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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
塔99 9/15 8–11ページ

約束を守るのはなぜですか

「投票する時は公約の最も少ない候補者を選ぶことだ。そうすれば,失望させられることも最も少ない」と,元大統領顧問官バーナード・バルークは述べました。今の世の中では,約束は破るためにするものとなっているようです。結婚の誓い,事業上の合意事項,子どもたちともっと多くの時間を過ごす約束などがそうかもしれません。「約束を守るかどうかで,その人の人柄が分かる」という昔からの処世訓の意味するところは一般に無視されています。

もともと約束を守るつもりのない人が多いことは言うまでもありません。よく考えずに実行不可能な誓いを立てる人や,ご都合主義で約束を破る人もいます。

確かに,不測の事態が生じた場合は,約束を守るのが難しくなるかもしれません。しかし,約束を破ることには本当に大きな害があるのでしょうか。自分のした約束は真剣に扱わなければなりませんか。エホバ神の模範を少し調べれば,この問題を真剣に考慮すべき理由が分かります。

エホバはご自分の約束を果たされる

わたしたちの崇拝する神のお名前そのものは,神の約束の成就と密接な関係があります。聖書時代の人名は,当人を説明している場合が少なくありませんでした。このことはエホバというお名前にも当てはまります。エホバには「彼はならせる」という意味があります。ですから,神のお名前は,神がご自分の約束を果たし,ご自分の目的を成し遂げられるという考えを含んでいます。

エホバはそのみ名にたがわず,古代のイスラエル国民に約束されたことをことごとく守られました。それらの約束について,ソロモン王は次のことを認めています。「すべて約束なさったことにしたがって,ご自分の民イスラエルに憩い所をお与えになったエホバがほめたたえられますように。その僕モーセを通して約束された,その良い約束はみな,一言もたがいませんでした」― 列王第一 8:56。

エホバが全く信頼に値する方なので,使徒パウロはこう論ずることができました。「神は,アブラハムに約束をされた際,ご自分より偉大な者にかけて誓うことができなかったので,ご自身にかけて誓(われました)」。(ヘブライ 6:13)エホバのみ名とご性格そのものは,エホバがかなりの犠牲を払うことになろうとも,ご自分の約束を破ったりされないことの保証となっているのです。(ローマ 8:32)エホバがご自分の約束を果たされるという事実は,わたしたちに魂,つまり命の錨である希望を与えてくれます。―ヘブライ 6:19。

エホバの約束とわたしたちの将来

わたしたちの希望,信仰,また命そのものはどれもエホバの約束の成就に依存しています。わたしたちはどんな希望を抱いているでしょうか。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)聖書は,「義者と不義者との復活がある」という信仰の根拠も与えてくれます。(使徒 24:15)そして,わたしたちは,現在の生活以上の何かがあるということを確信できます。実際,使徒ヨハネが「その約束のもの」と呼んでいるのは,「永遠の命」なのです。(ヨハネ第一 2:25)しかし,み言葉の中に収められているエホバの約束は将来のことに限られているわけではありません。それは現在においても,わたしたちの日常生活を生きがいのあるものにしてくれます。

詩編作者は次のように歌っています。「エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者……の近くにおられます。……助けを求めるその叫びを聞(い)てくださいます」。(詩編 145:18,19)神は次のようにも保証してくださっています。「神は疲れた者に力を与えておられる。活動力のない者にみなぎる偉力を豊かに与えてくださる」。(イザヤ 40:29)そして,『神はわたしたちが耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,誘惑に伴って逃れ道を設けてくださる』ということを知るのは何と大きな慰めでしょう。(コリント第一 10:13)これらの約束のどれかが果たされるのを身をもって経験した人は,エホバが絶対に信頼できる方であることを知っています。神は数々の約束をして,それらを守っておられます。そのことから人間にもたらされる恩恵を考えると,わたしたちは自分が神に対して行なった約束をどう見るべきでしょうか。

神との約束を守る

神に対する献身がわたしたちにできる最も重要な約束であることに疑問の余地はありません。この段階を踏むことによって,わたしたちはエホバに永遠に仕えたいという願いを表明します。神のおきては重荷ではありませんが,今のように,邪悪な事物の体制で生活しながら神のご意志を行なうことは,必ずしも容易ではないかもしれません。(テモテ第二 3:12。ヨハネ第一 5:3)しかし,いったん「手をすきにかけ」,エホバの献身した僕,またみ子イエス・キリストの弟子となったなら,後にした世の事柄を決して振り返るべきではないのです。―ルカ 9:62。

エホバに祈っていると気持ちが動いて,弱さを克服したり,クリスチャンの特質を培ったり,神権的な活動のある面を増し加えたりするよう努力することをエホバに約束する場合があるでしょう。こうした約束を守り通す助けになるのは何でしょうか。―伝道の書 5:2-5と比較してください。

誠実な約束には,頭だけでなく心も関係しています。ですから,祈りの中でエホバに心を打ち明け,自分の恐れ,願い,弱さなどを正直に言い表わして,エホバへの約束を明確なものにしましょう。ある約束について祈るなら,それを守ろうという決意が強まります。神との約束は負債とみなすことができます。負債の額が大きい場合,支払いは徐々に行なう必要があります。同様に,エホバに幾つか約束をした場合,それを果たすには時間がかかります。しかし,エホバに対して自分にできることはきちんと行ない,本当に約束を果たすつもりであることを示すなら,神もわたしたちを祝福してくださいます。

自分の約束について何度も,毎日のように祈ることにより,それを軽々しく扱っていないことを実証できます。そうすれば,わたしたちが誠実であることを天の父に示すことになります。また,約束をいつも思い起こすのにも役立ちます。ダビデはこの点でわたしたちによい手本を残しています。ダビデは歌の中でエホバにこう懇願しました。「神よ,わたしの嘆願の叫びを聞いてください。わたしの祈りに注意を払ってください。……わたしはあなたのみ名に永久に調べを奏でます。日ごとにわたしの誓約を果たすために」― 詩編 61:1,8。

約束を守るなら信頼が築かれる

神に対する約束を軽々しく扱うべきではないのであれば,仲間のクリスチャンに対する約束についても同じことが言えます。エホバに対する接し方と兄弟たちに対する接し方を変えるべきではありません。(ヨハネ第一 4:20と比較してください。)イエスは山上の垂訓の中で,「ただ,あなた方の“はい”という言葉は,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい」と言われました。(マタイ 5:37)自分の言葉をいつも信頼の置けるものにしておくことは,『信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なう』一つの方法です。(ガラテア 6:10)約束を守るたびに,信頼が築かれるのです。

お金が絡んでいる場合に約束が破られると,一般にその弊害は大きくなります。貸付金の返済であれ,サービスを行なうことであれ,取引上の契約であれ,クリスチャンは自分の約束を守るべきです。このことは神を喜ばせ,兄弟たちが「一致のうちに共に住む」のに不可欠な相互の信頼を揺るぎないものにします。―詩編 133:1。

しかし,契約の不履行は,当事者だけでなく会衆にも害を及ぼしかねません。ある旅行する監督はこう述べています。「取引上のトラブルは,少なくとも一方が他方を契約不履行とみなすために生じるのが常で,大抵は,みんなの知るところとなります。その結果,兄弟たちはどちらか一方の肩を持ち,王国会館の雰囲気は緊張したものになります」。どんな契約を結ぶ場合でも,注意深く考慮し,その内容を書面にしておくのは本当に大切なことなのです。a

高価な品物を売ったり,投資を勧めたりする時,特に自分自身がその取引で利益を得る場合には,やはり用心しなければなりません。さらに,何らかの品物や医薬品の利点を誇張したり,投資に対する非現実的な見返りを約束したりしないよう細心の注意を払う必要もあります。クリスチャンであれば,愛に促されて,関係するリスクをなんであれきちんと説明するはずです。(ローマ 12:10)兄弟たちはほとんどの場合,商取引の経験が乏しいので,信仰の仲間だというだけで,こちらのアドバイスを信頼するかもしれません。そうした信頼が損なわれるとしたら,非常に残念なことです。

わたしたちはクリスチャンとして,不正直な,または他の人が当然受けるべき利益をないがしろにするような商売のやり方を採用することはできません。(エフェソス 2:2,3。ヘブライ 13:18)エホバの恵みを得て,『その天幕の客』となるには,わたしたちは信頼できる人でなければなりません。『たとえ自分にとって悪いことを誓ったとしても,変えません』。―詩編 15:1,4。

イスラエルの裁き人エフタは,もし神がアンモン人に対する勝利を与えてくださるなら,戦いから戻った時に一番先に迎えに出て来る者を焼燔の捧げ物としてエホバにささげると誓いました。出て来たのは,なんとエフタの一人子でした。しかし,エフタは自分の言葉を翻したりはしませんでした。娘の心からの同意を得て,娘を神の聖なる所での終生に及ぶ奉仕に差し出しました。それはさまざまな面で辛くて大きな犠牲だったに違いありません。―裁き人 11:30-40。

とりわけ会衆の監督たちは合意事項を守る責任があります。テモテ第一 3章2節によると,監督は「とがめられるところのない人」であるべきです。これは,「捕まえることができない,非難できない,非難の余地のない」という意味のギリシャ語を訳したものです。その語は,「評判のよい人物というだけでなく,よい評判に値する人であるということを暗に示して」います。(「ギリシャ語新約聖書を理解するための言語学上の鍵」[英語])監督はとがめられるところのない人でなければならないのですから,その約束はいつも信頼できるものであるべきです。

約束を守るべき他の場合

仲間のクリスチャンでない人たちに対する約束はどうみなすべきでしょうか。「あなた方の光を人々の前に輝かせ,人々があなた方のりっぱな業を見て,天におられるあなた方の父に栄光を帰するようにしなさい」と,イエスは言われました。(マタイ 5:16)わたしたちが約束を守ることを示すなら,他の人はわたしたちの伝えているキリスト教の音信に引き付けられるかもしれません。世界中で正直さの規準が低下していますが,たいていの人は今でも清廉潔白を高く評価しています。約束を守ることは,神と隣人に対する愛を示し,義を愛する人たちの心に訴える一つの方法です。―マタイ 22:36-39。ローマ 15:2。

エホバの証人たちは1998奉仕年度中,神の王国の良いたよりを公に宣明する業に10億時間以上を費やしました。(マタイ 24:14)わたしたちが商取引や他の事柄で約束を守らないなら,この宣べ伝える業は無視されるかもしれません。わたしたちは真理の神を代表しているのですから,人々から正直に行動することを期待されて当然です。信頼できる,正直な人であることにより,わたしたちは「すべての事においてわたしたちの救い主なる神の教えを飾る」のです。―テトス 2:10。

宣教活動において,王国の音信に関心を示した人たちを再訪問する際は,約束を守る機会があります。また訪問します,と言うのであれば,必ず訪問すべきです。約束どおり再訪問することは,『善を受けるべき人からそれを控えない』方法の一つです。(箴言 3:27)ある姉妹はこの問題を次のように説明しています。「関心を持つ人に会った時に,エホバの証人は再び訪問すると約束したのに来なかった,と言われたことが何度かあります。もちろん,訪問しても家の人が不在だったり,何らかの事情で再訪問できなかったりしたのでしょう。でも,自分としてはだれからもそう言われたくないので,目指す人が家にいるときに再び訪問するよう最善を尽くしています。自分がだれかをがっかりさせれば,エホバや兄弟たち全体の不名誉になると思うのです」。

相手がそれほど関心を抱いていないように思えて,再訪問する気にならない場合もあるかもしれません。先ほどの姉妹はこう説明しています。「わたしは相手の関心の度合いを量らないようにしています。自分自身の経験からして,第一印象は間違ったものであることが少なくありません。ですから,積極的な見方をし,どの人も兄弟あるいは姉妹になる可能性のある人だと考えるようにしています」。

キリスト教の宣教活動や他の多くの分野において,わたしたちは自分の言葉が信頼できるものであることを示す必要があります。確かに,言うは易く行なうは難しという場合もあります。賢人は,「多くの人がそれぞれ自分の愛ある親切をふれ告げる。しかし,忠実な人をだれが見いだせるだろうか」と述べました。(箴言 20:6)固い決意があれば,約束をきちんと守ることは可能です。

神からの豊かな祝福

故意に空約束をするのは不正直なことです。支払えるだけの預金がないのに小切手を振り出すことに例えられるかもしれません。一方,約束を守るなら,非常にすばらしい報いや祝福が得られます。信頼に足る者となることによって得られる祝福の一つは,正しい良心です。(使徒 24:16と比較してください。)良心の呵責にさいなまれる代わりに,満足感と心の安らぎが得られます。さらに,約束を守るなら,会衆の一致に貢献することになります。会衆の一致は相互の信頼関係に依存しているからです。わたしたちの語る「真実のことば」は,わたしたちを真理の神の奉仕者として推薦するものともなります。―コリント第二 6:3,4,7。

エホバはご自分の約束を守られ,「偽りの舌」を憎まれます。(箴言 6:16,17)わたしたちは天の父を見倣うことによって,み父に一層近づきます。ですから,約束を守るべき十分な理由が確かにあるのです。

[脚注]

a 「目ざめよ!」誌,1983年5月8日号,13-15ページの「書面にしておきましょう!」という記事をご覧ください。

[10ページの図版]

エフタは,つらいことだったが,自分の約束を守った

[11ページの写真]

再訪問を約束した場合は,よく準備して必ず訪問する

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