ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 夫と妻 ― 話し方に違いがあるというのは本当ですか
    目ざめよ! 1994 | 1月22日
    • 夫と妻 ― 話し方に違いがあるというのは本当ですか

      こんな場面を考えてみてください。裕二の事務所に,博之が重い足どりで入ってきます。心配があるのか肩を落としているのが分かります。裕二は優しいまなざしで,友人が話し始めるのを待ちます。「今回の商談をうまくまとめられるかどうか,僕には自信がないんだ。障害は多いし,本社からはプレッシャーをかけられるし」と,博之はため息交じりに言います。裕二は確信をこめて言います。「なんだ,心配することなんか何もないだろ。君はこの仕事に打ってつけの人材じゃないか。みんなもそれを知っているんだよ。慌てることなんかないさ。それに,そんなことで困ったと言うのなら,つい先月の……」と言って,裕二は自分自身の失敗談を事細かに,面白おかしく話します。間もなく友人は気分が楽になり,笑いながら事務所を出て行きました。裕二は助けになれたことをうれしく思いました。

      こんな場面も考えてみてください。その日の午後,裕二は家に帰ると,妻の理恵も機嫌を損ねているのがすぐに分かります。裕二は普段よりも陽気な調子で,ただいま,と言い,それから妻が事情を話すのを待ちます。張り詰めた沈黙の後,理恵は出し抜けに,「わたし,もう我慢できない! 今度の上司ったらまるで暴君なのよ!」と言います。裕二は理恵を座らせ,腕を回してこう言います。「そんなに怒るなよ,理恵。たかが仕事のことじゃないか。上司なんて,みんなそんなものだよ。僕の上司が今日すごいけんまくで怒ったところを,君にも聞かせたかったよ。でも,どうしても大変だったら,辞めてもいいんだよ」。

      「あなたって,わたしの気持ちなんかどうでもいいんでしょ!」 理恵は言葉を返します。「わたしの言うことなんか全然聴いてくれないんだから! 辞められるわけないでしょ! あなたのお給料だけじゃ,やっていけないじゃない!」 理恵は寝室に駆け込んで,激しく泣きます。裕二は何が起きたのか分からないまま,唖然としてドアの外に立っていました。裕二の慰めの言葉にこれほど正反対の反応が返ってきたのはなぜでしょうか。

      男女の差?

      こうした例に見られる違いを一つの単純な事実のせいにする人がいます。つまり,博之は男で,理恵は女だからというわけです。言語の研究者たちは,夫婦間コミュニケーションの問題の原因は多くの場合,男女の違いにあると考えています。「あなたは全く理解してくれない」,「男は火星から,女は金星から来た」と題する本などは,同じ言語を話していても,男性と女性のコミュニケーションの方法にはっきりとした違いがあるという理論を支持しています。

      もちろん,エホバが男性から女性を創造されたとき,女性は男性に少しの変更を加えただけのものではありませんでした。男性と女性は,身体的,感情的,精神的,霊的に互いに補い合えるよう,考え抜かれた,絶妙な設計の所産でした。こうした本質的な違いに加えて,一人一人の生い立ちや人生経験の複雑さ,文化や環境や社会の男女観から来る影響などもあります。このような影響のため,男性と女性のコミュニケーションの方法にある種の型を見いだすのは可能かもしれません。しかし,“典型的な男性”とか,“典型的な女性”などといった分かりにくい表現は,心理学の書物にしか出てこないのかもしれません。

      一般に,女性の特性として感受性の強さが取り上げられますが,人を非常に優しく扱う男性も少なくありません。男性のほうが物事を論理的に考えるとされているかもしれませんが,物事を分析する鋭い洞察力を持った女性も珍しくありません。したがって,どんな特質も,男性独特のものとか,女性特有のものなどと分類することは不可能であるとしても,一つ確かなことがあります。それは,お互いの見方を洞察するかどうかが,特に結婚生活においては,一緒に仲良く暮らせるか,熾烈な争いになるかを左右するかもしれない,ということです。

      既婚者は,男女のコミュニケーションという難しい問題に日々直面します。洞察力のある夫たちの多くは,「髪型変えたんだけど,どう?」といった,一見たわいない妻の質問も多くの危険をはらんでいる場合があると言います。機転の利く多くの妻は,夫が旅先で道に迷ったとき,「だれかに道を聞いたらどう?」と,何度も尋ねないほうが良いことに気づいています。愛情深い夫婦は,配偶者の独特のやり方のようなものをけなしたり,「僕は(わたしは)そういう人だから」と言って自分独特のやり方に固執したりせずに,むしろ表面に表われない部分に目を向けます。これは,相手のコミュニケーションの方法を冷淡に詮索するということではなく,相手の気持ちや考えを温かく見つめるという意味です。

      一人一人が特異な存在であるように,結婚している二人の組み合わせもそれぞれ特異な存在です。不完全な人間の性質ゆえに,思っていることや考えていることが本当に一致するのは,偶然の結果ではなく,大変な努力の結果です。例えば,わたしたちは,他の人も自分と同じように物事を見ていると考えがちです。多くの場合,自分の必要を満たしてほしいと思う方法で他の人の必要を満たし,「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」という黄金律に従おうとするかもしれません。(マタイ 7:12)しかしイエスは,あなたが望むもので他の人が十分満たされると言っておられたわけではありません。あなたは,自分が必要としているもの,欲しているものを他の人が与えてくれることを望んでいるのですから,あなたは他の人が必要としているものを与えるべきなのです。夫婦は配偶者の必要を可能な限り満たすことを誓ったのですから,このことは結婚生活において特に肝要です。

      裕二と理恵もそのような誓いを立てました。そして2年間,幸せな結婚生活を送りました。ところが,お互いに相手のことをよく知っていると思っていても,時に,善意だけでは埋めることのできない大きなコミュニケーションのギャップの存在を明らかにする状況が突然に生じます。「賢い者の心はその口に洞察力を示させ,その唇に説得力を加える」と,箴言 16章23節は述べています。コミュニケーションを図るうえで,洞察力は欠かせない鍵です。裕二と理恵の場合,洞察力によってどのような扉が開くかを調べてみましょう。

      一人の男性の見方

      裕二は競争社会の中で生きています。男はみな,一つの社会組織の中で自分の立場を占めていなければなりません。それは部下であれ,上司であれ同じことです。コミュニケーションは彼の立場や能力や専門技術や存在価値などを証明する働きをします。彼は独立を大切にします。要求するような調子で命令されると,裕二は抵抗を感じます。「君はやるべきことをしていない」という意味のことを暗に言われると,たとえそう言われるのがもっともな場合でも,裕二は反発してしまいます。

      裕二が人と話すのは,基本的には情報交換のためです。事実や考え,新しく知った事柄などを話すのが好きです。

      裕二は人の話をさえぎることはおろか,「ああ,そう」などと相づちを打つことさえめったにありません。情報を吸収しているからです。しかし賛成できない時には遠慮せずにそう言うほうです。友達に対しては特にそうです。裕二は,友達の言うことに関心があり,あらゆる可能性を探索するのです。

      裕二は問題があれば自分自身で解決することを好みます。そのため,人やいろいろな事柄をすべて避けるようにしたり,葛藤を一時的に忘れるために気晴らしをして気分転換を図ったりすることもあります。話し合うのは,アドバイスが欲しい時だけです。

      博之のように,男性が問題を抱えてやって来ると,裕二は助ける責任を感じ,友達が無力さを感じないよう世話をやきます。そして,友達に寂しい思いをさせないよう,アドバイスに加えて,たいてい自分の失敗談を幾つか語ります。

      裕二は友達と一緒に活動するのが好きです。彼にとって,親しい交わりとは物事を一緒に行なうことなのです。

      裕二にとって家庭とは,競争の場からの避難所,自分を証明するために話をする必要のない場所,受け入れられ,信頼され,愛され,感謝される場所なのです。そんな裕二も,たまには独りでいたいと思う時があります。理恵のせいではなく,理恵が何かをしたからでもありません。ただ,しばらく独りになりたいのです。裕二は自分が感じている不安や心配事や苦痛を妻に打ち明けることに困難を覚えます。妻に心配をかけたくないからです。妻の世話をし,保護するのが夫の務めだと考えているのです。それができることを理恵に信じてもらう必要があります。支えは欲しくても,同情は欲しくありません。自分が無能で役立たずに思えるからです。

      一人の女性の見方

      理恵は自分を,他の人とのつながりという社会の一員と見ています。そうした関係の絆を築き,固くすることは彼女にとって大切なのです。話すことは,親密さを生み,それを確認する大切な手段です。

      理恵は生まれつき人に頼るほうです。裕二にリードしてほしいと思っていますが,決定を下す前に夫が自分の考えを分かってくれると,自分は愛されていると感じます。理恵は決定を下さなければならない時には,夫に相談することを好みます。それは必ずしも夫の指示を仰ぐためではなく,夫への信頼と親密さとを示すためです。

      理恵にとって,何かが必要な時にはっきりとそれを口にするのはとても難しいことです。裕二に向かって小言を言いたくありませんし,不満を持っていると思われたくもありません。むしろ,気づいてくれるまで待ったり,それとなく気づかせようとしたりするのです。

      会話する時,理恵は細かい事柄に興味を引かれ,いろいろと質問します。人や人間関係に敏感で,強い関心を抱いているため,自然にそうなるのです。

      話を聴いているとき,理恵は相づちを打ったり,うなずいたり,質問をしたりして,話についていっていること,また話に関心があることを示します。

      理恵は,人々が何を必要としているかを直観的に知ろうと一生懸命に努力します。頼まれなくても助けを差し伸べるのは,愛情のすばらしい表現だと考えます。特に,夫が成長し,進歩するのを助けたいと願っています。

      理恵は問題を抱えると圧倒されそうになることがあります。そんな時は,話さずにはいられません。解決策を求めるためというよりも,むしろ自分の気持ちを言い表わすためです。自分を理解し,気遣ってくれる人がいることを知っている必要があるのです。感情が高ぶると,理恵は大げさで強烈な言葉を口にします。「全然聴いてくれない!」と言う時も,本気でそう思っているわけではありません。

      理恵の子供の時の親友は,物事を一緒に行なった友達ではなく,何でも一緒に語り合った友達でした。ですから結婚してからも,戸外での活動よりは,親身になって聴いてくれる人に自分の気持ちを打ち明けることのほうがずっと好きなのです。

      理恵にとって家庭は,だれの批判も受けずに話ができる場所です。心配や問題を遠慮なく裕二に打ち明けます。助けが必要ならば,恥ずかしがらずにその必要を認めます。夫がそばにいてくれて,関心を持って耳を傾けてくれるものと思っているからです。

      普段,理恵は愛されていると感じており,結婚生活に安心感を抱いています。しかし時々,これといった理由もなく,不安になったり,愛されていないと感じることがあります。そのような時には,すぐに自信を取り戻せる言葉や親しい交わりを必要とします。

      このように,裕二と理恵は互いに補い合っているものの,非常に異なっているのです。たとえ二人が共に相手の最善を考えて愛情を示して支え合っても,二人の間の相違が深刻な誤解を生む可能性はあります。前述の状況をそれぞれがどのように見ていたのか,聞いてみることにしましょう。

      二人の目にはこのように映った

      裕二はこう言うことでしょう。「家に入った途端,理恵の機嫌が悪いのが分かりました。たぶん,そのうち自分から理由を話してくれるだろうと思いました。僕には,そんなに大きな問題とは思えませんでした。そんなにいらいらする必要はなく,簡単に解決できることを理解させてやるだけで,機嫌は直るだろう,と考えました。話を聴いてやったのに,『わたしの言うことなんか全然聴いてくれないんだから!』と言われた時には,ぐさりときました。妻は自分のいらいらを全部僕のせいにしているみたいでした」。

      理恵はこう説明することでしょう。「その日は一日,何をやってもうまくゆかなかったんです。主人のせいじゃないことは分かっていたけど,あんなにうれしそうな顔をして入ってくるんだもの。わたしがいらいらしているのを無視しているんじゃないかと思いました。どうかしたのって尋ねてくれたっていいのに。わたしが事情を話しても,馬鹿なこと言うな,そんなのどうでもいいことじゃないか,みたいなことを言うんですもの。君の気持ちは分かるよ,なんて言ってくれるどころか,何でも解決したがり屋の主人は,どうすれば解決できるかを説明するんです。解決策なんてどうでもよかったの。同情してほしかったのよ!」

      このように一時的に仲たがいをしているようですが,裕二と理恵は深く愛し合っています。どのように洞察力を働かせれば,その愛をはっきりと表現できるでしょうか。

      相手の見方で物事を見る

      裕二は,何があったのか理恵に尋ねるのは差し出がましいと思ったので,彼らしく,自分が他の人にしてほしいと思うことを妻のために行ないました。妻が切り出すまで待ったのです。ところが,理恵は余計にいらいらしてしまいました。問題があったからだけでなく,支えてほしいという自分の訴えを裕二が無視しているように思えたからです。理恵は,裕二が沈黙して優しく敬意を表わしているとは理解せず,むしろ,かまってくれていないと解釈しました。理恵がやっと口を開くと,裕二はさえぎることなく耳を傾けました。しかし理恵は,自分の気持ちを夫が本気で聞いてくれていないように思いました。それから裕二は,感情移入をするのではなく,解決策を教えました。つまりこう言ったのです。「君のその感情にはちゃんとした根拠がない。過敏に反応しているんだよ。このちっぽけな問題がどれほど簡単に解決できるか分かるかい?」

      もしお互いが相手の見方で物事を見ていたら,状況は大きく異なっていたことでしょう。例えば,こんなふうにです。

      裕二は帰宅すると,理恵の機嫌が悪いことに気づきます。「どうかしたの?」と裕二は優しく尋ねます。すると,涙がこぼれてきて,言葉が口を突いて出てきます。理恵は,「みんなあなたのせいよ!」と言ったり,夫の働きが足りないとほのめかしたりはしません。裕二は理恵を抱き寄せ,辛抱強く耳を傾けます。理恵が話し終えると,裕二は言います。「かわいそうに,がっかりしたんだね。君がどうしてそんなにいらいらしているのかよく分かったよ」。理恵は答えます。「聴いてくれてありがとう。あなたに分かってもらえて,ずいぶん楽になったわ」。

      残念ながら,多くの夫婦は互いの相違点を解決する代わりに,すぐに離婚を選んで二人の結婚を終わらせます。多くの家庭を崩壊に追いやっている犯人は,コミュニケーションの欠如です。結婚生活の土台そのものを揺るがすほどの口論が爆発します。それはどのように起きるのでしょうか。次の記事は,それがどのように起きるのか,そしてどのように回避できるかを扱っています。

  • 口論を分析する
    目ざめよ! 1994 | 1月22日
    • 口論を分析する

      妻は気持ちを言葉に表わす必要を感じます。夫は解決策を教えようとします。昔から夫婦の間の口論は数限りなく,いろんなことで口論しているように聞こえがちですが,実際には幾つかの基本的な問題に関する口論の変形である場合が少なくありません。配偶者の物の見方やコミュニケーションの方法が自分とは違うことを理解すれば,燃え盛る山火事も,幸福な家庭の暖炉に燃える炭火にまで弱めることができるかもしれません。

      「何から何まで口を出さないでくれ!」

      事あるごとにアドバイスをされ,頼み事をされ,批判される多くの夫は,妻はさい配を振り,小言を言うものという固定観念を持つようになっているかもしれません。聖書はそのような気持ちになることを認めて,「妻の口論は,人を追い立てる雨漏りのする屋根のようだ」と述べています。(箴言 19:13)妻が何かを頼んでも,夫には妻の知らない理由があって,黙ってそれに反対するかもしれません。妻は夫が聞いてくれなかったと考え,今度は夫に指図します。夫はますます反対します。これは,小言を言う妻と,妻の尻に敷かれた夫の組み合わせなのでしょうか。それとも,二人は明確なコミュニケーションを行なっていないだけなのでしょうか。

      妻の目から見れば,役立つアドバイスをすることは,夫に対する愛の最上の表現です。しかし夫の目には,妻にとやかく言われ,自分は無能だと言われているように映ります。「あなた,カバン持った?」という言葉は,妻にしてみれば,夫が忘れ物をしないよう気遣う気持ちの表現です。しかし夫はそれを聞くと,出掛けに玄関から大声で,「手袋は持ったの?」と叫ぶ母親を思い出してしまうのです。

      妻は疲れていると,「ねぇ,今夜はレストランで食事にしない?」と優しく言うかもしれませんが,実際は,「外食にしましょうよ。すごく疲れているから料理したくないの」という意味なのです。ところが,妻思いの夫は,この時とばかりに妻の料理を褒め,君の手料理に限ると言い張るかもしれません。あるいは夫は,「僕を操ろうとしている」と思うかもしれません。一方,妻は「こんなことなら聞かなければよかった」と腹立たしく思うかもしれません。

      「わたしのことなんか愛してないんでしょ!」

      夫は当惑し,やりきれない気持ちになって言います。「どうしてそんなふうに考えるんだろう! 僕は働いてるし,お金も稼いでる。時には花を贈ることだってあるのに」。

      人はだれでも愛されていると感じる必要がありますが,特に女性は愛されていると何度も感じる必要があります。女性は口には出さないかもしれませんが,心の中では自分がお荷物になっているように感じることがあります。毎月の体のリズムの影響で落ち込んでいる場合には特にそうです。夫がそんな時に,独りになる時間が欲しいんだな,と考えて妻をそっとしておくと,妻は,夫が近づいてくれないのは自分が一番恐れていることが現実になった証拠,つまり,もう愛されていない証拠だと解釈するかもしれません。そして,きついことを言っては,何とかして愛し,支えてもらおうとするかもしれません。

      「ねぇ,どうしたの?」

      男性はストレスの多い問題を抱えると,静かな場所を見つけてじっくり考えようとするかもしれません。しかし女性は緊張を感じ取ると本能的に,自分の殻に閉じこもっている夫をそこから引きずり出そうとするかもしれません。妻がどれほど夫のためを思ってそうしても,夫はそれを差し出がましい,屈辱的なことと感じるかもしれません。独りになって問題を考えようとする夫が後ろを振り返ると,夫思いの妻が速足で追いかけて来ています。「ねぇ,大丈夫? どうしたの? 何があったか教えてよ」という愛情に満ちた声がしつこく聞こえてきます。

      返事がないと,妻は感情を害されるかもしれません。妻は問題があれば夫に打ち明けたいと思います。しかし愛する人は自分の気持ちを分かち合おうとしません。「あの人,わたしのことなんかもう愛してないんだわ」と妻は結論するかもしれません。ですから,そんなことは思いもよらない夫が,ついに解決策を見いだして満足げに自分の世界から姿を現わすとき,そこにいるのは心配そうな様子の愛情深い配偶者ではなく,置き去りにされたことに抗議しようと待ち構えている,怒った妻なのです。

      「わたしの言うことなんか,全然聴いてくれないんだから!」

      そんな言いがかりはナンセンスに思えます。夫にしてみれば,自分はいつも聴き役に回ってばかりいるように思えます。ところが妻に言わせれば,話をしても自分の言葉はコンピューターが数学の問題を解く時のようにふるい分けられ,解析されているような気がしてなりません。夫に話をさえぎられ,「こうすればすむことじゃ……」と言われると,ああやっぱりと思ってしまいます。

      妻が問題を抱えて夫に近づく時は,非常に多くの場合,夫を責めているのでも,夫に解決策を求めているのでもありません。妻が一番望んでいるのは,冷厳な事実を聞くだけではなく,それについての自分の気持ちも同情して聞いてくれる人なのです。妻はさらに,アドバイスではなく,むしろ自分の気持ちが間違っていないという確証を得ることを望みます。多くの夫が妻のためを思って,「おまえ,そんなふうに思うもんじゃないよ。そんなに大したことではないよ」と言っただけで爆発を引き起こしてしまった理由はそこにあります。

      多くの場合,人々は,夫婦なんだから言わなくても気持ちは分かってくれるはずだと考えます。ある男性は,「一緒になって25年にもなるんだから,僕の思っていることがまだ分からないようなら,関心がないか,気にかけていないかだ」と言いました。ある著述家は結婚関係に関する本の中でこう述べています。「夫婦が思っている事柄を互いに話さず,相手の失敗を非難し合っていれば,愛と協力の精神が消えうせても当然。代わりに……自分の必要を無理やり相手に満たさせようとして権力闘争が始まる」。

      「あなたって本当にいい加減な人ね!」

      妻は夫に面と向かってそのようには言わないかもしれませんが,声の調子にはっきりと表われることがあります。「どうしてこんなに遅かったの?」という言葉は理由を尋ねているともとれますが,責めるような目で見ている妻の姿は,むしろこう語っているように見えます。「いい加減な人ね。まるで子供じゃないの。心配したのよ。どうして電話してくれなかったの? 本当に思いやりがないんだから。せっかくの夕飯が冷めちゃったじゃないの」。

      もちろん,夕飯については妻の言うとおりです。しかし,もし口論になれば,二人の関係も冷める危険がありませんか。「口論はたいてい,二人の意見が合わないからではなく,男性が女性は自分の見方を認めてくれないと感じているか,女性が自分に対する男性の話し方を嫌っていることが原因である」と,ジョン・グレー博士は書いています。

      家庭では好きなことを遠慮なく自由に言うべきだという意見の人もいます。しかし,コミュニケーションが上手な人は,聴き手の感情を考えに入れて,一致を生み出そう,平和な関係を築こうとします。このような話し方は,大まかに言って,配偶者に一杯の冷たい水を出すことに似ているかもしれません。その水を相手の顔にかけるのとは大違いです。それで,どのように話すかによって違いが生まれると言えるでしょう。

      コロサイ 3章12節から14節の言葉を当てはめるなら,口論は消え,幸福な家庭が実現します。「優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。

      [9ページの図版]

      夫は事実に重きを置き,妻は感情に重きを置いている

  • 二人がひとつになる ― 幸福な家庭
    目ざめよ! 1994 | 1月22日
    • 二人がひとつになる ― 幸福な家庭

      強固で安全で快適な家庭を築く場合,あなたはどのような材料を使いますか。木材,れんが,それとも石ですか。聖書の箴言の書はこう勧めています。「家は知恵によって築き上げられ,識別力によって堅く立てられることになる。そして,奥の部屋は知識によって,価値あるあらゆる貴重な快いもので満たされる」。(箴言 24:3,4)幸福な家庭を築くには確かに,知恵,識別力,知識が必要です。

      築くのはだれでしょうか。「真に賢い女は自分の家を築き上げた。しかし,愚かな女は自分の手でこれを打ち壊す」。(箴言 14:1)同じことは賢い男性についても言えます。賢明な男性は,結婚生活を強固で幸福なものにするか,弱くて惨めなものにするかは男性の手中にあるということを理解しています。どんな要素が違いを生むのでしょうか。現代の結婚問題カウンセラーたちの提案の中に,何千年も昔に書かれた神の言葉の,時代を超えた知恵とよく似たものがあるのは非常に興味深いことです。

      耳を傾ける: 「本当に耳を傾けることは他の人に対する最高の敬意の表現の一つであり,親密な関係を築きかつ維持するのに極めて重要である」と,ある結婚問題の手引き書は述べています。「賢い者たちの耳は知識を見いだそうと努める」と箴言には記されています。(箴言 18:15)耳は,一目見ただけで開いていることが分かる目や口とは異なるので,本当に耳を傾けていることをどうすれば配偶者に示すことができるでしょうか。その一つとして鏡映,またはアクティブ・リスニングと呼ばれる方法があります。―11ページの囲み記事をご覧ください。

      率直さと親密さ: 「1対1 ― 個人的な関係を理解する」という本にはこう書かれています。「我々の文化は率直さに逆行する。幼い時から,いらぬお節介をしないよう,そしてお金や考えや感情……など,何でも私的な事柄は隠すように教えられる。この教えは,“恋に落ちた”としても簡単に失われるものではない。率直になるようたゆまず努力しなければ,親密さは育たない」。箴言はこう述べています。「内密の話し合いのないところには計画のざ折があ(る)」。「しかし,一緒に協議する者たちには知恵がある」。―箴言 13:10; 15:22。

      忠節と信頼: 夫と妻は神の前で忠節を誓います。互いに忠節であるという信頼が夫婦の間にあれば,疑いや誇りや競争心によって,また自分の権利を主張することに没頭して,愛の働きが妨げられることはありません。

      分かち合う: 同じ経験をすると,人間関係は深まります。やがて夫婦は,双方にとって大切で,貴重な思い出を織り成すことができるようになります。その友愛の絆を断つことなど,二人にはとても考えられないことです。『兄弟より固く付く友人がいる』― 箴言 18:24。

      親切と優しさ: 親切な行為は摩擦を少なくし,誇りを弱めます。親切にする習慣がしっかり身に着けば,意見が合わないために感情が高ぶった場合でも親切でいられるので,害は最小限にとどまります。優しさは,愛を育む温かい環境を作り出します。優しさを表現するのは男性にとって特に難しいことかもしれませんが,聖書は,「地の人[英文字義: 男性]のうちにあって望ましいものは,その愛ある親切である」と述べています。(箴言 19:22)立派な妻について言えば,「その舌には愛ある親切の律法があ(り)」ます。―箴言 31:26。

      謙遜さ: 誇りの悪影響を防ぐ謙遜さがあれば,すぐに謝り,頻繁に感謝を表わすようになります。全く身に覚えのないことで責められる場合はどうでしょうか。「ごめんね。怒らせてしまって」と優しく言うのはどうでしょう。配偶者の敏感な性質を思いやり,問題を正す方法を一緒に考えてください。「人が抗論をやめるのは栄光である」― 箴言 20:3。

      敬意: 「互いの相違を認め合い,それを一緒に解決する際のキーワードは,敬意である。夫婦の一方にとって重要なことでも,もう一方にとってはそれほど重要ではないかもしれない。それでも,夫も妻も,相手の見方に常に敬意を払うことができる」。(「世界が崩壊する中で家族を一致させる」)「せん越であることによって人は闘いを引き起こすだけである。しかし,一緒に協議する者たちには知恵がある」― 箴言 13:10。

      ユーモア: 危機感が暗雲のように垂れこめても,一緒に大声を出して笑うと,晴れ上がる場合もあります。笑いの震動が愛の絆に伝わり,明快な思考をしばしば狂わせてしまうような緊張を和らげます。「喜びに満ちた心は顔色をよくする」― 箴言 15:13。

      与える: 配偶者の良い点を積極的に探し,褒め言葉を惜しまないことです。相手が心から喜ぶ褒め言葉のほうが,シルクのネクタイや花束よりも一層強く心を動かすことでしょう。もちろん,相手の喜ぶ物を買ったり,喜ぶことをしたりしてもよいわけですが,「成人した子供のための生活術」という本が述べているように,「最高の贈り物は箱の中に詰めることはできない。それはあなたの愛と感謝の表現,あなたの励ましの言葉,あなたの支え」なのです。「適切な時に話される言葉は,銀の彫り物の中の金のりんごのようだ」― 箴言 25:11。

      これらの特質を結婚関係を築くブロックに例えれば,コミュニケーションはブロックをつなぐのに必要なモルタルです。では,意見が合わない時には夫婦はどうすることができるでしょうか。「配偶者の見方が自分の見方と違っていても,それをけんかのもととみなすのではなく,……知識のもととみなすことだ。……日常生活で生じる様々な事柄は知識の宝庫となる」と,「あなたの望む愛を得る」という本は述べています。

      ですから,意見が合わないことがあるたびに,それを戦闘準備の号令とみなすのではなく,愛する人の内面をよく知る貴重な機会とみなしましょう。相違点を解決するという難しい仕事に一緒に取り組み,穏やかな調和の港にたどり着くようにします。そのようにして絆を強め,二人をひとつにする愛を深めてください。

      エホバ神は協力を大変美しいものとみなされ,ご自分の創造物にもそれを組み込まれました。植物と動物が共同して作用する酸素の循環,天体の軌道,昆虫と植物の間にある共生関係などがそうです。ですから,結婚関係にも,夫は言葉と行ないによって妻を愛していることを示し,夫を信頼する愛情深い妻は夫の指導に満足して従うという,温かい循環が存在し得るのです。こうして,二人は本当にひとつになり,互いに喜びをもたらすと同時に,結婚の創始者であるエホバ神に喜びをもたらすのです。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする