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  • わたしたちの宣教奉仕 ― 優しい同情心に基づく業
  • わたしたちの王国宣教 2006
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わたしたちの王国宣教 2006
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わたしたちの宣教奉仕 ― 優しい同情心に基づく業

1 イエスは,自分の伝える音信を聴こうとする大勢の人々が「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されてい(る)」のをご覧になりました。(マタ 9:36)それで,愛と優しさを込めてその人々にエホバの道を教え,慰めを差し伸べ,深い同情心をもってその人々の霊的な必要のために奉仕しました。イエスのこうした態度について黙想してゆくと,イエスと同じ感じ方や考え方ができるようになり,優しい同情心というこの特質がわたしたちの宣教奉仕においても,はっきり表われるようになります。

2 必死に助けを求めて近づいてきた人々にイエスがどのように反応されたかを考えてみてください。(ルカ 5:12,13; 8:43-48)特別な状況に置かれた人たちにイエスは思いやりを持たれました。(マル 7:31-35)周囲にいる人たちの気持ちを察して,配慮を示されました。外面に表われていないものに目を向けられたのです。(ルカ 7:36-40)確かにイエスは,わたしたちの神の持たれる思いやりに満ちた同情心を余すところなく反映されました。

3 「哀れに思われた」: イエスは単なる義務感から宣教奉仕を行なわれたのではありません。人々のことを「哀れに思われた」とあります。(マル 6:34)今日でも同様です。わたしたちは単にメッセージの配信をしているのではありません。貴重な命を救おうとしているのです。人々の反応の仕方について,その背後にある理由を理解しようと努めてください。人々はなぜ不安を抱え,気持ちの余裕がないのでしょうか。偽りの宗教の牧者から顧みられずに放置され,盲目にされてきたのでしょうか。わたしたちの純粋な関心がその人たちを動かして,良いたよりに耳を傾けてみようという気持ちを抱かせるかもしれません。―コリ二 6:4,6。

4 優しい同情に富む接し方は人の心を動かします。このような例があります。ある女性は生まれて3か月になる女の子を亡くして,悲嘆に暮れていました。二人の証人がその家を訪ねた時,その女性は二人を家に招き入れましたが,それは神が人の苦しみを許しておられる理由について,証人たちの見方に反論するためでした。しかしその女性は,後にこう述べています。「証人たちは深い同情心をもって,わたしの話すことを聴いてくださいました。その二人が帰って行くころには,わたしはとてもさわやかな気持ちになっていて,もう一度来てくださるようにお願いしました」。あなたも,宣教奉仕で会うすべての人に優しい同情心を示そうと努めておられるでしょうか。

5 優しい同情心に富んだ見方を培えば,他の人に真の慰めを差し伸べることができるようになります。そうするなら,「優しい憐れみの父」であるエホバの栄光を表わすことになります。―コリ二 1:3。

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