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  • コリント第二 2:16
    新世界訳聖書
    • 16 それは,滅びようとしている人たちにとっては死に至る死の臭い+,救われようとしている人たちにとっては命に至る命の香りです。では,こうした務めを果たす資格が十分にあるのは誰でしょうか。

  • コリント第二 2:16
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 16 後者にとっては死から出て死に至る香り+,前者にとっては命から出て命に至る香りです。それで,これらの事に関してじゅうぶんに資格があるのはだれですか+。

  • コリント第二
    ものみの塔出版物索引 1986-2025
    • 2:16 洞-1 524; 塔10 8/1 23; 塔08 7/15 28; 塔05 9/1 31; 塔90 7/15 11-12; 塔90 11/15 27

  • コリント第二
    ものみの塔出版物索引 1951-1985
    • 2:16 塔85 9/1 21-26; 塔80 9/1 30; 塔77 768; 塔56 16

  • コリント第二
    エホバの証人のためのリサーチガイド 2019年版
    • 2:16

      「洞察」

      「ものみの塔」

      2010/8/1,23ページ

      2008/7/15,28ページ

      2005/9/1,31ページ

      1990/11/15,27ページ

      1990/7/15,11-12ページ

  • コリント第二 注釈 2章
    新世界訳聖書 (スタディー版)
    • 2:16

      臭い: または,「香り」。ギリシャ語オスメーはこの節に2回出てくる。「死の臭い」と「命の香り」という表現に使われている。このギリシャ語は,快い匂い(ヨハ 12:3。コ二 2:14,16。エフ 5:2。フィリ 4:18)または不快な臭いを指す。セプトゥアギンタ訳のイザ 34:3では,死体の「悪臭」を指している。このコ二 2:16で,比喩的な臭いと香りはどちらも同じもので,イエスの弟子たちが広めるメッセージを表している。実際の勝利の行進で,捕らえられた人は群衆の目の前を歩かされ,行進が終わると処刑された。その人たちにとって,このにおいは「死の臭い」となる。パウロの例えで,このにおいが快いものか不快なものかは,個々の人がメッセージにどう応じるかによる。そのメッセージは,感謝して受け入れる人にとっては「命の香り」であり,拒む人にとっては「死の臭い」だった。

      こうした務め: これまでの節でパウロが述べた務めのこと。パウロが論じているのは,神の本当の奉仕者として行動し,神の知識の香りを至る所に振りまく資格が十分にあるのは誰かということ。

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