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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
塔55 2/15 70–72ページ

神権的な軍隊に伴う祭司

1 誰がいることによつて,イスラエル人の陣営は潔められましたか? 彼らがいることは,なぜ必要でしたか?

神権的な戦の神聖さは,神のこの奉仕をするのに,イスラエルの男の潔めを必要としました。彼らは,神の宇宙的至上権を擁護し,また偽りの神々を崇拝する者に発する神の義しい御怒りの刑執行者でありました。その故に,レビ族の祭司たちがイスラエス人の軍隊に伴うことが必要でありました。彼らがいるということは,ヱホバの軍隊に神聖を加えました。ヱホバの聖なる契約の櫃が幕屋または天幕に置かれて護られた時代に,ならわしとして櫃を軍隊の陣営に持つて行きました。櫃は,ヱホバ神がその戦闘軍勢と共にいるということを象徴したからでした。(サムエル前 4:4-6; 14:18,19。サムエル後 11:11)このためには,レビ人の祭司がどうしても陣営にいなければならなかつたのです。彼らだけにヱホバ神の櫃を持ち運ぶ権威が与えられていたからです。祭司ではないイスラエル人は,あるとき,車から櫃の落ちるのを防ごうと思い,櫃に手を触れましたが,そのために殺されました。レビ人の祭司が櫃を運んでいたならば,このことは起らなかつたことでしよう。(申命 31:9。ヨシユア 3:17; 6:4-11。サムエル前 4:4。サムエル後 6:6,7。歴代志略上 15:2-15,26)また,イスラエルの軍隊は交戦に直面すると,犠牲をヱホバ神に献げるのが通例でしたが,このためにはヱホバの予言者かレビ人の祭司のいることが必要でした。(サムエル前 7:9; 13:9)さらに,ある戦術を行う前に,神を恐れる軍事指揮官は,契約の櫃によるか,あるいは祭司の衣服,または大祭司の着ていた聖なるウリムとサミムによつてヱホバの助言を求めました。バビロンの王ネブカデネザルのような異邦人は,いろいろな形式の占いに頼りましたが,ヱホバの民は真の神であるヱホバに頼り,戦の指示を仰ぎました。(シシ記 1:1; 20:27,28。サムエル前 14:37; 23:2,6,9-14; 28:6; 30:8。サムエル後 5:19,23。エゼキエル 21:21)このためにも,ヱホバの予言者または祭司がヱホバの神権的な陣営とともにいることを必要としました。

2 戦の前に,何の目的のために,祭司たちは先頭にいるよう直接命ぜられましたか? 彼らは武器をとつて戦うことが必要でしたか?

2 聖地,約束の地にいたイスラエル人に次のいましめを与えたとき,ホヱバはその祭司たちが先頭に立つようにと特別に命ぜられました。『なんじその敵と戦わんとて出るに当り,馬と車を見,また汝よりも数多き民を見るもこれをおそるるなかれ。そは汝をエジプトの国より導き上りし汝の神なんじとともに在せばなり。なんじら戦に臨むときは祭司進みいで民に告げて之に言うべし。イスラエルよ,聴け,汝らは今日なんじらの敵と戦わんとて進み来れり。心に臆するなかれ,おそるるなかれ,あわつるなかれ。彼らにおづるなかれ。そは汝らの神ヱホバ汝らとともに行き,汝らのために汝らの敵と戦いて汝らを救い給うべければなりと。』(申命 20:1-4)ヱホバの直接の代表者,聖別された祭司が,戦闘の最先頭に立つて,このはげましの言葉をヱホバの戦の軍人に与えるということはもつとも適当なことでした。しかし,祭司たち自身が武器を取り,戦をすることは必要ではなかつたのです。

3 戦の合図に,なぜ祭司たちが軍隊にいることを必要としましたか? 実際には,この戦の合図とは何でしたか?

3 戦の会図を吹き鳴らすことのためにも,陣営の中に祭司たちのいることを必要としました。ただ祭司たちだけが戦の会図を与え敵にむかつて勝利の突撃をすることができました。モーセを通してなされたヱホバの教は次のようでした。『なんぢ銀のラッパ二本をつくれ。すなわち,槌にてうちて之をつくりこれを用いて人を呼び集め,また営を進ますべし。またなんぢらの国において汝らその已を攻むるところの敵と戦わんとて出る時は,ラッパを吹きならすべし。然せば汝らの神ヱホバ汝らを記憶て汝らをその敵の手より救いたまわん。……ラッパを吹きならすべし。しかせば汝らの神これに由て汝らを記憶たまわん。我は汝らの神ヱホバなり。』(民数紀略 10:2,8,10)この2本のラッパを用いることについての聖書の記録によつて,誰が吹きならした者であるかが分ります。それはレビ人の祭司たちでした。戦の会図を鳴らして,ラッパの音が響きわたると,全軍は活気づけられ,軍の隊伍は活動を始めました。ラッパの音は,上からの援助を求めるものでした。それは祭司の鳴らした音であるため,神に彼らとともに行動し,彼らに勝利を与えるよう注意を促したもののようでした。

4 ミデアン人に対するイスラエルの勝利は,どんな原因によりましたか?

4 荒野でさまよつた40年の終りに近づいて,イスラエル人は,約束の地の邑エリコの手前,ヨルダン河のこちら側のモアブの平野に来て,営を張りました。モーセは,この場所から1万2000人の軍勢を遣して,悪鬼崇拝のミデアン人と戦わせました。聖書の記録は,こう述べています,『モーセすなわち各の支派より千人づつを戦争に遣し,また祭司エレアザルの子ピネハスに聖き器と吹き鳴らすラッパをとらしめて之とともに戦争に遣わせり。彼らヱホバのモーセに命じたまえるごとくミデアン人を攻め撃つ。』(民数紀略 31:1-7; 22:1)ヱホバにむかつてなされたラッパの響は,勝利をもつて答えられました。

5 軍事的などんな不利の状態で,ユダのアビヤ王はイスラエルのヤラベアム王と向き合いましたか? しかしアビヤにはどんな大切な附加の援助がありましたか?

5 ヱホバの敵に対してなされたその神権的な戦争から幾世紀も後に,約束の地にいたイスラエルの12支族の国は二つの国に分けられました。つまり,ユダの国とイスラエルの国でした。あるときは両方の王の軍隊は戦場で向い合いました。ユダの国の王アビヤは,神に忠実を保ち,40万の軍勢をもつて,その2倍にあたるイスラエルの王ヤラベアムの下の偶像崇拝者たち80万と敵対いたしました。しかし,ユダのアビヤ王は,40万人の戦士以上のものを持つていましたが,彼は敵勢にむかつて次のように訴えたとき,その非常に大切な附加の援助について述べました。『されど,われらにおいてはヱホバ我らの神にましまして我らはこれを棄てず,またヱホバに事うる祭司はアロンの子孫にして,役事をなす者はレビ人なり。……視よ,神みづから我らと共にいまして我らの大将となりたもう。またその祭司どもはラッパを吹きならして汝らを攻む。イスラエルの子孫よ,汝らの先祖の神ヱホバに敵して戦うなかれ。汝ら利あらざるければなりと。』

6 生じたところの危険な状態にあつて,アビヤ王の軍勢はヱホバにより頼んでいたことをどのように示しましたか? そしてヱホバはどのようにそれを立証しましたか?

6 この訴えの言葉は,敵には役立ちませんでした。戦が始まると,アビヤ王の軍隊は伏兵をうけていて,状勢は危険でした。しかし,神の助けは,ラッパに答えて来ました。聖書の記録は,こう述べています。『ユダ後を顧みるに敵前後にありければ,ヱホバにむかいて呼ばわり,祭司どもラッパを吹けり。ユダの人々すなわち吶喊を挙げけるがユダの人々吶喊を挙ぐるにあたりて神ヤラベアムとイスラエルの人々をアビヤとユダの前に打ち敗り給いしかば,イスラエルの子孫は,ユダの前より逃げ走れり,神かく彼らを之が手に付したまう。』それでは,なぜこの聖なる勝利が来ましたか? 聖書の記録の中で,ヱホバはこのように答えています。『このときには,イスラエルの子孫打ち負され,ユダの子孫勝を得たり。是は彼らその先祖の神ヱホバを頼みしが故なり。』祭司が聖なる銀のラッパを吹き鳴らしたことは,ヱホバにより頼んでいるという記念,覚えとして響き渡りました。ヱホバに確信を持つ一致した吶喊,ハレルヤ!は,その戦士たちの口から轟き出ました。ユダの軍勢は,神の勇気に皷吹され前と後ろの敵に突撃しました。そして,ヱホバは勝利を与え,彼らのより頼んだということを立証いたしました!。―歴代志略下 13:3,10-18。

7 エルサレムが,モアブ人,アンモン人そしてセイル山の人の軍隊で危険になつたとき,ヱホバは誰を用いてその音信を述べられましたか? それは何と述べましたか?

7 神権的な戦の神聖さということと,また軍勢に関連してヱホバはどのようにその献身したレビ人の支派を用いられたかを示す別の例証は,国の非常危急の時に起りました。悪鬼崇拝者たちの連合軍勢,つまりモアブ人,アンモン人,そしてセイル山の人々は,ユダの荒野を通つて攻め寄せ,エルサレムの聖都を攻撃しようとしていました。王ヨシヤパテは,国中に断食を布告し,すべての民をエルサレムの宮に集めました。王ヨシヤパテはすべての男,女,子供たちにおごそかな気持ちで訴え,ヱホバに祈りを捧げました。そのとき,ヱホバは,危機に臨むに際し,慰めと指示を与える御自身の代弁者を選ばれました。聖なる人,レビ人の歌い手ヤハジエルが選ばれ,ヱホバは聖霊を注ぎ,彼を感動してこう言わせました。『ヱホバかく汝らに言いたもう。この大衆のために懼るるなかれ,おののくなかれ。汝らの戦にあらず,ヱホバの戦なればなり,なんぢら明日彼らのところに攻めくだれ。……この戦には汝ら戦うにおよばず。ユダおよびエルサレムよ,なんぢらただ進みいでて立ち,汝らとともに在すヱホバの救を見よ。おそるるなかれ,おののくなかれ。明日彼らの所に攻めいでよ。ヱホバ汝らと共に在せばなりと。』

8 彼らがこの状況に会う神聖さはどのように示されましたか? 神聖さに強調が置かれたことは,なぜ間違つてはいませんでしたか?

8 翌朝,彼らはこの言葉に従つて,都の防壁から出て,殺倒する敵と会しようと進軍しました。しかし,どのように? 祭司たちの手に持つ2本の銀のラッパはたずさえて行かず音を吹きならすことはなかつたのです。吶喊をあげてモアブ人,アンモン人,そしてセイル山の民に突撃することはなかつたのです。彼らは,この戦闘に戦う必要がなかつたのです。それは聖なる戦でした。それは彼らの戦ではなく,神の戦でした。彼らが出かけて行つたときに,軍勢の総指揮官である王ヨシヤパテは申命記 20章5-9節に従い,立ちて,進軍する者たちをいましめ,こう言いました。『なんぢらの神ヱホバを信ぜよ。さらば,汝らかたくあらん。その予言者(ヤハジエルのような)を信ぜよ。然らば汝ら利あらん。』と同時に,彼らのヱホバへの信仰と確信を強めるために,ヨシヤパテ王はヤハジエルとその仲間のレビ人の歌い手に聖き衣をつけさせ,行進する軍勢の最先頭に置きました。ラッパの音にひきつづく吶喊をあげる代りに,これら聖なるレビ人たちは『ヱホバに感謝せよ。その恩恵は世々かぎりなし。』と歌を歌いながら進軍して行きました。ヨシヤパテ王と軍勢は,次位の地位をしめて従つて行きました。戦争の神聖さに,この強調を置いたことは,間違つてはいなかつたのです。聖書には,こう書かれています『その歌を歌い,讃美をなし始めるに当りて,ヱホバ伏兵を設け,かのユダに攻め来れるアンモン,モアブ,セイル山の子孫をなやまし給いければ彼ら打ち敗られたり。すなわち,アンモンとモアブの子孫起ちてセイル山の民にむかい,ことごとくこれを殺して滅ぼししが,セイルの民を殺しつくすに及びて彼らもまた力をいだしてたがいに滅しあえり。』荒野のものみの塔に来たとき神権的な行列は,行われたところの殺戮を見ました。

9 彼らはどのようにヱホバの勝利を祝いましたか? ヱホバの勝利によつて,昔の世は何を知りましたか?

9 彼らのすることは,ただ死体から戦利品を取ることだけでした。このことを3日間して後に,彼らはベラカの谷に集まり,ヱホバを崇め,それから聖なる音楽を奏して彼らはエルサレムとその宮によろこんで戻つて来ました。『そはヱホバ彼らをしてその敵の故によりてよろこびを得させたまいたればなり。』不敬虔な侵略者に対するヱホバの聖戦の結果は何でしたか? 聖書の記録は,こう答えています。『諸々の国の民ヱホバがイスラエルの敵を攻め撃ちたまいしことを聞きて神を畏れたり。』(歴代志略下 20:1-29)昔の世は,ヱホバが平和主義者ではなくして戦をする方であると知りました。しかも戦つていつも勝たれる方であり,私たちは彼を恐れるべきであります。神に反対して戦う者は災いです。彼らは敗け戦をしています! しかし,ヱホバの戦争を戦うものは,そうではありません。これらの者たちとは,クリスチャンの神権的な戦に全く自らを捧げる者たちです。彼らはただこの戦のためだけに潔めをうけています。なぜならば,その戦は聖いものであり,宇宙の聖者によつて権威を与えられ,また彼によつて支持され,勝利を必らず得るからです。

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