ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔70 4/15 252–255ページ
  • エホバは飢きんのさなかにあって豊かに備えられる

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • エホバは飢きんのさなかにあって豊かに備えられる
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 預言的な意味をもつ劇的なできごとにより予告されていた
  • いろいろな人物から成る配役
  • この劇的なできごとの初め
  • 豊かな時代における死を招く飢きん
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
  • 『彼らはもはや飢えることがない』
    新しい地へ生き残る
  • 飢きんの時代に命を長らえさせる
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
  • ヨセフ ― 忠実なエホバの証者
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 4/15 252–255ページ

エホバは飢きんのさなかにあって豊かに備えられる

飢きんですって? なんの飢きんですか。もちろん,自分の国が現実に飢きんで苦しんでいる様子は少しもないがとおっしゃるかたは多いでしょう。しかし今日の世界には深刻な食糧不足,つまり霊的な飢きんが広まっています。2,700年余の昔,霊感を受けた古代ヘブル人の一預言者はこの飢きんを予告していました。「主エホバ言たまふ みよ 日いたらんとす そのとき,われ饑饉をこの国におくらん これはパンに乏しきにあらず水に渇くにあらず,エホバのことばをきくことの饑饉なり」― アモス 8:11。

エホバのみことばである聖書が多年ベストセラーとなってきたキリスト教世界も,この飢きんに悩まされているのはなぜですか。最大の原因は,聖書に対するキリスト教世界の宗教指導者の態度にあります。ルーテル派のロバート・H・スミス教授はその典型で,どんなクリスチャンでも,聖書に劣らず霊感を受けていると唱えます。キリスト教倫理学の教授J・C・ヒューは,「十戒は全能の神から直接与えられた宣言ではなく,非常にそう明な人間[モーセ]が考え出したもの」としています。―1969年1月29日付,ザ・クリスチャン・センチュリー紙。

キリスト教世界の指導者は,こうした典型的な見解が一般に広まっていることを認めています。たとえば,クリスチャニティー・ツデー紙(1969年6月6日付)の主幹はこう訴えました。「アメリカの主要な神学校の入学案内書に目を通してみると,今日の神学校はたいてい,いわばこの世界の非宗教的かつ非精神的な問題を専攻するところになったのではないかと考えさせられる。いったいだれが人々の精神的な問題に着手するのか」。ニューヨークのある新聞の編集者も同じ意味のことを述べ,世界教会協議会は最近の会議で「現代の世俗的な諸問題に心を奪われ,はるかに重大な飢えの問題,つまり人間の精神的な飢餓の問題をなおざりにしている」と慨嘆しました。

しかし,そのような人々の教えのために飢きんが生じているのであれば,神が飢きんをおくっていると聖書が述べているのはなぜか,と尋ねられるかもしれません。神は,それら不信仰な宗教指導者が聖書の真理を理解もしくは正しく評価できないようにして,飢きんを送っておられると言えます。イエスが当時のそのような人々に告げたとおりです。「互に誉をうけて唯一の神よりの誉を求めぬ汝らは,いかで信ずることを得んや」― ヨハネ 5:44。

こうした霊的な飢きんのさなかにあって,エホバは豊かに備えてこられました。どこに? ご自分の忠実なクリスチャンの証人たちの中にです。これは予告されていたとおりです。「わが僕らはくらへども汝らはうえ わが僕らはのめども汝らはかわ(く)」― イザヤ 65:13。

預言的な意味をもつ劇的なできごとにより予告されていた

この対照的な事態は,約3,700年前に起きた預言的な意味をもつ劇的なできごとによって正確に予告されていました。それは聖書の創世記 37章から47章にしるされています。

ヘブル人の族長ヤコブの最愛のむすこヨセフは,ねたみをいだく10人の異母兄弟により奴隷として人手に売られました。やがてエジプトの役人ポテパルの奴隷となったヨセフは,主人からその家のいっさいを管理する務めを与えられました。ところが,ポテパルの妻のみだらな求めを退けたため,ヨセフは不当にも不品行のかどで訴えられ,投獄されました。こうしてヨセフが投獄されていた時のこと,エジプトの支配者パロは,配下の“法術士”のだれもが解き明かせない二つの夢を見ました。ここでパロの酌取りのかしらは,以前,自分が投獄されていた当時,ヨセフが二つの夢を解き明かしたことを思い出し,パロにそのことを伝えます。そしてヨセフは直ちにエジプトの支配者の前に呼び出されます。

以前,ヨセフは,「解く事は神によるにあらずや」と述べましたが,今また神に誉れを帰して,自分がその偉大な造物主の真の証人であることを示しました。(創世 40:8; 41:16)夢の説明を受けたヨセフは,その夢は,7年の豊作ののちに7年間の飢きんが到来することを予告していることを述べ,責任者を立てて,豊作の期間に穀物をたくわえ,飢きんの年に備えるようパロに進言します。理にかなったその解き明かしに感心したパロは,ヨセフを総理大臣に任命し,その仕事を監督させます。こうして7年の豊作の期間に,「ヨセフ(は)……はなはだ多く穀物をたくわへ」ました。―創世 41:49。

やがてヨセフの異母兄弟たちも穀物を求めて,カナンの地からエジプトに下ります。ヨセフを人手に渡し,奴隷にして以来,およそ20年を経た今,10人の兄弟たちは相手がヨセフであることに気づきません。それに,ヨセフは,兄弟たちに気づかれまいと,通訳を介して話をしました。

それからヨセフは巧みに事を運び,兄弟たちの本心をさぐります。しかし兄弟たちは,ヨセフとその父に対して行なった悪事を悔いていることを示します。そこで彼は,自分がヨセフであることを兄弟たちに明らかにし,父とその家の大ぜいの者たちすべてを呼び寄せて,エジプトに住まわせます。飢きんが続くにつれて,各地の人々が穀物を求めてエジプトにやって来ます。やがてエジプトの人々は,いっさいの持ち物と身分や土地をさえパロに売って穀物を求めました。

このできごとの詳細が記録されたのは,単に聖書の歴史として書き残し,聖書の原則の正しさを例証するためだけですか。そうではありません。それは,幾世紀も後に起きることになっていた事柄を,あらかじめ示す劇的なできごとだったので,記録されたのです。古代のこうしたできごとに預言的な意味があることは,クリスチャン・ギリシア語聖書に再三指摘されています。―コリント前 10:11。

たとえば,霊感を受けた使徒パウロは,アブラハムのふたりの妻,サラとハガルが,ある事柄を予表していたことを述べています。はしためだったハガルと,そのむすこは,律法契約を守れないために束縛の身となっていた,肉のイスラエル国民を表わし,サラとそのむすこは,エホバの天の組織とイエス・キリスト,そしてイエスに従う油そそがれた追随者を表わしていました。それら追随者は,サラとそのむすこと同様,自由な人々です。―ガラテヤ 3:16,29; 4:21-26。

いろいろな人物から成る配役

さて,この劇的なできごとの中には,重要な役割を演じた人物もいれば,預言の点ではさほど重要な意味のない役割も多数あります。多くの人を救う器となった忠実で従順なむすこヨセフは,だれを表わしていると考えられますか。最も忠実で従順な,神の御子である人類の救い主,イエス・キリストを表わしていると言えるでしょう。(ヨハネ第一 4:14)イエスは,その追随者に対して行なわれたことは,ご自分に対してなされたことと同じであると言われました。ですから,このできごとの中でヨセフは時に,キリストに従う油そそがれた追随者を表わしています。―マタイ 25:40。

ヨセフとその兄弟たちの父であるヘブル人の族長ヤコブは,だれを表わしていますか。イエス・キリストとその追随者の偉大な父エホバ神を表わしていると言えるでしょう。―ヨハネ 20:17。ロマ 8:15,16。

では,エジプトの支配者パロはどうですか。エホバ神を表わしていると言えます。どうしてですか。人々に命を与える,霊的な食物の偉大な管理者としての権威もしくは権能を,エホバ神がイエス・キリストに付与されたように,パロも,総理大臣また食糧管理者としての権威あるいは権能をヨセフに与えたからです。エホバはまた,より偉大なヨセフである御子イエス・キリストのために,祭司の務めを持つ花嫁を整えておられます。同様に,パロも,祭司の家系のひとりの娘をヨセフに妻として与えませんでしたか。確かに与えました。―ペテロ前 2:5,9。黙示 14:1,3; 20:4,6。

ヨセフに対してねたみに満ちた憎しみをいだき,自分たちの父に多大の心痛をもたらした10人の異母兄弟についてはどうですか。より偉大なヨセフつまりイエスや,その油そそがれた追随者をかつて迫害したのち,心を改めた人々を表わしてはいませんか。これも理にかなった考えと言えるでしょう。

この劇的なできごとの初め

このできごとは,ヤコブがヨセフをつかわして,自分の羊の群れを世話するその異母兄弟たちの様子を見届けるところから始まっています。同様にエホバ神は,より偉大なヨセフつまりイエス・キリストを地上につかわし,その父であられるご自身の事柄を管理させました。また現代において神は,キリストの油そそがれた追随者を全世界に派遣し,ご自身の事柄を世話させてこられました。―コリント後 5:20。マタイ 24:14。

ヨセフは,彼の死をはかろうとした,しっと深い10人の異母兄弟に売り飛ばされて,奴隷になりました。異母兄弟たちは,これでヨセフを永遠になきものにしたと考えました。イエスのほんとうの父は神ですが,ユダヤ人の母から生まれましたから,イエスがつかわされた人々は,イエスの異父兄弟と言えるでしょう。彼らは,ヨセフの異母兄弟のいだいたのと同様な態度をもってイエスに接しました。ねたみの気持から共謀して,首尾よくイエスを殺させた当時の宗教指導者は,イエスを永遠になきものにしたと考えました。―マルコ 15:10。

同様に現代でも,キリスト教世界の多くの人々は,エホバがご自身の忠実な油そそがれたしもべたちに与えられた恵みをねたみ,それらのしもべたちを,共謀してなきものにしようとしました。それら宗教上の反対者は,1918年当時,その企てに成功し,キリストの真の追随者のおもだった人々を投獄させ,そのわざを中断させて,エホバの真のしもべたちを,いわばなきものにし,彼らの声を二度と聞くことはないだろうと考えました。―黙示 11:7-10。

昔,エホバは物事を動かして,ヨセフをエジプトの総理大臣にさせ,パロに次ぐ高い地位につかせました。同様に1世紀のこと,エホバは,イエスを死からよみがえらせ,ご自身に次ぐ,宇宙の最高の地位に高められました。(ピリピ 2:9-11)同様に現代でも神は,キリストの追随者の油そそがれた残れる者を,死同然のとらわれの状態から立ち返らせて自由の身とさせ,だれの目にも明らかなとおり,神の恵みに浴する立場に高められました。―黙示 11:11-13。

預言的なこのできごとでは,7年の豊作の年に,7年の飢きんが続きました。しかしその成就においては,豊作と飢きんは時を同じくしています。どうしてこのように違うのですか。実際の飢きんで苦しむ場合,だれもが食物のないことを痛感します。が,このことは,霊的な飢きんで苦しむ人の多くにはあてはまらないからです。今日霊的な飢きんに悩まされている,地上の何十億もの人々の中で,霊的な必要を自覚している人は,比較的少数です。―マタイ 5:3。

世界的なこうした飢きんのさなかにあって,エホバ神は,霊的な食物の必要を認める人々のために豊かに備えてこられました。「忠実なさとい奴隷」の組織を地上に持っておられる,より偉大なヨセフ,つまりイエス・キリストは予告どおり,その組織を通して,「時に応じて……食物を」わかち与えておられます。―マタイ 24:45-47,新。ルカ 12:42-44。

また,その預言的なできごとの中で,「諸国の人エジプトにきたりヨセフにいたりて穀物を買(へり)」とあるように,今日,「もろもろの国・族・民・国語のうち(よりいできたる)大なる群衆」は,霊的な穀物もしくは霊的なパンを求めて,より偉大なヨセフつまりイエス・キリストの下に来ました。その結果,予告された次のことばの述べることが彼らにあてはまるようになりました。「彼らは重ねて飢えず,重ねて渇かず……御座の前にいます羔羊[つまり,より偉大なヨセフ]は,彼らを牧して生命の水の泉にみちびき……給ふべければなり」― 黙示 7:9-17。

さらに,真の悔い改めを表わした,ヨセフの10人の異母兄弟は,ヨセフの恵みに浴する立場を取り戻し,食物を豊かに与えられました,同じことが使徒時代にもあてはまります。かつてはイエスとその追随者を迫害した者の中に,後日,信者になった人がいます。「祭司のうち(の)……多」くの者や,タルソのサウロなどがその例です。同様に現代においても,エホバの忠実なしもべたちをかつて迫害した人々の中には,のちに自分たちの悪行を悔いて,イエス・キリストの恵みを受けるようになった人がいます。今やそれらの人々も,もはや霊的な飢きんに苦しめられることなく,霊的な食物を豊かに得て歓喜しています。―使行 6:7。ヨハネ 10:16。ガラテヤ 1:23。黙示 7:9。

エジプト人はついに自分の土地や,身分を売り渡し,ヨセフはそれを買ってパロのものにし,人々に食物を与えました。預言的に見て,このことにはきわめて重要な意味があります。(創世 47:23)したがって,今日,命をささえる霊的な食物をより偉大なヨセフを通して得たいと願う人はみな,自分の持っているものすべてをささげてエホバ神に献身しなければならず,また,神の御心を行ない,イエス・キリストの足跡に従うという,ゆるぎない確かな誓いを立てねばなりません。昔,エジプト人がパロの奴隷になったように,彼らはいわばエホバの奴隷になるのです。

今日,より偉大なヨセフの下に来て,すべてをエホバにささげる人々は,その後,なんら努力をしなくても,霊的にいつも養われるのですか。決してそうではありません。「人もし働くことを欲せずば,食すべからず」というエホバの原則は変わりません。(テサロニケ後 3:10)事実,神はアダムに働くべきことを定められたのです。―創世 2:15。

ゆえに,飢きんのさなかにあってエホバが豊かに備えてくださることを予表したこの劇的なできごとについても同じです。当時,ヨセフから種をもらったエジプト人は,土地を耕やして,その種をまくことができました。そして,収穫した穀物の5分の4を自分のものとし,残りの5分の1を,畑にまく種として納める,きわめて公正な取り決めが設けられていました。同様に今日,より偉大なヨセフによって霊的に養われてきた人には,霊的な必要を自覚している他の人々を助ける務めがあります。

今日,霊的な飢きんが全地に広まっていることは確かです。しかしエホバは,献身した忠実なそのしもべたち,すなわち,ヨセフで表わされる油そそがれた者たちと,心から仕えるその仲間の人々を通して,霊的な食物を豊かに備えてこられました。彼らの下に来て,霊的な飢えとかわきを癒してもらう人々はみななんと幸いでしょう。しかし,飢えかわく者に仕える人々すべては,さらに幸いでしょう!

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする