスト教世界の僧職者です。わたしたちは,間もなく禁令が解除されることを期待しています。

南北アメリカ大陸ではどうか

これら西の国々に住むエホバの証人は,様々な問題と勇敢に取り組んでいる東の兄弟たちと一つに結ばれています。そして,エホバの聖霊は,難しい状況を克服するよう彼らを助けています。麻薬組織がジャングルを行き来するラテンアメリカのある国から寄せられた次の報告はその一例です。

証人たちのあるグループは,バスで遠く離れた区域に行きました。バスを降りた時,村から細い脇道が伸びていることに気づきました。それで5人の兄弟たちは,姉妹たちや子供たちには村で奉仕するよう指示しておいて,舗装されていないその細い道がどこに通じているかを確かめに行くことにしました。その兄弟たちのうちの一人は次のように語りました。

「その道を2時間ほど歩きましたが,家はあまりありませんでした。すると突然,武器を手にした覆面の男が8人,森の中から出てきました。機関銃を持った男もいれば,マチェーテという大きななたを持った男もいます。いったい何事に出くわしたのでしょうか。私たちのほうから用件を尋ねると,静かにしろ,口をきくな,ただ前へ進めと彼らは言いました。私たちは言われたとおりにしました。さらに2時間,うっそうとしたジャングルの中を歩いてゆくうちに,森林を切り開いた場所に着きました。明らかに武装グループの基地です。銃を持った見張りがあちこちにいます。私たちは,中央に建てられた立派な家に連れてゆかれました。

「私たちが腰をかけると,基地のリーダーらしい男が話しかけてきました。きちんとした身なりをしていて,教育もあり,またかなりの威厳を備えていました。その人は私たちのグループの一人の兄弟を指さし,立つように命じました。それから,『[我々の]組織についてどう思うか』と尋ねました。自分たちのいる場所を十分わきまえていたその兄弟は,こう答えました。『はい,皆さんの組織のことは知っていますが,関心はありません。他のどんな政治組織にも関心はありません。私たちがここに来たのはただ,キリスト・イエスによるエホバ神の王国について宣べ伝えるためです。その王国は間もなくこの事物の体制の政府をすべて滅ぼし,楽園のような状態になったこの地球に住む人々に,驚くべき祝福をもたらします。それはどんな人間にも組織にもできないことです』。

「その人の態度は変わり,『そのようなことをどこで学んだのだ。そのように話せるようになったのはどうしてか』と質問するようになりました。1時間半のあいだ,私たちは世界情勢についてよく証言し,聖書が人類の唯一の希望を明らかにしていることを示しました。また,ローマ 13章についても説明しました。つまり,私たちは政権を握っている当局者に従うということ,しかし,その述べる事柄とエホバのみ言葉が対立するときには,私たちの神エホバへの従順を第一にするということです。そして最後に,持っていた書籍を勧めました。その人は書籍3冊と聖書1冊を受け取り,とても驚いたことに,寄付をくれました。また,それらの本を読んでみると言いました。

「その後,リーダーは部下の一人に,私たちを基地の外に連れ出すよう合図しました。間もなく私たちは帰途に就きました。そして新しい証言の分野で勝利を与えてくださったエホバに感謝しました」。

紛争に明け暮れるアフリカで

アフリカ大陸は東と西の中間に位置しています。アフリカのある国々は,部族間の戦争で暴力の渦と化しました。リベリアでは,内戦の激化からエホバの民は再び大きな影響を受けました。まず1992年10月と11月には首都とその周辺で戦いがありました。それから戦禍が内陸に広がるにつれ,兄弟たちも他の人々と共に森林地帯に逃げ込んだため,全部の会衆が解体しました。それでも,兄弟たちの熱意は衰えませんでした。逃げながらも兄弟たちは宣べ伝えました。その結果,大規模な証言が内陸の僻地でもなされたのです。

家を追われた兄弟たちから成る一つの会衆は,ゴム栽培地の中に仮の王国会館を建てました。前線に近いある町では,日中,一般市民は空からの爆撃を逃れるために周囲のゴム栽培地に逃げ込むことがよくありました。それで現地の兄弟たち(首都のモンロビアを追われた大勢の伝道者を含む)は野外宣教を組織し,ゴムの木の下に隠れている幾千人もの人に定期的に宣べ伝えることができました。飛行機が近づいてきた時には,兄弟姉妹たちは近くの溝に飛び込み,危険が過ぎると訪問を続けました。

驚くべきことに,協会に報告を提出することのできた1,000人余りの会衆の伝道者は,こうした内戦状態にもかかわらず,野外宣教に平均18.1時間を費やし,毎月3,111件の聖書研究を司会しています。

アフリカでは過去4年間に18の国で,エホバの証人の活動に対する制限が解除されました。極めて喜ばしいことに,8月12日にマラウイで,1967年10月に課せられたエホバの証人に対する禁令が解除されました。地下で行なわれていた良いたよりを宣べ伝える業はずっと繁栄していましたが,今では証人たちは自由な状態の中で活動することができます。とはいえ,反対者に殺された大勢の愛する仲間を再び迎えるためには,復活を待たなければなりません。

モザンビークでは停戦協定が1992年10月4日に発効しました。過去16年続いた破壊的な戦争のためにこれまで近づけなかった地域に行くことができるようになりました。カリオコ地区では,過去7年のあいだ組織と一切連絡が取れないでいた375人の兄弟姉妹たちとの通信が再開できました。その地域の中心都市であるミランジェで特別一日大会が開かれました。ミランジェは以前,強制収容所の所在地,エホバの証人の“再教育”センターのある所として知られていました。それら証人たちの大半はマラウイからの難民でした。驚くべきことに,合計2,915人が出席しました。その中にはエホバの証人を歓迎するために出席していた市の行政官もいました。ですから,以前の“再教育”センターはその日,“神の教え”センターになりました。

これは一人の宣教者から寄せられた手紙です。「テテ地区の難民キャンプにいる兄弟たちについて,UNHCR(国連難民高等弁務官)の代表者が興味深いことを述べてくれました。この人は,エホバの証人は自分たちのキャンプを組織し,他のグループから離れていると言い,『エホバの証人のキャンプだけがきちんと運営されている』と話してくれました。また,『エホバの証人は清潔で,組織されており,教育されている』とも述べました。それから,森林地帯の上を飛行機で飛んで,ご自分の目で見てはいかがですか,と言ってくれました。パイロットは空から二つのキャンプを指さしました。一つは荒れ果てた汚いキャンプで,泥の家が無計画にひしめきあっています。もう一つのキャンプはよく設計されており,家が道に沿って並んでいます。家の外観はきちんとしており,庭も掃いてあります。自家製のペンキで塗装してある家もあります。パイロットは,『皆さんのグループのキャンプはどちらか当ててみてください』と言いました。このキャンプの兄弟たちに会えたのは私にとって大きな喜びでした。現在,証人たちから成るこの村には会衆が八つあります」。

「鷲の国」で

と言っても,アメリカの国の象徴である鷲のことではありません。ヨーロッパの国アルバニアは東と西の中間に位置しています。公用語で言えば国名はシュキペリで,「鷲の国」という意味です。この国は50年にわたってエホバの証人に厳しい禁令を課していましたが,最近それが解除され,この国の兄弟たちも,東や西の兄弟たちと一つになって,崇拝の自由を楽しむことができるようになりました。彼らはまさに『よい時を買い取って』います。(エフェソス 5:16)アルバニア史上初の大会である一日大会が,3月21日の日曜日に,首都のティラナにある国立劇場で開かれました。土曜日の午後,75人の証人たちの自発奉仕者のグループが,荒れ果てていた集会場所を清掃したので,国立劇場は明るく清潔な大会ホールに変身しました。あまりの変わりように管理者側は声も出ませんでした。75人の自発奉仕者のうち,バプテスマを受けていた人は約20人にすぎなかったということも特筆すべきことです。

大会の当日はこの上なくよい天気に恵まれました。外国の代表者たちが到着すると,あいさつが交わされ ― ジェスチャーをしたり,抱き合ったりするケースがほとんどだった ― 特別一日大会はまさに特別なものになりました。ナショー・ドーリー兄弟が両手を天に差し伸べながら開会の祈りをささげました。1930年にバプテスマを受けたこの兄弟は,今ではほとんど目が見えません。プログラムはアルバニア語で行なわれ,大部分は外国から来た特別開拓者が扱いました。585名の出席者が「クリスチャンの献身」という歌 ― この機会のためにアルバニア語に翻訳された6曲のうちの1曲 ― を歌う中,41人の新しい兄弟姉妹が整列してプールに向かいました。このプールはギリシャから訪問した兄弟たちの親切によって近くの王国会館に設置されたものでした。何という変化でしょう。以前であれば,聖書を持っているだけで強制労働収容所に送られていましたし,集会は二,三人のグループに限られていたのです。

大会の翌日,ものみの塔の事務所に劇場の管理者から電話がありました。この人は普段なら,だれが劇場を使おうとあまり関心がありません。それは管理者の補佐のする仕事だからです。しかし,管理者はこう言いました。「お電話をしてお礼を申し上げずにはいられませんでした。この場所がこんなにもきれいになったのは見たことがなかったからです。言葉で表わすとすれば,昨日この劇場に天から風が吹いてきたとでも言いましょうか。当劇場をお使いになりたいときには,いつでもお申し込みください。最優先させていただきます。使用料なしで,3か月ごとに来ていただきたいほどです」。

証人たちは強められ,感謝にあふれて自分の町に帰り,イエスの死の記念式の準備を始めました。ちょうど15日後の4月6日,火曜日に,7か所で初めて公に記念式が執り行なわれました。

ベラト市では,集会の出席者数は約170人にもなっており,地元の司祭は激怒しています。ベラトの33人の王国伝道者のうち,21人は前述の大会でバプテスマを受けたばかりです。ベラトからの報告によると,472人が記念式に出席しました。他の場所での記念式の出席者数も目ざましいものでした。これは,特別開拓者のよい導きに負うところが少なくありません。

アルバニアの中でもカトリックの勢力が最も強い,バシリカ聖堂のあるシュコデル市では,教会が月報の印刷を始め,「エホバの証人を避ける方法」を毎号載せるようになりました。前号には,「エホバの証人がシュコデルに侵入」とありました。同市の二人の証人から成る大軍の働きにより,記念式には,行儀のよいまじめな人たちが74人集まりました。記念式の話を聞いた後,15の家族が家庭聖書研究を申し込みました。4人の証人の軍が働いているドゥラス市でも,79人が出席しました。

カルメティ・イ・フォーゲルという山村での記念式の集まりは,カトリックの若者たちが,石を投げつけて追い出すと脅して証人たちに反対したため,場所を変更して地元の兄弟の家で行なわれることになりました。22人が何事もなく出席することができました。この群れの5人の伝道者のうち,3人はティラナの大会でバプテスマを受けたばかりでした。

ブロラでは,「ものみの塔」誌を受け取って読んだ二人の若い男性が協会に次のような手紙を寄せました。「私たちは『ものみの塔』誌で真理を学びましたから,今は自分たちのことをエホバの証人と呼んでいます。助けてくれる人を送ってください」。二人の特別開拓者がその町で奉仕するよう任命されました。若者の一人は伝道者の資格を急速に身に着けました。そして64人が集まったブロラでの記念式に自分も出席して喜びました。

一人のアルバニア人の兄弟は米国で真理を学び,1950年代に故郷のギロカスタル市に戻りました。そして亡くなるまで同市で可能な限り奉仕し,自分の息子の心にも真理の種をまきました。禁令が解除された時,この息子はものみの塔協会に援助を求めました。すぐ北の村に住んでいる一人の人も関心を抱いており,援助を求める手紙を出していました。それで,4人の特別開拓者がそこに遣わされました。記念式の翌日の水曜日の朝,特別開拓者の一人が協会のティラナ事務所に電話をかけてきました。「エホバの霊がどれほどのことを成し遂げたか,お話しせずにはいられないんです。うれしくてたまりません。記念式は成功しました」。出席者は,7人の王国伝道者のグループを含めて106人でした。

記念式の出席者の合計はどうだったでしょうか。王国伝道者が30人にすぎなかった1992年には,出席者は325人でした。1993年には131人の伝道者の働きによって1,318人の出席がありました。どちらの年も,出席者数は伝道者数の10倍でした。このわずかな期間に『小さな者が千となる』のを見ると,胸の躍る思いがします。―イザヤ 60:22。

『あなたの天幕の綱を長くせよ』

エホバの証人の宣べ伝える業が地球の隅々に広がってゆくにつれ,次のような呼びかけがなされています。「あなたの天幕の場所をもっと広くせよ。そして,彼らにあなたの壮大な幕屋の天幕布を張り伸ばさせよ。ためらうな。あなたの天幕の綱を長くし,あなたのその天幕用留め杭を強くせよ。あなたは右に左に突き進(む)からである」。(イザヤ 54:2,3)神の「壮大な幕屋」― 神の崇拝者の世界的な会衆を表わす ― の中でこのように突き進む業が行なわれていることは,東ヨーロッパで,特に旧ソビエト連邦の地域で,確かに明らかになっています。エホバは幾十年にもわたる抑圧の期間を通じてご自分の僕たちを支えてこられましたが,今は組織を拡大し強めるために必要な力強いエネルギーをご自分の証人たちに与えておられます。

ロシアのモスクワにあるロコモティフ・スタジアムでは,7月22日から25日まで,昨年行なわれた一連の「神の教え」大会の一つとして,歴史的に意義深い国際的な大会が開かれ,最高出席者は2万3,743人を数えました。2年前でさえ,このようなことが可能だとだれが考えたでしょうか。しかし,夢ではありませんでした。日本と韓国からは1,000人以上,米国とカナダからは約4,000人,南太平洋やアフリカやヨーロッパなどの30を超える国々からも,幾千人もの人々がやって来ました。まさに,東と西が出会ったのです。これらの人々すべてにとって,1万5,000人を上回るロシアの兄弟姉妹たちと自由に交われることは,本当に心を鼓舞する経験で,その喜びはとどまるところを知りませんでした。

驚くべきことに,合計1,489人の新しい証人たちがバプテスマを受けました。そのバプテスマはマスメディアによって大々的に世界中に伝えられました。例えばニューヨーク・タイムズ紙の第1面には立派な写真が掲載されました。バプテスマの最中には割れるような拍手が起こりましたが,最後の話の際にはさらに大きな拍手が鳴り響きました。最後の話し手は,大会を成功させるために尽力した4,752人の自発奉仕者と職員たちに感謝の意を表明し,それから,「なによりも,わたしたちはエホバに感謝します」と述べました。そうです,ロシア正教会の宗教家による強い反対を阻止し,胸の躍るような大会を実現させる活力を与えたのはエホバの霊です。

しかしまだ8月5日から8日まで,ウクライナのキエフ市でそれを上回る大会が開かれることになっていました。そこでも,喜んで働く自発奉仕者がスタジアムを磨き上げました。マンモス王国会館となったこの会場には最高6万4,714人が出席しました。この度も東と西から証人たちが集まりました。主要な話は12の言語に通訳されました。大量輸送手段を利用して到着した約5万3,000人の代表者を駅や空港に出迎え,ホテル,学校,個人の家,船などの宿舎まで運ばなければなりませんでした。これらすべては最低限の費用でスムーズに,また組織的に能率よく行なわれたので,市の警察から驚嘆と称賛の声が上がりました。

このすばらしい大会のプログラムの最高潮はバプテスマで,終わるまでたっぷり2時間半かかりました。大きなスタジアムで拍手が響き渡る中,合計7,402人の新しい兄弟姉妹たちがエホバに対する献身を表わしました。25万3,922人が集まった1958年のニューヨーク大会のときにバプテスマを受けた人の数は過去最高で7,136人を記録しましたが,今回はそれを上回る数でした。

現在の裁きの期間が終わりに近づくにつれ,羊のような人々が東から,西から,また「地の最も遠い所」からも,人類史上例のない一致へと集められています。確かに,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」は霊的なイスラエルと共に,エホバの主権に基づく支配が立証される際に成し遂げられるすべてのことの基盤となる,イエスの貴重な贖いの犠牲に対する信仰を言い表わしています。―使徒 1:8。啓示 7:4,9,10。

[8,9ページの図版]

モスクワとキエフで東と西が出会った

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