創世記は信仰,希望,そして勇気を奮い起こさせる
9月からエホバの証人は聖書の中の創世記の研究を始めます。しばらくの間,週ごとに開かれるエホバの証人たちの神権宣教学校で,この心を鼓舞する記録が考慮されることでしょう。理解の助けとしてこの記事がここに出版されました。わたしたちはこの記事が,聖書の中の真実に心を引き付ける,信仰を築き上げる部分である創世記に関して読者が持っておられるかもしれない質問に答えてくれるものと確信しています。
エホバはご自分に絶対の信頼を寄せる者たちのみに喜びを抱かれます。そして,エホバに信頼を置く理由は確かにあります。エホバは「希望を与えてくださる神」であられ,その壮大な約束が果たされずに終わることは決してないからです。その約束の成就を待つ間,人々が辛苦や試練に遭うかもしれないというのは事実です。しかし,「エホバを待ち望む」人は皆,決してくじけることのない勇気を抱くことができます。エホバはご自分に忠実に仕える者たちを絶えず安全に守ってくださるからです。―ローマ 15:13。詩編 31:23,24。ヘブライ 11:6。
このすべては聖書の創世記に明らかに示されています。西暦前1513年,シナイの荒野でモーセによって書き記されたこの部分は,神の言葉の中でも高く評価されており,信仰,希望,そして勇気を奮い起こさせるものとなっています。
この書の概要
創世記は数十億年も昔のことにさかのぼり,「初めに神は天と地を創造された」という言葉で書き出されています。神は天地の事物を創造されました。地球は人間の住む場所として準備され,ついに人間が創造者の前に完全な姿で立つことになります。罪によって楽園は失われますが,エホバは,蛇の頭を砕く「胤」に関して予告することにより,希望を与えてくださいます。義にかなったアベルは信仰によって神に受け入れられる犠牲をささげますが,兄の手に掛かって殺され,エホバの証人として最初の殉教者となります。―創世記 1:1-4:26。
エノクは「神と共に歩み」,神のご意志と調和した行動を取ります。しかし,「神の子ら」の中の不従順なみ使いたちが女を妻としてめとり,ネフィリムを産み出した時,状態は悪化します。それにもかかわらず,ノアは信仰,希望そして勇気を抱いて箱船を建造し,差し迫った洪水について警告し,最終的に自分の家族と共にその荒廃を免れます。洪水前の世は去り,人類は新しい時代に入ります。しかしほどなくして,バベルの塔を建てる者たちが自分たちのために名を揚げようとします。ですが,その計画は,エホバが彼らの言語を乱し,彼らを地の四方に散らされた時,ざ折してしまいます。―創世記 5:1-11:9。
アブラムは信仰を抱いて行動し,神の指示どおりカルデア人のウルを去って,エホバが彼とその子孫に与えると約束された地で天幕住まいをします。神はソドムとその近隣の都市の邪悪な住民に対して行動を取られます。やがてイサクが誕生し,神の約束が成就します。しかし,幾年も後になって,その息子を犠牲としてささげるようにとエホバが指示をお与えになった時,アブラハムは厳しく試されます。年老いたこの族長はみ使いによってとどめられ,この犠牲をささげる行為を最後まで行なわずに済みます。しかし今や,アブラハムが信仰の人であることは全く疑問の余地のないものとなり,その胤によってすべての国民が自らを祝福するであろうとの保証が彼に与えられます。アブラハムが深く愛していた妻サラの死は悲しみをもたらしますが,彼は復活に対する保証された希望を抱いて前途を望み見ることができます。―創世記 11:10-23:20。ヘブライ 11:8-19。
アブラハムは自分の僕を通して,イサクと,エホバに信仰を抱いている女リベカとの結婚を取り決めます。やがて,彼女はエサウとヤコブという双子を産みます。エサウは長子の権を軽んじてそれをヤコブに売り,ヤコブは後に自分の父から祝福を受けます。ヤコブはパダン・アラムに逃げ,そこでレアおよびラケルと結婚し,20年間彼女たちの父親であるラバンの羊の世話をした後,自分の家族を連れてその地を出ます。後に,ヤコブはみ使いと組み打ちをし,祝福を受け,その名を変えられてイスラエルとなります。保証された希望を持つ信仰の人として,イスラエルは約束の地,カナンに外人として引き続き住みます。―創世記 24:1-37:1。
ヤコブの子らは,ねたみの気持ちから,自分たちの兄弟ヨセフを奴隷として売ります。ヨセフはエジプトで神の高い道徳規準を忠実にまた勇敢に守ったため投獄されます。しかし時たつうちに,七年の豊作とそれに続く七年の飢きんを予告するファラオの夢をエホバの助けによって解き明かすため獄から出されます。彼はエジプトの食糧管理官に任命されます。ヨセフの兄弟たちはエジプトに食糧を求めに来ますが,ヨセフがだれであるか分かりません。ヨセフはまず彼らを試し,それから最後に自分の身を明かします。忠実なヤコブは,長い間死んだものと思われていた自分の息子と再会し,この族長の家族はゴシェンという肥よくな地に住み着きます。ヤコブは臨終の床で息子たちを祝福し,シロの到来するまで笏と司令者の杖がユダから離れることはないという予告をするよう心を動かされます。その預言は,何世紀も後にもたらされる大いなる祝福に関する確かな希望を与えるものとなります。ヤコブの遺がいはカナンに運ばれて埋葬されます。ヨセフが110歳で死ぬと,その遺体には香詰め保存が行なわれます。それはいつの日か,約束の地に移されるのです。―創世記 37:2-50:26。出エジプト記 13:19。
創世記を注意深く読むなら,信仰,希望,そして勇気を鼓舞するその記述から大きな益を得ることができます。しかしそうする際,幾つかの質問が生じるかもしれません。そうした疑問の幾つかは,聖書のこの冒頭の書をさらに詳しく調べることにより答えを得ることができるでしょう。
洪水前の世
● 1:26 ― 人間はどのように神の像および神と似た様に造られましたか。
神の形を人間が知ることはできません。(申命記 4:15-20)しかし人は,公正,知恵,力,および愛といった神の属性を持つように創造されたという意味で,エホバの像と似た様に造られたのです。(申命記 32:4。ヨブ 12:13。イザヤ 40:26。ヨハネ第一 4:8)神のみ子,つまり言葉もこれらの特質を所有しているので,エホバは適切にもこの方に次のように言われました。『わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造ろう』。―ヨハネ 1:1-3,14。
● 4:17 ― カインはどこから自分の妻を得ましたか。
アダムは「息子や娘たちの父となった」。(創世記 5:4)ですから,カインは自分の妹の一人を妻としてめとりました。後になって,イスラエルに与えられた神の律法は血のつながった兄弟と姉妹が結婚することを禁じました。―レビ記 18:9。
● 6:6 ― エホバはどんな意味で,ご自分が人を造ったことを『悔やまれた』のですか。
『悔やまれた』とここで訳されているヘブライ語は,態度や意図の変化に関係があります。エホバは完全な方であり,人を創造したことにおいて誤りを犯したのではありません。しかし,洪水前の邪悪な世代に関して,ご自分の精神態度を変化させたのです。神は彼らの邪悪さに対する不興の念ゆえに,人間の創造者としての態度を,人間を滅ぼす者としての態度に変えられました。エホバは人の邪悪さゆえに多くの命が滅ぼされなければならないことを残念に思われましたが,ご自分の義の規準を擁護するために行動を起こすことを余儀なくされました。エホバが数人の人々を生き長らえさせたという事実から,エホバが悔やまれたのは言動の点で悪に陥っていた者たちについてだけであったことが分かります。―ペテロ第二 2:5,9。
人類は新しい時代に入る
● 8:11 ― もし洪水で樹木がぬぐい去られたのなら,はとはどこからオリーブの葉を持って来たのでしょうか。
洪水が多くの樹木に損害を与えたことには疑問の余地がありません。しかし,オリーブは非常に丈夫な樹木です。ですから,1本のオリーブの木が洪水の起こった数か月の間,水面下で生きていたのかもしれません。洪水の水が引くことにより,水面下にあった1本のオリーブの木が乾いた陸地に再び現われ,葉を出したとも考えられます。はとはそのうちの1枚を難なく取って来られたことでしょう。一方,はとは,洪水の水が引いたあとに出てきたかなり新しい若枝から,ノアのところにオリーブの葉を持ってきた,という可能性もあります。
● 9:24,25 ― 悪いことをしたのはハムであったのに,なぜカナンをノアはのろったのですか。
カナンは彼の祖父ノアの身体を何らかの仕方で辱めたか,倒錯的な行為を行ない,ハムはその行為を目撃しながらとどめなかった,という可能性が濃いように思われます。しかも,ノアの息子ハムはその話を言いふらしたものと思われます。一方,セムとヤペテは自分たちの父の体を覆うために行動しました。その結果,この二人は祝福を受け,悪事を行なったと目されるカナンはのろわれ,手をこまねいてそれを見ていて,人々に言いふらしたハムは,自分の子孫にもたらされる恥辱によって苦しむことになりました。聖書にすべての詳細が述べられてはいませんが,重要な点はエホバがノアに預言を述べさせ,神がそれを成就させたということです。すなわち,イスラエル人によって滅ぼされなかったカナン人は,それらセムの子孫たちに対して隷属の身となりました。―ヨシュア 9:23。列王第一 9:21。
● 10:25 ― ペレグの時代にどのように地は「分けられた」のですか。
ペレグは西暦前2269年から2030年まで生存しました。彼の名は「分けること」を意味しました。もしこの名前が誕生の際に与えられたのであるなら,それは彼の存命中に起こった注目すべき分けることにかかわる預言的な名であったことになります。その時期に,「地[または,「地の人口」]が分けられた」からです。エホバがバベルの建設者たちの言語を乱し,『彼らを地の全面に散らすこと』によって,大きな分裂を生じさせたのは「彼の時代に」おいてであることを聖書の記録は明らかにしています。―創世記 11:9。10:1,6,8-10; 11:10-17もご覧ください。
永続する信仰を持つ族長たち
● 15:13 ― アブラムの子孫が400年間苦しめられるという予告はどのように成就しましたか。
この苦しみの期間は西暦前1913年から1513年に及びます。アブラハムの息子イサクが西暦前1913年,約5歳で乳離れをした時,彼の異母兄イシュマエル(当時19歳ぐらいであった)は彼を『からかいました』。アブラハムの相続人をからかうことがどんなに重大なことであったかは,サラがその時に示した態度,また,ハガルとその息子イシュマエルをどうしても追い出すようにとの彼女の願いをエホバが是認されたことからも明らかです。(創世記 21:8-14。ガラテア 4:29)この400年にわたる苦しみの期間は,西暦前1513年にイスラエル人がエジプトの束縛から解放された時に終わりを告げました。
● 19:30-38 ― ロトが酒に酔い,自分の二人の娘によって子らをもうけたことをエホバは容認されたのですか。
エホバは近親相姦も酩酊も容認されません。(レビ記 18:6,7,29。コリント第一 6:9,10)その上,アブラハムのおいのロトはソドムの住民たちの「不法な行ない」を嘆き,自分が巻き込まれてしまった悪行を明らかに悲しみ嘆いたと思われます。なぜなら,心を調べる方は彼を「義なる」者とご覧になったからです。(ペテロ第二 2:8)ロトの娘たちが彼を酩酊させたという事実から,ロトは正気であれば自分たちと性関係を持つことに決して同意しないことを二人が知っていたのが分かります。しかしその地で外人として住んでいた彼の娘たちは,ロトの家族の断絶をとどめる唯一の方法はこれしかないと感じました。聖書の中のこの記述は色情をそそるために書かれたのではなく,アブラハムの子孫であるイスラエル人に対するモアブ人とアンモン人の関係を明らかにするために書かれたものです。
● 28:12,13 ―「はしご」が出て来るヤコブの夢の意味は何ですか。
この「はしご」(それは石の上り段のようであったかもしれない)は,地と天の間に伝達のあることを示していました。それは,み使いたちが,エホバと,その是認を受けている人間との間で仕えていることを明らかにしていました。―ヨハネ 1:51と比較してください。
● 31:19 ― ラケルがラバンから盗んだテラフィムは何でしたか。
テラフィムは家族神あるいは偶像でした。メソポタミアにおける考古学上の発見によると,そのような像を所有しているかどうかは家族の財産相続に関係があったようです。ラケルは恐らくこうしたことを考え,自分の父が夫のヤコブに欺まん的な行為をしたのだからテラフィムを取っても正当化される,と推論したとも考えられます。(創世記 31:14-16)しかし,ヤコブが家族の相続財産を得るためにそのテラフィムを利用しようとしたことを示す箇所はどこにもありません。それらの偶像は遅くとも,ヤコブがその家の者たちから彼に渡された異国の神々をすべて埋めた時には処分されたと思われます。―創世記 35:1-4。
● 44:5 ― ヨセフは兆しを読むために本当に杯を用いたのですか。
ヨセフは自分のことをだれだか見分けることのできなかった自分の兄弟たちを試そうと決心しました。そこで,彼は自分の僕に命じて彼らの袋に食物を満たし,その袋の口に各々の金子を置き,ベニヤミンの袋の口にはヨセフの銀の杯を入れさせました。このことを行なうに当たって,ヨセフは異教の国の管理者として行動していたのです。したがって,その杯とそれに関して述べられたことは,明らかに口実の一部でしかありません。ベニヤミンがその杯を実際には盗んだのではないのと同じく,エホバの忠実な崇拝者であるヨセフもその杯を用いて兆しを読むようなことはしませんでした。
● 49:10 ― 笏と司令者の杖には違いがありますか。
違いがあります。笏は王権の象徴として統治者が携える棒のことです。司令者の杖は,司令する権威の印としての役を果たす長い細棒のことです。ヤコブがその両方について述べていることは,その重要な権力と権威が,シロの到来するまで,ユダの部族のもとにとどまることを表わしていたと思われます。ユダのこの子孫はイエス・キリストで,エホバはこの方に天の支配権を付与されました。キリストは王権を帯び,司令する権力を所有しておられます。―詩編 2:8,9。イザヤ 55:4。ダニエル 7:13,14。
信仰,希望,そして勇気のための基礎
創世記は信仰,希望,そして勇気のための基礎をわたしたちに明らかに与えてくれます。それはエホバに対する信仰と,約束された祝福の「胤」に対する希望を鼓舞します。(創世記 3:15; 22:18)この書はまた,エホバの初期の証人たちと同じく,わたしたちが勇気を持って将来に立ち向かうよう助けてくれます。
これらの神の僕たちは,「さらに勝った場所,すなわち天に属する場所をとらえようとして」いたのです。そして,エホバは「彼らのために都市を用意され」ました。(ヘブライ 11:15,16)彼らが王国の取り決めを待ち望んだように,わたしたちもその取り決めに確信を置きたいものです。そして,それらのエホバの証人たちと同じく,わたしたちも真の信仰,希望,そして勇気を持つことができますように。
[28ページの図版]
ヤコブとエサウ
ヨセフ
アブラハムとイサク
カインとアベル
ノア