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コリント第二 注釈 3章新世界訳聖書 (スタディー版)
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十分な資格は神から与えられているのです: この文脈で,「十分な資格」と訳されるギリシャ語が2つ使われていて,「足りる」,「十分な」,「適する」という基本的な意味がある。人に関して,「能力のある」,「できる」,「ふさわしい」という意味を伝える場合がある。(ルカ 22:38。使徒 17:9。コ二 2:16; 3:6)この部分は,「この仕事を行えるようにするのは神です」とも訳せる。これらのギリシャ語のうちの1つが,セプトゥアギンタ訳の出 4:10に出ていて,その聖句はモーセがファラオの前に出る資格がないと感じたことを述べている。ヘブライ語本文によれば,モーセは「私は流ちょうに話せません[直訳,「私は言葉の人ではありません」]」と言っている。セプトゥアギンタ訳はその部分を「私には十分な資格がありません」と訳している。モーセはそう言ったが,エホバはモーセがその任務を果たせるようにした。(出 4:11,12)同じように,クリスチャンの奉仕者は「生きている神の聖なる力」によって資格を得る。(コ二 3:3)
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