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聖書は家族生活を向上させるものみの塔 1969 | 11月1日
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は,家族のかしらにかんする聖書の真理でした。エペソ書 5章28節,6章4節にしるされている聖書の原則をわたしははっきり教えられ,自分が家族に対し,それまで考えていたより多くの責任を負っていることを悟りました。妻や子供にもっと関心をもたねばならないことも明白でした。そのことを実行しはじめてから,わたしは家族生活が以前より楽しくなったことに気づきました。わたしたちはいま共通するものをたくさんもっています。子供たちはわたしが関心を示したのでたいへん喜びました。これは,わたしが神のことばに従うように進んで必要な調整を行なったことに対して神が祝福してくださったものだと思います。
「また妻も,わたしが子供を導き,必要な懲らしめを与えるという神から与えられた責任を果たすのを,実によく助けてくれました。さきほどお話ししたとおり,わたしは近所の男たちと話したり酒盛りをすることに多くの時間を費やすのが常でしたが,それもいまでは過去のことになりました。もの足りないと思うことはひとつもありません。この家族生活の向上は,家族と楽しみ,くつろぐ時間も与えてくれました。いまわたしはかつての自分がどれだけ多くのものを得そこなっていたかをよく理解できます」。
「あなたが,ご自分の生活に生じた変化について話して下さったことをわたしたちは大変楽しく聞きました。しかしもうひとつお聞きしたいことがあるのですが。わたしたちは村やその周囲の畑の中を通ってきましたが,家の回りにも,畑の中にも,働き盛りの男の人が目につきませんでした。そういう人たちはどこにいるのですか」。
「この村のほとんどの男は町や都会に出て働いています。いなかで働くよりも都会で働くほうがずっとお金になるからです。けれども,聖書の原則を学んで家族の大切さがわかってくると,霊的にもっと平衡がとれてきます。わたしたちの会衆でも,数人が家を離れて働いていました。しかしその仕事をやめてもどり,ここに住むようになってから,霊的にずっと強くなり,家族生活も大きく向上しました。そのためには彼らはエホバにより頼んで実によく努力しました。しかし彼らはそうした変化を行なったことを喜んでいます。いまでは会衆の全部の集会に定期的に出席していますから,わたしたちも喜んでいます」。
訪問の時間はまたたくまに過ぎました。わたしたちは帰らなければなりません。ソールズベリにもどる途中,わたしたちは,もし人々が必要な時間をかけて,聖書がいかに人の生活を向上させるかを考えさえすれば,アフリカ全土の,そして地上のあらゆる国の家族にどんなに多くの善果が生まれることだろうと考えました。
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アダムのろっ骨ものみの塔 1969 | 11月1日
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アダムのろっ骨
◆ 聖書はこう述べています。「エホバ神アダムを熟く睡らしめ 睡りし時その肋骨の一つを取り肉をもてそのところをふさぎたまへり エホバ神アダムより取りたる肋骨をもて女をつくり これをアダムの所に連れきたりたまへり」― 創世 2:21,22。
このことから,アダムはろっ骨が1本足りないため,彼は不完全な人間だったのではないだろうかと考える人もいます。しかしそうではありません。これは必ずしもアダムが,神によって創造された時に持っていたろっ骨を1本失ったままで生活したという意味ではありません。ろっ骨は他の骨とちがって,再生能力を持っています。ベルン大学からの返事の中で,K・レンゲンハーガー教授はこのことに関して,つぎのように述べています。
「つぎのようにご報告いたします。ろっ骨は,取り除かれても,骨膜が残されていれば,再生[つまり再び成長]できます。しかし,ろっ骨とともに骨膜が取り除かれると再生できません。普通,外科手術でろっ骨を取り除く場合,悪性の腫瘍がなければ,医師は骨膜を残しておきます」。
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