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  • 聖書理解の助け ― カナン,カナン人
  • 目ざめよ! 1980
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  • 境界と初期の歴史
  • カナン諸部族の分布
  • イスラエルによるカナンの征服
目ざめよ! 1980
目80 10/22 29–31ページ

聖書理解の助け ― カナン,カナン人

「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。

カナン,カナン人 [恐らく,『卑下する』という意味のヘブライ語『カーナー』から。ゆえに,低い,低められた,の意]。

1. ハムの息子として4番目に挙げられている人。ノアの孫。(創世 9:18; 10:6。歴代上 1:8)東地中海ぞいの,エジプトとシリアとの間の地域に住みついた11の部族の始祖となった人で,「カナンの地」という呼び名はこの人に由来しています。―創世 10:15-19。歴代上 16:18。No.2を見なさい。

ノアの酔酒にちなむ出来事の後,カナンはノアの預言的なのろいの下に置かれ,カナンはセムとヤペテ双方の奴隷となるであろうと予告されました。(創世 9:20-27)記録によると,「カナンの父ハムは父の裸を見て,そのことを外にいる自分の二人の兄弟に告げに行った」(新)とだけ述べられているため,どうしてハムではなくカナンがのろいを受けるようになったのか,という疑問が提出されます。24節は,ぶどう酒の酔いから覚めたノアに関し,「彼は一番下の息子が自分に対して行なったことについて知った」(新)と記していますが,この点に関し,ロザハム訳の脚注はこう述べています。「明らかにカナンのことで,ハムではない。セムとヤペテはその恭順のゆえに祝福されているが,カナンは記述されていない何かの卑しい行為ゆえにのろいを受けている。ハムはその手抜かりのゆえに言及から除外されている」。同様に,J・H・ヘルツ編集のユダヤ教の出版物「モーセ五書と詠唱預言書」も,この短い物語は「何かのいとわしい行為を暗示していて,それにカナンが関係していたのであろう」と述べています。そして,24節で「息子」と訳されているヘブライ語が「孫」をも意味しうることを述べた後,同じ書は,「これは明らかにカナンのことを言っている」としています。A・コーヘン編集の「ソンチノ版モーセ五書」も,カナンが「[ノア]に対して倒錯した性欲にふけった」ものと信ずる人々のいることを挙げ,「一番下の息子」という表現はハムの一番下の息子であったカナンを指す,としています。

もとよりこれらの見解は推測の域を出ていません。カナンがノアに対する非行にかかわっていたかどうかについて聖書は詳細を記していないからです。それでも,何らかの関連のあったことを示そうとする意図ははっきり表われているようです。ノアの酔酒について述べる直前にカナンの名が突然記述に導入されていること(18節),ハムの行動を描くにあたって「カナンの父ハム」と記している点(22節)にそれは見られます。『父の裸を見た』という表現がカナンの関係した何らかの凌辱または倒錯した行為を指していたであろうと見るのは妥当です。聖書が『人の裸をさらす』もしくは『裸を見る』と言う場合,それはおおむね近親相姦その他の性的な罪を意味しているからです。(レビ 18:6-19; 20:17,新)それで,カナンは意識のないノアに対して何かの凌辱の行為を犯しもしくは犯そうとし,ハムは知りながらそれをとめるもしくは懲戒の処置を取ることを怠り,むしろノアの不名誉な行為を自分の兄弟たちに知らせてその非行の帳消しを図ったのではないかと考えることができるでしょう。

課せられたのろいの預言的要素についても考慮すべきです。カナン自身がその生涯中にセムやヤペテの奴隷となったという証跡はありません。しかしこの場合,神の予知力が働かされました。ノアの言い表わしたのろいは神からの霊感によるものであり,神の不興は当然の理由なく表明されることはありませんから,カナンは既に堕落的な性向,恐らくは肉欲的な性質をはっきり表わしていて,神はその傾向ゆえにカナンの子孫のうちにいずれ生じる悪い結果を予見されたのでしょう。それ以前のカインの場合,エホバは誤った心の態度に注目され,罪に打ち負かされる危険をカインに警告しました。(創世 4:3-7)神はまた,洪水前の大多数の人々の悪に走る傾向が矯正しがたいものであり,そのゆえに当然の滅びに値するものであることをも見きわめておられました。(創世 6:5)それで,カナンに課せられたのろいの正当性を示す最も明瞭な証拠は,その子孫の後の歴史に見ることができます。彼らは堕落と不道徳の際だった不潔な記録を残しているからです。それは聖書の記述にも一般の歴史にも十分裏書きされています。カナンに対するのろいはそれが宣告されてからおよそ8世紀後に成就を見ました。それはカナンの子孫がセム系のイスラエル人に平定された時です。後には,メディア・ペルシャ,ギリシャ,ローマなどのヤペテ系諸勢力の支配下にも置かれました。

2. カナンの名は,ハムの息子から出たその民族およびその民族が住んだ土地を指しても用いられます。カナンとは,パレスチナのうちヨルダン川の西側の部分を指す元々の名でした。(民数 33:51; 35:10,14)もっとも,カナン系のアモリ人はイスラエルによる征服以前にヨルダン川の東の地に侵出して来てもいました。―民数 21:13,26。

境界と初期の歴史

カナンの地の境界に関するごく初期の記述によると,それは,北方はシドンから南西はガザの近くのゲラルにまで及び,南東はソドムとその近隣の諸都市をも含んでいました。(創世 10:19)しかし,アブラハムの時代に,ソドムおよびその「ヨルダン地区の諸都市」はカナン本土とは別にみなされていたようです。(創世 13:12,新)アブラハムとロトの子孫が住んだ後代のエドムとモアブの領土もカナンの地の外と考えられていたようです。(創世 36:6-8。出エジプト 15:15)イスラエル国民に約束されたカナンの領土は民数記 34章2-12節にその輪郭がより詳細に描かれていますが,明らかにそれはシドンよりずっと北に始まり,南は「エジプトの奔流の谷」(新)とカデシバルネアにまで及んでいました。カナン人ではないペリシテ人(フィリスティア人)(創世 10:13,14)はシャロン平原以南の海岸地域を占拠していましたが,その地域も以前にはカナン人の地と「見なされて」いました。(ヨシュア 13:3,新)ケニ人(ミデヤンの子孫,民数 10:29。士師 1:16),アマレク人(エサウの子孫,創世 36:12)などの他の部族もこの地域に侵入していました。―創世 15:18-21。民数 14:45。

カナンの子孫はバベルでの分散のあと直接にこの地に来て定着したのか(創世 11:9),あるいは最初にハム系諸族の主体と共にアフリカに行き,その後パレスチナの地域に再び上って来たのか,聖書はその点について述べていません。いずれにしても,西暦前1943年,アブラハムがパダンアラムのハランを出てこの地に旅した時までに,カナン人は既にそこに定着しており,アブラハムはアモリ人ともヘテ人(ヒッタイト人)とも多少の交渉を持ちました。(創世 11:31; 12:5,6; 13:7; 14:13; 23:2-20)アブラハムは,その胤つまり子孫がこの地を相続するという約束をエホバ神から繰り返し与えられ,「その地を,その長さと幅いっぱいに行き巡(る)」ようにと指示されました。(創世 12:7; 13:14-17; 15:7,13-21; 17:8,新)この約束を頼みとし,また神の加えられたのろいに対する敬意のゆえに,アブラハムは息子イサクの妻がカナン人ではないように注意を払いました。―創世 24:1-4。

アブラハムが,そして後にイサクやヤコブが家畜の大群を連れて比較的自由にこの地を動き回れたことは,この地域の人口が当時まだそれほど密でなかったことを示しています。(創世 34:21と比較)考古学的調査の結果も当時の定住者がまだむしろまばらであったことを示しています。海岸ぞいの町の多く,死海地域,ヨルダン渓谷,エスドラエロン平原についてこれが言えます。W.F.オルブライトは西暦前二千年紀初頭のパレスチナについてこう述べています。「概して丘陵地帯はまだ定着民の居住するところとはなっていなかった。ゆえに,族長たちが中央パレスチナの丘陵地や南部の乾燥地帯の全域をさすらったという聖書の伝承はまことに正しい。そこには彼らのための余地がまだ十分にあった」。(「旧約聖書注解」,140ページ)明らかに当時のカナンはメソポタミアの(よってセム系の)影響および支配下にありました。創世記 14章1-7節の記録および一般の歴史にもこの点は示されています。

アブラハム,イサク,ヤコブが近くに宿営した町として,シケム(創世 12:6),ベテルとアイ(12:8),ヘブロン(13:18),ゲラル(20:1),ベエルシバ(22:19)などがあります。カナン人がこれらヘブライ人の族長たちに強い敵がい心を示すことはなかったようですが,それでも族長たちが攻撃されなかったことには神による保護という大きな要素がありました。(詩 105:12-15)それで,ヤコブの息子たちがヒビ人の都市シケムを襲撃した後にも,「彼らはヤコブの子らの跡を追」いませんでしたが,それは「神の恐怖」がその近傍の諸都市に臨んだためでした。―創世 33:18; 34:2; 35:5,新。

大飢きんが起きてヤコブが家族を連れてエジプトに移り住むことになった時,カナンの地はその飢きんのために疲弊し,食物供給の面で大いにエジプトに依存しました。(創世 47:4,13-16)一般の歴史によると,イスラエルによる征服に先だつおよそ2世紀の間エジプトはカナンに対する宗主権を行使しました。この時期にシリアやパレスチナの属国の支配者がアメンホテプ三世やイクナートンなどのファラオたちに送った書信(「テル・エル・アマルナ書簡」として知られる)は,その地域でかなりの内部的抗争や政治的策謀の行なわれていた模様を示しています。イスラエルがその境に到着した時(西暦前1473年),カナンは多数の都市国家もしくは小王国が分立する所となっていました。もとより,部族的関係に基づく結合を保っていたところもあったはずです。それより40年ほど前,この地の様子をうかがった斥候たちは,それが実り豊かな地であり,そこにある都市にはいずれも十分に防備が施されているのを見ました。―民数 13:21-29。申命 9:1,ネヘミヤ 9:25参照。

カナン諸部族の分布

カナン人の11の部族のうち,アモリ人がこの地で主要な地位を占めていたようです。バシャンやギレアデなどアモリ人がヨルダン河東で征服した地を別にすると,アモリ人に関する言及はこの民がカナン本土の山岳地帯において,その北部でも南部でも強勢を振るっていたことを示しています。(ヨシュア 10:5; 11:3; 13:4)強さの点で第二の地位にあったのは恐らくヘテ人でしょう。ヘテ人は,アブラハムの時代にはヘブロンにまで南下していましたが(創世 23:19,20),後には主に北方,シリア方面に集中したようです。―ヨシュア 1:4。士師 1:23-26。列王上 10:29。

他の部族の中では,エブス人,ヒビ人,ギルガシ人などが上記の2部族に次いで最も多くイスラエルによる征服時の記録に出て来ます。エブス人はエルサレム周辺の山岳地域を中心としていたようです。(民数 13:29。ヨシュア 18:16,28)ヒビ人は南はシケムから(創世 33:18; 34:2),北方はヘルモン山ろくあたりにまで分散していました。(ヨシュア 11:3)ギルガシ人の領地は明示されていません。

残る6部族,つまりシドン人,アルワデ人,ハマテ人,アルキ人,セニ人,ゼマリ人は,「カナン人」という包括的な表現の中に含められているのかもしれません。この語が他の部族名と共にしばしば用いられているからです。もちろん,カナン諸部族の入り混じった人々やそのような人々の住む都市を指してこの表現が用いられている場合はこの限りではありません。(出エジプト 23:23; 34:11。申命 7:1。民数 13:29)これら6部族はみな主として,イスラエルが当初征服した地より北方に居住していたらしく,征服に関する記述の中では特に取り上げられていません。

イスラエルによるカナンの征服

エジプトを出てから2年目にイスラエル人はカナンの南の境界から一度進入を企てたことがありましたが,神からの後ろだてもなく,カナン人およびそれと同盟したアマレク人によって追い返されました。(民数 14:42-45)40年間の放浪の終わりごろにイスラエルは再度カナン人の地に向かって進み,その際ネゲブのアラデの王の攻撃を受けましたが,今度はそのカナン人の軍勢を撃破して,その諸都市を破壊しました。(民数 21:1-3)それでもイスラエル人はこの勝利を押し進めてそのまま南部から侵入するという方法は取らず,ずっとう回して東側から近づくことにしました。これによってシホンとオグのアモリ人の二つの王国と相対することになりましたが,結局これら二人の王を撃ち破ることによってバシャンとギレアデの全域がイスラエルの支配下に入りました。そこには,バシャンだけでも,「高い城壁と城門とかんぬきを備えた」都市が60もありました。(民数 21:21-35,新。申命 2:26-3:10)これら強力な王たちを撃破したことはヨルダン河西のカナン諸王国の気力を弱め,イスラエル国民がその後にヨルダン川の水の干された川床を渡ったという奇跡と相まってカナン人の心を『溶けさせる』ものとなりました。そのため,イスラエル人の多くの男子が割札を受けて回復を待っていた期間やそれに続いた過ぎ越しの祝いの時にも,カナン人はギルガルにあったイスラエル人の宿営に対する攻撃を試みませんでした。―ヨシュア 2:9-11; 5:1-11,新。

今やヨルダン川から十分な水を得ることができ,ヨルダン河東の征服地から食物の供給を受けることのできたイスラエル人は,そのギルガルを好適の基地としてその地の征服に取りかかることができました。近くの前哨都市エリコは今や固く城門を閉ざしていましたが,これがイスラエルの最初の標的となり,その強大な城壁はエホバの力によって崩れ落ちました。(ヨシュア 6:1-21)次いでその侵入軍は900㍍余り登ってエルサレム北方の山地に進み,初頭の敗北を経験した後にアイを攻略してこれを焼き払いました。(ヨシュア 7:1-5; 8:18-28)カナン全土の諸王国は大々的な連合を組んでイスラエル人の撃退を試みましたが,ヒビ人の都市の中には擬装手段でイスラエルとの和を求めたところもありました。ギベオンとその近隣の3都市によるこの離脱は,カナン人の他の王国からは『カナン同盟』全体の一致を乱す背逆行為とみなされたに違いありません。そのため,カナン人の王5人は結束して,イスラエルに対してではなく,ギベオンに対して戦っています。その際,ヨシュアの率いるイスラエル軍が夜通しの行軍を行なって,この同盟関係に入った都市を救いました。攻めてきたこの5人の王に対するヨシュアの勝利には,巨大な雹が降るという奇跡,また神が日没を遅くされたことなどが伴っていました。―ヨシュア 9:17,24,25; 10:1-27。

勝利したイスラエルの軍勢はそのままカナンの南半分全域(ペリシテ平原を除く)を駆けめぐって,シェフェラ,山地,ネゲブの諸都市を征服し,その後ヨルダン河畔ギルガルの宿営基地に戻りました。(ヨシュア 10:28-43)この時,北部のカナン人はハゾルの王の指導下にその軍隊と兵車とを結集し,その兵力をガリラヤの海の北にあたるメロムの水のところに集合させることになりました。しかし,ヨシュアの軍隊はこのカナン連合軍に奇襲攻撃をかけてこれを敗走させ,その跡を進軍して次々に都市を攻略し,ヘルモン山のふもとのバアルガデにまで北上しました。(ヨシュア 11:1-20)この作戦には相当の期間を要したはずですが,そのすぐ後には南部の山地で別の攻撃を手がけています。このたびの攻撃は巨人のようなアナク人とその諸都市に対するものでした。―ヨシュア 11:21,22。

このころまでに戦いが始まって以来およそ6年が経過していました。カナンの地の主な征服は既に成し遂げられ,カナン人諸部族の勢力はそがれていましたから,イスラエル諸部族に対する土地の分配を開始することができました。とはいえ,まだ平定していない地域も多く残されており,その中にはペリシテの領地などの大きな部分もありました。ペリシテ人はカナン人ではありませんでしたが,カナン人と同じく,イスラエル人に約束された土地の侵犯者となっていました。残されていた他の大きな部分としては,ゲシュル人の地(サムエル前 27:8参照),シドン周辺からゲバル(ビブロス)に至る地域,そしてレバノンの全域がありました。(ヨシュア 13:2-6)加えて,その地の全域にわたって依然抵抗を続ける孤立地帯が残っていました。そのあるものは後にその地方を相続したイスラエルの各部族によって攻め取られましたが,征服されずに残り,あるいは残存を許されてイスラエルに対する強制労働に服したところもありました。―ヨシュア 15:13-17; 16:10; 17:11-13,16-18。士師 1:17-21,27-36。

カナン人の非常に多くがこの主要な征服を生き延びて服従を拒んだことは確かですが,それでも,「エホバは与えることを父祖たちに誓われたそのすべての土地をイスラエルに与えられた」,「その周囲一帯に休みを」与えられた,「エホバがイスラエルの家に対してなされたすべての良い約束のうち一つとして果たされないものはなかった。それはすべてそのとおりになった」と言うことができました。(ヨシュア 21:43-45,新)周囲一帯の敵対する諸民はおじけ,イスラエル人の安全に対して事実上何の脅威も加えなくなりました。神は以前,カナン人を「少しずつ」打ち払って,急に人の住まなくなった土地で野獣が増えることのないようにすると言われました。(出エジプト 23:29,30,新。申命 7:22)鉄の大鎌を取り付けた戦車など,カナン人の装備がずっとまさっていたとは言え,イスラエル人が最終的に幾つかの地域を手に入れ得なかったことを,エホバの側の約束の不履行に帰することはできません。(ヨシュア 17:16-18。士師 4:13)むしろ,記録も示すとおり,イスラエル人の喫した幾つかの敗北はいずれも自らの不忠実さによるものでした。―民数 14:44,45。ヨシュア 7:1-12。

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