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  • 塔研25 10月号 12–17ページ
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2025
塔研25 10月号 12–17ページ

研究記事 41

108番の歌 神の揺るぎない愛

神の愛はどんなときも変わらない

「エホバに感謝せよ。神は善い方。神の揺るぎない愛は永遠に続く」。詩編 136:1

ポイント

エホバの愛について聖書に書かれていることを考えると,試練の中でも頑張っていく力が湧いてきます。

1-2. 試練が降り掛かると,どんな気持ちになるかもしれませんか。

荒れ狂う嵐に船がもまれています。船はまるで木の葉のように上下に揺さぶられています。でも,いかりを下ろしてしっかり船をつなぎ留めていれば,嵐の中でも流されずに済みます。

2 試練が降り掛かると,自分はまるで嵐にもまれる船のようだと感じるかもしれません。揺れ動く感情に翻弄されてしまいます。ある日にはエホバから愛され支えられていると感じたのに,次の日には「エホバは本当に自分の状況を分かっているんだろうか」と感じます。(詩 10:1; 13:1)友達が優しい言葉で慰めてくれると,しばらくは気持ちが落ち着きます。(格 17:17; 25:11)でも,また不安な気持ちが湧いてきて,エホバに見捨てられているんじゃないかと感じます。ではそんな時,どうすれば心にいかりを下ろせるでしょうか。つまり,エホバに愛され支えられていることを,信じ続けられるでしょうか。

3. (ア)「揺るぎない愛」とは何ですか。(詩編 31:7; 136:1)(イ)エホバほど揺るぎない愛にあふれている方はいない,といえるのはどうしてですか。(挿絵も参照。)

3 試練の時に心にいかりを下ろすには,エホバの揺るぎない愛についてよく考えることが大切です。(詩編 31:7; 136:1を読む。)「揺るぎない愛」とは,何があっても変わらない深い愛情のことです。エホバほど,揺るぎない愛にあふれている方はいません。聖書にはエホバが「揺るぎない愛に満ち」ているとあります。(出 34:6,7)また,エホバに「呼び掛ける人全てに,揺るぎない愛を豊かに示してくださ[る]」ともあります。(詩 86:5)それがどういうことなのか考えてみてください。エホバは私たちを絶対に見捨てたりはしません。何があっても変わらずに支え続けてくれます。そのことを忘れないでいれば,嵐のような試練に遭っても,心にいかりを下ろし,安定していられます。(詩 23:4)

嵐の中でも船が流されないようにするため,いかりが下ろされている。

いかりを下ろしていれば,嵐の中でも船は流されない。エホバから愛されていることを確信していれば,試練の時も安定していられる。(3節を参照。)


エホバが愛してくれていることは聖書の基本的な教え

4. 聖書の基本的な教えにはどんなものがありますか。そういう教えを信じて疑わなくなったのはどうしてですか。

4 心にいかりを下ろすために,ほかにもできることがあります。エホバが愛してくれていることを聖書の基本的な教えと捉えることです。「聖書の基本的な教え」と聞くと,どんなものが思い浮かびますか。例えば,神の名前はエホバ,イエスは神の独り子,亡くなった人には意識がない,人間は将来パラダイスになった地球で永遠に生きられる,といった教えかもしれません。(詩 83:18。伝 9:5。ヨハ 3:16。啓 21:3,4)いったんそういう教えを受け入れたら,もう信じて疑わなかったのではないでしょうか。信じるだけの確かな根拠があったからです。エホバから愛されているということを,聖書の基本的な教えと捉えるなら,苦しい目に遭っている自分をエホバは気に掛けていないという考えを振り払うことができます。どういうことでしょうか。

5. どうすれば間違った教えを捨てることができますか。

5 聖書を学んで,以前信じていた間違った教えを捨てることができたのはどうしてでしょうか。自分の宗教の教えと聖書の教えを比較したことが役立ったはずです。例えば,イエスが全能の神だと信じていたなら,「これは本当に正しい教えだろうか」と考えたかもしれません。聖書を調べ,その教えは間違っていることが分かりました。それでその教えを捨て,イエスは「全創造物の中の初子」で「神の独り子」だという聖書の教えを信じるようになりました。(コロ 1:15。ヨハ 3:18)もちろん,間違った教えは「要塞のように強固」なことがあるので,打ち砕くのは簡単ではありません。(コリ二 10:4,5)でも,一度捨てた教えをまた信じるということはなかったはずです。(フィリ 3:13)

6. エホバの「揺るぎない愛は永遠に続く」と信じられるのはどうしてですか。

6 エホバから愛されているか不安になる時も,同じようなステップを踏めます。まず立ち止まって,「本当にエホバから愛されていないんだろうか」と考えます。そして,自分の気持ちとこの記事の主題の聖句,詩編 136編1節を比較してみます。エホバが自分の愛を「揺るぎない」と言っているのはどうしてでしょうか。「神の揺るぎない愛は永遠に続く」という表現が詩編 136編で26回も繰り返されているのはどうしてでしょうか。ここまで考えてきた通り,何があってもエホバが愛し続けてくれるというのは,聖書の基本的な教えです。聖書を学んで信じるようになったほかの教理と同じです。自分はエホバから大事にされていないとか,愛されていないという考えは,事実ではありません。間違った教えをきっぱり捨てたのと同じように,そういう考えも振り払ってください。

7. エホバの温かい愛が伝わってくる聖書のどんな言葉がありますか。

7 聖書には,エホバの温かい愛が伝わってくる言葉がたくさんあります。例えば,イエスは弟子たちに「あなたたちはたくさんのスズメより価値があるのです」と言いました。(マタ 10:31)また,エホバ自らこう言っています。「私はあなたを強くし,必ず助ける。私の正義の右手であなたをしっかりと支える」。(イザ 41:10)イエスの言葉にもエホバの言葉にも,あいまいなところは少しもありません。「あなたたちはたぶん価値がある」とか「私はあなたを助けるかもしれない」とは言っていません。「価値がある」,「必ず助ける」と言い切っています。エホバから愛されているのか不安になる時は,こういう聖句を思い出してください。そうすれば心がほっとします。でもそれだけでなく,エホバに愛されていることが頭でもよく分かるようになっていきます。信じるだけの確かな根拠があるからです。祈りながらこういう聖句についてじっくり考えると,ヨハネ第一 4章16節の言葉に共感できるようになります。「神が私たちを愛してくださっていることを,私たちは知るようになり,信じました」。a

8. エホバの愛を疑ってしまう時はどうしたらいいですか。

8 それでもエホバの愛を疑ってしまう時は,どうしたらいいでしょうか。心で感じていることと頭で分かっていることを比較して,どちらが信頼できるか考えてみてください。感情は事実ほどには当てになりません。エホバの愛について聖書に書かれていることは確かな事実です。もしエホバに愛されていないと考えるなら,「神は愛」であるという聖書の教えを否定することになってしまいます。(ヨハ一 4:8)

エホバが私たちに「愛情を抱いている」ことをよく考える

9-10. イエスはどんなことを教えている時に「父はあなたたちに愛情を抱いている」と言いましたか。(ヨハネ 16:26,27)(写真も参照。)

9 イエスが弟子たちに語った言葉からも,エホバの愛について学べます。こう言いました。「父はあなたたちに愛情を抱いているのです」。(ヨハネ 16:26,27を読む。)イエスは,弟子たちをただ喜ばせようとしてそう言ったわけではありません。文脈を見ると,この時イエスは弟子たちの気持ちについて話していたというより,祈りについて教えていました。

10 イエスはこの直前に,弟子たちにイエスを通して祈るようにと教えました。でも,イエスに祈るようにとは教えませんでした。(ヨハ 16:23,24)それは,弟子たちにとって知っておかなければいけないことでした。どうしてでしょうか。イエスが復活した後,弟子たちはイエスに祈りたいという気持ちになるかもしれないからです。弟子たちはイエスとの友情を育んでいたので,自分たちを愛してくれているイエスに願いを伝えれば,その願いをイエスがエホバに伝えてくれると考えたかもしれません。でもイエスは弟子たちに,イエスではなくエホバに祈るべきだと言いました。どうしてでしょうか。「父はあなたたち[弟子たち]に愛情を抱いている」からです。これは祈りについての聖書の基本的な教えです。エホバは私たちをとても愛していて,祈りをぜひ聞きたいと思っているということです。私たちも聖書からイエスについて知り,イエスが大好きになりました。(ヨハ 14:21)でも1世紀の弟子たちと同じように,「父[が私たちに]愛情を抱いている」と知っているので,心からエホバに祈ります。エホバに祈るたびに,イエスのその言葉を信じていることを表せます。(ヨハ一 5:14)

兄弟が外のベンチに座って,気掛かりな3つのことについて真剣に祈っている。1. 病気で寝込んでいる妻に,兄弟が食事を持ってきたところ。2. 小さい娘に聖書について教えているところ。3. 兄弟が書類を見ながら家計のやりくりについて考えている。

「父はあなたたちに愛情を抱いている」という言葉を信じて祈れる。(9-10節を参照。)b


疑ってしまうのはどうしてか

11. エホバから愛されていることを疑うならサタンが喜びます。どうしてですか。

11 エホバの愛を疑ってしまうのはどうしてでしょうか。1つの原因は,サタンがそういう気持ちをあおっているからです。サタンは私たちを「むさぼり食おうとして」いて,自分はエホバから愛されていないと思わせようと仕向けています。(ペテ一 5:8)エホバは私たちを深く愛しているからこそ贖いを与えてくれたのに,サタンは私たちが贖いを受けるには値しないと思わせようとしています。(ヘブ 2:9)でも考えてみてください。私たちがエホバから愛されていることを疑うなら,それを喜ぶのは誰でしょうか。サタンです。つらい時,諦めてエホバに仕えるのをやめるなら,誰の思い通りになってしまいますか。やはりサタンです。これはとてもおかしな話です。本当にエホバから愛されていないのはサタンなのに,サタンは私たちがエホバから見捨てられ,愛されていないと思わせようとしています。それがサタンの「策略」です。(エフェ 6:11)そういうサタンの手口が分かると,「悪魔に立ち向かって」いこうという決意が強まります。(ヤコ 4:7)

12-13. 罪を受け継いでいることとエホバの愛を疑ってしまうことには,どんな関係がありますか。

12 エホバの愛を疑ってしまう原因はほかにもあります。受け継いだ罪です。(詩 51:5。ロマ 5:12)罪のせいで,人間とエホバの関係は駄目になってしまいました。さらに思考や感情が大きなダメージを受け,健康も損なわれました。

13 罪を受け継いでいるせいで,罪悪感,心配,不安,恥ずかしさなどのネガティブな感情を味わうことがあります。そういう気持ちになるのは,悪いことをした時だけではありません。自分の至らなさをいつも痛感しているので,そういう感情が付きまといます。完全な状態とは懸け離れています。(ロマ 8:20,21)タイヤが1本パンクするだけで,車はしっかり走れなくなります。同じように,私たちも完全ではなくなったので,エホバが意図していた通りに生きていくことはできなくなってしまいました。それで,エホバから愛されているか疑ってしまうことがあります。そう感じてしまう時は,次の言葉を思い出してください。「エホバ,あなたは偉大で威厳に満ちる神です。あなたを愛してあなたのおきてを守る人たち[に]揺るぎない愛を示す方です」。(ネヘ 1:5)

14. 贖いについて考えると,エホバから愛されていないという考えを払いのけることができます。どうしてですか。(ローマ 5:8)(「『人を欺く罪の力』に気を付ける」の囲みも参照。)

14 それでもやはり,エホバに愛される価値はないと感じてしまうかもしれません。ある意味で,私たちはエホバに愛される価値がありません。だからこそエホバの愛のすごさが際立ちます。エホバの愛は,一生懸命努力した結果として手に入れられるものではありません。エホバの方が私たちを愛して,罪を許すために贖いを与えてくれました。(ヨハ一 4:10)さらに,イエスが地球に来たのは罪人のためであって,完璧な人間のためではありません。(ローマ 5:8を読む。)なんでも完璧にできる人は一人もいませんし,エホバもそういうことは期待していません。確かに,エホバの愛を疑ってしまうのは罪を受け継いでいるせいです。罪の言いなりになって,ネガティブな考えに引きずられてしまわないようにしましょう。(ロマ 7:24,25)

「人を欺く罪の力」に気を付ける

聖書には「人を欺く罪の力」という表現が出てきます。(ヘブ 3:13)罪を受け継いでいるせいで,悪いことをしたくなることがあります。でもそれだけでなく,エホバから愛されていないという気持ちが付きまとうこともあります。それこそが「人を欺く罪の力」です。

自分に限ってだまされたりはしないと思うものです。例えば,詐欺の被害に遭うことなんてないと思っているかもしれません。でも,気を付けていないと痛い目に遭ってしまいます。

罪も私たちを欺いて,エホバに愛されていないと信じ込ませようとします。また,自分の欠点や失敗ばかりをくよくよ考えさせようとします。そういう「人を欺く罪の力」に気を付けましょう。

揺るぎない愛を貫く

15-16. エホバへの揺るぎない愛を貫く人は,どんなことを期待できますか。どうしてですか。(サムエル第二 22:26)

15 エホバは私たちに,エホバに「しっかり付」いて離れないでほしいと思っています。(申 30:19,20)そうしていれば,エホバも揺るぎない愛を示し続けてくれます。(サムエル第二 22:26を読む。)私たちがエホバへの揺るぎない愛を捨てない限り,どんなに苦しい時も必ず支えてくれます。

16 この記事では,試練に遭っても心にいかりを下ろして安定していられるのはどうしてか考えてきました。エホバが私たちを愛し,いつも支えてくれるからです。それは聖書の基本的な教えです。エホバに愛されていないんじゃないかと不安になる時は,心で感じていることよりも,頭で分かっていることの方が信頼できるということを思い出してください。エホバの揺るぎない愛は永遠に続くという,聖書が教えている事実を信じて疑わないようにしましょう。

何を学びましたか

  • エホバから愛されていることを聖書の基本的な教えと捉えることは大切です。どうしてですか。

  • 罪を受け継いでいることとエホバの愛を疑ってしまうことには,どんな関係がありますか。

  • エホバに愛されていないという考えを振り払うには,どうしたらいいですか。

159番の歌 エホバをたたえる

a 申命記 31章8節,詩編 94編14節,イザヤ 49章15節も参照。

b 写真や挿絵: 病気の妻を支えられるように,賢くやりくりできるように,娘がエホバへの愛を育てていけるように,と兄弟が祈っている。

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