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  • 山上の垂訓 ―「塩」そして「光」としてのクリスチャン
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 6/15 10–11ページ

山上の垂訓 ―「塩」そして「光」としてのクリスチャン

山上の垂訓の九つの「幸い」に続いて,イエスは,ご自分の追随者たちが人類にどのような影響を及ぼすかについて述べ,「あなたがたは地の塩です」と言われました。―マタイ 5:13。マルコ 9:50; ルカ 14:34,35と比べてください。

イエスの話を聴いていた人々は塩についてよく知っていました。塩は,食物の味をよくし,食物が腐敗しないよう保存するのに役立ちました。神は,ご自分の祭壇にささげられる『すべての捧げ物』に塩を添えるよう命じられましたが,それは塩が腐敗のない状態を表わしていたからにほかなりません。(レビ 2:13,新)イエスの時代にエルサレムのエホバの神殿で務めを果たしていた祭司たちは,燔祭の祭壇にささげられる動物や穀物や乳香のささげ物に塩を添えました。ユダヤの歴史によれば,この目的のために,そうした祭壇に通じる傾斜面近くには大きな塩の山がありました。神殿の境内には,十分の量の塩を確保しておくために,“塩の部屋”として知られる大きな貯蔵室がありました。

イエスの弟子たちは「地の塩」になるはずでした。それは,神の王国について他の人々に証しをするという活動と,弟子たち自身の振舞いの両方によって明らかになるはずでした。クリスチャンが証しの業を行なった結果,多くの人々はイエスを約束のメシアとして受け入れ,罪を贖うイエスの犠牲に信仰を働かせてきました。それにより,そうした信者たちには命を永遠に保つ機会が開かれました。(ヨハネ 6:47。ローマ 10:13-15)さらに,イエスの追随者たちは,聖書の原則に従って生活するよう人々を動かすことにより,人間社会に道徳的および霊的な腐敗が広がるのを遅らせています。

しかし,イエスは次のように述べて警告の言葉を付け加えられました。「でも,塩がその効きめを失うなら,どうしてその塩けを取り戻せるでしょうか。外に投げ出されて人に踏みつけられる以外に,もう何にも使えません」。聖書注釈者アルバート・バーンズが述べるところによれば,イエスやイエスの時代の人々が知っていた塩は,普通の食卓塩(塩化ナトリウム)とは違って,「野菜や土中の物質の混ざった不純なものでした。そのため,塩は塩けを全く失ってしまう可能性があり,土に含まれる物質がかなりの量残りました。そうなると,述べられているとおり,砂利を使用するのと同じように,細い道や人道にばらまくために使われる以外には何の役にも立ちませんでした」。

クリスチャンは,神の王国の「良いたより」を隣人と分かち合う努力を怠らないよう注意しなければなりません。(マルコ 13:10)また,聖書の指針と調和しない振舞いをする傾向に陥らないよう用心していなければなりません。そうしなければ,クリスチャンは霊的に堕落し,もはや何の役にもたたなくなった,まずくて味のない,塩気を失った塩のようになってしまいます。―ヘブライ 6:4-8; 10:26-29と比べてください。

神の栄光を輝かせる光

イエスは,ご自分の追随者たちが人類に与える有益な影響をさらに示しこう言われました。「あなたがたは世の光です」― マタイ 5:14。

霊感を受けた神のみ言葉から,とりわけイエス・キリストの教えと模範とから,人々が神と同じように物事を見られるように助ける霊的な光が出ています。(箴 6:23。イザヤ 51:4。マタイ 4:16。ルカ 1:79; 2:32。ヨハネ 1:4-9; 3:19-21; 8:12; 9:5)イエスの弟子たちは公の証言活動により,人類の罪深い状態,イエス・キリストを通して罪を取り除いてくださるというエホバの目的,またイエスに信仰を働かせる人々すべてに永遠の命を与えて祝福するという神の王国の取り決めなどに関して人々を啓発しています。―ヨハネ 3:16,36。ローマ 3:23,24。

しかし,「世の光」であることにはさらに多くのことが関係しています。使徒パウロはこう書いています。「光の子どもとして歩んでゆきなさい。光の実はあらゆる善良さと義と真実さとから成っているのです」。(エフェソス 5:3-9)クリスチャンは,聖書の原則と一致した振舞いの模範を輝かせていなければなりません。

イエスは,光をかかげる者としてのご自分の弟子たちについてさらに次のように言われました。「都市が山の上にあれば,それは隠されることがありません。人はともしびをつけると,それを量りかごの下ではなく,燭台の上に据え,それは家の中にいるすべての者の上に輝くのです」― マタイ 5:14,15。

『山の上にある都市』は,かなり離れたところからでも容易に見えます。同様に,イエス・キリストに見倣う人々は,「りっぱな業に熱心な」人々であることがすぐに分かります。(テトス 2:14)節度を守ること,慎み深さ,仕事に対する勤勉さ,健全な話し方,家族の一致など神の特質を表わそうとするそれらの人々の努力は,他の人々に好感を与えます。(テトス 2:1-12)彼らはまた,『世のものとならない』ように決意しており,政治や戦争,また不道徳な生活の仕方にかかわりを持ちません。(ヨハネ 15:19; 17:14-16)そのために,良心的なクリスチャンが嘲笑や迫害を受けることは時折あります。―マタイ 24:9。ペテロ第一 4:4。

それゆえ,人々はともしびを「量りかご[ギリシャ語モディオス 容量は約7.6㍑]の下ではなく」,部屋全体を照らせるように「燭台の上に」据える,とイエスが続けて言われたのはもっともなことです。イエスの追随者たちは,世からの反対のゆえに,自分たちが神について知るようになった真理を隠したり自分たちだけのものとしておいたりしてはなりません。また,聖書の原則と一致しない行動をならわしにすることもできません。たとえそうした人々が聖書の真理を熱心に宣明し続けたとしても,彼らの行動がその価値を覆い隠してしまうからです。―ペテロ第二 2:2。

燭台の上で輝くともしびに関しイエスは次にこう言われました。「同じように,あなたがたの光を人びとの前に輝かせ,人びとがあなたがたのりっぱな業を見て,天におられるあなたがたの父に栄光を帰するようにしなさい」。(マタイ 5:16)「世を照らす者として輝き」続けるべき何と強力な理由なのでしょう。(フィリピ 2:15)人々は,クリスチャンの「りっぱな業」を観察することにより,彼らの神の卓越性を知ることができます。りっぱな業を観察する人々が心を動かされて,自分たちも神の崇拝者になり神に「栄光を帰する」ようになることも珍しくありません。それゆえ,使徒ペテロはこう諭しました。「諸国民の中にあっていつもりっぱに行動しなさい。それは,彼らが,あなたがたを悪行者として悪く言っているその事がらについて,あなたがたのりっぱな業を実際に見,その業のゆえに検分の日に神をたたえるようになるためです」― ペテロ第一 2:12。

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