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  • 他の人々に仕えると,苦しみが和らぐ
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2003
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2003
塔03 7/1 21–25ページ

ライフ・ストーリー

他の人々に仕えると,苦しみが和らぐ

フリアン・アリアス

私が40歳になった1988年当時,仕事の面で心配は要らないように思えました。私は,ある多国籍企業の地域責任者の職にあり,それに伴って,高級車,高収入,そしてスペインのマドリード中心部の豪華な事務所がありました。会社は,私を全国責任者にするつもりもあったようです。人生が一変しようとしているなどとは思いもしませんでした。

そんなある日,医師から,多発性硬化症という難病にかかっていると告げられました。大変ショックでした。後ほど,資料を読んで,多発性硬化症がどんな症状を引き起こすかを知り,怖くなりました。a いわゆるダモクレスの剣が,残りの人生の間ずっと私の上につるされているかのようでした。妻のミラグロスと3歳になる息子のイスマエルを,どのようにして養ったらよいのでしょう。この事態にどう対処したらよいのでしょうか。これらの問題でまだ手探り状態の時に,もう一つつらい経験をして打ちのめされました。

医師から病気だと知らされて一月ほど後,上司の事務所に呼ばれ,会社が必要とするのは“イメージの良い”人間だ,と言われました。変性疾患を抱えた人は,病気が初期段階でも,良いイメージは与えない,とのことです。それで,その場で解雇されました。突然失業してしまったのです。

家族には平気なふりをしていましたが,本当は一人きりになって,新たな境遇と今後のことをじっくり考えたくてたまりませんでした。どんどん憂うつになっていく気持ちと闘おうとしました。最もひどく傷ついたのは,突如,会社にとって無用な人間だとみなされたことでした。

弱さのうちに強さを見いだす

感謝すべきことに,気持ちが沈みがちなその時期にも,幾つもの強さの源に頼ることができました。私は,それより20年ほど前にエホバの証人になっていました。それで,自分の気持ちと今後に関する不安について,心をこめてエホバに祈りました。同じ信仰を持つ妻も,大いに力となってくれました。そして親友たちも支えとなってくれ,その親切や同情は本当に貴重なものでした。―箴言 17:17。

他の人に対する責任を意識することも助けになりました。息子を立派に育て,教え,共に遊び,伝道においても訓練したいと思っていました。ですから,弱音を吐いてはいられません。さらに,私はエホバの証人の会衆の長老であり,クリスチャンの兄弟姉妹が私の支えを必要としていました。苦しみのあまり信仰を弱めてしまうなら,他の人たちに対してどんな模範となるでしょうか。

当然のことながら,体調と経済状況は変化しました。ある面では悪くなりましたが,良くなった面もあります。ある医師が,「病気は人を駄目にはしません。人を変化させるのです」と言うのを聞いたことがあります。そして私は,そうした変化は悪いものばかりではない,ということを学びました。

何よりもまず,『肉体のとげ』のおかげで,他の人の健康問題をよく理解して同情できるようになりました。(コリント第二 12:7)箴言 3章5節の「心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない」という言葉を,かつてなかったほどよく理解できました。何といっても,変化した状況から教えられたのは,人生で本当に重要なのは何か,真の満足と自尊心を与えるものは何か,ということです。エホバの組織の中で行なえることがまだたくさんあり,「受けるより与えるほうが幸福である」というイエスの言葉の本当の意味が分かりました。―使徒 20:35。

新しい生活

病気と診断されて間もない時に,マドリードで開かれるセミナーに招待されました。そのセミナーでクリスチャンの奉仕者たちは,医師とエホバの証人の患者との協力関係を作り上げるようにと教えられました。後日,それら奉仕者たちは幾つもの医療機関連絡委員会として組織されました。そのセミナーは私にとって,まさに願ってもない時に開かれました。より良い仕事を,つまり世俗のどんな職業よりもはるかに満足感を与える仕事を見いだしたのです。

そのセミナーでの説明によると,新たに組織される医療機関連絡委員会は病院を訪問し,医師と話し合い,医療従事者にプレゼンテーションを行ないますが,そのすべては,協力関係を築き,衝突を避けるためになされます。委員会は,仲間の証人たちが,無輸血での医療を快く施してくれる医師を見つけるのを助けます。もちろん私は専門家ではなかったので,医学用語,医療倫理,病院の組織などについて学ぶべきことがたくさんありました。とはいえ,そのセミナーが終わって帰宅した時には,やりがいのある新たな仕事を与えられ,別人のようになって生き生きとしていました。

病院訪問 ― 満足の源

病気は容赦なく徐々に私の体の機能を損なっていましたが,医療機関連絡委員としての責任は増し加わっていきました。障害年金をもらっていたので,病院訪問を行なう時間的余裕がありました。時々がっかりすることもありましたが,訪問は思ったより容易で報いのあるものでした。今では車いすなしでは動き回れませんが,それも大きな問題ではありません。いつも仲間の委員が同行してくれます。さらに,医師たちは車いすの人と話すのに慣れており,私が訪問のために払っている努力を見て,いっそうの敬意をもって聴いてくださる方もいるように思えます。

ここ10年の間に,何百人もの医師を訪問しました。ほぼ最初から喜んで助けになってくださった医師もいます。マドリードの心臓外科医フアン・ドゥアルテ博士は,患者の良心を尊重することを誇りとしており,すぐに協力を申し出てくださいました。以来,博士は,スペイン各地から来たエホバの証人の患者に無輸血で200例以上の手術を行ないました。年を追うごとに,無輸血手術を行なう医師が増えています。これには私たちの定期的な訪問も幾らか貢献していますが,医学の進歩と無輸血手術のすばらしい成果もこの進展に寄与しています。そして,確かにエホバは私たちの努力を祝福してくださっています。

子どもを専門に治療している心臓外科医たちの反応は,特に励みとなっています。2年にわたり,二人の外科医と麻酔科医たちから成るチームを訪問し,この分野で他の医師たちが行なっていることを説明した医学文献を提供しました。私たちの努力は,1999年,小児心臓血管外科学会議が開かれていたときに報われました。その二人の外科医は,英国の協力的な外科医の巧みな指導の下で,大動脈弁に修正が必要なエホバの証人の乳児に,極めて難しい手術を行ないました。b 外科医の一人が手術室から出てきて,手術は成功し家族の良心も尊重されたと述べた時,私は親たちと共に喜びました。その二人の医師は,今ではスペイン全土からのエホバの証人の患者をごく普通に受け入れています。

このようなとき,クリスチャンの兄弟たちの助けになっていることを実感でき,深い満足を覚えます。たいていの場合,兄弟たちが医療機関連絡委員会に援助を求めるのは,人生の中でもひときわ大変な時です。手術が必要なのに,地元の病院の医師が無輸血で治療することを嫌がったり,それができなかったりするのです。しかし兄弟たちは,医学のあらゆる分野の協力的な医師たちがここマドリードにいることを知ると,ほっと胸をなでおろします。私たちが病院に行って付き添うだけで,心配そうだった兄弟たちの顔に安堵の表情が浮かびます。

法曹界と医療倫理

近年,医療機関連絡委員は裁判官も訪問しています。訪問の際に,「エホバの証人の家族の世話と医療」という出版物を渡します。この出版物は,血の使用に関する私たちの立場と無血性の代替療法の有用性とに関する情報を,裁判官などの関係者に提供する目的で準備されました。かつてスペインでは,裁判官が医師に患者の願いに反して輸血する許可を与えるということが珍しくなかったので,こうした裁判官への訪問が大いに必要とされていました。

裁判官の執務室というのは堂々たる場所で,初めて訪れた際には,車いすで廊下を移動している時にかなり気後れしました。さらに困ったことに,ちょっとしたアクシデントで,私はつんのめって車いすから落ち,ひざをついてしまいました。その様子を見た数人の裁判官と弁護士が親切に助けてくれましたが,私はその人たちの前できまりの悪い思いをしました。

裁判官たちは,私たちの訪問の理由がよく分からないようでしたが,たいていは親切に応対してくれました。最初に訪問した裁判官は,私たちの立場について深く考えている人で,じっくり話し合いたいと言いました。次の訪問の時には,自ら車いすを押して私を執務室に通し,真剣に話を聞いてくださいました。私たち皆は,この最初の訪問で得られた成果に励みを受け,恐れを克服することができました。程なくして,さらに良い結果が得られました。

その同じ年に,別の裁判官が私たちを快く迎えて「家族の世話」を受け取り,それを必ず読むと言いました。その人が緊急時に私たちと連絡を取れるように,私の電話番号を伝えておきました。2週間後,その人が電話をしてきて,手術の必要なエホバの証人に輸血する許可を地元の外科医が求めている,と言いました。血を避けたいという証人の願いを尊重できる解決法を見いだせるよう助けてほしい,とのことです。私たちはすぐに別の病院を見つけ,そこの外科医たちは無輸血手術を成功させました。裁判官は結果を聞いて喜び,今後も同様の方法で解決するよう努力すると約束してくれました。

病院訪問の際には,医療倫理のことがよく話題になりました。医師たちに患者の権利と良心を考慮していただきたいと思っていたからです。ある時,マドリードの協力的な病院から,その病院の倫理講座に参加するよう招かれました。その講座で,この分野の大勢の専門家たちに,聖書に基づく私たちの見方を説明することができました。その講座は私にとっても,医師が下さねばならない数々の難しい決定を理解する助けになりました。

その講座の講師の一人ディエゴ・グラシア教授は,スペインの医師たちのために倫理に関する評判の高い修士課程を定期的に設けており,輸血に関する私たちのインフォームド・コンセントの権利を強力に支持してくださるようになりました。c 教授との定期的な接触がきっかけとなり,エホバの証人のスペイン支部事務所の代表者たちが,大学院でグラシア教授から学んでいる人たちに私たちの立場を説明するよう招かれました。その中には,スペインで最高とみなされる医師たちもいました。

現実を直視する

もちろん,仲間の信者のためにこのような満足感を与える仕事を行なっているからといって,自分自身の問題が解消したわけではありません。病気は容赦なく進行しています。しかし幸いなことに,頭はきちんと働きます。決して不平をこぼさない妻と息子のおかげで,私は今でも様々な責任を果たすことができています。それは,二人の助けと支えがなければ不可能なことです。私はズボンのボタンを留めることも,コートを着ることもできないのです。毎週土曜日に息子のイスマエルと一緒に伝道を行なうのは特に楽しみです。息子は車いすを押して,家の人と話せるようにしてくれます。そして,私は今でも会衆の長老としての務めを果たすことができています。

これまでの12年ほどの間に,深く心を痛めたことが幾度かありました。自分の障害が家族にどれほど影響を与えているかを見て,病気そのものがもたらすよりも大きな苦痛を感じることもあります。家族は口には出しませんが,大変な思いをしているのが分かります。つい先ごろ,1年の間に義理の母と実の父が亡くなりました。その同じ年に,私は車いすなしでは動き回れなくなりました。同居していた父が亡くなったのは,私とは別の変性疾患が原因でした。妻のミラグロスは父の世話をしながら,将来の私の姿を見ているかのように感じたそうです。

とはいえ良い面として,私たち家族は一致し,共に困難に立ち向かっています。私は会社役員のいすの代わりに車いすに座るようになりましたが,他の人に仕えることに打ち込むようになったので,実際には以前よりも充実した生活を送っています。与えることによって苦しみを和らげることができます。そしてエホバは,苦難の時に私たちを強めるという約束を必ず守ってくださいます。私はパウロと同じく,確信をもって次のように言うことができます。「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです」。―フィリピ 4:13。

[脚注]

a 多発性硬化症は中枢神経系の病気です。たいてい平衡感覚や手足の動きが徐々に衰え,また視力や言語能力や理解力が低下することもあります。

b この手術は,ロス手術として知られています。

c 「ものみの塔」誌,1997年2月15日号,19,20ページをご覧ください。

[24ページの囲み記事]

妻の意見

妻として,多発性硬化症で苦しむ夫と暮らすのは,精神的にも感情的にも身体的にも容易なことではありません。道理にかなった計画を立て,先のことを必要以上に心配しないようにすることが求められます。(マタイ 6:34)でも,苦労の多い人生は人の最も良い面を引き出します。結婚のきずなは以前より強くなりましたし,エホバとの関係もいっそう親密になっています。同じようにストレスの多い状況にある人たちのライフ・ストーリーからも大いに力を得ています。フリアンが兄弟たちのために価値ある奉仕を行なって満足を感じる時,私も同じように感じます。毎日が新たな挑戦だとしても,エホバが決してお見捨てにならないことを実感しています。

[24ページの囲み記事]

息子の意見

父の忍耐と積極的な精神は,わたしにとってすばらしい模範です。父の車いすを押すとき,自分は役に立っていると感じます。いつでも自分のしたいことができるわけではないことは分かっています。わたしはまだ10代ですが,大人になったら医療機関連絡委員会で奉仕したいと思います。聖書の約束を通して,苦しみは一時的なものであることを知っていますし,わたしたち以上につらい経験をしている兄弟姉妹が大勢いることも知っています。

[22ページの図版]

妻は私の強さの源

[23ページの図版]

心臓外科医フアン・ドゥアルテ博士と話しているところ

[25ページの図版]

息子と私は共に楽しく宣教奉仕を行なっている

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