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使徒ものみの塔出版物索引 1951-1985
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14:23 塔79 3/1 20; 鑑76 164; 組 58; 塔72 113,211; 自 178; 塔63 181; 心 162; 塔61 366-367; 塔59 357
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使徒の活動 注釈 14章新世界訳聖書 (スタディー版)
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長老: 直訳,「年長者」。聖書で,ギリシャ語プレスビュテロスは,実際に年長の人を表すこともあるが,主に,国や共同体で権威や責任のある立場に就いている人を指す。(マタ 16:21の注釈を参照。)古代イスラエルの共同体で,経験を積んだ年長の男性が指導したり管理したりする責任を担ったように,1世紀のクリスチャン会衆で,経験を積んだ男性が責任を担った。(テモ一 3:1-7。テト 1:5-9)パウロとバルナバは,「聖なる力によって送り出されて」この宣教旅行に出掛けたが,それでも,任命する時には祈って断食した。それから,その長老たちを「エホバに委ねた」。(使徒 13:1-4; 14:23)パウロとバルナバに加えて,テトスも会衆の「長老たち」を任命する役割を果たしたことが記されている。テモテもそうしたようだ。(テト 1:5。テモ一 5:22)そのような任命を会衆が独自に行っていたという記録はない。1世紀のクリスチャン会衆には,「長老団」として一緒に仕える何人かの長老たちがいたようだ。(テモ一 4:14。フィリ 1:1)
任命し: ここで聖書は,旅行する監督のパウロとバルナバが長老たちを任命したことを示している。2人は断食をして祈り,任命を重大な事柄と見ていたことを示した。テトスも会衆の「長老たち」を任命する役割を果たしたことが記されている。テモテもそうしたようだ。(テト 1:5。テモ一 5:22)ここの「任命し」に当たるギリシャ語ケイロトネオーは,字義的には「手を差し出す(伸ばす,上げる)」という意味。その意味に基づいて,会衆が挙手によって長老を選んだと理解する人もいる。しかし,このギリシャ語はどのように任命されたかに関係なく,もっと広い意味でも使われている。この語のそういう使い方は,1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスが書いた「ユダヤ古代誌」の第6巻,4章と13章(ローブ 6:54と6:312)で裏付けられていて,そこでは同じギリシャ語動詞が,神がサウルを王として任命したことについて使われている。この時,イスラエルの会衆が挙手でサウルを王に選出したのではない。聖書が述べているように,預言者サムエルがサウルの頭に油を注ぎ,「エホバは確かにあなたを選んで……指導者にしました」と言った。エホバ神がサウルを任命したということ。(サ一 10:1)また,ギリシャ語の文法に沿って考えると,使徒 14:23で,任命(直訳,「手を伸ばすこと」)を行ったのは,集まった人々や会衆ではなく,使徒のパウロとバルナバだった。別の場面では,1世紀の会衆で資格ある男性が責任ある立場に任命される時,使徒や権限を持つ他の人たちが実際に手を置いた。それは,確認,承認,任命を象徴する行為だった。使徒 6:6の注釈と比較。
彼らをエホバに委ねた: 「委ねた」と訳されているギリシャ語動詞は,使徒 20:32でも使われていて,そこではパウロがエフェソスの長老たちに,「皆さんが神……によって守られますように」と言っている。またその動詞は,ルカ 23:46で,「父よ,私の命をあなたの手に託します」というイエスの言葉を訳すのに使われている。これは詩 31:5からの引用で,その聖句のセプトゥアギンタ訳(30:6,LXX)では「委ねる」に当たる同じギリシャ語が使われていて,元のヘブライ語本文では直後に神の名前が出ている。自分をエホバに委ねるという考えがヘブライ語聖書で何度か言い表されている。(詩 22:8; 37:5。格 16:3)付録C3の序文と使徒 14:23を参照。
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