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    ものみの塔 1958 | 11月1日
    • 浸礼を受けることができます。その正しい態度は,イエスの次の言葉に表わし示されています,『もしあなたがたが私を愛するならば,私のいましめを守るべきである。』『もし私のいましめを守るならば,あなたがたは私の愛のうちにおるのである。それは私が私の父のいましめを守つたので,その愛の中におるのと同じである。』― ヨハネ 14:15; 15:10。

      19 一方,年老いた人は,もう年を取りすぎたから献身もバプテスマもできないと考えるかも知れません。この場合でも年齢は重要なものではありません。イエスの述べたごとく,神のいましめを遂行しようというひたむきな決意で一杯ならそしてヱホバに奉仕して永遠の生命を得たいと欲するなら,年寄りの者も献身の象徴としてバプテスマを受けることができます。それをひきのばすべきではありません。

      20 何が真実の永続する幸福をもたらしますか。

      20 生命を愛する人は生命を十二分に欲します。ヱホバだけが附随する祝福と共に生命を与えることができるのです。この愛と無私の献身の故に,人は幸福の中に永遠に存在して神に終りなき奉仕をしようと自発的に身を捧げるのです。

      バプテスマを受ける適当な時

      21 どんな時にバプテスマを受ける取り極めを設けることができますか。

      21 バプテスマを受ける機会はだいたいヱホバの証者の大会のときや,また年に2度行われる巡回大会のときにあります。ふとした具合で定期的に計画されている大会でバプテスマを受けることができない場合,またはなにか病気の為に不能であつた場合,別の時を取りきめることができます。時や場所にかかわりなく,ヱホバに献身している僕が浸礼を施すよう任命されます。

      22,23 (イ)バプテスマを受けたいと希望している人々には,どんな重要な質問が提出されますか。(ロ)どんな答は,受洗希望者がバプテスマをすぐ受けられることを示しますか。

      22 口を開いて信仰を公に言い表わすことは是非大切なものです。そのわけで,受洗希望者には二つの質問を尋ねます。(1)あなたはヱホバ神の御前にあつて救いを必要とする罪人であると認めかつこの救いは御子イエス・キリストを通して父から来ると認めていますか。(2)神にたいするこの信仰と,救いをもたらす神の御準備に対するこの信仰にもとづいて,あなたは神に全く献身し,今後はイエス・キリストを通し,かつ聖霊のなす啓発の力の下に聖書を通してあなたに啓示される神の御意を行いますか。

      23 これらの質問に『はい』と答え得る人は,みなバプテスマを受ける資格を持ちます。そして,ためらうことなくまたおくれることなく,この行いをするすべきです。

  • いまだに『マナ』を食べる
    ものみの塔 1958 | 11月1日
    • いまだに『マナ』を食べる

      聖書は,40年間も荒野をさまよつたイスラエル民族を神がマナで養われたことを述べています。マナは白い実に似ていて,『蜜をいれたる菓子』のように甘いものでした。(出エジプト 16:13-31)この説明を考えると,アメリカの「ナショナル・ジオグラフィック」誌が,1957年12月号の『旧約聖書時代をよみがえらす』という記事で,マナについて述べている事がらに興味をひかれます。

      『われわれはまたもや,動かし得ない事実が聖書の物語を支持しているのを知つた。というのは,天からふつた奇跡のマナは,シナイでは毎年みられるからである。甘くて栄養のある白い小滴が,夏ごとに必ずかん木の上に奇跡的に現われる。最も多い時期には,男一人で1日に2ポンド以上を集めることができる。

      『1927年,エルサレムにあるヘブル語大学の動物学者F・S・ボデンヘイマー教授は,マナの秘密を探るためシナイ半島に出かけた。彼の訓練された目は,たちまちその秘密を解き明した。その蜜のつゆの滴は,カイガラムシが出すものである。

      『この小さな生物は,同化作用のバランスをとる必要にせまられるので,窒素の不足している木から炭水化物を多く含む樹液を吸う。窒素を使うと,甘い過剰液を滴にして排出してしまう。そしてこの液は蒸発してすぐにねばねばした固形に変る。

      『マナは,今日に至るまで近東の人々が好む糖分である。最も有名な種類は,カーディスタンでとれるもので,行商人たちは,これでつくつた菓子に「マン」という名前をつけ,バグダッドの街で売り歩いている。』

      イスラエル人全部に十分のマナを供給し,特に金曜日毎にその2倍の量を与え安息日である土曜日にないようにするには,奇跡が必要であつたことは疑いありません。しかしそれにしても,このマナが自然のものであつたり,イスラエル民族が滞在したと聖書が記録している場所にいまだに見られるということは,ほんとうに興味あることです。

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