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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 5/1 268–274ページ

変わらない神の正義の標準

「それわれエホバは易らざる者なり」― マラキ 3:6,文語。

1 あらゆる無秩序に関して,エホバはどんな態度と目的を示されていますか。

全宇宙を治める主権者はエホバです。それでエホバは平和と秩序の擁護者であられます。(コリント第一 14:33)この立場に立つエホバのゆるがない目的は,秩序を保ち,また秩序が乱される時に事態をただして平和を回復することです。秩序の価値を認識しない人も,エホバから寛容を示されるでしょう。(ローマ 9:22)しかし神の目的を妨げることがいつまでも許されるわけではありません。普遍的な秩序を保つ神の定めに従わない者は,取り返しのつかない損失をこうむります。

2,3 (イ)わたしたちは,頭上の天にある神の無生の創造物からどんな感銘を受けますか。(ロ)エホバの支配の法則が緩和されるならば,おそらくどんな結果になりますか。

2 地球をとり囲む空に目をやる時,至る処に明らかな秩序と調和に感銘を受けざるを得ません。銀河の中の無数の星は,まだ人間に知られていないものも多い,驚異的な法則によって一つの巨大な組織に統一されており,そこに無関係で不調和な響きはありません。それぞれの星は定められた軌道にとどまり,全体として創造者のみこころをはたしています。それぞれは軌道をめぐり,同時に軌道につれて高速度の運動をするエネルギーを与えられています。預言者イザヤはエホバをさして次のように述べました。「主は数をしらべて万軍をひきいだし,おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより,またその力の強きがゆえに,一つも欠けることはない」― イザヤ 40:26。

3 空にある巨大な無生の創造物の運動を支配する法則が緩和される,つまり神によってゆるめられることがあるとすれば,どんな結果になるかを想像できますか。それぞれが勝手な運動を始めて,衝突や災いに終わるでしょう。この小さな地球上に住むわたしたちにとって幸いなことに,そのような心配はありません。その理由はエホバが秩序を保っていられるからです。

4,5 (イ)わたしたちが天体にふつう以上の関心を払うのはなぜですか。(ロ)被造物として天体と人間には,どんな共通の面がありますか

4 文字になった偉大な創造者のことばの中で,人間は星にたとえられています。たとえばダニエルは次のように書きました。「賢い者は,大空の輝きのように輝き,また多くの人を義に導く者は,星のようになって永遠にいたるでしょう」。(ダニエル 12:3)アブラハムの曽孫ヨセフも,自分の家族の者が星によって表わされている幻を夢の中で見ました。(創世 37:9)またアブラハムの子孫は数えることのできない星のようになることが,預言されていました。―創世 22:17。

5 このようなたとえは,きわめて適切です。星のように,人間もそれぞれ人生において占めるべき独自の立場や,はたすべき役割を与えられています。星にもさまざまあるように,人間も外見と性格がみな異ります。(コリント第一 15:41)人間もまたその気になれば,星と同じく創造者の栄光を適確に反映できます。そして人間に対する神の正義の標準にかなうことを頑固にこばむ愚かな人は,神の有用な創造物と接触する機会を全く絶たれて,そのために「まっくらなやみが永久に用意されている」「さまよう星」に適切にもたとえられています。―ユダ 13。

人間には正義の標準が必要

6 (イ)そこで不変の法則が無生の創造物を支配しているという事実から,何を学ぶことができますか。(ロ)神の目的をしるした神ご自身の記録は,その事をどのように裏づけていますか。

6 生きているすべての人間に対する導きとして,神の正義の標準をたてることの必要がおわかりですか。それは真の幸福に肝要なものをだれからも奪うものではありません。また専横でもなく,神の権威を示すためでも,あるいは真の自由を与えないためでもありません。エホバの霊は自由の霊だからです。(コリント第二 3:17)むしろ神の偉大な目的は,天上および地上の完全な被造物が,天の無数の星のように平和を保ち,互いの権利を侵害することなく共同する集団を成すことです。神のこの目的は,エペソ人への手紙 1章8節から10節までにしるされています。

7 決定や行動の自由を無制限に主張する人に関して,何が注目されますか。

7 統制というものに我慢できない人にとって,どんなことであれ何かを要求されるのはいやなことかもしれません。そのような人は気ままにふるまう自由を求めます。また権威に対して申し開きを求められることを好みません。ある人気作家はこれを次のように言い表わしています。「わたしは自分の好むままに生きることができなければならぬ。そうでなければ死んでいるほうがましである」。他の人と同じように待遇してもらいたいというのではありません。彼らは例外すなわち特例としての扱いを望んでいるのです。しかもすべての人が勝手気ままに行動するなら,地上の有様は今よりも紛糾することをよく承知しているのです。他の人の権利のゆえに課せられる制限を考慮しない人は,自分の意のままにふるまうことに専念しています。

8 人類はその初期においてどんな態度に染まりましたか。それはどんな結果をもたらしましたか。

8 自分自身の道を定める権利を主張した人の例は,昔から歴史に多く記録されています。エバは神の命令を無視し,その利己的な行ないは夫を罪の道にひき入れました。アダムも,美しい,しかし不法の行ないをした伴侶とともに生きられなければ死んだほうがよいと心に決めました。彼らの長子カインも自分の意志のままに行動する人でした。神から警告を与えられたにもかかわらず,彼は教えを聞こうとせずに殺人者となって罪に定められました。カインの受け継いできた不完全さだけにその理由を帰することはできません。不完全さを受け継いだという点ではアベルも同じでしたが,アベルは神を喜ばせました。カインは気ままであり,その態度は以来アダムの子孫の多くに受け継がれています。―ヨハネ第一 3:12。

9 どんな対照的な態度が大洪水のすぐ前にみられましたか。

9 その後,利己的な天使は「そのおるべき所を捨て去」り,人間に化身して人類を堕落させました。(ユダ 6。創世 6:1-8)それでも「ノアはその時代の人々の中で正しく,かつ全き人」でした。彼は家族を正しく治め,悪い世の道徳の腐敗から家族を守りました。そして正しい行ないに対する神の標準を無視してそのために命を失った不法の人々と行動をともにしませんでした。―創世 6:9。

10 ソドムと姉妹都市の滅びは,不変の神の,特にどんな見解を裏づけていますか。

10 アブラハムのおいロトがソドムの町に住んで,「非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた」時,エホバ神は汚れた性の行為に対する憎しみを決定的に表わされました。ロトと家族が町から急いで連れ出されると同時に,「エホバ硫黄と火を……ふらしめ」,ソドムと付近の町々を滅ぼしてその住民を一掃されました。(ペテロ第二 2:7。創世 19:1-28)この恐るべき刑罰の記録は,神に是認される者に対して神が性的また道徳的な清さを要求されることをすべての人に思い起こさせるはずです。

11 ヨセフは,人間の行ないに対する神の正義の標準をどのように見ましたか。またどんな誘惑と戦って身を守りましたか。

11 ヤコブのむすこヨセフが奴隷として売られてきた国では,婦人が社会的に高い地位を占め,勢力を持っていました。主人の妻からしきりに誘惑された時,ヨセフはどうしましたか。彼には確かに選択の余地がありました。女主人の要求に応じても悪いことはない,責任は彼女のものであると考えることもできたでしょう。しかし彼はもっと大切な事柄を考慮に入れました。誘惑者の面前からのがれた時のヨセフのことばに注目してください。「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって,神に罪を犯すことができましょう」― 創世 39:9。

12 エサウとヤコブの行動は,神の要求に対するそれぞれの態度をどのように表わしていますか。

12 神から与えられた,人間の行為の基準に対して,アブラハムの孫エサウとヤコブは対照的な態度を示しました。エサウは「巧みな狩猟者となり,野の人となったが,ヤコブは穏やかな人で,天幕に住んでいた」。(創世 25:27)エサウは穏やかな人ではなかったことが推測されます。それは狩りを好んだために敬虔な家庭のしつけからいつも離れていたのが原因だったかもしれません。その後の行ないから見てエサウは粗野で気ままな人となり,羊の群れを世話する穏やかで勤勉な生活よりも,思うままに行動する自由を望みました。気ままなエサウはヘテ人の娘を妻にめとって母を悲しませました。―創世 27:46。

13 モーセはどんなまちがった道に誘惑されたかもしれませんか。彼は神の選民と労苦をともにすることをいといましたか。

13 他方,神のしもべに対する高い標準につき従うことを願う人にとって,良い手本になっているのはモーセです。モーセはエジプトの王子としてどんな望みもかなう,ぜいたくな生活をつづけることもできました。しかし次のようにしるされています。モーセは「パロの娘の子と言われることを拒み,罪のはかない歓楽にふけるよりは,むしろ神の民と共に虐待されることを選(ん)だ」― ヘブル 11:24,25。

文字に書かれた標準を示される

14 モーセはどのように報われましたか。エホバは,その模型的な国民を導くためにいま何を備えられましたか。

14 自分の思うままに行動することをせず,見えない神に導きを求め,耐える力を求めたゆえに,モーセは大いに恵まれ,仲保者に任命されました。すなわち神は,ご自身がエジプトからあがなわれた国民に対し,モーセをとおして律法を授けられたのです。この律法の基本的な定めの中には次のようなものがありました。「汝我面の前に我の外何物をも神とすべからず。汝の父母を敬へ是は汝の神エホバの汝にたまふ所の地に汝の生命の長からんためなり 汝殺すなかれ 汝姦淫するなかれ 汝盗むなかれ 汝その隣人に対して虚妄の証拠をたつるなかれ…凡て汝の隣人の所有を貪るなかれ」― 出エジプト 20:3,12-17,文語。

15 シナイ山でイスラエルに与えられた根本的な律法は,行動を律するどんな基本原則を含んでいますか。

15 善悪に関してみずから決めることは,イスラエル人にとって自分を神にするのと同じでした。そのことは注目に値します。家庭において権威に服従することが要求されています。生きる権利,からだを清く保つ権利,自分の財産を所有する権利,名誉を守る権利を人から奪う行為は禁ぜられています。最後にあらゆるいざこざの根本の原因にふれて,文字になった神の律法は不法また貪欲な欲望を心にいだかないように警告しています。これらの正しい要求を知らなかったというイスラエル人がないように,両親は,幼い時から子供にそれを教え込むことを要求されていました。―申命 6:6-9。

16 神の恵みにとどまることを望むならば,とくにどんな悪行を慎しむようにと,エホバの民は警告されましたか。

16 異教の崇拝の汚れた不道徳な行ないにならわないように警告が与えられていました。「汝は他の神を拝むべからず其はエホバはその名を嫉妬と言て嫉妬神なればなり然ば汝その地の居民と契約を結ぶべからず恐くは彼等がその神々を慕ひて其と姦淫をおこなひその神々に犠牲をさゝぐる時に汝を招きてその犠牲に就て食はしむる者あらん,又恐くは汝かれらの女子等を汝の息子等に妻すことありて彼等の女子等その神々を慕ひて姦淫を行ひ汝の息子等をして彼らの神々を慕て姦淫をおこなはしむるにいたらん」― 出エジプト 34:14-16,文語。

17 周囲の諸国民との単なる社交的な儀礼が禁ぜられたのはなぜですか。

17 エホバは事の成り行きがどのようなものかをご存じでした。それは一見して無害な社交的な儀礼がきっかけとなります。それは異教徒のもてなしを受けるだけのことです。しかし異教の偶像にささげられた聖なる食物を知らないまに受け入れ,どんなに不道徳な,たい廃的なものであっても偽りの宗教の他の要求にも従う破目になります。昔の人の間では人の食卓でパンを食べると,主人と友好的な契約関係を保つ義務を課せられました。同様に,偽りの神の食卓で食べる者は,そのような神と友好関係におかれました。しかしエホバは崇拝者から専心の献身を求められます。

18 皆がしているからするというのは,言い訳にはなりません。エホバはそのことをどのように明白にされましたか。

18 時たつうちに神の国民は,それぞれ独自の標準を立てている近隣の諸国民の風習を見,彼らを悪の道に追いやろうとする誘いを受けるでしょう。それをご存知のエホバ神は次の命令を与えておかれました。「あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において,多数に従って片寄り,正義を曲げるような証言をしてはならない」。(出エジプト 23:2)悪を行なう素地は与えられず,「だれでもしている」と言って正当化する余地も残されていません。

19 イスラエル人は神の正義の標準にもとることのないよう,どのように身を守るべきでしたか。ジムリと他のイスラエル人はなぜ失敗しましたか。

19 罪の誘惑に襲われることから身を守るように,エホバの民は次のことを命ぜられました。「エホバのもろもろの誡命を記憶して其をおこなはしめ汝らをしてその放縦にする自己の心の目の欲に従ふこと無らしむるため……なり」。(民数 15:39,文語)それで彼らの安全は,正しい行ないに対する神の標準を絶えず思い起こし,それに一致した生活をすることにかかっていました。サルの子ジムリをはじめ2万4000人のイスラエル人がこの教訓を心にとめていたならば,堕落したモアブの女と不道徳な行ないをして処刑されることはなかったでしょう。―民数 25:1-9。

神の標準に例外はない

20 物質主義と道徳的な放縦との相互関係を示すどんな例が,聖書にありますか。エホバはその場合になぜ速やかに行動されましたか。

20 敬虔な恐れを知らないことと貪欲は,放縦な性の行ないと結びついています。シロにあった神の幕屋で仕えた祭司エリのむすこピネハスとホフニは,そのことを示す例です。彼らは人々がエホバにささげた犠牲を軽んじたばかりか,信任の厚い地位を利用して,「会見の幕屋の入口で勤めていた女たちと寝」ました。(サムエル上 2:17,22,34)神はご自身の標準を擁護するために行動されました。むすこたちをこらしめる十分な機会がエリに与えられてのち,神の人が現われて心を驚かす音信を伝えました。「そのふたり[のむすこ]は共に同じ日に死ぬであろう」。この宣告は,ほどなくしてイスラエルがペリシテ人との戦いに敗れ,契約の箱を奪われた時に執行されました。地位や特権にもかかわらずエリは親の責任を免れず,むすこたちは神聖を汚した罰を免れませんでした。

21 バテシバのことで罪を犯したのちのダビデ王の苦い経験から,わたしたちは何を学びますか。

21 自分は特別であり,正しい行ないに関する厳格な定めにも束縛されないと,神の前で主張できる人はいません。ダビデの場合,他人の妻を望み,悪い欲望をとげるためにその夫の死をはかったことに対して,王の地位のゆえに大目に見られたということはありません。ダビデ自身の命は助けられましたが,バテシバがダビデに産んだ子は死に,またダビデはその後一生のあいだ,むすこたちや信任のしもべたちが起こす問題に絶えず悩まされ,その妻や妾たちも,反逆したダビデの子に犯されました。―サムエル下 12:1-14; 16:21,22。

22 ソロモンはどのようにして,国に災いが臨むことを宣告されても仕方のない者となりましたか。

22 バテシバがダビデに生んだ二番目のむすこソロモンは,治世の晩年になって神の正しい標準を無視するようになりました。ソロモンは妻を増し加え,異教の国々から女をめとり,それらの女のために偽りの神々の崇拝がイスラエルの地に導入される結果となりました。記録の示すようにソロモンは,夫の神を軽んじた不従順な女たちの意を迎えて彼らの偶像のために宮を建てました。ソロモンの死後,国に災いの臨むことが神から宣告されました。10部族がソロモンの子の支配に反逆して別の国を建て,エルサレムの王に忠誠を示したのは2部族だけでした。

23 (イ)エホバはなぜ,イスラエルとユダの王たちのみじめな没落を預言し,それを許されましたか。(ロ)エズラの時代になっても,流刑のイスラエル人各自は,まだどんな教訓を銘記していませんでしたか。

23 その後のイスラエルとユダの王たちは,少数の例外を除いてみな神の要求に不忠実であり,周囲の国々の偽りの神々と姦淫し,みだらな宗教儀式を行なって身を汚しました。エホバは遂に彼らの二つの国をアッシリアとバビロンの征服者の手に渡し,ユダの地は70年のあいだ荒廃しました。その後彼らはエホバのあわれみによって解放され,故国に帰ることができました。しかし彼らは正しい行ないに関する神の標準に従いましたか。いいえ。それは周囲のカナン人および雑多な民族との交わりを絶たなかったからです。法学者エズラは,彼らが異教徒の女を妻にし,またむすこの嫁に迎えているのを知って驚き,悪行をなす者に臨む神の不利なさばきを直ちに警告します。エズラの警告によって目ざめたユダヤ人は,汚れた状態からきっぱりと離れることに同意しました。「われわれは〔エホバ〕の教…に従って,これらの[異教徒の]妻ならびにその子供たちを,ことごとく追い出すという契約を,われわれの神に立てましょう」。(エズラ 10:3,〔新世訳〕)この選択はきわめて重要でした。彼らはエホバの怒りをこうむることの重大な結果を免れました。

諸国民は神の標準に従ってさばかれる

24 エホバはその正義の標準を実施するにあたって,神の要求を無視する個人だけに対処されますか。例をあげなさい。

24 過去において個人のみならず国全体が,不変の神の正しい原則を尊重したか軽んじたかによって栄えたり滅びたりしています。イスラエルをあなどり,憎んだセム族のモアブ,アンモン,エドムの国々はイスラエルの土地をうかがい,エホバの前に高ぶりました。そのすべては,正義の神の定めによって滅び,荒廃に帰しています。(エゼキエル 25:1-14)商業的な利益に目のくらんだフェニキヤ人はイスラエルとの契約を破り,イスラエル人の捕虜を奴隷として売りました。イスラエルの神は,まずバビロンのネブカデネザルついでギリシャのアレキサンダーによって彼らに災いを下しました。

25 ユダおよびイスラエルの国に関連して,神の正義はどのように働きましたか。そしてなぜ?

25 ユダとイスラエルの国でさえも気ままに行ない,周囲の異教の国々の道にならうことをやめませんでした。エホバは彼らの汚れた不道徳な行ないを預言者たちによっていましめました。エホバは彼らを「淫行の娘」と呼び,彼らが「恋人にこがれた」と述べられてもいます。彼らは神の警告を無視しました。そして神の警告どおり,滅びのさばきが彼らに臨んだのです。「わたしは軍隊を彼らに向かって攻め上らせ,彼らを恐れと略奪とに渡す。軍隊は彼らを石で打ち,つるぎで切り,そのむすこ娘たちを殺し,火でその家を焼く。こうしてわたしはこの地に淫乱を絶やす」。(エゼキエル 23:46-48)恵まれた立場にありながら,彼らの福祉と幸福をはかるためのエホバの標準を軽んじた人々は,なんと愚かだったのでしょう。

26 エホバは,その模型的な国民に対し,ご自身の正義の標準が不変であることを,預言者マラキによってどのように保証されていますか。

26 エズラの時代以後においても,ユダヤ人はふたたび周囲の異教徒の低い道徳の水準にまで堕落しました。神は預言者マラキの厳しゅくなことばによって彼らにその危険を警告されました。「われ汝にちかづきて審判をなし巫術者にむかひ姦淫を行ふ者にむかひ偽の誓をなせる者にむかひ傭人の価金をかすめ寡婦と孤子をしへたげ異邦人を推枉げ我を畏れざるものどもにむかひて,速に証をなさんと万軍のエホバ云たまふそれわれエホバは易らざる者なり」。(マラキ 3:5,6,文語)特にここに述べられた悪に対して,神のお考えは変わっていません。神は変わらず,またこれからもこの点において変わらないでしょう。神は,その正義の標準をあえて無視する者を大目にみることをされません。

群衆に動かされない

27 不完全な者である人間がこのような事柄に対してとる見解につき,何が言えますか。

27 人間は不完全で罪深い者です。それで皆がしているからといって,それから不当な感化を受ける人や国はわなに陥ります。たとえばノアの時代に大多数の例にならって生活した人は,まちがった道を行き,神から不利なさばきを受けました。数が多いから安全というわけではありません。多くの人がする,常識的な物の見方でも,神のみこころとは一致していないことが多いのです。

28 神のことばの中に良い名をとどめた昔の忠実な人は,みな,どんな正しい心の態度を示しましたか。

28 他方,大多数の人の行く安易な道に疑いをいだいた人は,神のみこころにかなった生活をしました。ノア,アブラハム,ヨブ,ヤコブ,モーセその他,エホバの忠実なしもべが歩んだのは少数者の道でした。彼らは数の多いことに圧倒されなかったのです。彼らは創造者の思いと道が人間の思いと道よりも遙かに高く,また重要なことを知っていました。(イザヤ 55:9)彼らは気ままにふるまって「罪のはかない歓楽」にふけるよりも,将来すなわち神の約束による清い新秩序の下で永遠の生命の報いを得ることを望んだのです。(ヘブル 11:25)これら忠実な人々は近い将来にその報いを受けるでしょう。

29 今日,敬虔な人はどんな結論に達するべきですか。

29 聖書にしるされた人間歴史上特選のこれらの記録中には,世界的危機の時代である今日,緊急に必要な助言や導きが見いだされます。それを見いだすのは知恵の道です。他の人の利益や福祉を顧みず,また創造者の定めた正しい行ないの標準を尊重しないで,自分の好む生活をする権利があるという主張は,正しくありません。その事実を認めるのは,賢明なことです。創造者の定めを離れて行動し,人間の導きとして神の定められた道徳の標準を無視する人や国は,災いをこうむります。

30 昔の人に対する神のご処置に関して,わたしたちは何を確信できますか。

30 正しい行ないに関する神の標準をあるいは尊重し,あるいは軽んじた昔の人々が神の御手からそれぞれ何を受けたかたは,今日のわたしたちに重要な意味を持っています。なぜですか。イエス・キリストの使徒パウロは次のように答えています。「これまでに書かれた事がらは,すべてわたしたちの教のために書かれたのであって,それは聖書の与える忍耐と慰めとによって,望みをいだかせるためである」。(ローマ 15:4)一方わたしたちは,人間の行ないに対する神の標準が不変のものであることを確信できます。エホバについて次のことが正しく述べられているからです。「光の父……には,変化とか回転の影とかいうものはない」。(ヤコブ 1:17)確かにエホバは変わることのない,永遠の神であられます。

[270ページの図版]

ヨセフは誘惑からのがれた

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