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ローマ 1:7新世界訳聖書
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7 招かれて聖なる人となり,神に愛されている,ローマの皆さんへ。
私たちの父である神と,主イエス・キリストから,皆さんに惜しみない親切が示され,平和が与えられますように。
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ローマものみの塔出版物索引 1951-1985
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1:7 塔81 9/15 22; 塔77 262; 目65 5/22 7; 塔62 714
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ローマ 注釈 1章新世界訳聖書 (スタディー版)
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聖なる人: ギリシャ語聖書ではしばしば,会衆にいるキリストの兄弟たちが「聖なる人たち」と呼ばれている。(使徒 9:13; 26:10。ロマ 12:13。コ二 1:1; 13:13)この語は,「永遠の契約の血」つまりイエスの流した血により新しい契約によって神との関係に入った人々に当てはまる。(ヘブ 10:29; 13:20)そのようにして,神聖にされ,清められ,神によって「聖なる人」とされる。神は,その人たちが地上で神聖な歩みを始めた時から,この聖なる状態にあると見ている。その人たちが死んだ後ではない。それで,個人や組織が人々を「聖なる人」または「聖人」(そう訳している聖書翻訳もある)と宣言する根拠は聖書にない。ペテロは,神は聖なる方なので,その人たちも「聖なる人でなければならない」と述べている。(ペ一 1:15,16。レビ 20:7,26)「聖なる人」という語は,キリストと結ばれ,その共同相続人になった人全てに当てはまる。キリストの弟子たちがこう呼ばれる500年以上前に,神は「至上者の聖なる者たち」と呼ばれる人たちがキリストと共に王国を治めることを明らかにした。(ダニ 7:13,14,18,27)
ローマの皆さん: ローマの町にいるクリスチャンのこと。西暦33年のペンテコステの日には,「ローマから来て滞在している……ユダヤ人や改宗者」がいて,聖なる力が注がれた結果を目撃した。その時にバプテスマを受けた3000人の中に,ローマから来た人もいたに違いない。(使徒 2:1,10,41)その人たちがローマに戻って,熱心なクリスチャン会衆を形成したと思われる。その信仰のことが「世界中で語られている」と使徒パウロは言った。(ロマ 1:8)1世紀に生まれたローマの歴史家のタキトゥス(「年代記」,XV,XLIV)とスエトニウス(「皇帝列伝」,ネロ,XVI,2)も,ローマのクリスチャンに言及している。
皆さんに惜しみない親切が示され,平和が与えられますように: パウロは11通の手紙でこのあいさつを使った。(コ一 1:3。コ二 1:2。ガラ 1:3。エフ 1:2。フィリ 1:2。コロ 1:2。テサ一 1:1。テサ二 1:2。テト 1:4。フィレ 3)テモテへの手紙でもよく似たあいさつを使っているが,「憐れみ」という性質を加えている。(テモ一 1:2。テモ二 1:2)学者たちが注目しているように,パウロは「あいさつを送ります」に当たる一般的な語(カイレイン)の代わりに,似た音のギリシャ語(カリス)をしばしば使い,会衆が「惜しみない親切」を十分に受けてほしいという願いを言い表した。(使徒 15:23の注釈を参照。)「平和」について述べているのは,ヘブライ語の一般的なあいさつシャーロームの影響。(マル 5:34の注釈を参照。)パウロは「惜しみない親切」と「平和」という語を使い,クリスチャンが贖いによって再び持てるようになったエホバ神との関係を強調していると思われる。パウロは,惜しみない親切と平和がどこから来ているかについて,主イエス・キリストと別に私たちの父である神を挙げた。
惜しみない親切: パウロは14通の手紙の中で,「惜しみない親切」(ギリシャ語カリス)について90回ほど述べている。これは他のどの聖書筆者よりもはるかに多い。例えば,ヘブライ人の手紙を除くどの手紙の冒頭のあいさつの中でも,神もしくはイエスの惜しみない親切について述べていて,全ての手紙の結びの言葉の中でその表現を使っている。他の聖書筆者たちも冒頭や結びで同じように「惜しみない親切」について述べている。(ペ一 1:2。ペ二 1:2; 3:18。ヨ二 3。啓 1:4; 22:21)使徒 13:43の注釈と用語集を参照。
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