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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
塔63 6/15 383ページ

読者よりの質問

● シリヤの軍勢の目をくらまして下さい,とエリシャが神に祈ったとき,シリヤの人々は実際にどうなったのですか。―アメリカの一読者より

列王紀下 6章18,19節はこの問題に光を投げかけています。「エリシャは主〔エホバ〕に祈って言った,『どうぞ,この人々の目をくらましてください』。するとエリシャの言葉のとおりに彼らの目をくらまされた。そこでエリシャは彼らに『これはその道ではない。これはその町でもない。わたしについてきなさい。わたしはあなたがたを,あなたがたの尋ねる人の所へ連れて行きましょう』と言って,彼らをサマリヤへ連れて行った」。この場合,一人残らず文字通りにめくらになったとすれば,ひとりびとり手を引いてもらわなければならなかったことでしょう。しかしエリシャは「これはその道ではない。わたしについてきなさい」と言ったに過ぎません。明らかにこの人々は精神的な盲目状態に陥ったのです。それでエリシャがだれであるかわからず,自分たちがどこに連れて行かれようとしているのかもわかりませんでした。

このような精神的盲目状態は心理学者によっても認められています。たとえばウイリアム・ジェイムス著「心理学の原理」第1巻48頁には次の言葉が出ています,「脳間質の異常は精神的な盲目状態に表われる。これは物が見えなくなるというよりは,むしろ見たものを理解できなくなることをいう。心理学的に解釈すれば,これは目に映じたものと,その意味するものとの連想が失われることである。視覚と思考との連絡が妨げられるときにこの現象が起きる」。

● 創世記 2章10-14節までの中には4つの河の名が出てきますが,聖書地図にはヒデケルとユフラテの2つしか出ていません。他の,ピソンとギホンについてはどうですか。―アメリカの一読者より

この質問に答える前に,前記の聖句中に言及されている第三の河,「ヒデケル」はチグリス州の事であると一般に考えられている事実をあげたほうが良いでしょう,事実ギリシャ語七十人訳聖書の中では。創世記 2章14節とダニエル書 10章4節のところでヒデケルのかわりにチグリスという名が出ています。

はじめの2つの河,すなわち,ピソンとギホンについては,それぞれどの川を指すのかについて,これまで多くの推測が行なわれてきました。聖書辞典や百科事典の中には種々の論議が見られ,あるものはこの問題のためにかなりのスペースをさいていますが,結局のところは単なる臆測の域を出ていません。

この2つの河が実際にはどの川を指すのかについて,はっきりした結論が得られないからといって,特に問題にする必要はありません。これらは今日では存在しなくなったのかも知れません。モーセが創世記のこの部分を編さんする際に資料とした本の中に前述の言葉が記録された時以来,地表面には幾多の変化が見られました。(創世 5:1)エデンの園がぬぐい去られ,その入口を守るべき御使がもはや必要でなくなったように,ノアの日の洪水は地勢に大きな変化をもたらしました。―詩 104:6-8。創世 3:24。

それで,デリッチも自著「創世記の注解」の中でこのように述べています。「聖書記者の地理的記述の真実さを裏付けるために,同一の源から流れ出る4本の川(チグリスとユーフラテスを含めて)を今日でもはっきり識別しなければならないというわけではないし,それは明らかに不可能でもある。原著者の感覚では4本の流れの源が同一であった事はパラダイスが失われた事と同じように確かであった」。

● ロトはアブラハムの甥であったのに,創世記 14章14節でアブラハムの兄弟と呼ばれているのはなぜですか。―アメリカの一読者より

創世記 11章31節に,テラはカルデアのウルを去る際に,「その子アブラムとハランの子なるその孫ロト」をひきつれてともに旅立ったとあるように,ロトは間違いなくアブラハムの甥でした。しかし,アブラハムはロトを自分の兄弟の一人と見なしました。それは,ロトがアブラハムの死んだ兄弟ハランの息子であったからではなく,今日のエホバの証者の新世社会の成員どうしの間にみられるような霊的家族関係にはいっていたからです。それで,たとえば創世記 13章8節にもあるように,アブラハムはロトを兄弟として呼びかけています。「アブラムロトに言けるは我らは兄弟の人なればこふ我と汝の間およびわが牧者と汝の牧者の間にあらそひあらしむるなかれ」。

この観点に立って考えれば,創世記 14章14節がロトをアブラハムの兄弟として述べているのは不思議ではありません。これと同様な理由で,イスラエルの息子の12支族の成員たちは,血筋によれば親せきであり,みなひとしく12人の兄弟の子孫でしたが,互いを兄弟として呼びかけました。それで,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で使徒たちは,まだクリスチャンになっていない者でも,同胞ユダヤ人の事を「兄弟たち」とくりかえし呼びかけています。(使行 2:29; 3:17; 23:1; 13:15を見よ)同様に一般のユダヤ人たちも使徒たちに「兄弟」と呼びかけています。(使行 2:37; 13:15)しかし,ある場合には,「兄弟たち」という言葉は,同年ぱいもしくは年下のユダヤ人たちを指すためにも用いられたようです。その例としてステパノとパウロが「兄弟たち親たちよ」と言う同じ表現を使った事があります。―使行 7:2; 22:1。

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