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  • 「税を負っているなら,税を支払いなさい」
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
塔94 11/15 26–28ページ

「税を負っているなら,税を支払いなさい」

「この世の中に死と税金ほど確かなものはない」。このように述べたのは18世紀の米国の政治家であり,発明家でもあったベンジャミン・フランクリンです。頻繁に引用されるこの言葉は,税金からは逃れられないということだけでなく,税金の恐ろしさをも示しています。税金の支払いは,多くの人にとって死と同じほど魅力がありません。

税金の支払いは不快なことかもしれませんが,これは真のクリスチャンが極めて真剣に考慮すべき責務です。使徒パウロはローマのクリスチャン会衆に対して次のような手紙を書きました。「だれに対しても,あなたが負っているものを返しなさい。税を負っているなら,税を支払いなさい。租税であれば租税を,敬意であれば敬意を,誉れであれば誉れを払いなさい」。(ローマ 13:7,新国際訳)またイエス・キリストは「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」と言われた時,特に税のことに言及していました。―マルコ 12:14,17。

エホバは政治上の「上位の権威」が存在し,それがご自分の僕たちに相対的な服従を要求することを許してこられました。では,なぜ神はご自分の崇拝者が税を支払うことを強調されるのでしょうか。パウロは三つの基本的な理由を挙げています。(1)法を破る人たちを罰する「上位の権威」の「憤り」。(2)税金をごまかすなら,クリスチャンの良心が清くなくなること。(3)「公僕」がサービスを提供し,ある程度の秩序を維持することに対して支払いを行なう必要があること。(ローマ 13:1-7)多くの人は税の支払いを好まないかもしれません。しかし,警察,消防設備,道路の維持・管理,公立学校,郵便制度のない国での生活は好きになれないに違いありません。米国の法学者オリバー・ウェンデル・ホームズはその点について,「税とは我々が文明社会に支払う代価である」と述べたことがあります。

税を支払うことは神の僕たちにとって新しいことではありません。古代イスラエルの居住者は自分たちの王を支持するために,一種の税を支払いましたが,それら支配者の中には理不尽な課税によって人々をひどく苦しめた人もいました。ユダヤ人はさらに,エジプトやペルシャやローマなど彼らを支配した外国の勢力に貢ぎと税を支払いました。それでパウロの時代のクリスチャンはパウロが税の支払いに言及した時,パウロの言葉をよく理解していました。彼らは,それらの税が正当なものか不当なものかを知っていましたが,政府がその税金をどのように使うとしても,義務づけられたどんな税も支払わなければなりませんでした。同じことが今日のクリスチャンにも当てはまります。しかし,この複雑な時代の税の支払いに関して,どんな原則が導きになるでしょうか。

導きとなる五つの原則

秩序正しく整理する。わたしたちは,『無秩序な神ではなく,平和の神』であられるエホバに仕え,その方を見倣っています。(コリント第一 14:33。エフェソス 5:1)秩序正しく整理することは,税の支払いに関して非常に重要です。あなたの記録は欠落したところのない,正確で,よく組織されたものですか。普通は,高価なファイル用システムは必要ありません。各種の記録(様々な出費を明細に記した領収書など)ごとにラベルをつけた1冊のフォルダーを使うことができます。毎年,これらをまとめて大きいフォルダーに入れれば十分でしょう。政府が過去の記録を調査することにした時のために,多くの国ではそのようなファイルを数年間保管しておくことが必要です。それで,絶対にもう必要ではないと思える時まで,何も捨ててはなりません。

正直である。パウロはこう書きました。「わたしたちのために祈りつづけてください。わたしたちは正直な良心を抱いていると信じています。すべてのことにおいて正直に行動したいと願っているからです」。(ヘブライ 13:18)正直でありたいという心からの願いは,税を支払う時にわたしたちが下すすべての決定の導きとなるはずです。第一に,報告すべき収入に関して支払われる税を考慮してください。多くの国で,付加的な収入 ― チップ,アルバイト,売却による ― は一定の額を超えるとすぐに課税の対象となります。「正直な良心」を持つクリスチャンは,自分の住んでいる場所でどんな収入が課税の対象になるかを知るようにし,該当する税を支払います。

第二に,控除の問題があります。一般に,政府は課税の対象となる収入から納税者がある程度の費用を控除することを許可しています。不正直な今の世の中には,そのような控除を請求する際に,“でっち上げ”ても何ら害はないとみなす人が大勢います。米国のある男性は自分の妻のために高価な毛皮のコートを購入し,1日だけ仕事場に掛け,仕事場の“装飾品”という形で控除できるようにしたということです。もう一人の男性は,自分の娘の結婚費用を仕事上の控除として請求しました。また別の男性は,自分の妻を同伴して極東に数か月間旅行した時の費用を控除しようとしました。しかし妻は,実際には主に社交的またレクリエーションの目的で旅行したのです。このような事例は跡を絶たないようです。端的に言って,実際はそうでないものを仕事上の控除と呼ぶのは一種の偽りであり,エホバ神から全く忌み嫌われています。―箴言 6:16-19。

注意深くある。イエスは追随者たちに,「蛇のように用心深く,しかもはとのように純真」であることを勧めました。(マタイ 10:16)その忠告はわたしたちの納税にもよく当てはまると言えるでしょう。特に先進国では,税の支払いの準備のために会計事務所や何らかの専門家に報酬を支払う人がますます増えています。そのようにすれば,用紙に署名をし,小切手で送金するだけで事足ります。それは,箴言 14章15節に記されている,「経験のない者はすべての言葉を信じ,明敏な者は自分の歩みを考慮する」という警告に注意を払うよい機会となるでしょう。

納税者の中には,幾人かの無節操な会計士や経験のない納税援助者の『すべての言葉を信じた』ために,政府とのトラブルに巻き込まれる人が少なくありません。明敏であるほうがずっと勝っています。どんな書類であっても,署名する前に注意深く読むことによって,自分の歩みを考慮してください。記載事項,省略,控除が少しでもよく分からない場合,必要であれば繰り返し説明してもらい,その件が正直かつ合法的なものであることを得心するようにしてください。多くの国で税法が極めて複雑化しているのは事実ですが,自分が署名するものは何であれ可能な限り理解しておくのは知恵の道です。ある場合には,税法に通じている仲間のクリスチャンから幾らかの洞察を得られるかもしれません。弁護士として税に関する問題を扱っている一人のクリスチャンの長老は,「もし会計士の提案がよくできすぎているように思えるなら,恐らくそれはまがいものでしょう」と,簡潔に述べました。

責任感を示す。使徒パウロは,「人はおのおの自分の荷を負うのです」と書きました。(ガラテア 6:5)税の支払いに関して,クリスチャン各自は正直であることと,法を守ることの責任を負わなければなりません。これは,会衆の長老たちが自分たちにゆだねられた羊の群れを監督するという問題ではありません。(コリント第二 1:24と比較してください。)長老たちは,地域社会におけるスキャンダルが関係するような重大な悪行の事件が自分たちの注意を引くのでない限り,税に関する事柄に関与しません。一般的に,これは個々のクリスチャンが責任をもって,正しく訓練された良心を用い,聖書の原則を適用すべき分野です。(ヘブライ 5:14)これには,だれが準備したものであれ税の書類に署名するということが,自分は書類を読み,その内容が真実であることを信じているという法律上の声明に相当するという認識が含まれます。a

とがめられるところがないようにする。クリスチャンの監督たちは,自分たちの立場の資格にかなうために,「とがめられるところのない」者であるべきです。同様に,会衆全体も神の見地からとがめられるところがあってはなりません。(テモテ第一 3:2。エフェソス 5:27と比較してください。)それゆえ,会衆全体は納税に関してでさえ,地域社会で良い評判を保てるよう努力します。この点でイエス・キリストご自身が模範を残されました。弟子のペテロが,イエスは神殿税を払うのか,という質問を受けました。それは2ドラクマの関係する小さな事柄でした。神殿はイエスの父の家ですし,自分の息子に税を課す王はいませんから,確かにイエスはこの税を免除されていました。イエスはその通りのことを語られましたが,実際にその税を支払われました。事実イエスは必要なお金を出すために奇跡さえお用いになったのです。なぜ正当に免除されている税を支払われたのでしょうか。イエスご自身が言われたとおり,「彼らをつまずかせないため」です。―マタイ 17:24-27。b

神に誉れをもたらす評判を保つ

同様に今日のエホバの証人も,他の人をつまずかせないように気をつけています。それで当然のこととして,エホバの証人は全体として,正直で税をよく支払う市民との良い評判を世界中で得ています。例えば,スペインの新聞「エル・ディアリオ・バスコ」はスペインでまん延している脱税について注解し,「唯一の例外はエホバの証人である。彼らが売り買いする時には,申請する[土地の]値段は絶対にそのとおりである」と述べました。同様に,米国の新聞「サンフランシスコ・イグザミナー」は数年前に次のように書いています。「[エホバの証人を]模範的市民とみなしてよい。まじめに税金を払い,病人の世話をし,文盲と戦っている」。

真のクリスチャンで,努力して勝ち得たこの評判を損なうことに携わりたいと思う人はいません。選択を迫られた時,幾らかの金銭を節約するために,税をごまかす人として知られる危険を冒しますか。冒さないはずです。自分の良い名を汚したり,自分の価値やエホバへの崇拝にさえ悪い印象を与えたりするよりは,金銭を失うほうを選ぶに違いありません。

実際,公正で正直な人という評判を保つには,恐らくお金のかかることがあるでしょう。約2,400年前に古代ギリシャの哲学者プラトンが述べたとおりです。「所得税があるとき,同一額の所得であっても,公正な人は多くを支払い,不公正な人は少なく支払う」。プラトンは,公正な人は公正であるために代価を支払うことを決して後悔しない,と付け加えたかもしれません。そのような評判を得ることさえ,代価を支払うに値するのです。これはクリスチャンにとってまさに真実です。クリスチャンの良い評判は,天の父に誉れをもたらし,他の人がクリスチャンの生き方と彼らの神エホバに引き寄せられるのを助けるので,貴重なものです。―箴言 11:30。ペテロ第一 3:1。

しかし真のクリスチャンは,エホバと自分たちとの関係をとりわけ高く評価しています。神は彼らが行なうすべてのことをご覧になり,彼らは神を喜ばせることを望みます。(ヘブライ 4:13)それゆえ,真のクリスチャンは政府を欺こうとする誘惑を退けます。神が正直で廉直な行為を喜ばれることを認めているのです。(詩編 15:1-3)そして真のクリスチャンはエホバの心を歓ばせたいと思うので,税を負っているなら,税を支払います。―箴言 27:11。ローマ 13:7。

[脚注]

a このことは未信者の配偶者と一緒に所得税申告書を提出するクリスチャンにとって大きな課題となるかもしれません。クリスチャンである妻は頭の権の原則とカエサルの税法に従う必要との間で平衡を取るため,良心的な努力をするでしょう。それでも,クリスチャンである妻は,故意に偽造文書に署名することによって生じ得る法的な結果を知っているべきです。―ローマ 13:1; コリント第一 11:3と比較してください。

b 興味深いことに,福音書の中でイエスの地上での生活におけるこの出来事を記録したのはマタイだけです。マタイは自分がかつて収税人だったので,この件に関するイエスの態度に感銘を受けたに違いありません。

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