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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 10/1 604–606ページ

モーセはどこから情報を得たか

モーセを聖書の最初の本である創世記の記述者としているのは,ほかならぬ神のみ子イエス・キリストの証言です。(ルカ 24:27,44)しかし,その本に述べられているできごとはモーセ誕生以前に起きた事柄である以上,彼はどこからその情報を得たのだろうかという疑問が生じてきます。

18世紀の昔にさかのぼりますが,オランダの学者ビトリンガはこの問題を熟考し,「……の伝の書は是なり」という表現の用い方に基づいて,創世記に出てくるこうした表現のおのおのはその資料がそれ以前に既に存在していたことを明らかにするものであると結論しました。さらに近年になって,同様の結論に達した人々がほかにいます。たとえば,考古学者P・J・ワイズマンは「……の伝の書は是なり」(または,「其由来は是なり」)という表現についてこう書いています。「それはおのおの部分の結論となる文章であり,したがって,既に記録された物語をさかのぼってさし示している。……普通それは史料の著者,もしくはそれを収めた刻板の所有者を示している」―「創世記に関するバビロニアにおける新発見」53ページ。

しかしながら,そうした史料の内容を調べてみると,この見解の正しさはかなり疑わしくなります。たとえば,この見解によれば,創世記 36章10節から始まる部分は同 37章2節の「ヤコブの伝は左のごとし」ということばで終わることになります。しかし,この記録全体はほとんどエサウの子孫に関するものであり,ヤコブとその家族については単についでに言及しているにすぎません。そのうえ,この説が正しいとすれば,神とアブラハム,イサクそしてヤコブとの交渉についてたいへん詳細にしるした資料の記述者もしくは所持者はイシマエルとエサウだったということになります。これは理にかなっているとは思えません。というのは,アブラハムの契約に最大の関心を示したのは,その契約にあずからない者たちであったということになるからです。イシマエルはアブラハムの家にかかわるできごとに非常に深い関心をいだいていたので,その母ハガルとともに追い出されたのちの長年月にわたる,アブラハムの家に関する詳細な記録を入手すべく多大の努力を払ったなどとはとても考えられません。―創世 11:27後半–25:12。

同様に,神聖な物事に対する認識の念の欠けたエサウが,ヤコブの生涯のできごと,つまり自分がその目撃証人となったわけでもないできごとを詳細に扱った記述の著者,もしくは所持者であったと考えるべき理由があるとは思えません。(創世 25:19–36:1。ヘブル 12:16)同時に,イサクやヤコブが神と自分たちとの交渉をおおかた無視して,だれか他の人の系図にかんする短い記録だけを持って満足していたと結論するのも理にかなっているとは思えません。―創世 25:13-19前半; 36:10–37:2前半。

「……の伝の書なり」という表現はおのおのその史料の記述者もしくは所有者と関係があるという見方は合理的ではないとはいえ,これは必ずしもモーセが,ノアの日の洪水以前に書かれた記述をも含めて初期の記録から幾らかの情報を得たことを否定するものではありません。聖書には洪水以前の文字に明確に言及した箇所はないとはいえ,都市の建設,楽器の発達,鉄や銅の道具の製作が大洪水のはるか前に始まっていたということは注目に値します。(創世 4:17,21,22)したがって当然,人々は字を書く方法を苦もなく発達させたと考えられます。しかも,考古学上の証拠は,モーセの時代以前の相当の期間,文字が存在していたことを示しています。しかしながら,大洪水以前の文字の存在に関する直接的な証拠はないということを認めねばなりません。

確かにアッシリアの王アッシュールバニパルは,「洪水以前の時代からの石の碑文」を読んだことについて語ってはいますが,それにしても,そうした碑文は単に相当の規模の局地的な洪水以前のものかもしれず,あるいは大洪水前のできごとを述べていると思われる記述なのかもしれません。たとえば,「シュメール王名表」として知られる碑文は,8人の王が合計24万1,000年間統治したことを述べたのち,「(それから)大洪水が(地)一面を襲った」としています。こうした記録が信頼するに足りないものであることは明白です。

聖書年表によれば,全地に及んだノアの日の洪水が起きたのは西暦前2,370年です。考古学者は発掘した数多くの粘土板にそれよりも古い年代を付していますが,そうした粘土板は日付のしるされた文書ではありません。したがって,それら粘土板に付される年代は単なる憶測にすぎず,聖書の大洪水との時間的な関係を確立する確かな根拠を提供するものではありません。これまでに発掘された人工物件で大洪水前の年代のものであると確定された物件は一つもありません。種々の物件に大洪水前期の年代を付している考古学者は,せいぜいのところ,大規模な局地的洪水を裏づけるものとして単に解釈できるにすぎない調査結果に基づいてそうしているのです。

以上のようなわけで,モーセが大洪水前また大洪水後の記録から情報を得たということを確立する方法はありません。が,このことを否定するに足る根拠もありません。というのは,情報を伝達する手段として多年,文字が使用されてきたからです。とはいえ,モーセの情報源は必ずしも初期の記録文書でなければならないというわけではありません。人間の創造以前のできごとに関する情報をだれかが神の啓示によって入手しなければならなかったということは明らかです。したがって,モーセはそうした情報とともに他の残りの資料を神からの直接の啓示によって得たとも考えられます。しかし,もしモーセ以外のだれかに啓示されたとすれば,その情報および創世記の内容の残りの部分の基礎となる資料は口碑によってモーセに伝達されたとも考えられます。当時の人間の長い寿命からすれば,その情報は最初の人間アダムから,わずか5人の人,つまりメトセラ,セム,イサク,レビ,アムラムを経てモーセに伝えることもできたでしょう。もちろん,それには一連の口碑の最後の役割をはたすアムラムが創世記全体の資料をその脳裏に記憶していなければならないことになります。

現時点では,モーセが記録した情報の直接の出所に関して確定的な結論を下すことはできません。モーセはそうした情報を直接の啓示もしくは口碑または記録文書を通して得たのかもしれず,もしかすると,こうした三つの情報源すべてが関係していたのかもしれません。しかしながら,重要なのは直接の情報源ではなく,エホバ神がご自分の霊を用いて預言者モーセを導き,信頼できる記述を創世記の中に書き留めさせられたという事実です。この点を忘れてはなりません。

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