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  • コリント第二 3:5
    新世界訳聖書
    • 5 私たちは自分の力で十分な資格を得ているわけではなく,自分で何かを成し遂げていると考えることはできません。十分な資格は神から与えられているのです+。

  • コリント第二 3:5
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 5 すなわち,何にせよそれがわたしたちから出ているとみなせるほどわたしたち自身にじゅうぶん資格があるということではなく+,わたしたちにじゅうぶん資格があるの*は神から出ているということです+。

  • コリント第二
    ものみの塔出版物索引 1986-2025
    • 3:5 洞-1 1061; 塔08 7/15 28; 塔02 2/15 24-25; 塔00 11/15 17-19; 塔90 7/15 14-15

  • コリント第二
    ものみの塔出版物索引 1951-1985
    • 3:5 塔85 9/1 23; 塔74 637; 塔73 724; 塔71 524; 塔63 18; 塔56 105; 塔54 153-154

  • コリント第二
    エホバの証人のためのリサーチガイド 2019年版
    • 3:5

      「洞察」

      「ものみの塔」

      2008/7/15,28ページ

      2002/2/15,24-25ページ

      2000/11/15,17-19ページ

      1990/7/15,14-15ページ

  • コリント第二 注釈 3章
    新世界訳聖書 (スタディー版)
    • 3:5

      十分な資格は神から与えられているのです: この文脈で,「十分な資格」と訳されるギリシャ語が2つ使われていて,「足りる」,「十分な」,「適する」という基本的な意味がある。人に関して,「能力のある」,「できる」,「ふさわしい」という意味を伝える場合がある。(ルカ 22:38。使徒 17:9。コ二 2:16; 3:6)この部分は,「この仕事を行えるようにするのは神です」とも訳せる。これらのギリシャ語のうちの1つが,セプトゥアギンタ訳の出 4:10に出ていて,その聖句はモーセがファラオの前に出る資格がないと感じたことを述べている。ヘブライ語本文によれば,モーセは「私は流ちょうに話せません[直訳,「私は言葉の人ではありません」]」と言っている。セプトゥアギンタ訳はその部分を「私には十分な資格がありません」と訳している。モーセはそう言ったが,エホバはモーセがその任務を果たせるようにした。(出 4:11,12)同じように,クリスチャンの奉仕者は「生きている神の聖なる力」によって資格を得る。(コ二 3:3)

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