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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
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読者からの質問

■ 使徒 7章14節に記されているステファノの言葉によると,エジプトに移り住んだとき,ヤコブの家族は75人いたことになっていますが,創世記 46章26節はそれを66人としており,創世記 46章27節は70人としています。これはなぜですか。

様々な説明の仕方が考えられます。その一つは,使徒 7章14節は,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳に基づいているというものであり,もう一つは,ステファノはヤコブの9人の息子の妻たちを含めていたというものです。

まず最初に,使徒 7章14節に記録されている,ステファノが述べた言葉に注目してみましょう。「そこでヨセフは人を遣わして,自分の父ヤコブと親族のすべて,総勢七十五人の魂をその場所から呼んだのです」と記されています。この点を念頭に置いて,ヤコブの家族がエジプトに移住したことを述べる創世記の記録を考慮することができます。

創世記 46章8節はこのように始まっています。「さて,これがイスラエルの子らでエジプトに入った者たちの名である。すなわち,ヤコブとその子ら」。その後にヤコブの子孫の表が続き,その中にはヤコブの曾孫も幾人か含まれています。この人名表は次のように結ばれています。「ヤコブのもとに来てエジプトに入った魂は,ヤコブの子らの妻を別として,すべて彼の上股から出た者たちであった。その魂は全部で六十六人であった。そしてヨセフの子,すなわちエジプトで彼に生まれた者たち,その魂は二人であった。ヤコブの家の魂でエジプトに入った者は全部で七十人であった」― 創世記 46:26,27。

ヤコブの子孫66人の表の計算を合わせる方法は幾つか考えられてきました。ある学者たちは,ユダの息子のエルとオナン,そしてユダの孫であるヘツロンとハムルを計算に含めました。(創世記 46:12)エルとオナンは既にエジプトに移住する時には死亡していたため,この二人を数えなかった人もいます。(創世記 38:6-10)ある聖書研究者たちは,一度も結婚しなかったと思われるディナを入れ,あるいは民数記 26章8節で言及されているルベンの息子エリアブを数えたようです。66人の子孫に,ヤコブ,そしてヨセフ,およびその二人の息子(これらの最後の3人はエジプトへ移住した人々の中には含まれていない)を加えることができます。こうして合計70人に達します。

弟子ステファノは,ヘブライ語本文にヤコブの家族66人がエジプトに移住したと述べられていることを知っていたに違いありません。ではなぜ使徒 7章14節は,ステファノが75人という数字をあげているように述べているのでしょうか。

聖書注釈者たちの中には,ステファノは創世記 46章27節のギリシャ語セプトゥアギンタ訳に基づいて発言していたのかもしれないという人がいます。この訳によると,問題の数字はもっと多くなります。なぜなら,20節に,ヘブライ語本文には述べられていない5人の名前(マナセとエフライムの3人の息子,その二人の孫)が加えられているからです。あるいは,ステファノ自身は66人というヘブライ語聖書の数字を念頭に置いていたものの,ギリシャ語のセプトゥアギンタ訳が一般に用いられていたため,「使徒たちの活動」の書を書き記すに当たってルカがセプトゥアギンタ訳の数字をそこに置いたのかもしれません。

しかし,たとえステファノが実際に75人という数字をあげたとしても,あるいは創世記 46章27節のギリシャ語訳からその数字が出たとしても,その数はヘブライ語聖書中の66人という数字と調和します。創世記 46章26節では削除されていることが明記されている,ヤコブの息子の妻たちを加えることによって調和が図れます。

9人の妻だけが数えられるのはなぜでしょうか。12人の子らに関して,ヨセフの妻は含められていません。彼女はエジプト人であり,ヨセフによってエジプトに呼び寄せられたわけではないからです。(使徒 7:13-15)そして,移住の時にユダの妻は既に死亡していました。(創世記 38:12)それで残される妻は,多くて10人になります。シメオンのヘブライ人の妻も死亡していた可能性があります。その末の息子であるシャウルは,「カナン人の女の子」とされているからです。(創世記 46:10)あるいは,家族がエジプトに居を定めた時に,一番年下の息子であるベニヤミンがまだ結婚していなかったとすれば,その9という数字は正しかったことになるでしょう。もしそうであれば,創世記 46章21節で言及されているベニヤミンの子らは移住の後に誕生したものの,部族と国民の中で果たすことになっていた役割ゆえに,名前が列挙されていることになります。(ヘブライ 7:9,10と比較してください。)このように,ヤコブの9人の息子の妻たちを,ヘブライ語本文の創世記 46章26節で言及されている66人という小計に加えると,セプトゥアギンタ訳が述べているように,また使徒 7章14節に記されているように,75人という合計数が得られます。

使徒 7章14節,および創世記 46章の数字を理解するための理にかなった方法は幾つかありますが,言うまでもなく,これらのすべての詳細に関して独断的になることはできません。それでわたしたちには,神が古代の僕たちを復活させる時を待ち望む付加的な理由があるのです。わたしたちは,聖書中にある数々の記述の正確な詳細を彼らから直接に学ぶことができるからです。―ヨハネ 5:28,29。

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