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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 1/1 18–19ページ

ヱホバは原始的な概念ではありません

アメリカの最も指導的な神学者の一人であるハリー・エマーソン・フオスデイックに依ると,聖書は人間の神についての概念が除々に発展したことを示しているものです。

『聖書自体,大きな説明である。その原始的な始まりに於ける神の観念と,終りに於ける神の観念の対照は,何というものだろうか! 初期の戦いの叫び「ヤハは戦人なり。ヤハは彼の名なり。」からイエスの美しい言葉「幸福なるかな,平和ならしむる者。その人は神の子と称えられん」までには,聖なる性質についての概念は何と深まつているのであろう! 神についての人間の理解は何と拡まつているのであろう!』

フォスデイック氏は,このよううにして,私達に次のことを信じさせようとしています。すなわち,彼自身,そして人間は戦いの神としてのヤハまたはヱホバの概念から平和ならしむる者達を祝福する神の概念にと徐々に進歩し,そしてまた聖書は人間に対する神の黙示ではなく,神についての正確な概念を得ようとする人間の努力の記録であるということです。(出埃 15:3。マタイ 5:9)その弁解はどのようなものであろうと,それは全然クリスチャン的ではありません,というのはキリスト・イエスは決してそのような事を教えませんでした。キリストはこう言いました。『あなたの言葉は真理です。』― ヨハネ 17:17,新世。

謙遜に,そして正直に聖書を調べるならば,フォンディック氏の述べたことはヱホバの言と矛盾しているということを知るでしよう。聖書によると,人間に対するヱホバの要求は,ヱホバの目的と,人間の住んでいた時代によつて異つていましたが,ヱホバの4つの主要な特質は常に同じです,すなわち公義・力・智・そして愛です。聖書の最初の本に,神の公義に対するアブラハムの願いが書いてありませんか?『天下を裁く者は,公義を行う可にあらずや?』 そしてまた,キリスト教の創始者と彼の使徒達は,ヱホバは,公正にして正義の神であるという事実を強調しませんでしたか? ―創世 18:25。ルカ 18:7。ロマ 9:14。

アブラハムに遺わされた天使は『ヱホバに豈為し難き事あらんや?』と言つた時に,ヱホバを全能者として示しませんでしたか? この概念は,キリスト・イエスが『神にとつて,すべての事は可能である。』と言つた概念と一致しています。(創世 18:14。マタイ 19:26,新世)神の公正と力に関して,2000年期間の中に,神の概念には全然変化はありません。

さらに,創造についての創世記の記録は,ヱホバの智を証明しては居ませんか? またモーセは繰り返し,神は智の源であり,神はその智を神の僕達に与えたということを述べませんでしたか?(創世記 第1章; 第2章。出埃 28:3; 36:1,2)そしてキリスト・イエスと,彼の真の追随者達は同じことを証言しませんでしたか? ―ルカ 11:49。ロマ 11:33。ヤコブ 1:5。

そして最後に,ヱホバが愛,慈悲,そして平和の神であることに就いては,モーセの神と,キリスト・イエスの神の間に違いはありません。モーセがヱホバの栄光を見ようと願つた時に,ヱホバはどのように御自身を示されたに注意してください。『ヱホバ,ヱホバ,憐憫あり,恩恵あり,恕ることの遅く,恩恵と真実の大いなる神,恩恵を千代までも施し,悪と罪とを赦す者』― 出埃 34:6,7。

しかし多分或る人は,その引用の残りの部分はどういう意味だろうと言うかも知れません。それはこうです。『罪すべき者をば必ず赦すことをせず,父の罪を子に報い,子の子に報いて三,四代に及ぼす者』これらの言葉は前述の言葉と矛盾しているように見えますが,少し考えるならば,明白な意味を知るでしよう。イスラエルのような一国民,または一国家がヱホバの崇拝を拒絶し,異教宗教を行つた時に,神は彼等が捕われの状態になることを許したということは,本当ではありませんか? その結果は,彼等だけに及んだのではなく,3代,4代後の彼等の子孫にまで及びませんでしたか? 両親がする善い行為にしろ,または悪い行為にしろ,その行為の或る性質によつては,その結果は子供達に影響するということは厳しい法律ではないでしようか? それは『自分の播いた種を,自分で苅る』という事柄ではないでしようか?

この点に関して,キリスト・イエスはモーセと全く同じことを教えました。しかし現代主義者の牧師は,その事実を見逃しています。キリストの当時の宗教指導者に,キリストはどのようなものが,彼等を待つているかと,警告しました。『あなた方は,予言者達を殺した者達の子であるという事に,あなた方自身証しを立てている。それでは,あな方の祖先の桝目を充しなさい。蛇よ,まむしの子孫よ,ゲヘナの審判を如何で逃げられようか? あなた方の上に,正義のアベルの血から,バラキヤの子であるゼカリヤの血までの,地に流されたすべての正義の血は,降りかかるであろう。あなた方はゼカリヤを聖所と祭壇の間で殺したのである。(マタイ 23:31-36,新世)これらの言葉は,西歴70年のエルサレムの完全な破滅によつて或就しました。その破滅は公正なものであり,ヱホバが戦争の神であるということと,一致して居りました。

確かに,聖書は神の啓示であり,神についてこの人間の概念の単なる記録ではありません。最初から,終りまで,聖書はヱホバが愛・智・公義,そして力の神であることを示しています。ヱホバは,最初に愛の神として示しています。そして人々に祝福を与えました。しかし,人々が神の贈物を無視し,反抗し,悪に向うならば,ヱホバが御自身戦いの神として示されるのは当然です。ヘブル語聖書は,ヱホバの愛ある,やさしい,憐れみある性質を見逃していますか?『ヱホバ我に顕れて言い給う。我窮りなき愛をもて汝を愛せり。故に,我たえず汝をめぐむなり。』(エレミヤ 31:3)キリスト教徒ギリシヤ語聖書は,ヱホバの公義の怒り,そして正義の怒りを見逃していますか?『復讐は私のものである。私は報いよう,とヱホバは言う。』『何故ならば,私達の神は燃えつくす火である』(ロマ 12:19。ヘブル 12:29,新世)ヱホバは原始的な神の概念ではありません。

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