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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
塔71 10/15 618–619ページ

どろぼうになった使徒

親が子どもといっしょに読むための特別な記事

だれかがあなたから何かをぬすんだことがありますか。あなたはそのことをどう感じましたか。それをぬすんだ人がだれであっても,その人はどろぼうです。そしてどろぼうのすきな人はいません。

イエスの使徒のひとりがどろぼうになったことを知っていましたか。その者の名前はイスカリオテのユダです。

ユダは何を行なうのが正しいかを知っていました。小さな子どものときでさえ,神の律法を聞いていました。昔,神が天から大きな声で話され,「あなたがたは盗んではいけない」と民に命令されたことさえ知っていたのです。―出エジプト 20:15,新。

おとなになったとき,ユダは偉大な師に会いました。ユダはイエスの言われた事柄が気にいって,イエスの弟子になりました。あとになって,イエスはユダをご自分の十二使徒のひとりに選ぶことさえなさいました。

イエスと弟子たちはたくさんの時間をいっしょに過ごしました。彼らはいっしょに旅行したり,いっしょに食事をしました。そして一行のお金は一つの箱の中にいっしょに入れておかれました。イエスはその箱をユダに与えて,世話をさせました。

もちろん,そのお金はユダのものではありませんでした。お金をどのように使うかをユダに命令するのはイエスでした。しかし,しばらくたって,ユダは何をしたと思いますか。ユダはそうすることになっていないときにお金を取りはじめました。他の人々が見ていないときにお金を取っていました。ユダはどろぼうになったのです。そのころユダは,いつもお金のことばかり考えるようになり,もっとたくさんのお金を得る方法をみつけようとしていました。

ある日,ひとりの女の人が,イエスに良い気分をあじわってもらおうと,たいへんじょうとうの油を手に取ってイエスの足にぬりました。ところがユダはふへいをもらしました。その油を売れば貧しい人々にあげるためのお金がもっと手にはいるのにと言いました。ほんとうは,箱の中にもっとお金がたまればそれをぬすめるのにとユダは思っていたのです。あなたはそのような人をどう思いますか。―ヨハネ 12:1-6。

イエスはその時すぐにあなたはどろぼうですとユダにおっしゃいませんでした。しかし,イエスは,そのたいそうやさしい女の人のことでもめごとを起こしてはならないとユダに言われました。ユダはそのことが気に入りませんでした。彼はどうしようと考えましたか。

ユダはいけないことをしたと感じるべきでした。それまでどろぼうをしていたこと,そしてお金をかえすことをイエスに話すべきでした。しかしユダはそうするどころか,恐ろしいことをしたのです。

ユダはイエスの敵であった祭司長たちのところへ行きました。祭司長たちはイエスをとらえたいと思っていました。しかし,人々に見られないように,夜にイエスをとらえたいと思っていました。ユダは彼らにいいました。『もしわたしにお金をくださるなら,イエスをつかまえる方法をお話ししましょう。わたしにいくらくださいますか』。祭司たちは『銀三十枚をおまえにやろう』といいました。それはとてもたくさんのお金でした。―マタイ 26:14-16。

よこしまなユダはお金を取りました。それはちょうど偉大な師を祭司長に売っているようなものでした。あなたは,そうした恐ろしいことをする人を想像できますか。さて,人がどろぼうになると,そのような事が起こるのです。その人は神を愛するよりも,お金のほうを愛しているからです。

では,この問題をはっきりと理解しているか確かめましょう。どろぼうとは何かを理解するためには,ある物を自分のものにするとはどういう意味かを知らねばなりません。人々はある物を得るために働いて自分のものにしています。またお金でそれを買ったり,おそらくおくり物としてもらったりした場合もあります。

お父さんが仕事をなさると,そのためにお金を得ます。そのお金はお父さんのものですか。そうです。なぜならお父さんはそれを得るために仕事をなさったからです。それはあなたのものではなく,お父さんのものです。

そうしたお金で,お父さんはあなたの家の中にある物を買われます。それらはお父さんのものです。それらはお父さんのものですから,だれがそれを使ってよいかを言う権利はお父さんにあります。お父さんは,あなたがそれで遊んでよいかどうかをあなたに話されます。また,お父さんはあなたがそれで遊んでよいかどうかをお母さんに話させることもあります。

ときどきあなたは,ほかの子たちの家に行って遊ぶことがありますね。その家の物はその子たちのお父さんのものです。その家から何かを取って,自分の家に持って来るのは正しいことでしょうか。その家のおじさんかおばさんから持って行ってもよいといわれないなら,それは正しくありません。おじさんかおばさんに尋ねないで何かを家に持っていったら,それはどろぼうです。

なぜ人はどろぼうをするのですか。その人はほかの人のものを見るかもしれません。それは自転車かもしれません。その自転車を見つめたり,それについて考えれば考えるほど,それがますますすきになります。もしその人が愛のある人でなければ,他の人がどう感じるかを気にしません。それでその人は他の人をなぐって,自転車をとろうとするかもしれません。それとも,他の人が見ていなくなるときまで待って,それから自転車をとります。その人はいったい何をしているのですか。どろぼうをしているのです。

自転車をぬすんでいるところを他の人は見ていないかもしれません。しかし,そうしているのを見ているかたがおられます。あなたはそれがだれかわかりますか。エホバ神はその人がぬすんでいるのを見ておられます。神はその人がどろぼうであることを知っておられます。

他の人の持ち物が多いか少ないかは問題ではありません。お店に行くとそこにはたくさんの品物があります。自分がたいへん欲しいと思っているものを見て,ある人々は一つぐらいだれにもわからないだろうと自分にいうかもしれません。それを取って,お金を払いません。それは正しいですか。いいえ,それはぬすみです。

そうしたことをする人々はユダのようになっています。なぜならユダはどろぼうだったからです。決してユダのようにならないようにしましょうね。

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